第3話 忘却

「おい、俺をこの中に入れてくれ」

 護衛に頼み、ザックは檻に入った。


 虚なクロノスの横に座り、無理やり口に水を突っ込む。

 半分以上こぼれたが、飲まないよりはマシ。

 そう思っているに違いないザックの強引な方法に、思わずクロノスは苦笑した。


「次は? スープか?」

 冷めたスープを手に取ったザックは眉間にシワを寄せた。

 こんな食事が公爵子息に出す料理か?

 

「……ザック」

「うん?」

 クロノスは護衛に聞かれないように、声を出さずにザックに伝えた。


『セレスを探してくれ、あの日宰相に追い出された』


「ほら、口を開けろよ。スープだぞ」

 ザックは護衛にバレないようにスープを飲ませるフリをする。


『どこに?』

『わからない。馬車で西に』


「このスープ冷めてて不味そうだな。これじゃ飲む気にならねぇよな」

 ザックはカチャカチャとスープをかき混ぜた。


『父もいない。あの日会場にいなくて、ずっと会っていない』

『おまえが捕まっているのに?』

 クロノスが頷くとザックは眉間にシワを寄せた。


『セレスティのことは任せろ』

 ザックの言葉でようやくホッとしたクロノスは意識を失うように眠りにつく。


「……眠ることも出来なかったのか」

 ザックはクロノスを冷たい床に寝かせると、薄い毛布を掛けた。

 罪人と同じ扱いをして、王女と結婚するから許してくださいとでも言わせるつもりか?

 酷すぎるだろ。


 ザックは護衛に合図し檻から出ると、急いで魔術師オーステンの元に向かった。


「どうやって探せばいいと思う?」

 ザックに聞かれたオーステンは頭を抱えた。


 あの日からもうすぐ2週間。

 馬車がどこに行ったか覚えている街の者はおそらくいないだろう。

 馬車の御者は誰だったのか守衛に確認したが覚えていないと。

 馬車の特徴も尋ねたがよく覚えていないという答えだった。


「命懸けで戦ったのに」

「こんな風に引き裂かれるくらいなら……」

「ザック!」

「あぁ、いや……すまん」

 セレスティが生きているのは嬉しい。

 討伐隊のメンバーはどんな身分でもみんな仲間だ。

 全員幸せになってほしい。

 もちろんクロノスとセレスティもだ。


「それより、どうしてフォレスト公爵が不在なんだ?」

「息子が牢屋にぶち込まれているってのに」

 それも変だとオーステンは溜息をついた。


 結局何も手がかりがないまま日々は過ぎ、異変に気づいた時にはもう手遅れだった。


「なんでクロが王女と……?」

「クロは命乞いするような奴じゃねぇ」

 オーステンとザックは目の前の光景に目を見開いた。


 王女と恋仲であるかのように歩くクロノスの姿。

 痩せてはいるが、地下牢にいた時よりもずっと回復している。


「クロ! 一体どういう……」

「誰だい? 剣士のようだが気軽に話しかけないでくれ」

 さぁ行こうと王女の手を引き去っていくクロノスに今にも掴みかかりそうな剣士ザックを止めたのは意外な人物だった。


「……フォレスト公爵?」

「すまないね」

 ここでは話せないからと庭園に移動し、魔術師オーステンが外部に聞こえないように防音の魔術を使うと辺りは静まり返った。


「クロノスは死んだ」

「え? でもさっき……」

「忘却の薬を飲まされ、君たちのことも、私のことも、彼女のことも、もう覚えていない」

「忘却の薬が実在するのですか?」

 忘却の薬を飲まされたが、クロノスは忘れなかった。

 だから3倍の量を飲ませたら自分の名前も忘れてしまったと宰相から笑って言われた時には殺意を覚えたと、フォレスト公爵は悔しそうに2人に打ち明けた。

 

