04

「あああ、ちょっと待ってくれ。いや、待たなくても良いんだが、ああくそ、せめて見つからないという確証が得られるまで」


 後ろで喚き声が聞こえたが、登悟と灼は部屋の奥へと入っていき、壁に格納された無数の収蔵棚の一つを引っ張り出した。

 中央区にある電警支部の地下と直結した一室、電子器物解析室だ。二十メートルほどの奥行きがあり、壁一面に収蔵棚がタイル張りのように格納されている。完全に電波的に遮断された空間で、独特の閉塞感と清潔さがあった。

 その入り口でわたわたと辺りを見て、こちらに駆け寄ってくるのは、時任維弦ときとういづるという名の犠牲者だ。中背中肉の平凡な男で、立派な制服にむしろ着られているような優柔不断な雰囲気を発散している。電警三課・特殊器物解析官という立派な肩書を持ちながら、性格最悪の老婆に致命的な弱みを握られ、身動きが取れなくなった挙げ句、一切合切の無茶な要件を一身に請け負うこととなった、哀れな三十歳男性である。


「いきなり連絡が来たと思ったらこれだよ。もう少し躊躇してくれてもいいだろ? バレたら誰が責任を取ると思ってるんだ」

「部外者を勝手に中に招き入れて、重要な証拠品にベタベタ触らせてるあんただろ」

「そりゃそうなんだけどさあ。おたくだってあの婆さんに弱みを握られてこき使われてるクチだろ? 同情してくれたって良くないか?」

「知らねえ」


 横のパネルを操作する。四角い柱が壁から音もなくせり出してきて、微かに空気が抜ける音を立てながら蓋がスライドする。バラバラになったhIEが収蔵されていた。


「驚きだな。どんな得物で斬ったらこんな断面になるんだ?」


 収蔵されていたhIEの残骸は、表層から内部骨格までが一切の乱れなく切断され、まるで鏡のような断面を晒している。まるで人体がパズルになってしまったかのような印象で、確かにこうなるとhIEは単なる家電製品だと実感できる。


「鑑識の連中も不思議がってたよ。普通の、少なくとも民間で手に入る刃物のたぐいじゃこうはならないって」

「あんたの所感は? そんなんでも電警の解析官なんだろ?」


 時任は少し面食らったように口をつぐんだ。


「そりゃ、ううん。僕の印象だと、流出した軍用の装備を闇市で買ったとか、そういう手合のような気がするけど」


 時任は慌てて付け足す。


「もちろん公式な情報じゃないよ。今も現場周辺の監視機構の情報を統合して、色々特定している最中だし。ただ、例えば民間警備会社とかだって、こんな殺傷力の高い武器は許可されてないはずなんだ。hIEのフレームは、言っちゃえば自動車みたいなもんだから。それを乱れなく一発で切断するなんて、しかも通り魔的な犯行でそれをやろうと思ったら、特殊な武器じゃないと無理さ」


 民間人が聞いてはいけない情報が少し含まれていたような気もするが、一応こちらも仕事できているのだから、まるっきり無関係の人間というわけでもない。警察の規範に照らせば完全にアウトだが。


「メンテナンスジャックが頸部にあるタイプのようね。頭部は無事だし、視覚データが残っている可能性は高いと思うわ」


 灼はバラバラになったhIEの頭部を転がして、後頭部を上向きにする。確かに首の辺りの人工皮膚にそれらしい切れ目がある。ギリギリのところで切断を免れていた。


「一応、これから解析予定なんだけど、そのお」


 時任を無視して灼に尋ねる。


「いけるのか?」

「映像を抜き取るだけなら。意味付けは任せるわ。私がやるなら、外に出てからのほうが精度が高いでしょう」


 事も無げに語る灼だが、彼女が基本的には市販のhIEと同じ理屈で動いていることを考えれば、電波暗室であるここで通常と同じように稼働している事自体が驚異的なのだ。

 hIEの中でも軍用の機体や高級機になると、用途を限定すればhIEを稼働させるAASCを一部エミュレートして稼働できるものもある。灼もやっていることは同じだが、初対面の相手との違和感のない会話や、事前情報のない電子操作を行えるなど、その汎用性は常識を遥かに超えている。詳しい仕様を聞いたことはないが、都市伝説レベルの、量子コンピューターを搭載した超高度機体に匹敵するのではないか。

