決戦
その朝、残雪と寒さに包まれた森には緊張感が漂っていた。
森の民たちの間で長年にわたり、禁域とされてきた太古の神殿。
そこへいま500名を超える獣人が乗りこむ。
皆、痩せているが、瞳には闘志が宿っている。
岩石ゴーレム60体の群れは隊列を組んで、軍団の前面を行く。
亡き主の元素生成により生み出された彼らは、すでに産まれ落ちてから今日にいたるまでの劣化でボロボロで、歩くのすら苦しそうだ。
軍団の中央では、かつての導き手だった少年の代わりに、その姉が気休め程度の木の鎧をまとい、子鹿の少女の背中にまたがっている。
彼らの目と鼻の先、深い森のなかに忽然と姿をあらわした巨大な遺跡群。
冬蔦に覆われ、緑に沈んで、どれだけの年月が経ったのか。
荘厳で巨大な石像が立ち並んでいたであろう正面は、巨象六体のうち五体が雨風と時にもとで崩れ去り、足首や膝程度がその面影を残すばかりだ。
「ここが太古の神殿……」
「以前、来た時と特に変わった感じはありませんね!」
「シェルティはここでゴーレムを怒らせて、追いかけられたんだっけ」
「お父様に言い聞かせられていたのです。この地は古い王の墓場で、近づけば石像たちは動きだし、災いを招くって! でもでも、とってもロマンがありますよね!」
異端鹿はそんなことを言いつつ、耳をひくつかせた。
「むむ! あれを見てください!」
「アンデッドの群れだ、遺跡のあちこちから湧いてきやがった!」
「ゴーレムもいるぞ! 気をつけろ!」
獣人たちは素早く広く展開する。
ヤドシカ族を中心とした弓取り部隊は、大量の矢を運搬するアカヤギ族たちと一緒に、命中率を維持できるギリギリの間合いに移動する。
その間も遺跡のあちこちから湧いてくる武装したスケルトンの群れ。錆びた武器や壊れた鎧で装備を固めている者のほかに、木の槍や盾、鎧を装着している個体も数多くいる。
「あいつら準備していやがったのか」
「これまでずいぶんとお粗末なスケルトンの軍団を相手にしていたが、今回は少し違いそうだ」
武装のないスケルトンなぞ、恐るるに足りないが、装備があるのなら話は別だ。そこは人間族とまったく同じ。違う点があるとすれば、それは獣人のスケルトンが敵勢力のほとんどを占めているということ。この森で死霊術を行使すれば、当然、召喚されるスケルトンは獣人が多くなる。
獣人のスケルトンは、ただそれだけで人間族のスケルトンよりも強力だ。
「強そうな個体を神殿に集めていたのか……」
「俺たちが戦ってきたのは、神殿に送られなかった残りに過ぎないとでも?」
不安を裏付けるように、次々と骨格のたくましいスケルトンたちが姿をあらわす。
その数は優に1,000体を越えた。
武装した白兵戦力より後方に位置しているのは、黒いローブに身を包み、大きな杖を携えたスケルトンたちだ。獣人同盟は度重なる対峙から、彼らが強力な魔法をあつかえる上級アンデッド・リッチであることを知っている。
その数は10体ほど。同時に対峙する人数としては絶望的な数だ。
そんなリッチたちよりも後ろ。
遺跡の奥、遥か遠方、獣人たちから約100mの位置。
漆黒の豪奢なローブに身を包んだ、ひと際存在感を放つアンデッドがいる。圧倒的なオーラを纏うその骸の眼底には闇が炎のように揺らぎ、太い骨指には黒く曲がりくねった呪樹の魔術杖が握られている。
近くには金属鎧に身を包んだスケルトンたちが控え、そのほかゴーレムは四体、リッチも二体ほどそばにいる。
死霊たちの首魁が誰なのかは、一目瞭然であった。
「あぁ、やはり、こうなったか。面白い展開だ」
遺跡すべてに響き渡る声。叫んでいるような声ではなく、まるでこのあたりが巨大な洞窟であるかのように反響する声だ。
「我が名はヴィクター。死者に安寧を与える者だ。生きる者よ、お前たちはよく抗った。驚きの連続だった。ここまで出来るのなら、最初から言っておいて欲しかったくらいさ」
スケルトンたちがカラカラと骨を鳴らして笑う。
「だが、すべては些事だ。生は有限であり、死は永遠。私はただ楽しんだ。思惑を潰されようと、それがどうした? 我が指先たちが設置した術式を破壊し、故郷を取り戻したつもりだろうが、そんなものは一刻の猶予にすぎない。私は目的が達成されるまでいくらでも待てる。死者はいくらでもいる。何度でもやり直す」
不死王ヴィクターは杖でゆらりと振った。
「ただ、今回は知人がいくらか滅んだ。永遠を手に入れたはずの友たちがな。ゆえに彼らのため、私はいささか怒ろう。褒めてやろう。森の民、私が直々に駆逐してやる──」
怒気を孕んだ死の王の声。
内蔵を底冷えさせる恐ろしい波動を宿していた。
生きとし生ける者は、その怒りの感情を向けられただけで、体温がぐっと下がり、感情を乱れさせられる。
「怯むな!!」
声をあげたのはギガガブリだった。
「目標、不死王ヴィクター!! あいつを地獄に送り返すッ! そうすれば私たちの勝ちだ!! がるるっる!」