「あれはただの操り人形。私の息子のクロノスは死んだ」

「……そんな」

「今までクロノスを支えてくれてありがとう」

 フォレスト公爵は領地へ戻り二度と王都には来ないこと、討伐隊で生活に困った者がいればいつでも領地で受け入れることを2人に伝える。


「あぁ、最後に。もし正気に戻ったら迷いの森と伝えてほしい」

「それはセレスティの……?」

「いや、これは私のものだ」

 ネックレスを見せながら、そんな日は永遠に来ないだろうと寂しそうに笑うと、フォレスト公爵は社交界から姿を消した――。


 英雄クロノスは多くの国民に祝福されながら王女と結婚。

 2人の王子に恵まれ、良き国王となった。

 フォレスト公爵が会いに行くことはなく、討伐隊とも友人とも一線を引いた態度は逆に貴族たちからは高評価だった。


 32年が過ぎたある日、フォレスト公爵が亡くなったという知らせが王宮に届いたが、クロノスは葬儀には参加しなかった。


「このネックレスを握っていただけないでしょうか?」

「前フォレスト公爵の弔いだと思って」

 1年後、ようやく謁見を許されたオーステンとザックは、国王クロノスに最後のお願いをしに訪れた。

 これで最後、もうクロノスには会わない。

 二人はそう心に決めていた。


「特に仕掛けはないようですね」

 新しい宰相は討伐へ行った頃の宰相の息子。

 顔はそっくりだが、自分達とは初対面の男だ。


「……っ」

 古いネックレスのチェーンが宰相の指を引っ掻く。

 ネックレスについてしまった血を宰相はハンカチで拭き取った。


「陛下、ここが尖っておりますのでお気をつけください」

 古く痛んでいるが、ただのネックレスだということを確認した宰相はクロノスに手渡す。


「……ぐっ」

 ネックレスに触れた瞬間、クロノスの頭の中で何かが弾けた。


「うあっ、」

 頭を押さえながらうめき声を上げるクロノス。

 オーステンとザックはクロノスの異変に目を見開いた。


「衛兵! この者たちを捕らえよ!」

 宰相の命令で駆けつける騎士たち。


「おまえたち、俺の仲間に触れるな!」

 国王クロノスのアリエナイ言葉に、オーステンとザックだけでなく、宰相も騎士たちも驚く。


「ザック、だよな? 何がどうなっている? なんで歳をとっている?」

「30年以上経ったんだよ、おっさんになるだろ」

「30年?」

 謁見の間の階段を駆け下り、ザックとオーステンの元へ駆け寄ったクロノスの頭を、ザックは泣きそうな顔でぐしゃぐしゃと撫でた。


「それを持って迷いの森へ」

「それが前フォレスト公爵の遺言だ」

「……遺言?」

 父が亡くなったことも知らない様子のクロノスに驚いたオーステンは宰相を睨みつける。


「今すぐ行くだろ?」

「当たり前だ!」

「陛下、お待ちください! 衛兵、陛下を止めろ!」

 騒ぐ宰相は無視。

 重たいマントを脱ぎ捨てながらクロノスは衛兵に「ついてくるな」と言い放った。

 

