[第二章:交流の日々]その4
「準備は進んでいる」
ルパイは呟く。
彼の見下ろす[天塔]の下部では、多くのカラーヤや[カラーズハート]が動き、準備を進めている。
遅くても一か月、早ければ二週間ほどで計画の最終段階への到達を可能にするために。
「…頑張ってくれているだろうか」
ルパイが思うのは、純のところへと送り込んだ、チョコのことだ。
正義感の強い、彼の。
「…信じよう。彼は必ず、純・カラーブックを誘導し…排除へと繋げてくれると」
(そうしなければ、ならない。チョコは、それを十分わかってくれている)
だから、自分たちは彼を信じ、準備を進める。
「…純・カラーブック。父の話では彼女は…」
ルパイは、今はなき、父の言葉を思い出す。
「…だからこそ、彼女は…最も障害となる。カラーヤの平和で満ち足りた生活には」
眼下では、準備が進んでいく。
ルパイの頭上、遥か上の方には一つの[色抽出機]に見下ろされる中。
「…夢を…思いを描き出す、キャンバスか…」
(…その存在が、俺たちカラーヤの世界を支えていた…)
彼は思う。
自分たちとは違う、ある存在のことを。
「…あれは、かつての誰かの夢を、思いを実現したものだった。そして…それがなされる時間は終わった…」
(今は…別の思いを受けて変わっている)
彼が想像するのは、長い時を経て絵の具が落ちた紙に、別の絵の具で全く違う絵が描かれる様子だ。
「…そして今。俺は…」
そこから先を、彼は言わない。
ただ顔をしかめて黙ってしまう。
「…」
眼下の作業の喧騒が、ただ響いていた。
▽―▽
チョコが純たちのところに来て、一週間が経っていた。
「…」
朝の洗濯や、純の絵本作りの手伝い、粋の運搬作業の補助。
どこかを襲撃しに行くこともなく、拍子抜けするほどの平和で牧歌的な時間が、流れている。
純は優しく、粋は気が良い。
そんな二人とともに、チョコは落ち着いた日々を過ごしていた。
…が。
「…なんなんですか」
流れる時間の落ち着きに対し、チョコの心は少しずつ、そして確実に乱れていた。
「…どうして、こんなに…平和で、明るくて…悪いものがなにもないんですか」
チョコは夜、自室のベッドの上で一人呟く。
同時に思い出されるのは、ここまでこの島で過ごしてきた時間だ。
そしてそれに、チョコは戸惑ってしまう。
「…あんなことをする連中なら、日常にもその片鱗が現れてもおかしくないはずです…」
そうチョコが思っても、日々は平和で、優しい。
日常を形作る純と粋は、悪意も何も見せることなく、善人のごとく振る舞い続けている。
加えて、それはとても演技には見えず、彼女らの素のように見えた。
「…この矛盾は。他を害するカラーヤがあんな雰囲気を…」
現在、チョコの中での純たちの印象は、当人の意思に反し、少しではあるが良い方へと傾いている。
たった一週間の触れ合いが、それを実現したのである。
そしてそれゆえに、チョコは戸惑う。
「…純たちの行為の悪質性は…それによる被害は間違いなく本物。その害を受け、苦しんだカラーヤの気持ちも本物」
チョコは、自分を送り出した[菓子団]の仲間や、純たちの被害者の話を思い出す。
「…」
語られる生活の崩壊は、確実に最低最悪なものだ。変えようのない事実で、許されることではないし、許す者などいない。
そしてそれを理由とし、チョコは純たちをただ悪と思っていたのだ。己の持つ正義感と、被害者への共感のために。
…だが、共に過ごしたことで、その認識は変わり始めている
「…分かりません…」
他者を傷つける極悪人なのか、他者に優しい善人なのか。
「…純たちは…悪いカラーヤ…のはずなのに」
他者を害するに等しい行動と、他者に優しくする、相反する二種類の行動。
想像とは違ったことに、それより良い純の印象に、彼の心は混乱し、戸惑っていた。
「…なんにしろ、です」
彼は今一度、純による被害者たちのことを考える。
「…私は、正しい事をするんです。悪いカラーヤである純を懲らしめ、止める。そうするんですよ」
そう口に出すことで、戸惑いを押し込めようとし、さらに意識を逸らそうと、チョコは外を見る。
「……もう、夜も遅いですね」
[天塔]が立つ島を見下ろす空は、夜の時間を示す、青系統の淡い光を放っている。
昼間のように明るくなく、目を閉じれば入ってくることもない光量。
それが島やその周囲の海([反染海]と正式には言う)に降り注ぎ、幻想的な光景を生み出していた。
「そうです、気分転換でもしてきましょう」
言って、チョコはベッドから立ち上がる。
そして、寝間着に長めの髪をほどいたまま、部屋の外へ出る。
「…静かですね」
現在、時刻は深夜だ。カラーヤも一応生物であるため、ある程度の休息は必要であり、そのために純たちは寝ているはずである。
「…一週間で、すっかり道も覚えてしまいましたね」
好印象を得るため、積極的に純や粋、さらには徒花の手伝いをしていたチョコは、よく使われる通路に関しては、もはや完全に把握している。
今ならば、目を瞑った状態でも進むことができるだろう。
「……外へはこっちでしたね」
チョコは突き当たった角を左に曲がる。
「…森の中を歩いてでもいれば、少しはスッキリするはず…」
廊下の窓から外を見ながら、チョコは行く。
「……私は戸惑っている場合じゃないです。私は計画を進めなくてはいけない。被害者のためにです」
独白し、彼は外へと歩いていった。
「…チョコ」
そんな彼を、影から見ている者が一人いた。
「…計画、ね…」
彼の独り言を、しっかりと聞いていたものが。
「……まぁ、仕方のない事よね、これは」
純と同じ、修道服を着こんだ彼は静かに笑う。
だがそれは、嬉しさや企みによる笑いではない。
…仕方のなさゆえの、どこか暗いものであった。
▽―▽
「……」
その身には価値があった。
「……」
崩壊の折、願われたことがあった。
「……」
それを受け、彼らは、彼女らは生まれた。
「……」
そして今、利用されている。彼らの持つ、特異な性質に由来する有用性から。
「……」
彼らの意思は尊重されず、気にされることもなく、ただ使われる。
そうすれば多くが上手くいくために、彼らは今なお、使われる。
「……」
苦痛を感じながら、優しさに触れることもないままに、今日も、明日も、暗い闇の中にい続けるのだ。
「……助けて…」
誰もが、誰にも聞こえない中、そう言う。
抵抗する力もなく、ただそれだけを。
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