Case-002 Mirage God

01

 鷺森さぎもり威力探偵事務所の窓から見下ろす風景はいつだって殺風景だ。

 高度AIの統治を受けた新市街は近代的で整然としているが、それ以前に整備された旧市街は違う。旧型のインフラ、旧型の建造物、それらが杜撰な管理の中で潮風を浴びて風化している。

 行き交う人々は少なく、それ以上にドローンやhIEの姿が目立つ。新市街との境目にほど近いここですらそうなのだ。都市外縁に近づくにつれて、神々の祝福を失ったような風景が広がっている――九條登悟くじょうとうごは拡張視界に投影されたファイルを見ながら思う。


「何だって先進技術を売りにしてる街に新興宗教なんてものが発生するんだ?」

「神を見出すのは隣人に縋れないからだ。それが本物かどうかなんて関係ない。問題なのは、自分を救ってくれるかどうかという一点だ」


 肩越しに尋ねると、事務所の家主である鷺森詠子さぎもりよみこは適当な調子で答えた。

 投げやりな口調なのは、詠子自身が神も仏も信じないどころか、それらの冒涜を生きがいにするような人種だからだろう。そうでなくては齢八十いくつでありながら全身義体に脳髄を移植し、若かりし日の美貌を保つなんてことはしない。そして死にかけの大学生を勝手に人体改造して低賃金で働かせるような悪魔の所行を行うはずもない。


「登悟は神様を信じないの?」


 応接用のソファに淑やかに腰掛けているしゃくが尋ねた。艶やかな紅の和装に身を包んだ彼女は、窓際に行儀悪く寄りかかる登悟に小首を傾げている。


「俺が信じるのは口座残高の桁数だけだ」

「五つくらいじゃ俗世にも留まれなさそうね」

「やかましいわ」


 登悟は顔をしかめながら拡張視界のファイルに目を戻す。

 都市中枢部で新興宗教が起こっていること、そこのシンパに若年層が多く金銭的な被害が発生していること、なのに被害届の提出率はほぼ零であることなどが几帳面な文体で記されている。驚くべきことにパシフィス公安の正式な電子印が埋め込まれていた。民間かつ『威力探偵』などという胡散臭さ極まる事務所へ提出するファイルにしてはいささか丁寧すぎた。


「情報源が信頼できるのは結構だが、バカ丁寧すぎないか」

「連中が福祉に目覚めたわけではないことは断言できる。青少年を保護したいなんてのは、私たちみたいな民間事業所向けの言い訳さ」


 詠子もまた空中に目をやりながら答えた。拡張視界の情報を追っているのだ。彼女が着ているアンティークドレスには高度な情報技術が施されていて、建物に張り巡らされた電子網に接続するための役割を果たしていた。


「なら何でだ」

「依頼自体は公安が持ってきたものだが、元を辿れば電警の案件だ」

「……新興宗教相手にか?」

「連中は高度AIの関与を疑ってるんだよ。それも超高度に近いキワモノの存在をな」


 宗教と人工知能が上手く頭の中で結びつかず首を傾げる登悟に、詠子は続けた。


「件の新興宗教『アルカ・トエルの福音』とやらが発足したのは三年ほど前になるらしい。その間、若年層を中心に着々とシンパを増やし、今や総勢百八十を越える大所帯だ。当然寄付金という名の経営資金もそれなりに徴収している。それが原因で修学困難になり特区を出ることになった学生も少なくないとのことだ。しかし、その事実を公安も電警もつい先月まで全く把握できていなかった」

「泣き寝入りしてるだけなんじゃねえのか。本人が訴えなければ気付きようがねえだろ」


 詠子は猿を見るような目で登悟を見た。


「知っての通り、パシフィスでの金銭のやり取りは個人認証タグを用いたものに限られ、金銭の使途を記録することが条例で義務づけられている。どの国籍の人間だろうが同じだ」

「……つまり?」

「この埋め立て区画で資金徴収をして、その結果として徴収された当人が特区を出ることになった、なんてことが把握できない方がおかしいということだ。金の流れは全て記録に残る。記録を最初に精査するのは高度AIだ。その高度AIが金の流れを問題なしと判断したが実際は違った、なんてことになれば、その金を洗浄した存在は高度AIの能力を超えている……というのが公安及び電警の主張というわけさ」


 なるほどな、と登悟は嫌な気分になりながら頷いた。人間同士でさえ金のトラブルは七面倒臭いというのに、そこに高度AIが絡んできたとなれば、どれほどの労力を要求されるか分かったものではなかった。


「付け加えるなら、パシフィスを出ることになった当人たちの訴えがないというのも不自然よね」


 灼が登悟の発言を拾うように言った。


「全員が被害にあったことを黙っていたなんて現実的じゃないわ。三年近く発覚しなかったというのは、本人たちがこの件を隠そうと努力したと考えるのが自然でしょう」

「俺なら即座に発狂しそうなもんだがな」


 切なくなるほど簡潔な口座残高を思い返して、登悟はちょっと涙目になった。そしてこの鷺森詠子という老婆に多額の借金があることを思い出してしまえば、悲しみを通り越して心が虚無になるのを避けられなかった。

 瞳の生気を失わせた登悟に、詠子は鈍色のアタッシュケースを手渡した。蓋を開けると、薄い四枚の翅のある、全長四センチほどの小型デバイスが数機格納されていた。


「連中の教区に電子的に侵入するための装備だ。お前の右目を通して『仮面』に繋がるようにセットアップしてある」


 登悟の拡張視界に、デバイスの有効射程などの細かい仕様が表示される。十分に秘匿性を保ったまま接続できる距離は二百メートル程度らしいことを斜め読みする。


「言うまでもないが、ダイブ自体は灼に任せろよ」

「俺はアンテナかよ」


 登悟の肉体と一体化している人類未到産物レッドボックス『Face Loader』は超高度AI『仮面』と独自回線で接続されている。詠子が個人的に保有しているという演算領域を活用すれば、その辺の高度AI程度では相手にもならないはずだった。

 億劫な気持ちのまま、携帯端末でシェアカーを呼びながら事務所を出た。その後を灼が二歩ほど下がった距離で追った。

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