 裏口から馬に乗り、3人で迷いの森を目指す。

 道中で今までのことを聞いたクロノスはショックでしばらくの間、黙り込んだ。


「追っ手がくる前に、迷いの森へ突っ込むぞ」

 迷いの森までは馬車で一週間。

 単騎でも3日はかかる距離だ。

 途中でフォレスト領に寄り、馬を交換。

 睡眠は最低限で馬を走らせた。


「さすがに歳だな」

 徹夜は無理だと笑うザックはなんだか楽しそうだった。


「携帯食、かなり美味しくなったね」

 30年前よりずっと進化しているとオーステンも笑う。

 再会したばかりだがずっと一緒にいるかのような錯覚はなぜか居心地が良かった。


「クロ、追手だ」

「さすがに若い騎士には勝てないねぇ」

 急いで馬を走らせ、迷いの森までなんとか辿り着く。


「行け、クロ!」

「おまえたちは?」

「少しここで足止めしてやるさ」

「大丈夫、すぐ逃げるよ」

 もう若くないからねと言うオーステンにザックは声を上げて笑った。


「ありがとう、オーステン、ザック」

「あいつによろしくな」

 迷いの森に消えるクロノス。

 見送った2人は時の魔物の討伐よりもなぜか達成感を味わった気がした。


 クロノスは薄暗い森の中に馬を走らせた。

 ネックレスを握りしめ、セレスティに会いたいと願う。

 急に開けた見知らぬ場所にクロノスは戸惑った。


「……迷いの森にこんな場所が?」

 家はない。

 あるのは馬がいない馬車だけ。

 植物が生い茂り、かなり古そうだけれど。


「……フォレスト公爵……?」

 聞き覚えのある声に振り向いたクロノスは驚いた。


「セレス……?」

 昔と全く変わらないセレスティ。

 なぜ年を取っていない?

 どうしてここに?

 なんであの時いなくなった?

 

 聞きたいことはたくさんあるのに、クロノスはセレスティをただ抱きしめた。


「クロノスだ。もう53歳だけれど」

「……え?」

 あれから33年も経っているということ!?


「自分の名前もわからなかったの?」

 それでよく国王ができたねと冷静に答えるセレスティに何度も謝罪しながら、クロノスはオーステンとザックから聞いたことを話した。


「歳を取らない?」

 セレスティは自分が老いることができない身体になったと打ち明ける。

 食べ物も飲み物も必要なく、眠る必要もなくなったと。


「時の魔物の魔力のせいか?」

「たぶん」

 自分がとんでもない過ちを犯したと知ったクロノスは何度も謝ったがセレスティはいつも悲しそうに笑うだけだった。


 フォレスト公爵が置いて行ってくれた食料はいつの間にか生い茂り、魔女の村でもクロノス1人食べるのには困らない程度の食料を取ることができた。

 

「来世も会いたい」

「うん、会いに来てね。ここに居るから」

 幸せな日々はたった8年で終わりを迎えたが、それでも一緒にいられたことが嬉しかった。

 

 クロノスが亡くなり、再び一人になったセレスティ。

 家に残っていた膨大な本も読みつくしてしまった。

 魔女の力も極め、クロノスが残した剣も自由に振り回せるように。


「次は何をしようかしら」

 セレスティは大きな満月を見ながら小さな声でつぶやいた。


 

「……魔女の髪?」

 王宮の禁書エリアで見つけた箱に手を掛けた第二王子カイロスは、そっと蓋を開けた。


 中身は髪の毛。

 真っ黒でツヤツヤな髪だった。


「すごっ、真っ黒だ」

 カイロスは光を集めるような輝く金髪。

 黒い髪は新鮮だった。


「おい!」

「わぁぁ!」

 急に兄から掛けられた声に驚き、カイロスは箱を下に落とす。

 髪の毛はカイロスの小さな足の上に落ち、箱は床にひっくり返った。


「母上が呼んでる」

「う、うん、すぐ行く」

 カイロスは慌てて髪を箱に入れ、元の本棚に戻す。

 本ではないのに、本棚にある変な箱。

 あとでこっそり誰かに聞いてみようと思いながらカイロスは急いで義母の元へ向かった。


「剣でロドニーに怪我をさせたんですって?」

 呼び出されたカイロスは、ジロッと義母に睨まれた。

 兄ロドニーは正妃である義母の息子。

 カイロスは側妃の息子だ。

 

「少し転んだだけで……」

 ロドニーは自分で転んで、手のひらを少し擦りむいた程度。

 怪我というほどでもないのに。


「事故に見せかけてロドニーを殺そうとしたのでしょう! あぁ、なんて酷い子」

「そんなこと!」

「お黙りなさい! もう見過ごせないわ。セバス、迷いの森にこの子を捨てなさい」

 綺麗な扇子を広げながらとんでもないことを命令する王妃に、侍従セバスは自分の耳を疑った。

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