02

 鷺森さぎもり威力探偵事務所は、新市街と旧市街のちょうど境目になる位置に建っていた。

 この一帯はインフラの更新に際してコストと見合わないことから後回しにされた区画で、およそ五十年ほど前から街並みの更新が止まっている。鷺森威力探偵事務所が収まっているのも、立ち並ぶ老朽化した雑居ビルの一つで、ともすれば廃材置き場と見紛うばかりの殺風景な外観をしていた。

 取り敢えずしゃくに生体hIEの処置を任せて、自分は事務室へと向かい、事のあらましを説明した。


「お人好しめ」


 一通り聞いてから、事務所の主である鷺森詠子さぎもりよみこは呆れ顔を浮かべた。

 アンニュイな雰囲気を漂わせた、外見は二十代前半の美女だ。時代錯誤も甚だしいゴシックドレスを身に着け、首に藍色のペンダントを掛けている。長い黒髪を背もたれに広げ、脱力しながら煙草を吸う彼女は、一見しただけでは本当の年齢が掴めない。――実際のところ、彼女の年齢は外見の四倍程度であることを登悟は知っていた。


「反hIE主義の諍いに首を突っ込んで仲裁して、返却のサービスまで請け負うつもりか」

「放っておいて御用になるよりマシだろうが」

「その一方的な善意に私を巻き込むな戯け。外見が骨董品のヤンキーなら、猿同然の振る舞いを心がけていればいいものを」

「あんたは猿を雇うのか?」

「腕と目が試せるのなら、猿と言わず人形でも構わないのだがな」


 完全に人権を無視した物言いに、登悟は思わず奥歯を軋らせる。

 とはいえhIEの所有者確認まで詠子に一任している登悟としては、これ以上強く出ることはできなかった。詠子は網膜上のウェアラブル端末の表示を気怠げに眺めていたが、やがて「ほう」と呟きを漏らした。


「お前にしては、非常に珍しいことに、当たりを引いたのかも知れんな」

「あん?」

「ここに来る前、上客が来たと伝えただろう」

「それが?」

「あの生体hIEのオーナーが、その上客様だ。神宮寺実篤じんぐうじさねあつ。世界有数の医療メーカーを経営する神宮寺家の嫡男だ」


 壁にもたれていた登悟は目を瞬かせた。


「そりゃ奇妙な縁もあったもんだな」

「依頼の内容も、身辺がキナ臭いから調査してくれという曖昧なものだったが、なるほどな」


 詠子は一人で頷いている。登悟は眉をひそめて、

「hIEと依頼に関係が?」

「十中八九色恋沙汰だ」

「はあ?」


 掛け値無しで意味が分からず訊き返した登悟に、詠子は得意げに紫煙を吐き出す。


「考えてもみろ。富裕層の人間なら、生体hIE一機くらい、人工臓器の製造も含めて余裕で買い直せる。わざわざ私たちのような日陰者の団体に調査依頼を出す必要はない」

「まあ……隠したがってるって印象はあるわな」

「反hIE団体の裏にいるのが、企業なのか個人なのかは分からんが、私には人間に似過ぎている生体hIEにまつわる恋愛模様が透けて見える」

「あんたの偏見も混じってないか」


 とはいえ、生体hIE一機に執着しすぎているという点には同意し、登悟は一つ息をついた。

 ちょうどその時、扉が開き、件の生体hIEと、艶やかな和装の少女が入ってきた。

 少女――灼は、今日は象牙色の着物に深紅の羽織という出で立ちだった。小柄な体ではあるものの凜とした立ち姿で、こちらに向けて小首を傾げると、長い深紅の髪がふわりと首筋に掛かった。


「言われた通り綺麗にしてあげたけど、これでいいかしら」


 そう言って灼が促したのは、先程の痛々しい外見からいくらか健康的な姿になった生体hIEである。血糊は洗い落とされて、裂けた人工皮膚は包帯で固定されている。土埃と血で汚れた服は新調され、浮かべる表情も穏やかなものに変わっている。

 ありがとうございました、と律儀に礼をしてくるhIEに、登悟は軽く手を振って応じた。


「優しいところもあるのね、登悟」


 穏やかに言ってくる灼に、登悟は仏頂面を返す。


「まるっきり善意ってわけでもねえよ」

「見逃さずに立ち寄ったのは、放っておけなかったからでしょう」


 そう言われれば反論のしようもない。事実、殴られているのがhIEであろうが人間であろうが、諍いの気配を無視して通り過ぎることもできたのだから。


「……気紛れだ」

「この調子で、私への態度も少しは柔らかくしてくれると助かるのだけれど」


 登悟は根深い警戒感を抱きながら灼を見返した。だがその一方で、彼女の存在を許容するラインは日に日に下がってきており、内心では危機感を覚え始めていた。


「さて」


 煙草を吸ってくつろいでいたはずの詠子は、何故かその表情に生き生きとした邪悪な笑みを浮かべて、空中に短くハンドサインを描いている。詠子の指の軌跡を読み取ったペンダント型の端末が、縁を朧に発光させて通信を行っているのを、登悟は露骨に顔をしかめて眺めた。


「何する気だ」

「善は急げと言うだろう。金づる、もといクライアントに、大切なhIEを保護したからついでに商談に入りませんかとメッセージを送っておいた。お前は茶菓子の準備でもしておけ」


 外見が二十代の老婆にたかられる富裕層の彼に、登悟は顔も知らない相手ながら同情せざるを得なかった。

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