暗黒の魔眼

 飛翔する二翼の黄金。

 ヴィクターもまたそれを避けるのは至難と知っていた。

 ゆえに近くにいたスケルトンから粘土板を受け取り、骨指で撫でた。


 それは魔術式の刻まれた魔道具。

 現代における羊皮紙スクロールと同質もの。


 遺跡の地面がせりあがり石壁が出現。

 黄焔の鳥による爆撃を防いだ。


 爆炎が晴れたあと、石壁は真っ黒に焦げていた。

 ヴィクターは一瞥して、つまらなそうな顔をする。


「大した威力だが……まったく不足だ。まさかこの程度なのか、魔術師」


 マーリンが言葉に詰まると、ヴィクターは呆れたように首を横に振った。


「想像していたより遥かに弱い。期待外れも甚だしい。優れた才覚ではある。だが、未熟だ。まさかこの程度で、本気で私を倒せるつもりでいたとは。決闘にでも応じてやろうと思ったが、興が醒めたわ。──デュラハン、そのゴミを掃除しろ、不愉快だ」

 

 一陣の黒風が動いた。


「マーリン!!」


 シェルティの叫び。

 マーリンはハッとする。


 ガンッ!

 

 金属がぶつかる音。 

 シェルティの恵体が吹っ飛ばされる。

 背中に乗っていたマーリンは落鹿し、地面に投げ出された。


「──防ぎますか。よく見えていますね」


 黒鎧の騎士はマントをひるがえして丁寧な口調で言った。剣を振り抜いた姿勢のまま。首から上がないその騎士。手には丈夫そうなブロードソードを握っている。


「はわわ、アイザック、ありがとうございます……っ」

 

 シェルティは傷だらけの顔に汗をにじませ、亡き友に感謝を述べる。斬りこんできた剣を咄嗟に防ぐことができたのは、『半鹿の七つ道具マルチツール・オブ・シェルティ』にあしらわれたミスリル部位があったからだ。


 デュラハンはそのことに奇妙な違和感を覚える。

 ソレだけが異常だったからだ。


(なんだあの弓は……?)


「そいつを潰して!」


 近くにいたゴーレムが首無し騎士デュラハンへ腕を叩きつけた。

 デュラハンはとっさに身を翻して回避。

 ガシャリガシャリと音を立て、重たそうな体で跳躍。岩腕を二歩で駆けあがった。剣を一振り。ゴーレムの腕が胴体から外れる。さらに背中にあるルーンへ狙いを定めて、ブロードソードの厚い剣先を鋭く突き刺した。


 魔術式の要たるルーンを壊され、ゴーレムが沈黙する。デュラハンは動かなくなったでくの坊を踏みつけたまま、剣についた傷を気にする素振りを見せる。


「柔らかいゴーレムですね。剣が痛まずに助かります」

「ま、マーリン……こいつ、まずいかもです」


 明確な危機。眼前のデュラハンの戦力は、岩石ゴーレムを大きく上回っている。

 デュラハンはマーリンを見やり──目はおろか頭もないが──、一歩近づこうとして、

「おっと」

 と軽い調子で言いつつ、ゴーレムの上から飛びのいた。


 背後からギガガブリが槍で突きかかったのだ。

 距離をとるデュラハン。ギガガブリは威圧的に喉を鳴らす。


「がるる! マーリン殿、あれは私がやる! あなたは不死王を! やれるのはあなたしかいない!」


 ギガガブリは槍を放り捨て、仲間から石棍棒を受け取りつつ、告げた。


 マーリンは決死の覚悟で不死王を凝視する。

 黒い瞳。そこに秘められた力を解放するために。


 石棍棒で殴りかかる。ブロードソードがそれを弾き、斬り返す。木盾で角度をつけて斬撃を受け流そうとする。剣撃の衝撃力が高い。ギガガブリは衝撃を流しきれず、盾をはやくも取り落とした。


(こいつ、強い……っ!)


 ギガガブリは棍棒を両手に握りしめ、腹をくくった。

 次の攻防で恐らくは決着がつく。

 それを悟れぬ彼女ではない。

 そして敗者もほぼ決まっている。


「それなりにできるようですが、私の相手をするには不足です」


 デュラハンは言いながらさほど警戒した様子もなく、雑に斬りかかる。と、その時、矢が飛んできた。燃える矢だ。剣で斬り払う。


 燃える矢はたやすく弾かれてしまい、へなちょこな軌道で離れた場所に落下──爆発を起こした。人間サイズの生物なら致命傷を与えられる威力だった。


(いまの矢、魔術が込められている……!)


 デュラハンの警戒度があがる。

 視線の先7m、シェルティは次の矢をつがえんとする。

 手にした弓には魔法金属の艶やかさと輝くルーンが連なっている。


(見間違いではないですね。やはり、あの弓は強力な魔道具。他のブツとは質が違う。あのルーンの数、いったいどんな職人が手掛ければあんなものが……どれだけの力が秘められているのかわからない以上、注意しなくては)


 シェルティとギガガブリによる時間稼ぎ、周囲ではゴーレムとゴーレムが殴りあい、包囲を狭める死者と抵抗する生者が衝突──。

 空にはリッチたちから放たれた『火炎球』が弧を描いて獣人たちを吹っ飛ばし、狩人たちは弓矢の雨で白髄を貫いては、次のマトへ矢を放ち続ける。


 激しさを増す戦いの最中、マーリンの瞳に芽生えた闇の力が解き放たれた。


「お前を殺す──!」


 17秒の凝視。

 それは未熟さの時間。

 瞳にこめられた力を呼び覚ます儀式。

 

