08

 避けることなど不可能な、全方向からの銃撃だった。

 放たれた銃弾は二百を超える。発砲した男たちは、ボロ布のようになった三人の死体を幻視したに違いない。

 しかし実際に目にしたのは、舞い散る血潮ではなく、空中で乱舞した大量の火花であった。

 それが金属同士が衝突して生じたものだと理解できないまま、男たちは中途半端な体勢で立ち尽くす。


「何であんたが俺たちに手を引いて欲しかったのか、ようやく納得がいったぜ。明智百合香」


 いつの間にか銃を握っていた登悟が、気楽な調子で言った。


「要は一から十まで、全部あんたが仕組んだことだったってわけだ。俺たちの介入は予想外だった上に邪魔すぎた。オフィシャルな組織なら介入できても、民間の有象無象の組織にはパイプなんて無いだろうからな」


 そう指摘された百合香もまた、周囲の男たちと同様に言葉を失っていた。

 彼女の視線は、登悟と灼の得物へと釘付けになっている。

 登悟も灼も、決して特殊な武装を持っているわけではない。

 登悟が握っているのは中口径のハンドガン、灼に至っては刃渡り四十センチほどの短刀だ。

 その程度の武装で、一体どのようにして、数百発の弾丸を凌いだというのか。

 そして、それ以上に百合香の視線を奪ったのが、鮮やかに青く発光する登悟の右目である。

 それが酷く不吉なものであるように百合香には見えていた。

 まるで、その内側に人ならざるものの意識が宿っているかのような――

「っ……」


 百合香は歯噛みし、甲高い声で厳命した。


「何をしているのですっ!? 一度で殺せないのなら何度でも撃ちなさいッ!」


 ヒステリックな百合香の声に、呆然としていた男たちも我に返る。即座に小銃を構え直し、引き金を引こうとした。

 だがそれに先んじて、ほとんど一発にしか聞こえない立て続けの銃声が轟いたのだ。

 直後、男たちの手元で小銃が内側から爆発した。

 一体どれだけの者が理解できただろう。登悟が横薙ぎに撃ち放った弾丸が、銃口から侵入して装填されていた弾薬を炸裂させたことを。


「一回目で無駄だと悟っとけ、阿呆」


 そう嘯く登悟は、流れるように弾倉を交換する。

 何をされたのかは分からずとも、銃が有効でないことは察したのだろう。近接武装へと切り替えた男たちが、次々と躍りかかってくる。

 それを迎え撃ったのは、彼らに比べればあまりにも小柄な灼だった。

 一体いかなる歩法を用いたのか。男たちはまるで意識の隙間を縫われるように灼の接近を許していた。

 ぎょっと目を見開く男たちの胸を、灼の白い手がそっと撫でた。

 その途端、力学が混乱した。

 まるで重力が逆転したかのように、屈強な男たちが次々と地面に叩き付けられ、容易く意識を刈り取られてゆく。

 その異様な光景に叫び声が上がった。


「こいつッ……人間じゃねえ! hIEだ!」

「ご明察、ね」


 灼は穏やかに肯定すると、残っていた男たちを次々と昏倒させてゆく。右手に握った短刀を使うまでもなかった。赤子と大人か、或いはそれ以上の力の開きが両者の間には存在した。

 その惨状に、ついにリーダー格の男が怒号を発した。


「hIEとガキ相手に何を手間取ってる! 速やかに殺せッ!」


 だがその声に答えられる者は残っていなかった。戦闘可能なメンバーは一割もおらず、無事な者は戦意を喪失して武器を投げ捨てる有様だった。

 敗北同然の状況に、リーダー格の男は獣のように唸ると、登悟の方へと猛然と進みながら小銃を撃ち放った。

 登悟は悠々とハンドガンを構え、迎え撃つ。

 常軌を逸した光景が再び現れた。登悟が放った弾丸は、まるでビリヤードのように空中で跳弾を繰り返しながら、全ての弾丸を弾き飛ばしてゆく。

 やがて銃撃が止んだが、先に弾切れを起こしたのは、数倍の装弾数があるはずの男の方だった。その呼吸は荒く、発した声は微かに震えていた。


「貴様……何なんだ、それは」

「別に大したことじゃない。俺はただ、あんたの動きに合わせて銃をぶっ放してるだけだぜ」

「ふざけるな! 貴様のその右目、一体何が見えているッ!」

「何がって言われても、あんたの姿でしかないんだが。――ただし数秒後の、だがな」

「な、に……?」


 登悟は男の呆然とした表情にさえ既視感があるように溜息を吐いて、さして面白くもなさそうに語り出した。


「あんたも知っての通り、二十二世紀現在、人間よりも遙かに賢い超高度AIが四十機近く存在する。中でも中国は、共産主義っていう仕組みがAI開発にプラスに働いてるらしくてな。とある実験的な機体が作成された。曰く、人間のあらゆるパーソナリティは超高度AIによって再現可能だという。その三十四機目の超高度AIは『仮面』と名付けられた」


