07
整然と走行する自動運転車の列の合間を矢のように駆け抜ける。
公道で二輪を運転させた経験は数えるほどしかないが、詠子にエージェントの訓練の一環として受けさせられた高精度のVR訓練によって走行に不安はない。
外縁区から中央区へ向かう高架道路を走っていると、遠くの方にそびえ立つグランタワーの威容が見える。
ヘルメット内部のスピーカーに、灼の声が届いた。
「登悟。彼を人間だと思う?」
即答はできなかった。
灼が微笑んだ気配が伝わってきた。
「私は彼を人間だと思いたい。人間であってほしいと思う」
「自分と奴を重ねるなんて、馬鹿なことを考えてるわけじゃないだろうな」
今度は灼が沈黙した。
そして同時に、自己嫌悪と、遅れて諦めが訪れた。
自分は灼という、超高度AIによって作り出された人工人格に、人間と同じように接しているということを。
何度となく自問して、否定して、それでも気を抜けば人間の女の子に話しかけるような感じになってしまう。
人間の理性は遅いのだ。人型に対して心を向けることは、人間の前提だ。
「……俺も」
罪を告白するような気持ちだった。
「俺も、奴が人間であってほしいと思う」
回された腕が、微かに力を増した。
「優しいわね。登悟」
「お前といると、分からなくなる。人とモノに違いなんてないんじゃないかって思えてくる。そんなわけないのに」
「私も、自分と貴方に違いなんてないって、思いたい」
狂気の領域だ。分かっていた。
人間とモノとを混同する未来がまともなものであるはずがない。
それを人間の拡張だと無邪気に笑ってられるほど、九條登悟の神経は太くない。
だがそれでも、灼と話したときに現れる感情は、間違いなく本物なのだ。
「奴は――ガトウは止めるさ。誰も殺させなんてしない。そういう仕事だからな」
灼は笑った。
「そうね」
高架道路の道を逸れ、中央区へ向かう下り道を疾走する。
登悟と灼がグランタワーに着いたとき、周囲は既にちょっとした騒ぎになっていた。
白い石畳が敷き詰められた広大な玄関前に、人の輪ができている。
バイクを路肩に止めて人混みをかき分けて進むと、玄関前で路面にブレードを突き立てて動かないガトウの姿が見えた。
「ガトウ・シュライツ!」
大声で名前を呼びながら、上空に向けて発砲した。
昼下がりの街に反響した銃声に、興味本位で集まりつつあった群衆が悲鳴を上げながら遠ざかっていく。
人々とは反対に走り、動かないガトウに向けて『Face Loader』を起動した。
半透明のブルーの映像で、行動予測が展開される。
ガトウが突き立てていたブレードを耐えかねたように引き抜いて、こちらに向けて真一文字に振り抜いた。
舌打ちして躱す。
「動きを止めろ! お前を拘束する数秒でいい!」
駄目元で声を張り上げるが、返ってきたのは鋭い斬撃だ。
地面を転がりながら回避して、ガトウを見た。
行動予測が、ガトウがグランタワー内部へ向けて走り出そうとする映像を表示した。
「行くなッ!」
発砲したが、ガトウにあっさりと切り払われる。
灼もまたガトウに向けて斬りかかるが、牽制を織り交ぜられて距離を取らされる。ガトウはそもそも交戦する気が無いようだ。今のガトウの頭の中を占めているのは、より多くの人々を殺害するという衝動のみだ。
「灼ッ! 無人のフロアをなんとかして作ってくれ!」
全力で走りながら、ガトウの背中に向けて三発発砲した。
ガトウは精密機械のように一瞬だけ振り返って二回銃弾を切り払う。ガトウの目が微かに見開かれた。最後の一発が跳弾を経てガトウの膝へと吸い込まれるように迫った。危ういところでガトウが身を翻して回避するが、動きが鈍る。
捨て身だった。ガトウの懐へと潜り込み、胸ぐらを掴んで義手の出力を最大にした。
入口のガラスを粉々に破壊しながらエントランスホールへと突入する。そのまま奥にあるエレベーターの一つへ、自分の体ごとガトウを叩き込んだ。
エレベーターの扉が勝手に閉まり、高層階の展望フロアへと向けて移動を開始する。灼の遠隔操作だ。
密着を強いられる、死の数秒が始まった。
行動予測に従って振るわれた拳を躱す。屈んだところに膝が飛んできて無理やり体を起こされて、ブレードが絶望的な速度で振るわれた。
目だけは閉じなかった。行動予測に可能な限り身を任せた。頬が裂けて血の飛沫が飛んだ。その一滴がガトウの軍用コートに付着した。
ガトウが動きを止めた。ブレードを持った手が震えながら空中で止まった。
義手でガトウの手を抑える。
間近で見たガトウの瞳には狂気しかなかった。人為的に狂わされた複製人格が、震えながら己を押し留めていた。
その抑制が限界を迎えるのと、エレベーターの扉が開くのは同時だった。
ガトウが壁を蹴破るような動きでこちらを蹴り飛ばそうとしてくるのを行動予測で見た。
思い切り後ろへ飛び退りながら、義体化した部分で蹴りを受けた。
重心が外れたコマのように転がりながらエレベーターの外へ出た。衝撃に息が詰まった。義体化した部分で受けても、肉体と繋がっている以上、衝撃は全身を駆け巡った。
