第2話 義弟の求婚は不本意です

「リヒト……」

 義弟を見た瞬間、私の頭からサーッと血の気が引いていった。

 久しぶりに見る義弟は、筆舌に尽くしがたいほどの美形に育っていた。傾げた首にそって流れる黒い髪も、定規で引いたようにまっすぐな鼻梁も、伏せられたまつ毛の影が落ちる頬も、まるで絵画から現れた麗人のように輝いている。

 衿の立った黒いコートは皇立騎士団の制服だ。三年前に見たときは布のなかで体が泳いで不格好だったが、会わないあいだに伸びた身長と厳しい稽古で筋肉がついた今は、彼のためにデザインされた衣装のように似合っていた。


 とても素敵。だけど、私が動揺しているのはそれが理由じゃない。


「ど、どうしてここに。あなた、騎士団寮に引っ越したはずでしょう!?」

 ぱくぱくと口を開け閉てする私の髪に、リヒトは感慨深そうに触れてくる。

「姉さんが教会を追い出されたと聞いて駆けつけたんです。こうして触れられる距離にいるのは三年ぶりですね。永遠みたいに長かった……」

 ほうっと吐き出される声が甘い。まるで恋人に言い聞かせるようだけれど、リヒトは私とは姉弟だ。

 さっきの申し出を振り払うように、触られていた髪を手で払った。

「久々の再会なのに変なことを言わないでちょうだい。あなたは私の家族なのよ。大事な弟と結婚する姉がどこにいるの?」


 長い皇国の歴史を紐解くと、家の財産を守るために近しい血筋のなかで婚姻関係を結んだ時代もあったようだけれど、今では両親、祖父母、子や孫、兄弟といった家族とは結婚しないのが通例だ。

 しかし、リヒトは子どものおいたを笑うようにクスクスと喉を鳴らした。

「姉さんは誰でもいいから結婚したいのでしょう? それなら俺が適任ですよ。剣士として騎士団で一目置かれていますし、いずれ公爵を継ぐジョシュア兄さんの補佐をするための勉強も欠かしていません。それに、俺ほど姉さんのことを大好きな男はいません」

