第5話 義弟の過保護が加速しました
部屋に異変を感じたのは、誘拐から無事に助け出されてルーデンベルク公爵家のお屋敷に帰ってきた翌日だった。
疲れ果ててぐっすり眠り、いつもより遅い時間に目覚めると、朝の光が差し込むベッドの横で太陽よりも輝かしい笑顔を讃えたリヒトに話しかけられた。
「おはようございます、姉さん」
「おはよう、って……。どうしてリヒトがここにいるの!?」
幽霊でも見たように仰天したのは理由がある。
実は、私の部屋には鍵がかかるようになっていて、父と女中頭しか開けることができないのだ。昨晩、眠る前にしっかり施錠したはずなのに。
リヒトは金のティーワゴンで紅茶を淹れて、戸惑う私にカップを差し出した。
「姉さんが悪夢を見ないか心配で見守っていたんです」
「どうやって鍵を開けたの?」
女中頭が貸したのであれば注意しようと思っていると、リヒトは照れくさそうに腰に回したチェーンを持ち上げた。
その先には、宝石をはめた古い鍵が一つ下がっている。
「父さんに、姉さんを誘拐犯から助け出した報告にあがったら、心配だから預けておくと姉さんの部屋の鍵をもらったんです。昨晩はそれで姉さんの部屋に入りました」
「お父様ったら、なんて余計なことを……!」
私は額に手を当てて天井を仰いだ。
結婚を迫る義弟に、迫られている姉の部屋の鍵を渡すだなんて、我が家の安全対策はどうなっているのだ。
抗議しようにも父は宮殿で仕事中。鍵を預かってくれそうな兄もまた家にはいない。
うっとりと鍵を撫でたリヒトは、美しい顔をぬっと近づけて紫色の瞳を光らせた。
「逃がしませんよ。姉さん」
その日は一日中、自室にいた。正しくは部屋から出られなかったのだ。
リヒトは私とともに朝食をとった後、部屋に鍵をかけて騎士団の稽古に行き、昼前に戻ってきて食事とお茶の時間をゆったり私と過ごし、また私の部屋に鍵をかけて午後の見回りに出かけていった。
私には、夕食までにお腹が空かないように、たんまりとおやつを与えて。
窓際で暮れかけの空を見上げながらアップルパイを食べていた私は、はっと我に返った。
「これでは、監禁されているのと変わらないわ」
それは困る。私は、早急に結婚して家を出なければならないのだ。そのためには、どこかで私を娶ってくれる男性と出会わなければならない。
監禁されている身の上では、新たな出会いなんて夢のまた夢ではないか。
そもそも、一人で勝手に外出しないとは約束したけれど、部屋に閉じ込められて自由に出歩けない状況を許したわけではない。身の安全を考えるなら、(リヒト以外の)お目付け役を連れ歩けばいい。
この部屋を出よう。私はおもむろに立ち上がって窓に飛びついた。
飾り彫りの施された窓枠に手をかけて押したり引いたりしてみる。けれど、いくらやってもビクともしない。
「なんなの、この窓。ふんっふんっ!」
ゴリラになったつもりでガタガタ揺らしていたら、窓の下から庭師のブラウンさんがのん気な声をかけてきた。
「イライザお嬢さん、その部屋の窓は開かねえですよー。リヒト様のご命令で、毎年しっかり釘で固定していますんでー!」
「なんですって?」
道理で開かないわけだ。私は肩をがっくり落として窓越しに問いかける。
「教えてくださってありがとう、ブラウンさん。監禁するなんて酷いと思いませんか?」
「限りなく犯罪に近いですが、合法だと思いますー!」
この家に味方がいないことがよくわかる返事だった。
ブラウンさんの言葉を聞いて、私は窓からの脱出は諦めた。
運動不足な私の腕は、窓と格闘しただけで筋肉痛になってしまい、リヒトが帰ってくるまでソファに横たわって休まなければフォークの一本も持てそうになかった。
(これから筋トレをしましょう。私はもう聖女ではないのだから、何だってできるようにならないと)
筋肉ムキムキの令嬢は聞いたことがないが、もしもそういう外見になったら、筋肉質な女子が好きで好きでたまらない特殊な嗜好の貴公子を捕まえられるかもしれない。
何事も差別化は大事よね。
ゴリラみたいな私を見たら、リヒトも結婚を諦めるかもしれないし。
脳内で筋トレスケジュールを練りながら帰宅したリヒトと晩餐を食べ、入浴や寝る準備を済ませてベッドに入る。
リヒトが眠るまで立ち会うと言ってきかなかったけれど拒否した。だって、何をされるかわからないじゃない。令嬢の寝室に入るのは家族でもマナー違反だと叱ると、しぶしぶ部屋を出ていった義弟は鍵をかけるのを忘れなかった。
夜中に入って来そうな予感がしたので、ソファを扉の前に移動させておく。
弟といえど、男性に寝顔を見られるのは抵抗があるもの。
リヒトのように美しい人なら寝ていても様になるだろうけれど、あいにく私は普通の容姿。
たぶん、寝たら口はぽかんと開く。最悪、涎をたらすこともあるかもしれない。
(こんな私を大切にしたって意味がないのに)
リヒトが私を閉じ込めておきたいと思う気持ちもわからなくはないのだ。
私だって、大切な家族が誘拐されたら安全な場所にいてほしいと思う。
でも、今の私はお払い箱になった元聖女。外聞が悪い存在で、早くどこかの誰かと結婚して公爵家を去らなければならない、役立たずの人間だ。
リヒトから求愛めいた言葉を告げられるたびに後ろめたくなるのは、私自身が私の価値の無さを自覚しているからだわ。
――真夜中の窓からは満月が見えた。
私は月光に照らされて椅子に座っている。
黒ずんだ鉄製の格子と石の壁にはぬくもりがない。眠れる夜の寒々しさを和らげようと、毛布を持ってきてくれた侍女にスープを頼んだ。
扉の開く音、近づいてくる足音。
明かりに乏しい室内では、人影はより黒く大きく見える。
私の侍女はこんなに大きな体をしていたかしら?
人影はどんどん足を速めて、月明りのなかへ踏み出した。
キラリ。スープがのった盆には、純銀製のスプーンとナイフがのっていた。
どうしてナイフが?
不審に思って立ち上がったのと、人影がナイフを掴んだのは同時だった――
目を開けると真夜中だった。部屋を満たすのは暗闇で、月明りは線ほども見えない。厚いカーテンが窓を塞いでいるからだ。
(それに、今日は下弦の月。満月が見えるはずがないわ)
先ほどの夢は、ただの夢だろうか。
肌に感じる寒さも、部屋に入ってきた人物が侍女ではないと気づいた瞬間の絶望も、やけに現実的に感じられた。
「また誰か死ぬの?」
誰もいない部屋に、私のつぶやきが重く響いた。
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