[第四章:あなたは、どうする?]その3

「…?」

 彼女は、ぼんやりと顔を上げる。

「……ぅ」

 傷は深く、体に刻み込まれたダメージは大きい。

 それゆえに視界は定まらず、今目の前にあるものを認識するのも困難だった。

(私は…)

 ぼんやりと、彼女は記憶を辿る。

(…誰もいない…ここに…)

 昨夜、彼女は身を隠す場所を朦朧とする意識の中探し、真夜中でもカラーヤの気配がないここへ、半ば無意識に転がり込んだのだ。

(私は…)

「…ぅ」

 口は言葉を紡がない。

 傷つきすぎた体は、そんなことをする力すら発揮できない。

 できたのは、朝の時間も終わるころ、部屋の扉を開けた相手に反応する程度だった。

「…ぁ」

 そして、それも長くは続かず、上げた顔は力なく床へと落ちた。

(……私…)

 詳細な記憶も思い出せず、意識もはっきりとしない。

 そんな中、彼女は感じる。

(…呼んで…)

 誰かが、耳元で呼んでいる。自身の名前らしきものを言って、体をゆすっている。

 それを彼女はなんとなく感じるも、同時にどこか遠いことのようにも思えてしまう。

「…」

 扉が開かれた音と言う刺激により、短い間だけ目覚めた意識は、薄れ始める。

「…み…!」

 二文字の言葉。

 その後ろ半分のみを聞いたのを最後に、彼女の意識は暗闇に落ちていった。


▽―▽


「…?なにこれ」

 チョコの住む集合住宅。その外周には塗装作業用のやや狭目の通路が存在している。

 せり出すように存在するそれは、下の階の頭上にあったのである。

 そして。

「手袋?」

 そこから落ちてきたものを見て、下階のカラーヤは首を傾げた。


▽―▽



「…ぅ」

 目を覚ました純が見たのは、見知らぬ低い天井だった。

「…」

 彼女の自室と少し似ているが、それよりも小さい。

 粋が頭上からベッドに飛び込んでこれるだけの大きさのある、あそことは違う。

 [天塔]内に作られる、個人の住人を想定した、集合住宅特有の大きさだ。

 顔や目を動かさなくとも、天井の端と両端の壁を視界の隅に見ることができる。

「…ここは」

 呟き、純は首を動かし、ゆっくりと周囲を見る。

「……誰か、の…部屋…」

 周りには、天井を見た時から分かる通り、狭い一室が広がっている。

 二人以上のカラーヤが住むには、スペースが足りないと言わざるを得ないものである。

 そんな場所で、たった一つ置かれたベッドの上に、純はいたのだ。

「…私は…」

 どうしてここにいるのだろうか。

 純がそんなことを言おうとした時だった。

「…あ、純…」

「…?」

 玄関が閉まる音共に、自身の名を呼ぶ声があった。

 純は至近距離からのそれに反応し、視線を声の出所に向ける。

 そうして目に入ってきたのは。

「…チョコ?」

「…ええ」

 どこか沈んだ表情で答える、彼だった。

「…チョコ…」

「…久しぶりですね。まさか、家で再会とは…思いませんでしたけど」

 チョコの家で、という意味の言葉で、純はここに来たときの記憶をぼんやりと思い出す。

(私…落とされるときにどこかの住宅に跳んで…その後どこかの部屋で、倒れたんだっけ)

 それが、偶然にもチョコの部屋だったのである。

 [色抽出機]を巡って対立した、かつての仲間である彼の。

(…なんか、凄い偶然だね…)

 そんなことを思っていると、チョコは手に持っていた荷物を、瓶が隅においてある、机の上に置く。

 黒い手提げカバンであるその中には、若干の重量感が見て取れた。

「…それは…?チョコ…」

「…医療用の道具とかです。あなたのための」

 それを聞いて、純は少し驚く。

「…私を…助けて、くれるの…?」

 その問に対し、チョコはどこかぼうっとした雰囲気で答える。

「…まぁ」

「チョコ…!」

 純は、彼の肯定に、残る疲労ゆえにやや力なく、しかし本心から笑う。

 それは、彼女が彼に対し、全くの悪感情を持っていない証拠だった。

「…ありがとう、チョコ…」

 もとより、裏切られたことで、彼を嫌うことはない。

 純は、自分の行為の意味も、チョコの主張も分かっている。

 だから、裏切られたことで悲しくても、元来の温厚な性格もあって、怒ったり憎んだりすることは決してない。

 チョコへの印象は、塔で生活していた時とそこまで変わっていないのである。 

 ゆえに純は純粋に、チョコが自分を介抱してくれることを、一切のマイナスの感情なく、嬉しく思えた。

「………」

 そんな純を余所に、チョコは黙々と手当てのためのものを取り出し始める。

 彼女はその様子を見て、

「…でも、どうして?」

 そう、問いかける。

 かつての(偽りのものだとしても)仲間とはいえ、純とチョコはなれ合えないはずだ。

 [色抽出機]を破壊し、色神を助けようとする者と、[色抽出機]を守り、カラーヤの生活を維持しようとする者。

 両者は、どうやっても対立せざるを得ない。

 それは、先の[色抽出機]の前での戦いで、証明されている。

 にも関わらず、チョコは何故こんなことをするのか。

(嬉しいけど…)

