03

 登悟が事務所の応接室に足を踏み入れると、ひりつくような緊張感が場に満ちていた。

 まず目に入ったのは白いスーツの男だ。白蛇のようだと思った。雰囲気が真っ当な人生を送っている人間のものではない。すらりとした体躯に細身の眼鏡を掛けた外見は理知的だが、神経質そうに眼鏡のつるに触れたり、指でソファを叩いたりしている。見るからに苛立っていて、これが今回の依頼者だと思うと何もせずとも気が滅入るのを感じた。

 その男の対面に座っている女性は、事務所の主である鷺森詠子さぎもりよみこだ。黒いゴシックドレス姿の時代錯誤な外見で、見た目だけなら二十代だが実年齢は八十を超えているはずだ。対面に座る白スーツの男とは対象的に、いつもどおりの不遜なまでの気楽な様子で、ハンドサインで何らかの情報を処理している。

 こちらに気がついた白スーツの男が、露骨に顔をしかめて舌打ちした。


「なぜ無関係の学生がこちらに?」


 言葉遣いは丁寧だが、それ以外の全てが拒絶と不快を表していた。

 ヤンキーの流儀で行くなら、自分が喧嘩を売られたと思ったならばメンチを切って拳を飛ばすのが正道だったが、詠子の手前でそんなことをするわけもいかず、我慢した。脅迫のネタをこれ以上増やすわけにはいかなかった。

 詠子が口元を笑みの形に歪ませた。内心を見透かされたようで一々腹立たしい。


「これでもウチのエージェントでね。こんなバカ丸出しの見た目の若造を警戒する人間などそういないから、都合が良いのさ」

「探偵業のための迷彩というわけですか」

「いや、天然だ。だからこそさ」


 一瞬感心しかけた様子だった白スーツの男が、小馬鹿にするように鼻から息をはいた。

 詠子といいこの男といい、本人を目前にして何の配慮もない失礼千万な態度だ。一発ずつぶん殴ってやれたらどれだけ気分がいいだろうと考えながら、鞄を床に放り投げながら壁に背中をついた。

 測ったようなタイミングで、奥の給湯室からしゃくが現れた。

 真紅の着物を着た彼女は、完璧に整った足取りで、白スーツの男と詠子の前にお茶を置いて回った。事務所の茶葉は相当に安い三流品のはずだが、灼が淹れると豊かな香りの高級品のようになる。かつては一部の熟練者しかできなかった技能の数々は、今はクラウド制御でhIEに委託したほうがよほど良い結果が返ってくる。

 灼はちらりとこちらを見て微笑み、給湯室へ下がっていった。まるで今しがたのやり取りを聞いて慰めるかのような仕草に、ため息をつくしかない。

 灼はhIEだが、行動を制御している基本のクラウドは、超高度AI『仮面』が作り出した超高精度の人格クラウドだ。だから普通に接している上では、灼のことは人間としか認識できない。理性が遅れて彼女のことをhIEだと判断するのだが、結局どう接するのが正解なのか、未だに答えは出ていない。

 右目にファイルが着信した。詠子から白スーツの男の情報が転送されてきたのだ。藤馬聖一とうましょういち。三十一歳。パシフィス内の警備会社勤務となっているが、おそらく偽装である旨が付け足されている。

 藤馬は出されたお茶には目もくれず、ソファを指で叩きながら言った。


「そちらがどのような野蛮なエージェントを雇用していようと私の知ったことではないですがね。先程提示した条件で早急に取り掛かっていただけるのか。それだけですよ」

「確かに金払いは十分だ。十分すぎるほどさ。だからこそいくつか聞きたいことも出てくる」

「依頼主のプライバシーというやつでは?」

「純粋に個人的なものであるなら構わんさ。ただの人型戦闘ユニットの回収にしては、報酬の桁が二つばかり違うんじゃないか?」

「そちらが得をしているのだから問題はないでしょう」


 じっと藤馬と詠子が視線を交わした。

 再び登悟の右目にファイルが着信した。藤馬から提供されたのだろう、依頼に関する開示情報だ。黒塗りされている部分が目立つ文書が二つ。そして一番手前に、全身と顔がクローズアップされた、巌のような体躯の男性が掲載されている。

 GATOU式八番機とある。文書によると、特に戦闘技能に優れた軍人のスキルをデータ化し、独立した高度演算ユニットとして機体に組み込んでいるのだという。これによって孤立した戦場や、電波が届かないような地下深くなどでの戦闘行動が可能になる。

 いわゆる軍用の人型ユニットだ。それが外部に流出したので回収してほしい。そういう話らしかった。

 ただ、いくら限定的な用途とはいえ、AASC――hIEを制御しているネット上のプログラムだ――のような高度な制御システムなしで、独立して動くことが可能なものなのだろうか。大学での座学での知識しか持ち合わせていないが、不可能なように思える。詠子が即決しない理由も、その辺りにあるのではないか。