 登悟の青い瞳は、その実、目の前の風景を見ているのではなかった。


「……ここからが問題なんだが、俺の雇い主は中国の権力者層の一部にずいぶんな貸しがあるらしくてな。あの婆さんの作る義体は、かつてオーバーマン主義が大手を振っていた時代は大変に好評だったんだと。それが数十年経った今でも通用して、あの婆さんは個人で『仮面』の演算領域の3%だかを自由に使えるそうだ」


 話の行く末が朧気に見えてきたのか、男は『登悟が数秒前に見た通りの』表情で、震える声を発した。


「……まさか、お前の右目は」

「とある事故――まあ自業自得なんだが、その際に右半身が潰れたんだよ。特に右腕と右目が使い物にならなかった。そんな半分死体も同然の俺をあの婆さんは引き取って、自分の研究成果を勝手に適用しやがった。『仮面』の演算領域と衛星経由で直結した、実質的な人類未到産物レッドボックス『Face Loader』をな。施術に踏み切ったのは識閾検査の結果だとか言ってるが、本当かどうかは怪しいもんさ」


 登悟はその時ばかりは年相応の苦笑を滲ませた。


「俺の右目は、要は『仮面』に繋がる窓だ。俺が見たものを元に『仮面』が再現した人格を、現実世界のパラメータ上で走らせる。結果、そいつが数秒後に取るであろう行動を先回りして見ることができるってわけだ。それが気にくわないものなら、目と連動してる右の義手で、表示された未来像を突いてやればいい。例えばあんたがぶっ放した銃弾を、空中で弾いて逸らしたりとかな」


 語り終えた登悟は、さあ、と目の前の男をヤンキーの流儀に則って睨め付けた。


「種明かしは終了だ。それでも俺に食って掛かってくるか? ――もっとも、あんたがこれから先どうするかは、とっくの昔に見えてるんだけどな」

「ふっ、ざ、けるなァッ!」


 一音一音に溶岩のような怒気を込め、男が弾倉を交換してトリガーを引こうとした。

 だがその時には登悟の行動は完了していた。

 交換されたばかりの弾倉に登悟の放った弾丸が着弾し、男の手元で炸裂した。いくら戦闘服を着ているといっても、無傷で済ませられる衝撃ではない。男は悲鳴を上げながら両手を抱えてうずくまった。

 向かってくる者がいなくなり、登悟は周囲を見渡した。

 数十人いたはずの戦闘員たちは全員が無力化され、低い呻き声がそこかしこで上がっている。

 そしてその奥では、確信していた勝利を打ち砕かれた百合香が、茫然自失といった様子で立ち尽くしていた。


「終わりだな」

「こんな――馬鹿な話が、あっていいはずがありません……!」


 百合香は憎悪の籠もった眼差しで実篤を見据えた。近くの気絶した戦闘員からナイフを抜き取り、真っ直ぐに実篤へと駆け出してゆく。

 だがそれを止めたのは、登悟でも灼でもなかった。

 既に解放されていた生体hIEが、実篤を庇うように前に立った。瞠目する百合香の腕をねじり上げ、一瞬のうちに組み伏せたのである。


「な――この、モノごときが、私にッ……!」

「実篤様の護衛は私の職務です」


 生体hIEは護衛用途のカスタムクラウドの記述に従い、百合香の手からナイフを奪って無力化する。

 その光景に、実篤が痛ましげな表情で歩み寄った。


「……君が、そこまで僕のことを想ってくれているとは気付けなかった。だが――すまない。僕は君の命とメディの二択を迫られても、どちらか一方を選ぶことはどうしてもできなかった」


 百合香が貞淑さをかなぐり捨てた表情で奥歯を噛み締め、呪詛のように言葉を吐いた。


「ゴミのような優しさ。狂っています。hIEに欲情する変態など、こちらから願い下げですッ……!」

「……うん、でもそれが、僕の答えなんだ」


 実篤は自分の選択を確かめるように一つ息をつくと、携帯端末を取りだして警察へと連絡したのだった。

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