03

 近付いてくるのは、漆黒の法衣を着た長身の男性と、頭一つ分ほど背の低い金髪の女性だ。

 男の方は服装からしても件の新興宗教の関係者だ。デバイスが感知されたとは考えたくないが、このタイミングで向こうから近づいてくる理由などそれくらいしかない。侵入に気がついて、見過ごすのではなく相手を確認しに来た。それもあからさまに関係者だとわかる服装で。

 咄嗟に周りの状況を意識した。昼下がりの公園で、少ないながらも無関係の市民は大勢いる。直接的な攻撃を仕掛けてくる可能性は低いと思えた。だからこそ、相手がこのタイミングでこちらに接触しようとする理由が分からない。こちらは侵入したことを気づかれていないと思っているのだから、その油断を利用するのが普通だ。情報面で優位に立つか、相手の不意を突くか。即座に直接会うなどというのは選択肢として不合理すぎる。否応なく警戒心が高まった。


「あの……」


 女性の方が声をかけてきた。女学生といった感じで特に危険な雰囲気ではなかった。


「先程本部の方に入らしていた方ですよね。もしかして入会希望の方ですか?」

「は?」


 法衣の男が軽く頭を下げた。


「失礼。こちらを熱心に見つめているお二人の姿が窓から見えたもので、一言声をかけてみようかと思った次第でして」


 改めて男を観察した。長身の軍人のような体格の男で、間近で見るとかなりの圧迫感があった。表情に浮かんでいる柔和な表情も、敵を油断させるための仮面のように見えてくる。

(確かに熱心に見てたけどな)

 肉眼ではなくデバイスを通してである。あからさまに警戒されるような真似は当然だがしていない。施設は通り過ぎただけだし、ここは施設からは完全に死角になる位置だ。お互いに了解済みの、見え見えの探り合いか。

(いや、俺たちにじゃなくて、この女にか)

 思い直す。男がいわゆる司教的な地位にあるのなら、女の方はその信徒だ。口ぶりからして男のほうが女を誘って連れてきたと思える。その理由付けに虚言を使っているのなら分からなくもない。


「いきなり話しかけられては警戒されるのも無理ありませんね」


 男は胸に軽く手を当てて名乗った。


「私はそこの『アルカ・トエルの福音』という団体で教主をやらせて頂いています、黒桐くろぎりと申します。こちらが――」

「イザリー・ローレンです。ごめんなさい。話しかけようって言ったのは私なんです。一緒に活動できる人たちかもしれないって思ったら、じっとしてられなくて」


 イザリーと名乗った女性に他意はないように見える。『Face Loader』を使えばすぐに分かるが、デバイスの起動時に可視光が生じてしまうため使えない。

 情報が足りない以上は会話を続けるしかない。今の自分は噂を聞いてやってきた若者Aだ。


「入会希望って訳じゃねえんだけど、興味があってさ。いきなり乗り込んだら迷惑だろ?」

「まさか。私も教主様も、皆さんのことを知りたいし、私たちの教えを聞いてほしいと思っています」

「きっと立派な教えなのでしょうね」


 灼が意図を汲んで言った。

 黒桐が柔和な微笑みを浮かべながら言葉を継いだ。


「私たちの教えの根幹となるものは協働でしてね。貴方たちはこの街を上から見たことはありますか?」

「ああ。俺たちの家は外縁区のアパートでね。こっちに来るときに毎朝見るよ」

「ではこの街の高架道路が、螺旋を描くように中央区に接続しているのはご存じですね。アルカとトエルという二柱が司ることもそれなのです」

「中央に集まることが、か?」


 黒桐は「ええ」と頷き、懐から掌大のシンボルを取り出した。先程地下フロアでシンパたちが持っていたものと同じで、螺旋状の意匠が凝らされていた。


「私の故郷に伝わる古い神話です。アルカは『太く集まるもの』、トエルは『流れを汲むもの』の意味を持ちます。彼女たち二柱が、遍く生物の命を太く集め、一つにして汲み上げる。人間の文明もまた、大勢の人々が協力し、長い年月をかけて昇華させる」