「私は気の長い方ではありません。この場で決めていただきたい」


 詠子は値踏みするように藤馬を見つめた。


「引き受けよう」


 少し意外に思った。詠子は性格の悪い倫理観の破綻した人間だが、それだけにリスク管理に関しては徹底していた。いくら報酬が魅力的でも、リスクが高すぎると判断したのなら手を引くと思っていたのだが。


「ありがたい」

「ただし開示できる情報に関しては全てしてもらう。そちらの数日以内という無茶な条件を聞き入れるんだ。それくらいの便宜を図ってくれてもいいだろう」

「了解したいところですが、既にそちらに提示しているファイルで全てですよ。それ以上の情報は私も持ち合わせていません」


 藤馬は返事を待たずに立ち上がり、早足で事務所の入口へと向かう。かと思うと気が変わったように立ち止まり、肩越しに詠子に向けて言った。


「言うまでもないとは思いますが、そちらは依頼された要件をこなすことだけに専念して頂きたい。そちらのプロフェッショナルな態度と実績を見込んでの依頼なのですから」

「ずいぶん私を高く買ってくれてるようだな。安心しろ。私も面倒事は好かん」


 藤馬は一つ頷くと、こちらの方は見もせずに事務所から出ていった。

 窓から路地を見下ろした。藤馬は路肩に駐車していた純白の高級車に乗って走り去った。カーシェアリングの対象にはなりえないハイクラスの車両だ。金に糸目をつけないという態度は本物らしい。


「本当にやるのかよ。相当に胡散臭いぞ、これ」

「報酬が破格だからな」


 詠子は煙草を咥え、細く煙を吐いた。


「とぼけんな。実際に働くのは俺なんだぜ」

「……そうだな」


 軽く面食らった。嫌味を言われて煙に巻かれるのが常だからだ。

 給湯室から灼が姿を見せて言った。


「私たちのような末端の民間事業所に頼むような案件でないことは確かね。それが分からないあなたではないと思うけれど」

「お前が登悟の肩を持つのは珍しいな」

「提供された情報がまるで信用できないのだもの。身内の疑問点は解消しておきたいと思うのは、当然じゃないかしら」


 詠子はしばらく煙草を吸っていたが、やがて降参だとでも言うように片手を上げた。


「お前たちに指摘されるまでもない。先方からの情報はまるで信用に値しない。だが全てが虚偽というわけではなかろう。少なくとも、回収してほしいものが、自律可能な人型ユニットだというのは確かだ。そのための識別番号も提供されている」

「その自律が無理なんじゃねえのってのが第一の疑問なんだが。hIEだって制御してるのは結局人類未到産物レッドボックスだろ。それを単独でやろうとするならアホみたいなコストがかかるぞ」

「それを確かめたいのさ」


 詠子が見たことのない表情をしていたので、思わず口を閉じた。苦い諦めとでも表現すればよいのだろうか。詠子はどこかここではない遠くの方を見ているように思えた。


「私にはその方法に心当たりがある。理由としてはそれだけだ。だから、そうだな、今回はお前は手を引いてもいい。灼には手伝ってもらうことになるが」


 心底驚いてのけぞった。


「とうとう寿命ってやつが来たのか? 気持ち悪いぞ」

「次のメンテナンスのことを考えて物を言ったほうが良いぞ。脳までいじられたくなければな」


 相変わらずの物言いだ。ため息をつきながら、右の義手を握って開いた。


「勝手にハブるな。巨額の報酬が貰えるってんなら、俺の取り分も相当なもんだろ。あんたからの借金をきれいに返して、この事務所から出ていくのが優先だ」


 詠子は煙を吐いて、口元に笑みを滲ませた。


「市内でhIEが無差別に解体される事件が多発しているのは、何日か前に説明したな。これが件のGATOU式機体とやらの仕業らしい。鑑識の結果も、提供された情報と一致している」

「ここに来る前にも駅前が騒ぎになってたよ。つうか、平然と警察の内部情報を閲覧してんじゃねえよ」

「警察内部に話のできる奴がいる。回収した現場の物品の管理権限を持った奴だ。詳細を送るから、お前は灼を連れてそいつに接触して、現場の情報を洗え。思いつく限りのことをして良いように話をつけておく。私は都市内の監視機構を解析し、機体の現在位置を探る」

「おっかねえな」


 鞄を掴んで事務所の出口に向かうと、灼もついてきた。

 応接室の扉を閉める前に、詠子の顔を横目で見た。いつになく真剣な表情でネットへ潜り始める姿が、妙に印象的だった。

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