05

『私がhIEだってこと、忘れていたの?』

 翌日の正午。

 人気のない路地に佇む灼から、インカム越しに話しかけられて、登悟は思わずむせた。


「何の話だ」

『昨日の話。私が囮役をやるって言ったとき、すごい顔だったから』

 直接顔を合わせなくても、灼がからかうように笑っているのが分かる。


「集中しろよ。いつ襲撃されるか分からねえんだぞ」


 とはいえ路地に人通りはない。見晴らしも最高だ。

 詠子に指定されたのは、港湾区にほど近い古びた路地だった。かつては使われていた古い雑居ビルが立ち並ぶ一帯で、開発予定だけが数年前に立てられたまま放置されている。時任から入手した警察の内部情報と、詠子自身が調査した街の監視機構の情報をすり合わせた上で、警察の警備予定を一部改変して作り出した空白地帯だ。

 ハンドガンを片手に適度な緊張感を保とうとするのだが、灼の声音は実にのんびりとしたものだ。

『私にとって、会話するリソースと、周辺に注意を振り分けるリソースは別のものだから』

「なら俺の集中力を削ぐんじゃねえ」


 言いながら、これも灼の誘導かと思う。自分はhIEで、あなたは人間なのだと。考えすぎだろうか。昨日からナーバスになっていることを自覚する。

『ちゃんと狙ってくれるといいけれど』

 他人事のように語る灼に、もやもやとした気持ちになる。


「街中をカバーしてるわけじゃねえからな。あくまで狙われやすい地点を作り出したってだけで」

『hIEの機体識別信号を捉えているのでしょう。他のポイントにhIEがいなければ、ここに来る可能性は十分あるわ』

 灼がくすりと笑った。

『登悟。一度あなたの口からはっきりと聞きたいわ。あなた、私をモノだと思っている?』

 言葉に詰まった。


「何だよ急に」

『私が狙われてほしくないみたいに言うものだから。hIEが一機壊れても、人が死ぬわけじゃないのよ』

「ならその人格クラウドを使うのを止めてくれ」


 思わず苦い口調になる。


「人間らしく振る舞ってるやつが、人間みたいにぶっ壊れたら、平気なわけねえだろうが。

 お前はモノだよ。当たり前だろ。だけど、モノだと思えるかどうかは別の問題なんだよ」


 強い口調になってしまった。灼からの返事はない。

 何か別の話をしようとした。

 灼の体に影が差した。灼が弾かれたように上を見た。

 雑居ビルの屋上から、獣のように跳躍する人影があった。ブレードが陽光を帯びてぎらりと輝くのが見えた。

 舌打ちする。待機状態にしていた『Face Loader』で弾道補正を行って、三発銃撃した。

 およそ五十メートルほどの距離を開けての射撃だ。弾丸は吸い込まれるように落下する人影に向かう。

 人影がブレードを翻した。三発の銃弾が正確に中央で切り払われる。

 灼が身を翻した。

 一瞬前まで灼がいた場所へ、人影が猛烈な速度で着地した。ドガン! と爆弾を炸裂させたような音とともに、路面が派手にめくり上がった。

 舞い上がった粉塵を突き破って、人影が灼へと肉薄した。

 灼もまた帯からブレードを引き抜いて応戦した。

 ブレード同士が一瞬の内に数十も激突し、空中で火花を散らす。

 粉塵が晴れ、人影の姿があらわになる。男だ。がっしりとした体格に、薄汚れた軍用のコートを着込んでいる。精悍な顔立ちだが、今は目が見開かれ、殺戮に狂喜しているとでもいうように口元を釣り上げている。

 間違いない。ターゲットのGATOU式機体だ。

 高速で動く二人の姿を『Face Loader』で捉えて、再び銃撃した。生身の人間ではありえない正確極まりない射撃だが、やはりあっさりと切り払われる。

 灼の斬撃をいなして大きく距離を取ったGATOU式機体が、ぐるりと首を回してこちらを見た。

 GATOU式機体がぐっと体を沈ませると、地面が砕けるほどの強烈な踏み込みとともに、弾丸じみた速度でこちらへ向かってきた。

 予想以上の速度に反応が僅かに遅れる。辛うじて体を屈ませると、髪の毛を掠らせるほどの距離で頭上をブレードが通過した。背後の雑居ビルの壁が、バターのように切断される。

 体勢を崩しながらも、腰だめでトリガーを引いた。至近距離からの銃撃だったが、GATOU式機体は僅かに身を反らしただけで回避する。

 灼が後ろから斬りかかる。GATOU式機体がブレードで迎撃した。高周波ブレード同士がぶつかり合う耳障りな高音が上がり、耐えかねたように大きく反発した。

 灼は後ろへ、GATOU式機体は反対にこちらへ押し出される。

 死を予感した。

 反射的に『Face Loader』の行動予測を起動していた。

 無人機相手には何の効果もない機能だ。相手のパーソナリティを超高度AI『仮面』の演算によって、行動を超高精度で予測する――その演算するべきパーソナリティが、無人機には存在しない。

 だが予想に反して、半透明のブルーの映像が起こった。

 行動予測によって描写されたGATOU式機体の映像が、片足を軸にコマのように回転し、ブレードを突き出す。

 右の義手が反応する。

 現実に突き出された高周波ブレードの側面を、ハンドガンの銃身が打った。

 リィィィン、と左耳のすぐ横で高音が響く。

 GATOU式機体はブレードの中ほどまでを雑居ビルの壁に突き立てた状態で静止した。

 至近距離でGATOU式機体と目が合った。

 狂乱していた瞳に、一瞬だけ理性の光が戻る。

 GATOU式機体は弾かれたように身を翻してブレードを納刀すると、自分の首の後ろに手を回して、引きちぎるような乱暴さで何かを引き抜いて地面に投げ捨てた。


「頼む」


 深い、強靭な男性の声だった。

 GATOU式機体はその場で跳躍し、壁を蹴ってその場から姿を消した。

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