クロムイエロー

@koh0218

第1話

 枯葉を踏みしめる音が響いた。風が昼間より冷たい。

 

「最近まで暑かったのに」


 あたたかいものを買えばよかったと、ユウキはコンビニの袋の音を聴きながら5分前の自分を恨めしく思った。

 工場と家を行き来する生活。季節を感じる自分が無駄に歳をとった気がしてとユウキは1人苦笑いをし角を曲がった。


 「なんだ……?いつもと違う」


 違和感の正体はすぐに分かった。

 

「うちに明かりがついている……」


 無理やり奪われた合鍵の記憶がよみがえる。俺んちに勝手に入る人間はただ一人。面倒ごとを押しつけられる予感がし、ユウキは思わず後ずさりした。


 「よし、ここは逃げておこう」


 と思ったものの、パッと行きたいところも思い浮かばず、気の利いた店が一件もない田舎が心底辛かった。


 諦め心地で玄関を開けると、カラフルなスニーカーと小さな靴がちょこんと置かれていた。


「やっぱり……」


 軽い失望を感じつつもいつもは殺風景な玄関が久々の来客に戸惑っているような気がして、ユウキはフッと笑った。


「ユウキ! お邪魔してたよ! おかえり!」


  俺の部屋にミスマッチな明るい声が、部屋の奥から飛んできた。


 「姉ちゃん何の用だよ、連絡くらい先に寄越して……おい、これはなんだ」


  部屋にいたのは4つ年上の姉マイと、1歳のカンナ。予想が大当たりした感慨よりも、狭い1DKの片隅に持ち込まれ、どう見ても1泊以上の荷物にユウキは恐れおののいた。マイは手をパンと合わせ拝んでくる。


「ごめんユウキ、3日、いや2日だけでもいいから泊めてください!」

「ムリ」

「そこをなんとかぁぁぁ」


 懇願する姉ちゃんを、きゃっきゃっと声をあげて見つめる豆粒の目。前に会ったときは赤ん坊だったのに。月日の流れがただただ恐ろしかった。


 「カンナ、大きくなったな」


 笑っていたはずの豆粒の目が恐怖の色に変わった。姉は笑いながら


 「怖がらせないでくれます?おじさん」


 結局姉に押し切られて、2人はわが家に泊まることになった。

就職活動をしたいが、カンナを預ける先がない。面接先に連れていっていいか尋ねたらだめだと言われたそう。

 

 「世の中にシンママ多いんだから、面接に連れていくくらいいいじゃんね!」


 前の旦那に一方的に離婚を言い渡されたのは3か月ほど前のこと。ほんの少し渡された手切れ金はとうに底をついていた。


 「あの人なら大丈夫だと思って結婚したのにね……」


 狭いアパートで自分たちの荷物を片付ける姉の小さな背中を思い出す。幸せそうだと思っていた姉一家は一瞬で壊れた。俺は前の旦那をひどく憎んだが


 「終わったことよ、カンナのために前を向かなきゃ」


 腫らした目で懸命に笑う姉に俺は何も言ってやれなかった。自分もギリギリの生活でうちにおいでと言えないもどかしさがあった。

 手伝えることはしてやりたい、もちろん子育て以外で。


 と言ったはずなのに。

 俺にまったく懐いていないカンナをマイに押しつけられ、途方に暮れた。絵本を見せてもテレビを見せてもカンナは3分ともたずに、テーブルの上のコップをひっくり返したり、DMを破ったりとやりたい放題だった。