視界の端で、非常階段になだれ込む人々の後ろ姿が見えた。案内用のhIEとドローンが最後尾について人々を避難させ、その背後で非常用の隔壁がせり出してゆく。灼が警備システムに介入しているのだ。
ガトウがエレベーターから身を乗り出した。
最後の数秒を稼ぐ。
床に倒れたまま銃を撃ちまくった。ガトウはその全てを切り払いながらこちらへ向かってくる。体を起こそうとするがまともに力が入らなかった。
ガトウが最後の一歩を踏み出そうとしたとき、弾かれたように身を翻して何かを切り払った。甲高い音が上がる。宙に舞ったそれを灼が掴み取り、自分の体重を乗せて上から切りつけた。
高周波ブレード同士が激突する耳障りな音が響き渡り、灼とガトウは互いに大きく距離を取った。灼が軽やかにステップを踏んで隣に来た。
「大丈夫?」
灼が油断なくガトウに目を向けながら聞いてくる。
震える両足を叩きながら体を起こす。二台目のエレベーターの扉が閉まってゆくのが見えた。
「見ての通り、クソ余裕だよ」
「もう少し待っていれば、首と胴が泣き別れになった貴方が見られたかしら」
「そうなったら今度こそ全身義体だな」
ついに隔壁が閉じ、周囲は完全に無人になる。
ガトウがブレードを八双に構えた。
「私が前に出る。援護をお願い」
灼が滑るようにガトウとの距離を詰めた。
二人を等分に視界に収め、『Face Loader』でガトウと灼の行動予測を表示する。
灼とガトウとの間で無数の火花が散った。
一瞬後の未来に向けて発砲した。灼の斬撃と完璧にタイミングを合わせた波状攻撃だったが、ガトウは流れるように攻撃を捌いてゆく。分かっていたことだが、ガトウの義体のスペックは相当に高い。視界だけではなく、音響や熱源も参照しているらしい。銃口が見えないはずのタイミングの跳弾さえ回避された。
以前用いたEMP弾頭ならば弾かれようと関係はないが、ガトウは脳まで機械化している完全義体だ。強烈な電磁パルスを当てれば、電脳にまで致命的な損傷を及ぼしてしまう。使うわけにはいかなかった。
二対一であるにも関わらず押されていた。灼の義体は外見を考慮している分、戦闘のみを考えて作られた軍用義体と比較すればスペックで負けている。『Face Loader』で精密な射撃を行っても、後出しで対処されてしまえばどうしようもない。
長期戦になれば不利なのはこちらだ。閉鎖された空間に息苦しさを覚えた。
ガトウの正気を失った瞳がこちらを見た。灼を大きく弾き飛ばし、弾丸のように猛烈な速度で踏み込んでくる。
灼が体勢を崩しながらもガトウの前に割り込んだ。振るわれたブレードが灼の着物を浅く裂き、床に点々と真紅の内部液が飛び散った。
傍目には血液にしか見えないそれを見た途端、ガトウの動きが僅かに鈍った。
灼が大きく踏み込み、ガトウと切り結びながら問いかけた。
「貴方、まだそこにいるの?」
問われたガトウは答えない。沈黙のまま、あらんかぎりの力で灼を跳ね飛ばそうと義体の出力を上げてゆく。
灼は後ろに柔らかく転がって、こちらを横目で見た。
「登悟。私が隙を作る。彼を止めて」
嫌な予感がした。
「何するつもりだ?」
灼は微笑んだだけで答えず、ガトウへ向けて真っ直ぐ突進した。
当然ガトウは反応し、荒れ狂う殺人衝動のままに、ブレードを強烈な速度で横薙ぎにした。
右目に映る半透明の青いビジョンが、切り飛ばされた灼の左腕を描写した。
「ばっ――」
馬鹿野郎、と叫ぶ間もなく、灼はあっさりと自分の左腕をガトウの斬撃にさらした。
まるで絹豆腐にナイフを入れるように、一切の抵抗なく灼の左腕が切り飛ばされて宙を舞った。血液にしか見えない真紅の内部液が大量に吹き出し、灼の顔の左側を化粧のように彩った。
ガトウが目を見開いた。
灼は微笑みながら、宙を舞った自分の左腕ごと、ガトウへ向けてブレードを突き立てた。
明確な隙。ガトウの反応が明らかに遅れる。
その瞬間に、ガトウの左膝関節の一点へ、十発以上の弾丸が叩き込まれた。
いかに関節部を強化された軍用義体であろうと耐えきれる衝撃ではない。ガトウの左膝から大量の火花が飛び散り、糸が切れるように体勢が崩れる。
灼が流れるようにガトウの右膝を、返す刃で左膝を切断した。閃光のような斬撃の後に、重力が遅れてやってきたように、ゆっくりとガトウが倒れる。
「ごめんなさい」
灼がガトウの右手首の一部を切り裂いて握力を奪い、高周波ブレードを取り上げた。
「おま、お前なあ……」
灼に歩み寄る。分かってはいても、脳は彼女の内部液を血液だと認識するし、切り飛ばされた左腕は紛うことなき重傷だと解釈する。
傷を負った灼の手当をしたいと思った。
「詠子に連絡しましょう。彼女の期待に応えられたんじゃないかしら」
平然と微笑む灼の姿に、彼女が人間ではないモノだと思い知らされる。
「……ああ。そうだな」
今は理性で動いた心を封じ込めて、携帯端末へ手を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。