 灼は首の後ろからケーブルを伸ばし、反対側をhIEの頸部のソケットに接続した。時任が手を伸ばしかけたが、既に遅かった。

 登悟の右目に解析結果が表示される。予想通りにhIEが破壊される直前まで捉えていた視覚情報があった。部分的に欠落しているが、灼が映像を補完し、多少のノイズが含まれる程度まで復元する。


「男か」


 復元した映像を『Face Loader』に取り込んで立体映像として再現する。詠子から受け取っていた情報と照合し、GATOU式機体と一致することを確認する。

 復元した映像を流す。暗い路地を歩いていると、突然真横から急襲され、数秒と経たないうちにバラバラに解体される。辛うじて写り込んでいたGATOU式の武装をクローズアップし、『Face Loader』内部に取り込む。地上に出たあとで照合をかければ、正確な能力が分かるだろう。

 それにしても、こいつは本当に無人機なのか?

 当然だが街中は戦場ではないのだ。暴走したユニットが市内で暴れているのなら、もっと無秩序かつ急速に被害が広がりそうなものだ。


「君らはこれをやらかした犯人を捕まえようとしてるってこと?」

「関わりたくないもんだと思ってたが」

「そりゃ、あの婆さんとは絶交したいと心底思ってるさ。ただこれでも一応は警官だしね。市民の安全ってやつを、守ってやりたいと多少は思ってるわけ」

「知っていることがあるなら教えてくれ」

「今の所はなんともね。ただ、現状でうちらが捕獲できてないっていうのが答えかも」


 時任は考え込んだ。


「パシフィスの監視機構でも捉えられている情報がすごく少ないんだ。これだけ堂々とhIEを切り刻んでいるにも関わらずだよ。ああ、それも変だよね。制御不能の戦闘ユニットで、人型の対象を無差別に狙ってるなら、市民の犠牲者が半端じゃないことになってるよ」

「殺す相手を選んでるってことか?」

「hIEだけを狙ってるって感じかな。実際、今のところはhIEしか被害にあっていない。だからうちらも威力的に緊急で動こうって話にならないわけだし。無差別殺人ロボットが現れた! なんてなったら軍隊並みの規模で出動するよ」


 歯車が噛み合っていないようなもどかしさがある。

 制御不能で流出した戦闘ロボットが、想定されていない環境で、制御されているように動いている。なんとも不可解な話だ。


「一つだけ確かなことがあるわ」


 灼がケーブルを外しながら言った。


「相手がhIEを狙っていること。ならこちらも魅力的なhIEを餌にすればおびき出せるんじゃないかしら」

「こいつの出る場所が予測できるならな」


 時任を見た。灼も時任に微笑む。時任は目前に二丁の銃を突きつけられたように一歩後ずさった。


「じ、冗談じゃない。外部の人間をここに招き入れただけもヤバいのに、内部情報を流出させたら、ほとんど犯罪じゃないか」

「詠子が便宜を図ってくれると思うわよ」

「スケープゴートにされて放置される可能性だってあるんだよお」


 時透は半泣きだったが無視する。


「肝心の囮役はどうするんだよ。ウチの事務所にhIEなんてないぞ」


 灼は微笑んだ。思わず顔をしかめてしまう。


「ああ、くそ」

「情報だけ提供してもらいましょう。作戦は詠子と詰めればいいわ。彼女も何らかの成果を上げているだろうし」

「向こうのスペックだって未知数なんだぞ。ぶっ壊される可能性だってあるだろうが」

「十分に備えてくれるエージェントがいるんだもの。大丈夫よ」


 天を仰いだ。

 じりじりと後ずさる時任に、弾丸を放つように灼が言った。


「逃げても信用を失い、従順にしても信用を失うなんて、可哀想なヒト。でも大丈夫。後手に回って市民に被害が出ないとも限らないでしょう? 自分の心に言い訳する理由が、たくさんあるんだもの」


 時透は息を詰めて硬直し、やがてくずおれそうなほどに脱力した。

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