 「1歳ってこんなに日本語通じないの……?」


 スマホを見てダラダラ過ごす予定がすっかり狂ってしまい、俺は陰鬱とした気持ちになった。これ以上、家を荒らされるのも辛くなりカンナを外に連れ出したものの……。

 公園にすらたどりつけず、カンナはチョロチョロ動き続けた。最近歩き出したばかりだというのにおぼつかない足取りで走っては石を拾い、枯葉を食べ、まったく目が離せない。

 「だめ!」と言うとカンナは目をウルウルさせ号泣。ベビーカーに乗せてもエビ反りになって逃げようとする。


 「なんだこのイキモノは……信じらんねー……」


 息切れしながら公園に着くと、カンナは一目散に砂場に駆け寄った。姉が用意していたおもちゃのスコップを渡すと、カンナは目をキラキラさせポスンと砂に座りこんだ。


「あーぁ……服が汚れるぞ」


「君の子?」


  突然声を掛けられ俺はビクッとした。


 いつの間に横にいたんだ、全然気づかなかった……。


 声をかけてきたのは割と大きめの身長で全身黒色で覆われていた。怪しい人としか思えなかった。

 俺はカンナを軽く引き寄せ、


「……違います、姉の子です」

 

「あーだからか、どことなく似てるけどパパにしては若いなと思って」


 なんなんだよ、観察されているのか?

 仕草は女性っぽいけど、声は低いし……。

 

 得体のしれない存在に、ユウキは目を合わせないようにした。

 その人は一言しゃべったっきり、カンナをずっと見つめていた。早くどこか行けよ、と思ったけれど、カンナを見つめる目にはどこか懐かしさを感じた。


「……姉が職探しをするからこの子を見ててくれって……」


 俺が話すと驚いたようにこちらを見て、その人は目じりを下げふわりと笑った。


「面倒をみてあげてるの? やさしいじゃん」


 カンナはひたすらスコップで砂をすくっていた。

 その人は長い前髪を耳にかけ、


「ねぇ、将来この子にどうなってほしいと思う?」


 普通、問いかけるなら「この子いくつ?」とかじゃないのか?と、ユウキは面食らった。そんなの俺に聞くなよと思ったが、脳は勝手に動き口を動かした。


「あんまり苦労しないでほしい……かな」

 

 その人はうなずき、


「いいねぇ、ステキな答え。お兄さんは苦労人なのかな」


「え? えぇ……まぁ……」


 その人の言葉を聞いて、仕舞い込んでいたはずの記憶が顔をのぞかせる。クソおやじはアル中で3年前から入院しているし、母親は俺たちが小さいころ出ていったっきり連絡一つ寄越さない。生きているのか死んでいるのか……。責任感がまるでないひどい親だった。


 ユウキには『家族4人』という概念がなかった。家族はマイだけ。ただひたすらマイの後ろについて生きてきた。マイがいなきゃ、俺はさっさと人生を終わらせていただろうな、と心から思う。


「殴られるのも外に出されるのも、死んだら辛く感じないだろう?俺は生きてる意味ないと思うんだよね」

 

 小学生のときにマイに言ったら泣かれた。私を置いて死ぬなんて許さないと言われて子ども心に焦った覚えがある。


「こんなにちゃんと姪っ子ちゃんの面倒を見られるなんて、誰かがあなたに愛をくれた証拠よね」


 昔の記憶に覆いかぶせるようにその人が言った。


「愛……だって……?」 


 自分の中に存在しない言葉にユウキは目を見張った。両親の愛を切実に求めた幼少期。愛されることはないと悟ったときの空虚感。他人に勝手に人生を測られたような気がしてユウキは苛立った。その人は俺の状態には目もくれず、


「愛を知らない人は、愛し方を知らないよ。姪っ子ちゃんは安心してあなたのそばにいるじゃない」


 カンナは砂を一心不乱に右から左へ移動させていた。小さい手を器用に動かし、重大なミッションをこなしているように砂を運ぶ。


 俺の今の心の中ぐちゃぐちゃは絶対カンナに見せたくないな……


 ツルツルとしたきれいな髪を思わず撫でた。


「この子は好きに遊んでいるだけだよ、俺のことは好きじゃない」


「そばにいてくれるって安心しているから好きに遊んでいるんだよ。お兄さんの不器用な愛はとてもいいね、ごちそうさま」


 その人はそう言うと立ち上がり、スタスタと公園を出ていった。


「ごちそうさまってなんだよ……なんか食われたのか、俺」

 

