02

 先鋭技術特区パシフィスは、本土と隣接した広大な埋め立て区画だ。

 当初はその名の通り先鋭的な技術を開発するための実験区画として二〇八〇年頃に整備されたが、開発の過程で高度AI群に実質的に支配される特殊な地域と化した。環境整備や経済活動の大部分は高度AIに委託されているせいで、『人間のいない島』と揶揄されることもあるほどだ。

 登悟と灼を乗せたシェアカーは、都市の外縁区と中央区を結ぶ、渦潮のように立ち並ぶ高架道路の一つを走っていた。隣の灼を伺うと、彼女は窓を少し開けて潮風を浴びながら、じっと遠くの方を見つめている。『仮面』に作り出された人工人格である彼女が何かを思っているのか、或いは人間らしい挙動をなぞっているだけなのか、判別はできなかった。

 そのまま中央区の外れまでシェアカーを走らせると、件の新興宗教が集会場として使っているという建物が見えてきた。清潔な白と青を基調とした、安らぎを覚えるように注意深く計算されてデザインされた建物に見えた。広めの土地の半分ほどは庭園として活用されていた。


「無法って感じじゃねえけど、そうだと分かって見てみれば、一度入ったら出てこれませんってな感じの印象だな」

「記録上の問題はなし。強いて特徴を上げれば、地下のほうが広いということくらい」


 近くの公共端末からパシフィスの区画情報を閲覧していた灼が言った。


「地上部分の二倍くらいかしら。結構広いわ」

「幽閉された信徒がうじゃうじゃ居るとかじゃねえだろうな」

「もしそうなら、話はずっと早くて簡単だったんでしょうけれど」


 登悟はシェアカーを停め、大通りの中程に設営されていた公園に入る。

 件の施設からは死角で、かつデバイスの有効射程内となる場所を探し、木陰のベンチに腰掛けた。風が冷たいせいか、幸運にも外で休んでいる人の姿は少なかった。とにかく灼の姿は目立つのだ。せめて和服だけでも着替えさせるべきだったかと、今更ながらに後悔した。

 車が百年前の仕様なら、車内からデバイスを起動するのが一番良いのだろうが、現代の車は多数のセンサー類によって車内の記録が全て残されてしまう。法律的にグレーの行為を記録の残る環境で行うわけにはいかなかったし、それが一般に流通していないデバイスともなればなおさらだった。

 念の為、登悟は『Face Loader』を起動し、見える範囲にいる人間をスキャンした。

 登悟の右目が青く発光する。人類未踏産物『Face Loader』は、対象の人物の生物学的な情報と挙動を超高度AI『仮面』に送ることでパーソナリティを再現し、それを現実世界のパラメーターで走らせることによって精密な未来予測を可能とするデバイスだ。今も登悟の視界に入った数人の人間がこれから取りうる行動が、淡い青色のホログラフィックとなって表示されている。自分たちがこれから取ろうとしている行動を前提条件として追加しても、こちらに注目する人間はいないようだった。


「問題なさそうだ。始めるぞ」


 灼が頷いたのを見て、アタッシュケースの蓋を開いた。

 格納されていた昆虫型デバイスを起動させる。光学迷彩が起動して不可視状態になると、高度五メートル程まで上昇した。

 灼が目を閉じて、デバイスの操作を開始した。

 登悟にできることは何もなかった。自分で言ったとおりアンテナに徹するしかない。その片手間で、周辺の警戒をするくらいだ。

 一般的なhIEの用途の一つに、煩雑な機器の設定を委託するといったものがある。そういう意味では、自分では扱えないデバイスを、hIEである灼に代わりに操作してもらうというのは正しい。

 しかし灼を動かしているのは『仮面』が作り出した超高精度の人格クラウドだ。会話や挙動だけでなく、情緒的な反応まで完璧に再現してみせる。だから人間としか認識できない。

 横目で伺った灼の横顔は美しかった。昼下がりの要項にまどろむように目を閉じて微動だにしない。hIEに対して情緒的な配慮をすることが特殊であるということは、理性では理解できても、五感で人間としか捉えられない相手を完全に道具扱いするというのは難しかった。

『ダクトから潜入したわ。警備機構の類はなし。閑散としているわね』

 灼からの電子音声に我に返る。拡張視界にはデバイスがスキャンした建物の立体図面が表示されている。

 デバイスは地下へと移動し、立体図面が更新された。市民体育館ほどの面積がある。街中の一施設としてはかなり広い。

 デバイスは映像も届けていた。清潔感のある白と黒のモノトーンを基調とした長椅子が円状に置かれ、大勢のシンパが掌大のシンボルを捧げ持って祈りを捧げている。中央には円座があり、その上に螺旋状の台座に載った女神のような、独特なデザインのオブジェが鎮座している。シンパが持っているシンボルと同じ意匠のようだ。デバイスがもたらす情報によれば、実体を持たないホログラムだ。


「中央のシンボルはホロか。実体のないものに祈りを捧げるってあたりが現代的だ」

『それが宗教の本質でしょう。信じたいものを自由に選べるのは人間の特権ね』

「自分を救ってくれると信じられるのなら、か」


 確かに雰囲気のあるデザインだ。信仰心を誘導されれば拝みたくなる気持ちも想像できる。

 不意に奇妙な感覚を覚えた。

 頭の裏側を直接撫でられ、今までと全く違うことが思い浮かぶとでも言おうか、言葉にするのが難しい曖昧な感覚だ。普段あまりやらない作業をしているせいで雑念が浮かんできているのだろうかと思い、軽く頭を振る。

『シンボルのホログラムは施設内のネットで制御しているみたい。メンテナンス用のコネクタを見つけたから、取り付くわ』

 視界の端に外部ネットに接続したログが表示された。だがそれも数秒のことで、エラーの文字列とともに接続が遮断される。

 先程の違和感も忘れて尋ねた。


「弾かれたのか?」


 信じ難かった。超高度AI『仮面』が――演算領域の3%という制限をかけられているとはいえ――侵入に失敗したということだからだ。

 灼は答えない。問いただそうとしたところで、誰かが近づいてくることに気がついた。

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