 ただ、それが疑問だったのだ。

「…それは」

 チョコは、純の言葉を受け、何かを言おうとする。

 だが、その先の言葉は出なかった。

 代わりに、彼は別の言葉を口にする。

「…無理しないでください…純。傷も多いし、[染水]の流出も多い。あまり動いていると、よくないです…」

「…うん」

 実際、多少疲労が回復した程度だ。傷はまともに治っていないし、失った[染水]は戻ってこない。

 以前、純の体は万全には程遠い。

 そのことを自覚し、純はひとまず、チョコに身を任せることにする。

「…」

 そして、お互いが無言の中、純の体は少しずつ治療されていく。

 包囲の際に受けた擦過傷は包帯を巻かれ、[染水]が流れている裂傷は、強めに包帯を巻くことで強引に流出を止める。

 …静かに、治療の時間が流れていく。

 そんな、あるときだった。

「…純」

「…何?…チョコ?」

 体の汚れは洗濯用の混合物で軽くとられ、大破した修道服は、全て脱がされ、ウィンプル以外はゴミとしてまとめられる。

 その後に体に包帯を巻かれている時、ふとチョコは呟いたのだ。

「…純は、元気になったら…また、[色抽出機]を壊しに行くんですか」

「……。それは、うん。それに…」

「それに…?」

「…他にも助けたい子どもも、いるしね」

 そう言って純が思い出すのは、[カラーディアン]の頭部に入れられていた、黄緑の色神だ。

 彼もまた、苦しみの中利用され、さらには助けを求めるように、純へと手を伸ばしていたのだ。

(だから…私は助けに行きたい)

 そう思いつつも、何故チョコが聞いてきたのかと思い、純は尋ねる。

「それが…どうか、したの…?」

「……いえ…」

 俯き、消え入るような声で、チョコは言う。

 それっきり何かを言うこともなく、彼は治療を続けた。

 包帯を巻き、チョコの替えの服を、純に着せるなどして。

 そんな一連の動作を行われた純は、再びベッドへと寝かされた。

「……」

 純はベッドの上で休まされる中、チョコを見る。

(何か…あったのかな)

 そう思った純は、[色抽出機]の前で、チョコに真実を明かした時のことを思い出す。

 そういえば、あの時。

(チョコは、ショックを受けていた)

 もしかしたら、そのせいで、チョコはここまで苦悩しているのかもしれない。 

 そんなことを純が思っていると、

「純…[染水]…だいぶ失いましたよね…?」

「…?それは、そうだけど…」

「なら…これを」

 言って、チョコはあるものを指し出す。

 それは、つい先ほどまで、机の隅においてあった瓶だ。

「これって…もしかして」

 純はそれを見て、目を見開く。

「ええ。…[無垢染水]ですよ」

 瓶の中で、チョコの手の動きによって揺れる、透明の液体。

 それは、間違いなく無色の[染水]、[無垢染水]であった。

「…この塔のカラーヤに、そんなに高頻度ではないですが、支給されているものです」

 言いながら、チョコは純に瓶を握らせる。

 飲んでくれと言わんばかりに。

 それを察し、純は躊躇する。

「…でも、いいの?」

 純は、[無垢染水]を見る。

 [色抽出機]でつくれるとはいえ、その効率が非常に悪い上に結構な数のカラーヤがここにいることから、その瓶の中の物だって、すぐ手に入るというほどでもないだろう。

 それを、わざわざくれるというのだ。

 しかも、その供給手段を断とうとこれまで活動してきたカラーヤ相手に。

「私を手当てしてくれたのもそうだけど…チョコ、どうして…」 

「私にも…よくわかりません」

 本当に、言葉通りでありそうな雰囲気で、チョコは言う。

「…ああでも、もしかしたら私は…」

 少し考えをまとめるように沈黙し、彼は言った。

「…純に、自分がどうすればいいのかを、聞きたかったのかも、しれませんね」

「……チョコ…」

 それから再度の、沈黙が横たわる。

「…」

 最終的に純は、[無垢染水]の大量流出によって自身の生きていられる時間が極端に短くなったことで、色神助けをられなくなると考え、自身の時間を伸ばすため、瓶を飲むことにした。

 それが色神を苦しめてつくられることに複雑な思いと、チョコへの感謝を抱きつつ。

 そして、それからしばらくして、チョコは再び口を開いた。 

「…純」

「なに、チョコ…?」

 体内の[染水]が増え、先ほどより元気になった声で純は答える。

 それに対し、返される言葉は。

「…少し、話を…聞いてくれませんか」

 力ないものだった。 

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