「そのとおりです! 余裕ぶっこいてますけど、ここまで追いつめているのは事実!! やってやりましょう! アイザックの仇を取るのです!」
「弓取りは私に続け! 森の狩人は獲物を逃がさない! たとえ死者であろうと例外ではない!!」
アーケウスらヤドシカ族は一斉に矢を空に放った。
数十本の矢が雨のように降り注ぐ。
スケルトンたちは盾を構えて、それを受け止める。
戦いの火蓋は切って落とされた。
「いって、ゴーレムたち! ここが最後の正念場!」
60体のゴーレムが少女の呼び声に応じて、一斉に突撃を開始した。
ヴィクターの瞳の闇が揺らぐ。
「ゴーレムがまだ生きているか。完全自律型の術式ルーン。──とはいえ、この地まで進軍させ、一斉攻撃か。命令の更新はされているようだ」
完全自律型。例えば「遺跡を守れ」「侵入者を排除しろ」そういう命令を与えておけば、数百年レベルで命令を実行し続ける。こうであればゴーレムに命令を出せる術者がいなくとも、ゴーレムを運用し続けることができる。
だが、そうではないとヴィクターは思い至った。
まだ命令を出せる魔術師がいる、と。
(岩石ゴーレムの群れにルーンの武装。生産設備と拠点の設営。戦闘行為。獣人どもを支援していた魔術師は『裂け目』で屠れなかったのか? あれから獣人どもの動きが変わってはいる。偵察からの情報では、今回の攻撃はまさしく決死。すべてを賭けている。明らかに余裕がない。精神的指導者を失ったことによる玉砕覚悟の反転攻勢だと踏んでいたが……)
まだ獣人同盟の指導者は健在か。
この軍団を引っ張っているのは誰なのか。
ヴィクターの虚ろな眼底が、遠くから殺意剝き出しでやってくる敵を舐める。
「……まさか、あの小娘か?」
目に留まったのは、獣人たちのなかに混じっている少女。
金色の髪と異邦の服装、人間族、森の民ではない。
左右の瞳の色が異なる。赤と黒。
ヴィクターが注目したのは、黒いほうだった。
「魔眼。あいつが魔術師、か」
(だが、目の色が違う。それに少年という話だったはずだが。別人か? あるいは情報が間違えていたのか?)
マーリンたちもまたヴィクターだけを見ていた。
(物量でぶつかるんじゃ、どう考えてもこっちが保たない、道を切り開いて、不死王ヴィクターを獲る! 弟はアンデッドたちは魔術によって動いてるっていってた。つまり、ここにいる奴らは魔法によって自然発生したアンデッドじゃないってこと。術者を殺せれば、すべてのアンデッドが無力化されるはず!)
獣人同盟の戦略は一気呵成のみ。
限られた戦力により道を切り開くこと。
ゴーレム60体がアンデッドの軍勢に穴を空ける。
巨象たちの背に乗ったクロオオカミ族の戦士たちは、降り落とされないようにしがみつきつつ、槍を巧みに操り、登ってこようとするスケルトンを突き落とす。
だが、相手方もまたゴーレムの使い手。その数は30体。スクラムを組むようにぶつかってきて同盟のゴーレムによる突撃を止めた。
ゴーレム同士の殴り合い。
同盟のゴーレムは一撃で身体がバラバラになる。
強度の差。劣化の差。
(思ったよりもボロボロかも……)
マーリンが歯がみする。
「道を開けろ!」
アーケウスは遠隔から矢をつがえ、そして放った。命中。
限定術式解除『ゴーレム封じのルーン』。
シェルティとマーリンの前にいたゴーレムの動きが止まった。
「ありがとうございます、お父様! マーリン! いまですよ!」
「火の悪魔、焼き焦がす黒き御手、
血と灰の贄、焦点に帰せ、
──二重詠唱『第三魔術:火炎球』!」
子鹿の背中で準備していた黄色い火炎。
天才の残した発明はいま後継者より放たれる。
二発の火炎球が動かなくなったゴーレムに命中。
爆炎によりその頑強な体は砕かれた。
死に物狂いの特攻。仲間は次々と倒れていき、シェルティとマーリンの身体もスケルトンたちの横やりですでに切り傷まみれだ。
だが、それだけの代償を払ったおかげで、いよいよ軍団の先頭が、スケルトンの群れを抜けた。
ヴィクターまでは残り30m。
「醜いな。そんなに私を屠りたいか」
「殺すッ!」
マーリンは再び、シェルティの背中で溜めていた火の魔術を放った。
「不死なる鳥、一陣の火の香り、
爛れし雛鳥を、残響と燃やせ、
──二重詠唱『第三魔術:灼鳴鳥』!」
黄色い炎が鳥の形に変化。
ヴィクターの表情が少し曇った。
(第五魔術『黄金の火』……か)
「その若さで。大したものだな」
「お前を殺ォす──!!」
『灼鳴鳥』は同じ第三魔術火属性の攻撃魔術『火炎球』と比べて、標準術式における火力は一歩劣る。その最大の特性は、手元から離れたあとのコントロール性能。放ったあと着弾地点の変更ができない『火炎球』にない優位性だ。
黄焔の鳥が二方向から迫った。
その攻撃は避けられない。
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