06
状況が認識できるにつれて、どっと疲労感が湧いた。壁に背中を預けながらずるずると座り込む。
「……正直死んだと思ったぜ」
致命の一撃だった。『Face Loader』が起動しなければ、間違いなくここで死んでいた。
「何がただの流出した無人機だよ。適当ほざきやがって」
もちろん提供された情報がすべて真実などとは思っていない。だがそれにしても、機体の基礎スペックすらまるで当てにならないとは思っていなかった。藤馬と名乗ったあの男が、まるで信用できないことがはっきりした。
灼が下駄を鳴らしながら歩み寄ってくる。
「機体スペックで押し負けたわ。ごめんなさい。あなたを危険にさらしてしまった」
「一番危なかったのはお前だろ」
平然と灼と切り合い、互角以上に立ち回ったことからも、ただの軍用機ですらないことが分かる。灼の機体スペックと特注の高周波ブレードは、単機であれば戦車ですら制圧する。先日の金属肉ダルマもとい変態教主の一件から感覚が麻痺しているが、今回の相手もそういう特殊な手合だ。
「最後、あなたが斬られたと思って、本当にひやりとしたわ」
「俺だって同じだよ。デバイスが起動してくれて助かった」
灼が訝るように小首をかしげた。
「視覚強化や弾道補正ではなく、人格再現による行動予測が起動したということ?」
「理由は知らねえけどな」
勢いをつけて立ち上がると、GATOU式機体が去り際に投げ捨てていった何かを拾い上げる。
ストレージのようだ。長さ十センチほどのスティック状で、hIEの主機メモリを拡張するときなどに用いられるものだ。
灼に手渡す。灼は首後ろのスロットにストレージを差し込んだ。
「あの機体のサブメモリとして使用されていたようね。機体名はガトウ・シュライツ=エイト」
ざわりと軽い寒気を覚えた。
「それが機体名だって? 人の名前じゃねえか」
右目にデータが転送されてくる。奇妙なデータだった。何しろ心拍数、反射速度といった、生身の人間に用いるようなパラメータが存在し、機能の一部であるように記述されているのだ。
「詠子にも見てもらったほうがいいと思うわ。呼び出しましょう」
数回のコールで詠子が出た。
データを転送したが、詠子はさして驚いた様子を見せなかった。流石に問い詰めざるを得ない。
「あんた何を知ってるんだ? センサー類の情報の書き方じゃねえだろ。人間の能力テストの結果をリアルタイムで記述しましたって感じだ」
詠子は数秒の沈黙の後に言った。
『理想の兵器とは何だと思う?』
唐突な問いかけに答えられずにいると、詠子は独白するように続けた。
『単一のプログラムで、全ての環境に適応でき、安価かつ無限に複製可能なものだ。かつて人格複製という技術が軍にもたらされたとき、それが可能になった。歴戦の兵士の人格をデータ化し、義体に搭載することで、高品質の無人兵器を量産する』
詠子がおぞましいものを思い返すように溜息をついた。
『誰しも考えるが、その非人道さに棄却する類のものだ。だが現実に、複製人格の兵器化は行われた。新技術という熱狂と、戦術的優位性という麻薬が、技術者たちの道徳心の一切を麻痺させた。そうして生まれた戦闘人格とでも呼ぶべき存在は、人知れず戦地に投入され、損耗し、倫理観の高まりとともに闇に葬られた。だが一度生まれた手法が、完全に消え去ることなどない。こいつのようにな』
詠子の話した内容を理解するのに数秒の時間が掛かった。
「つまりこいつは生の人間と同じってことなのか? 人格をコピーして義体に搭載するってのは、つまり普通の人間と同じ感覚があるってことか?」
『基本的にはそうだ。唯一異なるのは、人為的に報酬系を調整されているということだ。その作戦にとって最も有益な行動に対して、強烈な快感を覚えるように人格を弄るのさ』
あまりの内容に言葉を失った。一方で、人間の人格をコピーする技術というのはそういうものなのだという納得もあった。
電子的なデータは改変可能だ。人間の意識をデータに落とし込むということは、つまり人間の意識を自由に改変できるということなのだ。
好きなこと、嫌いなこと、感情や、己を構成するバックボーンに至るまでの全てを、自在に組み替えることができる。問題は、それを行うのが、自分以外の他者である場合がほとんどだろうということだ。
今まで沈黙していた灼が言った。
「なら彼は、人間を殺すことに対して快感を覚えるように調整されているということかしら」
『恐らくな。人間同士の争いに対して殺戮というカードでもって介入する。無人機が主体となる現代戦での運用は想定されていまい。未だに人間主体の部隊を組む途上国相手の前線や、内乱の鎮圧に用いる類のものだろう』
人権など全く考慮されていない。考慮するわけがない。データ化した人格は広義ではAIとして扱われる。例え抽出元が生身の人間だろうと関係ないのだ。使用するプログラミング言語が異なるようなものだ。少なくとも、戦闘人格を手掛ける技術者たちにとっては。
「狂った連中の置き土産ってところか。笑えねえ。で俺たちはこれからどうすりゃいいんだ?」
吐き捨てる。
通信の向こうの詠子は沈黙している。
「おい、婆さん」
『今すぐグランタワーに向かえ』
「は?」
グランタワーはパシフィスの中心部にそびえ立つランドマーク的な電波塔だ。
『足の手配はした。以前二輪のVR訓練を受けさせたな? 道交法のことは何とかするから気にするな。三十秒でそこに着く』
「話が見えねえ。ちゃんと説明しろ」
『報酬系の調整記録があった。一つは殺人の動機づけ、もう一つは地図データと連動した移動誘導だ。今日の十三時にグランタワー中枢へ奴は移動させられる』
詠子の声音はいつになく硬い。
『今まで奴が殺人を犯さずにいられたのは、殺人衝動をhIEに向けることで報酬系を誤魔化してきたからだ。場所の指定がされていないから、街中をさまよって破壊しても問題ないhIEを探すことができた』
遠くからバイクの排気音が近づいてくる。
『だがグランタワーのように人が密集している場所でそんな選別ができるわけがない。手当たりしだいに大勢の市民が殺戮される。文字通りの血の海になるぞ』
通りの向こうから漆黒の大型二輪が現れ、登悟と灼の前で低い排気音を鳴らしながら停止した。
格納されていたフルフェイスのヘルメットを被り、バイクに跨ってハンドルを握る。
『登悟』
「何だよ」
『奴を回収してくれ。お前と『Face Loader』なら、できると思う』
思い返せば、詠子に何かを頼まれたのは初めてかもしれない。
灼が後ろに乗って手を回したのを確認して、音高くエンジンを鳴らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。