第6話 過保護にも理由があります

 ルーデンベルク公爵が屋敷に帰ってきたのは、皇帝が刺殺された日から数えて九日目の深夜だった。ジョシュアを代理として宮殿に置き、一時的な休息のために帰宅したという彼は、酷くやつれていた。

 玄関ホールで父を出迎えたリヒトは、いつもなら几帳面に整えられている白髪が乱れているのを見て、細い眉をハの字に下げる。

「混乱はまだ収まりそうにありませんか?」


「残念ながらしばらく続きそうだ。後継はアーネスト皇太子殿下で決まりのはずだが、今になって皇帝暗殺の疑いが持ち上がった。病で気落ちしていた皇帝を誰より側で支えていた方だが、それなら部屋に忍び込むのもたやすいと考えた一部の貴族が騒いでいる」

 皇族は一枚岩ではない。特に後継者争いにおいては、血で血を洗うような闘争が繰り返し行われている。争いを焚きつけて大きくするのはたいていが貴族だ。自身に有利な皇帝を担ぎ上げることで財を成したい利己的な連中ほど声が大きい。

 コートを侍従に渡した公爵は、リヒトが心配そうな顔つきで自分を見つめているのに気づくと、彼の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。


「そう思い詰めるな。真犯人は必ず捕えるさ。そうすれば、皇太子殿下への嫌疑も晴れるだろう。さて、君が起きて待っていたということは私に話があるのだろう。夜食をいただきながらでもいいかな?」

「もちろんです」

 執務室へ入った公爵は、パチパチと爆ぜる暖炉の火を小さな衝立で隠す。

 リヒトが目を傷めないようにだ。彼のさりげない優しさは、リヒトがこの家に引き取られた日から変わることがない。

 丸テーブルに向き合って座ると、給仕係が公爵にあたたかなスープを、リヒトには淹れたての紅茶を出して下がっていった。


「――イライザのことかな?」

 スープを一口飲んでから端的に話し出した公爵に、リヒトは神妙に頷く。

「ええ。誘拐されて家出は諦めたようですが、外出への執念は捨てていないようです」

 イライザが勝手に外出しないよう、リヒトは部屋に鍵をかけて閉じ込めていた。しかし外の世界に焦がれる彼女は、毎日のように窓や扉と格闘している。

 庭師や使用人の話では、ドアノブに細工して鍵を破ろうとしたり、手持ちの宝石を賄賂にして部屋から出してと交渉したりと熱心に動き回っているようだ。

「今は父さんからもらった鍵で閉じ込めていますが、いつまで持つか……」


 リヒトは長いまつ毛を伏せた。暖炉の燈によってオレンジ色に照らされてなお、なめらかな頬は青ざめていた。

 姉は一度やろうと決めたことはやり遂げる人だ。いずれ窓か扉を突破して部屋の外に出たら、公爵家の敷地の外へ出かけていくに違いない。

 それが今のリヒトには恐ろしい。公爵も娘の頑なさを思い出して苦笑いだ。

「あの子は諦めないだろうな。デビュタントも済ませていない身の上で良い結婚相手とめぐり合うには、公園や歌劇場で偶然の出会いにかけるしかない。それには、過保護な義弟の目が届かない場所へ出かけなければならない」


「俺は過保護ではありません。姉さんを危険から守るためにはああするよりないと、父さんだってわかっているはずです」

 イライザは気づいていないが、彼女は預言の噂が広まったころから命を狙われている。

 当時はまだ皇帝の腹心が定まっていなかったため、ルーデンベルク公爵家が頭一つ抜けることを面白く思わない貴族はごまんといた。

 皇帝をはじめとした有力者を人知れず殺そうと企む勢力にとってもイライザは邪魔だった。もしも暗殺を予知され、さらに犯人だと名指しされてしまえば、企みはすべてご破算になるからだ。

 リヒトは、公爵や兄ジョシュア、公爵家の昔からの使用人たちと一致団結してイライザを守ってきた。しかし、イライザは守られていることを知らない。

 知らせないと皆で決めたのだ。

 天真爛漫で純粋なイライザは、ルーデンベルク公爵家の太陽だった。彼女が上機嫌に笑っていれば、それだけで家の雰囲気は明るくなった。


 イライザが命を狙われるなら、秘密裏に守ればいいだけだ。

 予知夢でたくさん怖い思いをしているイライザに負担をかけないように、公爵もジョシュアもリヒトも宝物を扱うように彼女に接してきた。

 教会に身を寄せてからもその思いは変わらず、公爵家から信頼のおける護衛を遣わせて、イライザの身辺を固めていた。

「俺は姉さんを守り抜きます」

 騎士らしい表情で告げるリヒトに、今度は公爵の方が困ったように眉を下げた。

「なぜ君はそんなにもイライザに夢中になってしまったのかな」

「それは……」

 リヒトが手に取ったカップのなかで紅茶が揺れる。水面に映った自分の顔を見つめていると、無力だった幼いころの面影が浮かんできた。

 苦くも辛い死別という痛みに直面していたころの自分だ。


「姉さんは俺を、それはそれは大事にしてくれましたから」

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