イマジナリ・ハーツ

流川真一

Case-001 Soulless Lover

01

 九條登悟くじょうとうごがその現場に居合わせたのは全くの偶然だった。

 ヤンキー風の外見が人目を惹くことから、登悟は表通りを歩くことを好まない。その日も呼び出された事務所へと向かうために、旧市街の通りを歩いていた。

 その時、日中に聞こえるにしては剣呑すぎる打撃音が、路地の向こうから響いてきたのだ。


「おい、こいつ人間じゃないだろうな?」

「安心しろ、識別反応はある……けど」


 流石に無視するわけにもいかず、数人の男たちの声がする方へと向かった。

 そうして路地を折れたところで、凄惨な現場が目に飛び込んできた。

 日中でも薄暗い裏通りに、血の海が広がっていたのだ。よほど激しく殴打されたのだろう、飛散した血液は建物の壁にもべったりと付着している。

 その血の海の中央には、一人の女性が横たわっていた。その周辺を、金属バットを握りしめた数人の男たちが取り囲んでいる。

(おいおい……)

 流石の登悟も肝を冷やしたが、何やら様子がおかしいことに気がついた。

 というのも、血の海に倒れ伏している女性が、まるで痛みを感じていないかのように身を起こそうとしているからである。

 頬や腕、腹の辺りには痛々しい殴打の痕が刻まれ、裂けた皮膚からは大量に出血している。普通の人間であれば意識を失うか、瀕死に陥りかねない傷だ。

 それでも動いているということが何を意味するのかといえば、

(hIEか)

 二十二世紀現在、家電として広く普及しているhIEであるという結論に至るしかない。

 当然ながら、hIEに血液など流れているはずもない。しかし登悟はその例外となる存在を知っていた。

(生体パーツを使った特注品か)

 そこまで分かれば状況の把握は容易い。おおよそ、反hIE主義の男たちが、目に付いたhIEを攫って破壊しようとしたはいいものの、打撃を加えたら派手に出血して動揺している――といったところだろう。


「このっ……」


 まだ二十を超えたばかりだろう若い男が、血を流すhIEに向けて止めの一撃を加えようとする。

 その合間に割って入り、革手袋を嵌めた右手で金属バットの一撃を受け止めた。

 鉄同士が衝突したかのような鈍い音が路地に響き渡る。普通の人間であれば手の骨を残らず砕かれているだろうが、しかし衝撃で体勢を崩したのは、むしろバットを振り下ろした男の方だった。

 単純な驚愕と、人間に危害を加えてしまった恐怖で身を竦ませる男を、登悟は威圧を込めて睨みつけた。


「阿呆なことやってないでとっとと帰れ。胸糞悪りいんだよ」


 吐き捨てる登悟に、男たちは息を詰めて口を噤む。

 その理由は、登悟に気圧されたからだけではない。

 彼の右目が、まるで人間とは全く別種の存在のものと入れ替わってしまったかのように、鮮やかな青色に発光していたからである。


「もっとも、一人残らず現行犯で御用になりたいってんなら止めはしねえがな。或いは、その結構な得物で俺を殴り殺すか?」


 血液がべったりと付着したバットを顎で示しながら言うと、今度こそ男たちは戦意を喪失した。

 満足な捨て台詞も残せず、慌ててその場から去っていく男たちを見ながら、登悟は不愉快そうに鼻から息を吐く。


「言えた立場じゃねえが、モラトリアムってものも考えもんだよなァ……」


 さて、と呟いた登悟の瞳は、既に黒色に戻っている。

 視線の先にある破損した生体hIEは、一見しただけでは重傷の人間にしか見えず、登悟はうんざりと顔をしかめた。


「何処のボンボンだよ、ったく」


 医療用であろうと愛玩用であろうと、生体hIEを所有しているのは富裕層の人間が大半だ。単純に単価が高いということと、生体パーツを使っているせいでメンテナンスのコストが段違いに掛かるからだ。

 無視して帰ろうかとも思ったが、中途半端に首を突っ込んで見過ごすというのは性に合わないし、いくら旧市街とはいえどこに監視機構が設置されているか分かったものではない。ここで逃げ出せば、あらぬ罪を着せられて余計に面倒なことになる可能性があった。


「しゃあねえな……」


 登悟は愚痴りながら、自分のシャツを裂いて適当にhIEの止血を施し、その上から上着を羽織らせて血を隠した。

 十一月の冷気が、容赦なく半袖の上半身に突き刺さるが、幸いなことに事務所はすぐそこだった。登悟は動きの鈍くなっているhIEの手を引いて行動選択を補助してやると、足早に歩き出した。

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