 黒桐は建ち並ぶ建物の群れを見渡した。


「この街の構造が螺旋を描いているのは単なる偶然でしょう。しかし現実に、私の故郷の古い言い伝えが、私の故郷を知るはずのない技術特区と偶然にも一致した。運命を感じました。この街で暮らしている人々に関わりたい。そう思って、私に唯一できることとして、故郷の神話を伝え歩くことにしたのですよ」

「なるほど……。とても興味深いですね」


 灼が微笑む隣で、登悟は胡乱な表情になるのを堪えながら言った。


「せっかくここまで来たんだし、できれば建物の中も見学させてもらえると嬉しいんだけど」


 イザリーが頭を下げた。


「すみません。入り口までなら案内できるのですが、中に入れるのは本入会した方だけなんです。……ただ、建物は案内できませんが、入会希望の方にお配りしているシンボルがあるので、よければそれをお持ち帰りになりませんか?」


 イザリーは肩にかけていた鞄から、先程黒桐が見せてくれたものと同じシンボルを二つ取りだし、登悟と灼に手渡した。


「入会するかなんて分かんねえぞ」

「いいんです。元々宣伝にも使っていますから。でも物自体は普段私たちがお祈りに使っているのと同じなんですよ」


 イザリーもまた自分のものであろうシンボルを取り出し、側面を示した。


「ここに感圧センサーが付いていて、祈りを捧げるとアイコンが投影されるんです」


 イザリーがシンボルを握ると、先程地下室で見たオブジェと同じ、螺旋状の台座の上で傅く女神のホログラムが投影された。企業が宣伝に用いるような高精度なもので、間近で見ても実体があるようにしか見えなかった。


「これを見て、私たちと一緒にお祈りを捧げてくれる気持ちになったら、いつでも本部にいらして下さい。その場で入会の手続きをしますから」


 ふと黒桐が古風な腕時計に目を向けた。


「午後の集会が始まってしまいますね。イザリー、そろそろ」

「はい。あ、最後にお二人の名前を伺っても良いですか? 私や教主様が不在だったときのために、受付に名前を伝えておきたいので!」


 少し迷ったが、結局素直に答えることにした。


「九條だ。こっちは……鷺森だ」


 灼の名前は人間にしては特種すぎたが、咄嗟に偽名が思い浮かばず、つい鷺森詠子の名字を拝借してしまった。答えてから、そう言えば詠子は自分の名字を事務所の名前に付けていたなと気付くが、後の祭りだった。

 一礼して去っていく黒桐とイザリーの後ろ姿を見送り、完全に姿が見えなくなってから登悟が口を開いた。


「結局手に入ったのはこの胡散臭いシンボルだけか。こんなもんどうしろって……?」


 灼は受け取ったアイコンをじっと見つめている。


「何だよ。変な機能でも付いてるのか?」

「……さあ。少なくとも爆弾ではなさそうね」


 灼の調子は冗談とも本気とも取れなかった。


「ともあれ、相手に察知されてるんじゃ下手に動けねえな。防壁のログを取れただけでも良しとするか」

「一応、施設の外に逃がすことはできたわ。枝が付けられた可能性があるから、直接回収するのは止めたほうがいいと思うけれど」

「データ自体があるなら婆さんも文句は言わねえだろ」


 潜入したのは灼だから、データ自体は灼の主機メモリー内に存在している。施設の防壁に何かが仕掛けてあったとしても、間に超高度AI『仮面』を噛ませてあるせいでリスクはゼロに等しい。

 登悟は立ち上がって大きく伸びをした。


「悪いけど報告は任せる」

「構わないけれど。用事?」

「昼飯がまだなんだよ」


 灼が乗るための自動運転車を携帯端末で予約し、適当な足取りで街中へと向かった。

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