 カンナの横顔に姉の面影を見る。両親に愛されなかったけれど、俺には姉がいた。寂しくってねじ切れそうな気持ちを抱えるたびに、姉は手を握ってくれた。姉も辛かったはずだ。頼る人もいないし、父親に家事を押しつけられ姉の手はいつもカサカサだった。でもマイは俺の前では笑っていてくれた。


「ユウキ、うちは残念な家だけど、大きくなったら絶対2人で幸せになろうね!!」


 今、カンナといる公園は、子どもの頃に遅くまで姉と過ごした場所に似ていた。友達は次々と家族の待つ家に帰って行く。最後に残るのはいつも俺たちだった。2人きりになるとマイは将来の夢を語った。


「大きくなったら~焼き鳥たっくさん食べて~、ジュースも飲んで、きれいな服も着たいな!ユウキは?」


 どれも身近な夢なのに、叶えるのにかなり時間がかかった。そして叶ったときも全然嬉しくなかった。子どもの頃にも叶う夢だというのに、俺たちには遠い夢だったんだと思い知らされたから。


「カンナここにいたのー!? ユウキありがとう!」


 苦い思い出を止めてくれたのはマイの大声だった。


「ま、ま!」


 いつの間にか日が傾いていた。マイに気づいたカンナがヨタヨタと駆け寄る。


「就職決まったよ~!」


 カンナを勢いよく抱きしめるマイ。母親だけに見せるカンナの顔は寂しさをぎゅっと抱え込んでいるように見えた。イチョウやドングリを拾い集めながらゆっくりと歩く2人に俺は近づき、


「姉ちゃん、なんであんたはそんなに明るいんだ?」


「え?なに? 突然、なんかあった?」


 俺の表情が暗いことに気づいたんだろう。マイは笑いながらもしっかりと俺を見据えた。


「あんな家で育ってなんであんたみたいな人間ができるのか、俺には謎だ」


 姉は弾けたように笑った。


「あはは!ホントそうだよねぇ。ろくでもない親だったからなぁ。ユウキが泣きそうになっているときに、私が自分のほっぺを無理やり手であげた時のこと、覚えている?」


 マイの変顔。寂しいとき、おなかが空いたときによくやって見せてくれた。


「あのときのユウキ、ぽかんとした後めちゃくちゃ笑ってさぁ。おなか空いても笑えるって変顔最強じゃんって思ったの。それからツライときはほっぺをあげて無理やり笑うようにした。ユウキが笑ったら私も笑えたし」


 俺以上に辛かったはずなのに、俺が笑ったのが嬉しくて変顔をしていたのかと思うと鼻の奥がツーンとした。

  

「前の旦那に、お前は人より大きなエンジン積んでいるなって言われたこともあるな。あの時は嬉しかったけど、ばかみたいに元気ってことじゃんね。今日の面接でもさぁ~明るい人ですね、って採用になったんだよ!私の長所、それだけかよって思ったけど」


 自慢気に話す姉に、思わず口元が緩む。


「鼻の穴、膨らんでっぞ」


 2人で話していると、カンナがマイに抱っこをせがんだ。


 「カンナは幸せになってくれるといいな」


 マイはカンナを勢いよく抱き上げ


 「私が育てるんだから幸せになるに決まってるじゃん!ユウキもまだまだ幸せになれるって!ホントあんたいっつもジジクサイんだから!まだ20歳でしょ!?」


 「ジ、ジジクサイ……」


 相変わらず口が悪いマイ。この明るさに何度救われただろうな。俺が幸せになれると信じてくれるのはマイくらいだ。


 あんたが信じてくれるなら、俺はマイとカンナの幸せを一番に願うよ。


 口に出して言うとマイに背中を痛烈に叩かれそうだから、俺は黙って歩いていた。


「よーし、今日は鍋にしようね!ユウキの家で!」


イチョウの葉が秋の夕日に照らされて、温かな黄色が眼前に広がっていた。




終わり

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