 掌握できていないため威力調整は不可。

 ただONとOFFを切り替えるだけ。

 魔眼の能力は視線対象の──発火だ。


 時は満ちた。

 呪いが作用する。


 ヴィクターの漆黒のローブよりも暗い、それはまさに暗黒の火。それはたちまち燃え上がり、不死王を名乗る不遜な怪物に真実の終わりを宣告する。


 そう思われた直前だ。

 復讐者と王の間に石壁がせりあがった。

 相手を呪い殺す黒焔は壁に着火、爆発的に燃え広がる。


「凄まじい魔力の波動。これがお前の魔眼の力か」


 マーリンの胸に去来する絶望。

 失敗した。失敗した。失敗した。

 唯一の秘策が無効化された。

 最後の切り札を外した。

 

 直後、マーリンは激しい痛みに襲われた。

 瞳が煮え立つような痛み。

 魔眼から血が噴き出す。


 マーリンは息も絶え絶えに、脂汗を顔中にかいて懇願するように見つめる。

 黒焔がともされた岩壁から半身をのぞかせ、ただ冷淡に見つめてくる不死王を。


「どう、して……」

「魔眼に刻まれた魔法は、”見る”ことを発動の起点とする。視界から遠ざかれば多くの魔眼の能力から身を守ることが可能だ。私が魔眼使いと対峙したことがないとでも?」


 長き時を生きる魔術師は、回答を期待ぜず問いかけた。


「それに見たところ、貴様は魔眼の力をまったく操れていないとみえる。修練が足りていない。使いこなせもしない魔法を振るうなど……話にならない。もう一度、言おう。お前ごときが、本当にこの”不死王ヴィクター・クンター”をどうにかできると思ったのか?」


 覇者たる者の圧倒的な覇気。

 マーリンは膝をつき、息を荒くする。


「腹立たしいことだ。本気だったとはな」


 不死王はその手に黒樹の大杖を握ったまま、空いているほうの骨手で宙に文字を描く。まるでこれから魔術の薫陶を授けてやらんと言わんばかりの横柄な態度で。

 

「久遠の時、積まれし地層、

   地母神の御手、なぞる巨人の指先、

  約定を犯す、許されざる法則、

   混濁した怒り、揺らぎ、揺らぎ、

      大地を開かん、

  ──『第六魔術:大地殻開口』」


 その詠唱は長く、読み上げる言葉ひとつひとつが力に満ちていた。

 その詠唱を止めようと矢がいくつも放たれた。

 その詠唱を阻止するべく戦士たちは立ち向かった。


 すべては千を超える兵の前で無為だった。

 やがて不死王の大魔術が作用する。

 大きな揺れが起こった。


 巨大な物音、崩れる足場。

 マーリンとシェルティは背後を見やる。

 

 大地がゆっくりと口を開けていた。

 数百という獣人が、逃れようとする。

 

 だが、誰も逃げられない。

 アンデッドたちもろとも巨大な穴に落ちていく。


 遺跡の真ん中、深さ10mほどの巨大な洞。ぽっかりと口を開けた底に、大勢の獣人が閉じ込められた。


 圧倒的な規模。圧倒的な影響力。

 ただひとりが戦場を終わらせた。


 すべての生者を支配しようとする怪物は、決して届き得ない、遥かな壁を幼き魔女に突き付けた。


「これが本物の魔術だ、未熟者」

 

 冷淡な声は告げた。

 

(うぅ、悔しい、悔しいよ、弟ぉ……こいつにとっては、この骸骨にとっては、最初からすべて茶番だったんだ。本気になれば、どうとでもできたんだ……!)


 マーリンの赤い瞳から涙がこぼれる。

 手のひらの上で踊らされていた事実。

 魔眼を手に入れ、希望を抱いた滑稽さ。


 格が違う。

 次元が違う。

 練度が違う。

 年季が違う。

 器が違う。

 

(本当にこいつの言う通りだ、勝てるかもとか、本気になれば、仇をとれるかもって、思ってた。とれるわけない。相手はあの弟を殺した化け物なのに。私の可愛くて優しくて、賢くて、お姉ちゃん大好きで、最強で、無敵の、弟を……!)


「うぅ、ぅぅ、ぅぁあぁぁ」


 あらゆる感情が混ざった涙。

 幼き魔女は完全な負けを認めた。


「目障りだ。まずはそいつから殺してやれ、デュラハン」

「御意のままに、不死王様」

「させるものか!」

「マーリンは殺させません!」


 ギガガブリとシェルティは威勢よく武器を構える。

 しかし、ふたりとも内心ではどうにかなると思ってはいなかった。


 終わりまで猶予はない。

 希望などありはしない。

 

 その時だ。

 遺跡の入り口のほうで激しい爆発が起こった。


 七羽の鳥が旋回し続けることで生まれる死の領域が広がる。それは触れた瞬間から、スケルトンどもを焼き砕いてしまう吹き荒れる紫焔の嵐だ。どんどん近づいてくる。巨穴の上のアンデッドを灼熱の旋風に巻き上げながら。


「なんだアレは……?」


 不死王は虚ろな眼底をまっすぐに向ける。

 注視する闇の瞳は、遠見の魔術でそれを認識する。


 紫焔の嵐の中央、少年がいる。

 見開かれているのは蒼い瞳の輝き。

 その眼差しは膝をつき、ワンワンと泣く姉をとらえていた。

 

「よくも姉さんを……お前を殺すッ!」


 不死王は知らない。大好きなお姉ちゃんを傷つけられた弟もまた、この世で最も恐ろしい復讐者になることを。

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