面白いものを信じるという考え方
ぴかぴか
シュレディンガーの猫
貴方が、この文章を読むこれは、量子力学的にボーム理論の考え方を採択するのであれば、もとより決められていたことになる。
どうも私はその考え方が気に食わない。
考えてみてほしい、もしこの世界が、宇宙が、始まりから終わりまで決められていたとしたら、私の考えを述べよう、私は地球や宇宙の始まりがどうであろうと、終わりがどうであろうと、知った話ではない。しかし、私が生まれて、どう生きて、どう死んでいくか、そもそも確定していたとしたら、、、
その考え方が、私にとって面白くないのである。
突然ではあるが、シュレディンガーの猫について知っているだろうか。内容は知らずとも、言葉だけ知っているといった方々は多いのではないだろうか。
どこぞの学生がこのような大それた実験の話をしても説得力にかけると思われるので、僭越ながらWikipedia大先生の文をそのまま参照させていただこう。
「蓋のある密閉状態の箱を用意し、この中に猫を1匹入れる。箱の中には他に少量の放射性物質とガイガーカウンター、それで作動される青酸ガスの発生装置がある。放射性物質は1時間の内に原子崩壊する可能性が50%であり、もしも崩壊した場合は青酸ガスが発生して猫は死ぬ。逆に原子崩壊しなければ毒ガスは発生せず猫が死ぬことはない。」
以上である。
Wikipediaを参照させていただいた身分ではあるものの、ここに述べるべきことがある。
「少量の放射性物質とガイガーカウンター」
と、記述されているが、難しく考えることはない。ここは、
「ランダムにONとOFFが切り替わるコンピュータと置き換えることができる。」
実際に行ったこともない思考実験である以上、50%という確率さえ残っていれば、どうとでも置き換えられるのである。
そもそも、なぜそのような思考実験が湧いて出たのかを知る必要があるかと思う。
シュレディンガーの猫では、人間が箱を開けるまでは猫が生きているのか、死んでいるのかが分からないわけであるから、箱を開けるまでは猫の生死は確定しないという考え方である。
その考え方について、様々な学者が自分の理論を提唱しているのである。
では、その中で有名な考え方をいくつか紹介させていただく。
先に、量子力学的にと格好をつけて述べたが、難しく捉える必要などないのである。
これは、子供の頃誰もが疑問に思ったであろう、過去と未来について真剣に考えている、頭の良い大人たちが考えることであり、我々は頭の良い大人たちの理論を噛み砕いて考え、勝手に納得するだけなのであるから。
まず、一般的に量子力学を学ぶ者たちが、教科書に沿って教えられる解釈から説明しよう。(私は、情報工学を学んでいる身なので本当かどうかは知る由もないことを先に述べておこう)
コペンハーゲン解釈である。
世の中の様々な式に当てはめることは、できなくとも考え方程度なら我々にも理解することができる。
考え方はこうだ。
*1←これがつくものは、筆者が自分なりに噛み砕いて考えたものであるため、この考え方があっている保証はどこにもない。
*1シュレディンガーの猫で、コペンハーゲン理論は観測者(ここで言う人間)が観測した時点で、猫の生死が確定するもので、人間が観測するまでは箱の中は、猫が生きている状態、死んでいる状態の2つが存在するわけである。そして開けた時点で、猫が生きていれば、生きている世界線の宇宙が作られ、死んでいれば、死んでいる世界線の宇宙が作られるといった考え方である。
次に、私が個人的に信じている解釈である。
多世界解釈である。
*1この理論では、シュレディンガーの猫に当てはめるとそもそも、猫を箱に入れた時点で、開けたときに生きている世界線の宇宙と、死んでいる世界線の宇宙が作られる。そして、開けたときに、生きていれば、生きている世界線の宇宙が採択され、死んでいれば、死んでいる世界線の宇宙が採択されるといった具合である。
最後に、本著書の最初に私が述べた解釈
ボーム解釈である。
ボーム解釈は、そもそも宇宙が作られたときから、終わるときまで、シナリオが決まっているから、猫の生死など考えるだけ無駄であるという身も蓋もない解釈である。
ここで、私個人の考えを述べるとしよう。