「そういう当てつけはいらないわ」

「当てつけではありませんよ」

 はにかむ義弟の薔薇色に染まった頬を見て、ああ、と私は思い出す。

 初めて会ったときから、私は彼のこの表情に弱いのだった。



 リヒトは父が愛人との間に設けた子どもだ。

 七歳のときに公爵家に引き取られてきた。

 ちょうど私が流行り病を預言したという噂が広まって、利用しようと近づいてくる悪徳貴族が後を絶たずに家中がピリピリしていた時期だった。

 一週間ほど家を留守にしていた父が連れてきたのが痩せっぽちのリヒトだ。耳年増で女中たちの会話を覚えていた私は、父がよそで作った子だとすぐに察しがついた。

 母が亡くなって二年が経ち、後妻をとるという話が何度か持ち上がっては、父が拒否していたので何か理由があるのではと思っていたのだ。


 首も手足も棒みたいに細いのに、顔だけは異様に整っているリヒトを、私は一目で気に入った。ルーデンベルク公爵家の令息としては及第点だろう。

 彼の肩に手を当てた父は、兄と私を見つめてどこか心配そうに微笑んだ。

『二人とも、この子はリヒトだ。今日からルーデンベルク公爵家で暮らす』

『はじめまして、リヒト。僕はジョシュアだよ。仲良くしてね』

『私はイライザ・ルーデンベルクと申します。お見知りおきを』

 家庭教師に習った通りに左足を下げて挨拶する。

 けれど、リヒトはにこりともしなかった。人形のように表情を動かさず、一言も発しない彼に、父と兄は困り顔でおろおろしている。

 こんなに気を遣われているのに、なんて礼儀知らずなのかしら。

『あなた、この家でそんな態度が許されるとでも思っているの?』


 私は頬を膨らませて両手を組んだ。

 焦点の合わない目で前を見ていたリヒトは、注意されてようやく私に気づいたようだ。ぼんやりした表情のまま首を傾げた。

『たいど?』

『あなたは今日からルーデンベルク公爵家の子どもなのよ。貴族らしい礼節をわきまえてもらわないと我が家の威信にかかわるわ。たとえあなたがお父様の愛人の子だってね!』

『わああ! イライザ、そんなことを言うのはやめなさい!』

 尊大に言ってのけた私に兄は大慌て。父は苦笑いで頬をかいている。

 当のリヒトは長いまつ毛をパチパチと上下させて、おずおずと口を開いた。

『貴族らしくできたら、どうなるの?』

『家族として認めてあげてもいいわ。お父様とお兄様と同じくらい大好きになってあげる』

『大好き……。いいな』

 リヒトは甘いため息をついてはにかんだ。

 薔薇色に染まった頬を見て、父と兄はほっとした顔で視線を合わせた。

 私はというと、この美しい子どもに絆されてなるものかと必死に足を踏みしめていた。


 それ以来、私はリヒトを貴族の令息らしくするために厳しく接した。

 お茶の時間になったら遊びを切り上げて私をエスコートしなさいとか、木登りで降りられなくなった私を見つけたら一番に助けなさいとか、私がいたずらを叱られるときは一緒にいなさいとか、貴公子としての精神を叩き込んだのだ。

 ……ええ、やりすぎました。

 嫁いびりならぬ、愛人の子いびりだと言われてもおかしくないくらい、私は自分勝手な我がままでリヒトを振り回した。

 しかし、物覚えがいいリヒトは、何だってすぐにできるようになった。私の言いつけもよく守った。

 その後で必ず『大好きになった?』と質問してくるから、いつも『大好きよ』と答えていた。飴と鞭を使いわけることの大事さを、幼い私はよくわかっていた。

 そのたびに、リヒトはいつも嬉しそうにはにかんだ。


(あんなに手酷く扱ったんだから、私を大好きになるはずがないわ)


 私がそう気づいたのは、思春期の十三歳のころ。

 当時は、どこにでもリヒトがくっついてきて常に私にべったりだった。私以外の女性に話しかけられても嬉しそうではなかったし、出会いを求めて行動するよりも私の行く先々にひっついて回る方に熱心だった。

 その結果、私は女性の親友もできなかったし、どこそこの貴族のご令息が素敵で……みたいな会話の輪にすら入れてもらえなかった。


(まさか、これはリヒトの復讐なの!?)

 意図的に私を孤立させ、孤独を味わわせることで「ルーデンベルク公爵家にふさわしい貴族たれ!」と指導した私に当てつけているに違いない。

 天使みたいな顔をして、悪魔のような青年だ。

 このままでは私はリヒト以外の誰とも仲良くなれず、家に閉じこもって悲惨な人生を送ることになるだろう。


 私はリヒトの毒牙から逃れるため、自ら志願して教会へ入った。すると、リヒトの方も騎士団への所属を願い出て寮へ移った。

 私が聖女として忙しくしている最中、彼の方は類まれな剣技を認められ、騎士見習いになって一年ほどで騎士に叙勲された。この記録は最短で最年少。

 見た目の美しさも相まってリヒトはあちらこちらの儀式に引っ張りだこで、私も遠くから目にする機会があった。ぶかぶかの騎士服で懸命に役目をこなす義弟は姉の目にもかっこよくて、思わず見惚れることもあった。

 なぜか、そういうときほどリヒトと目があって気まずくなるんだけど……。

 

 騎士寮で暮らしているリヒトがルーデンベルク公爵家に戻ってきた。よりによって父と兄がいなくて、私が教会を追い出されて舞い戻ったこのタイミングで。

 過去の自分の過ちに青ざめる私の耳元で、リヒトが悪魔のように囁く。

「姉さん、俺と結婚してください。絶対に幸せにします」

「だ、だめよ」

 リヒトの目的は、私に復讐すること。

 私をこの家に閉じ込めて、他の誰とも交流させないで、悲惨な晩年を過ごさせるために、自分と結婚させようとしているんだわ。

 そうでなければ、私に求婚するはずがないもの。

 私は震える足で立ち上がって、彼に背を見せないように後ずさった。

「私は自分で結婚相手を見つけてこの家を出るわ。そもそも、あなたと私の結婚をお父様はお許しになりません!」


「……ルーデンベルク公爵に認められればいいんですね」

 すわった目で呟いたリヒトは、急に用事でも思い出したように踵を返した。

「俺はあなたを諦めません。楽しみにしていてくださいね、姉さん」

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