帰省Ⅵ

「すごいぞ!今回も1位じゃないか」

父さんは塾の成績表を見て言った。屈託のない満面の笑みで、父さんが本当に喜んでいることが分かる。

「そうでしょー?僕、今回は不安だったんだけど、頑張ったんだよねー」

僕も褒められて嬉しくなる。

「こりゃ、将来は大物になるな」

「えぇ〜?そうかな?」

「そうだとも」

エヘヘと僕は笑い、父さんも笑った。

僕は照れながらも悪い気はしない。父さんはあまり僕にその話をしないが、父さんは大手企業の社長息子であり、きっと父さんも子供の頃、親に期待され、たくさん努力してきたのだろう。

「でもね、最後にはひろとの好きな仕事に就きなよ」

母さんはあくまで優しい。元アナウンサーなのだから母さんだって僕にいい職業に就いてほしいはずなのだが、僕にあまり負担に感じさせないためだろう。

「ありがとう」

僕は母さんの親切にお礼を言った。

「いや〜、でも父さん嬉しいよ。ひろとがちゃんと努力してくれて」

僕は改めてニッコリほほえむ。「ちゃんと」という表現になにか引っ掛かるものを感じるが、父さんとしては特に意図は無さそうだった。

「ほんと、母さんも嬉しいわ。次も頑張ってね」

僕は嬉しく思いつつも、やはり何か違和感があるような気がした。なぜそんな風に思うのか、自分でも少し疑問だった。

「自信持てよ、ひろと」

父さんは拳で胸をポンポンと叩きながら言った。

「ひろとは父さんと母さんの子供だからな」

僕はついに強烈な違和感に苛まれた。父さんや母さんの言葉に多少、引っかかりを覚えたのは勘違いではなかった。いまの父さんの言葉を真正面から受け、僕は明確にその違和感の正体を理解した。

頭の端をふっと田村君の顔がよぎる。

「僕はそんなんじゃない」

僕は小さな声で言った。

「えっ?」

父さんは不思議そうな顔をする。

「僕はそんなんじゃないんだ。僕は血統s……」

思わず飛び出そうになった言葉を僕は口を押さえて制止する。

「けっとう…?」

父さんは依然としてよく分かっていない風だ。

「ううん、なんでもない。ありがとう。次も1位取るから見といてよ!」

僕は屈託のない満面の笑みでそう言った。僕は父さんと母さんの言葉に強烈な違和感を感じたが、それに勝るほどの強烈な違和感、そして不快感を催したのは、まさに僕の最後の言葉だった。


 朝の食卓を思い出しながら、僕はぼんやりと授業を受けた。授業は簡単で、話を聞いておらず、急に質問されたが、それでも普通に答えることができた。

 僕は一体何を望んでいるんだろう?たしかに僕は誇れるくらい努力した。だけど…。「血統書付きの馬鹿な犬」。これは田村君の言葉だ。僕はその言葉に不思議と勇気づけられたし、救われた気もした。でも一体なんでだろう。馬鹿ってどういう意味だろう?やっぱり僕は馬鹿なのだろうか?

 それは純粋な疑問だった。

 田村君に聞いてみたかったが、あいにく今日は休みだった。僕は次に会った時にきっと聞いてみようと思って、しっかりと頭に刻んでおく。

 僕は真面目に努力した。それだけは嘘じゃない。

 僕の心は激しく揺れていたが、今はそのように結論付けた。また、僕にはとりあえず結論をつけて、この思考の循環を止める理由があった。

 僕が以前より考えていた、とある計画の実行日は、まさに今日この日であった。

 今朝のことで僕はどうかしていたのだ。訳の分からない思考の沼に嵌って肝心なことを見失っていた。

 昨日の夜、ついに怯えた心に打ち勝ち、計画の実行を決意したのだ。


 四時間目の終わりを伝えるチャイムが校舎全体に響き渡る。僕は算数の教科書をランドセルにしまい、その他の教科書と筆箱も一緒に片付ける。友達と話しながら給食着に着替え、配膳し、食べる。コーンスープ、コッペパン、竜田揚げ。あと、牛乳。今日は当たりの日だった。しかし、その間も、やっぱり僕の頭からその計画のことが離れることはなかった。

 みんなでご馳走の挨拶をすると、その後は自由時間になる。校庭で遊ぶ人がほとんどだが、中には図書館に行く人もいるし、まだ食べ終わってない人は多少べそをかきながら竜田揚げに添えられた、しおれたキャベツをつついている。ほんとうにみんな自由に過ごしている。しかしだからこそ、みんな他人の行動にあまり注目しない。そう、たとえば僕が、ランドセルを背負って校門を抜けて行ったとしても。

 僕は帰らなければいけない。今日を逃せばもう次のチャンスがいつになるか分からない。僕には確かめることがある。

 僕は今まで学校をサボったことがなかったので、昨日、親にバレないサボり方を田村君に聞いた。

「ん〜?俺なんかは先生も諦めてるから何も言われないけど…」

田村君は思考を巡らせるように斜め上の方を見て難しそうな顔をしていたが、ふいに口角を上げて微笑み、「いい方法あるぜ」と言った。

「なに?」

「結論から言うとな、急にはなるけど明日、午後になったら帰れ」

「え?明日?どういうこと?」

「うん、なんでかって言うと、そもそもの話、基本的には先生は親に連絡すんだよ」

僕は頷く。

「だけど、一個抜け穴があって、なんでか知らないけど、先生っていうのは昼休みを跨いで午後からいなくなった生徒に対して無関心なんだよ」

「そうなの?」僕は驚く。

「朝の確認の時にいればそれでいいのかもしれない。翌朝いろいろ聞かれるかもしれないが、その時には頭が痛くなって帰ったとか適当に言っておけば、親にはバレず、休んだことはうやむやになる」

僕は感心した。決して褒められたことではないのだろうが。

「でもな〜、ひろとって模範的だから先生から信頼されすぎてんだよな」

「そんなことないと思うけど」

「いや、あるね。うん、だから、ひろとがいなくなったら流石に先生も連絡するかもしれないな」

「じゃあ、どうすればいい?」

「だからこそ明日なんだよ」田村君の自信ありげな言葉に、僕は「おお」と声をあげる。

「つまりな、明日、金曜の午後は体育が二時間連続してるだろ?そこでひろとは抜けるんだよ。体育は村上先生だから、担任に伝えて親に連絡をよこす、みたいな面倒なことをわざわざ、それも午後の授業にやらないだろ?」

「たしかに」田村君は天才かもしれない。

「まあ、なんで休みたいのか知らないけど、うまくやりなよ」

「うん」と僕は頷く。

「あ、ちゃんと結果は教えてね。そこが一番おもしろいんだから」


 田村君の提案はさすがと言う他なかったが、実はこの計画は家に母さんがいないことも大切な条件だった。いや、むしろ、そちらの方が大事な条件である。とにかく、家にひとりでいる必要があった。

 母さんは専業主婦だから、きっと明日も一日中家にいるだろう。僕はそう思って落胆する。母さんが明日、家にいるなら休んでも意味がないじゃないか。

 その状況が変わったのが今朝だった。

 朝ごはんの前、何気なく母さんに今日の予定を聞いてみたのだ。

「ああ、母さんね、今日は午後からちょっと、昔一緒に働いていた人との用事があるんだよね。ひろとが帰ってくることには戻ってると思うけど…それがどうしたの?」

絶好のチャンスだった。これを逃して、いつまた母さんにバレず、その計画を実行できる日が来るだろうか。

僕は今日の決行を心に決め、そして今に至る。

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