04
登悟が大通りのファストフード店を訪れたときには、正午を少し外れていたこともあってか、客足は疎らだった。適当なセットメニューを注文して個人認証タグで清算を済ませる。軽やかな清算音と共に残り少ない口座残高から数百円が引かれる。出先で金と名の付く数字を見たくはなかった。金というものは、加算されるときは確認しないと分からないくせに、減算されるときはいつだって明確に表示されるからだ。
店内の窓際の席に陣取ってハンバーガーを口にしながら、上着のポケットからシンボルを取り出した。螺旋系の造形が施された漆黒のオブジェクト。見た目の割にずっしりと重たいのは、密度の高い素材を使っているからか。触った感じはプラスチックというよりは石材に近かった。つるりとした光沢のある表面を見つめながら、ふと側面に感圧センサーがあると教えられたことを思い出す。
「これか」
側面にぐっと力を入れると、一秒と経たずにシンボルの中央から高精度のホログラムが投影された。螺旋状の台座の上で傅く女神の像だ。芸術のことは全く分からなかったが、この女神像がそれなりに手の込んだデザインをしていることは分かった。一朝一夕で適当に考えついたものではない。黒桐と名乗った教主が語ったように、本当に異境の地の神話を模しているのかもしれない。
「……?」
脳裏にまたしても不可思議な感覚が生じた。頭の裏側を直接撫でられるような奇妙な感覚。決して不快ではなく、むしろ心地よさを覚えることに気が付いた。
いつしかハンバーガーを食べる手は止まり、女神像の投影に見入っていた。
(何か……妙に落ち着く)
何の変哲もないホログラムのはずだった。だがそこから目が離せなくなっていた。
不意に金のことが思い浮かんだ。市の依頼でそれなりにポケットマネーが残るだろうと詠子は言っていた。使い道を選ぶのならより良いことに使いたかった。
急に感謝の念が沸き起こった。自然の、人間の、即ち神への感謝だった。自分より遙かに大きい存在への感謝の念に、いつしか目が潤んでいた。こんな素晴らしいものに巡り合わせてくれた黒桐教主とイザリーへの感謝の念が湧いた。
ハンバーガーは半分以上残っていたが席を立った。こんな場所に留まっている場合ではない。貯金は残り少ないが、自分のために後生大事に貯めておいて何の意味があるだろう? より大きなことに使ってもらうべきだ。たとえそれが僅かな助けにしかならないにしても、間違いなく正しいのだから委ねるべきだった。
バイクのキーを握って店の入り口を出たところで誰かに呼び止められた。
「登悟」
振り返ると灼が立っていた。こちらのことを透かすようにじっと見つめてきている。
「何だよ。後始末は任せるって言っただろ。俺がレンタルした車はどうしたんだよ」
「事務所に戻るの?」
「いや、銀行に行く。金を預けに行きたいんだ」
「キャッシュなんて持ち歩いていたの?」
「振り込むんだよ。端末経由だと駄目なんだ」
なぜ、と灼は聞かなかった。
気がつけば間近に灼の顔があった。クラウド制御だからこそできる、意識の隙間を縫うような特殊な歩法で近づいて、抱きかかえるように頭を引き寄せたのだ。
灼の瞳がほんの僅かに発光した。『Face Loader』は、灼の瞳から一定のパターンの微弱な可視光が放射されたことを捉えていたが、それを意識することもできず、たっぷり五秒ほど灼と見つめ合った。
ふっと灼が体を離した。
「それで、どこに行くって?」
「………………銀行、なんて何の用事もねえ、よな」
へたり込んだ。ファストフード店に入っていく客が、怪訝な目で見て通り過ぎていった。
「俺、今の、何だったんだ?」
灼はくすくす笑いながら登悟を細腕で軽々と立ち上がらせると、建物の端に移動しながら言った。
「詠子、やっぱり落とされてたわ」
『呆れるな。せっかく
共有チャンネルから流れるのは詠子の声だ。ショックから立ち直れないまま尋ねる。
「何をされてたんだ、俺」
『黒桐とやらの観察眼は、得物を見定める目は確かなようだ』
詠子は溜息混じりだ。
『今の感覚を忘れるな。お前はさっきの衝動のままに金を振り込み、そして明日、連中の本部に向かうんだ』
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