しかし、ここで私個人が、量子力学的に考えたところで、なにか言われたときに反論できる材料もなければ、知性もないので、こうであると面白いといった感覚的な話である。
私は、多世界解釈が考え方として好きである。
なぜならば、宇宙は分岐して無数にある中の一つが、現在私がいる世界線の宇宙であるのだから。
考えてみてほしい、*1貴方は今、ドジャーススタジアムにいる。ピッチャーの投げた球がちょうどいいところに入ったのだが大谷は空振ってしまった。しかし、あの時貴方が立ち上がって大谷、打てー。と叫んでいたら大谷がホームランを打っていた世界線があるのである。
これが、コペンハーゲン解釈であればどうだろう。*1確かに立ち上がって、大谷、打てー。とあの時叫ぶことはできただろう。しかし、終わってしまった以上、宇宙は空振った世界線に収束するのである。
ボーム理論は、論じるのがバカバカしくなる。*1そもそも、宇宙は終わりまで決まっているわけであるからあの時こうしていれば、などと考えるだけ無駄なのである。
また、多世界解釈の解釈を採用すれば、未来や過去に行くことも理論上可能ではないかと想像する。(これは、筆者の考える理論の話であり机上の空論であることもご容赦いただきたい)
*1多世界解釈では、先述したように様々な無数の分岐した宇宙から成り立っている。よく、人類は過去に戻ることはできないという証明として、未来から来た人類を歴史上知らないという考えがある。これは確かにごもっともな意見である。しかし多世界解釈の考えを採用したらどうだろう。現在我々がいる世界線は、たまたま未来からタイムスリップしてきた人類が一人たりともいなかった世界線なのかもしれない。どういうことか。それは、我々が未来の自分に会い、戻ってきたときのパターンを考えれば説明がつくだろう。多世界解釈の考えでは、世界は無数に様々なパターンに宇宙が分岐していくのである。であるならば私が未来に行き未来の自分に会い、そして戻っても時間が進んで、過去の自分に合うことは限りなく0に近いのである。なぜならば、自分が行った未来の宇宙は、無数にある選択の中の一つに過ぎないのだから。
我ながら、なかなか面白い解釈ではないかと思う。
しかし、これではコペンハーゲン解釈と、ボーム解釈の過去には戻れないという理論は成り立つが、未来に行けないという理論は成り立たないと感じる。
しかし、考えてみてほしい*1確かにこれでは、証明として破綻しているのは承知であるが、ある意味では多世界解釈では宇宙の終わりまで決定していると言えるのではないだろうか、無数に可能性を追求していけば、最後には終りが来るはずである。その中の一つに入り込むという理論は、破綻していないと考える。しかしコペンハーゲン解釈では、観測者が確認するまで世界は確定しないのである。ある意味では、未来に行って、確認したところでその人間が観測者となり、それまでの宇宙が確定するといった考え方もできなくはないが、それでは、シュレディンガーの猫における、猫の生死を観測するに該当する、一つひとつの動作をすっぽかしてしまっている。
また、これが成り立ってしまえば、誰かが未来にいった時点で、未来が続く限り私の好きではない、ボーム解釈がコペンハーゲン解釈の中に成り立ってしまう。
では、ボーム解釈で未来に行けない理由を考えてみよう。と言っても感覚的にわかっていても、例を出すのは難しいものなのである。簡単に説明するとボーム解釈では、理論上すべての量子の動きを計算できたら正確な未来を予測することが可能であるが、量子的に時空を超えられるものではないのである。
私個人としては、多世界解釈を信じている。
それは、物理学的考えを持っているわけではない、自分の面白そうという感性に従っているだけだ。また、以上はほぼ全て解釈を下に、考えた筆者の妄想であるから、根拠もなければ証明なんてものはない。
また、面白くなってここまで書いてしまったは、良いもののこれを全部読み直す気にはなれないから、このまま投稿しようと思う。
面白いものを信じるという考え方 ぴかぴか @pikapika1774
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