最も恐ろしい復讐者
時はしばし遡る。
数日前、アイザックが谷底へ落ちた後。
「うあぁああああ──!! 弟ぉぉおおお!!」
マーリンは叫んでいた。
空に慟哭し、谷底へ手を伸ばした。
「マーリン、いけません! あなたまで落っこちてしまいます!」
「うるさい、離して、シェルティ!! 弟がぁあ! あぁ、そんなぁ!」
アカヤギ谷の底へ向かおうとするマーリンを、シェルティは必死に──ではなく、片腕で軽く押さえつける。その表情は悲しみに満ち、涙が溢れている。
「ていやー!」
「ぐへえッ、な、なんで殴るのシェルティ!?」
「いまはここを離れなくてはいけません! さあ動いて!」
「やだやだ! 動きたくない!」
「わがままを言うともう一回叩きます!」
「うるさい、シェルティにはわからないよ、弟を失ったお姉ちゃんの悲しみが!」
「ていやー!」
「ぐへえ、い、いだい……」
「悲しいのが自分だけだなんて思わないでくださいっ! 私だってすっごく悲しいのです! みんなもそうです!」
頬を叩かれたマーリンは、沈痛な空気を悟る。
ギガガブリに託されたクロオオカミ族の精鋭。すでに故郷を奪還した種族なのに獣人同盟の勝利のためについてきてくれた戦士たち。
皆、今日という日まで、実に二週間を共に戦った。
背中を預け合い、命を預け合った。
「ぐすん、アイザックは私の盟友です、心の友です! 美味しいBLTをくれました。ブラッシング気持ち良かったです。弓も作ってもらいました。ルーンはとても輝いていて綺麗でした。私だけじゃありません! 皆、彼に助けられました! ちいさな身体には大きな勇気が、ちいさな頭には偉大な知性が、彼の眼差しには未来があり、私達だからこそ、死霊の軍勢にも挑むことができたのです!」
シェルティは涙ながらに言う。
「彼は、ぐすん、私達を助けることを選んでくれたのです……っ」
子鹿の視線は頭上の岩屋根を見やった。
ゴーレム部隊とアマルガムで固めて、前方を歩いていたアイザックの方面だけで、屋根が薄い。それが何を意味するのか。わからない者はいない。
マーリンは胸に去来するのは寂寞感。
なんて優しい弟なのだろう。
なんて勇敢な弟なのだろう。
死の恐怖のなかで誰かを守る。
(弟……あんたはいつもそうだったよね、私の方がお姉ちゃんなのに、いつもいつも甲斐甲斐しくしてさ。シェルティは友達だよ。獣人たちも仲間だよ。でもさ、でもさ、私は……弟に生きて欲しかった、自分の命を選んで欲しかったんだよ……)
アイザックと過ごした日々。
鮮やかな思い出。
楽しかった記憶。
すべては一瞬で失われた。
耐え難い喪失感だ。
マーリンはもう何もやる気が起きなかった。
落石攻撃の後、戦士たちは谷上に引き返した。
谷底を見つめるマーリンをシェルティは担ぎ上げて運んだ。
再び落石が起これば、全滅する危険性があったからだ。
「あの落石は異常だった。恐らくは敵の罠だ」
「俺たちの攻撃地点を絞られてしまっていたのか」
獣人同盟は谷の上を調査して、アンデッドたちの拠点を発見することで、疑いを確信に変えた。
想像以上に手薄な拠点は、獣人同盟の戦士たちで十分に制圧できるものだった。
つまるところ、その地は『死霊の王国』にとって、重要拠点ではないということ。
あくまでアイザックを仕留めるためだけの、極々限定的な拠点に過ぎなかったということだった。
「舐めやがって!」
「敵は頭がいい。俺たちより先をいっている」
「そんなことはない。ここまでアイザックの方が圧倒してたんだ。罠にさえかからなければ、アイザックが死ぬことはなかった!」
獣人同盟の士気に影響が出始めていた。
どうにか秩序を保ちながら、気力を充実させ、次の攻撃を練る。
「残す攻撃目標は、少ない。『裂け目』と『古代の神殿』のみ」
「だが、あの落石攻撃を見た以上、『裂け目』を攻撃することは自殺行為だ」
「谷上を制圧し続けられる戦力も、俺たちにはない……アイザックを失った以上、やる時は全勢力で一カ所を攻撃しないと」
戦士たちは話し合い、自然と攻撃目標を変更した。
敵の総力が集まっているとされる『古代の神殿』。
最も危険で、最も攻略の難しい場所。
そこは獣人たちの里ではなく、完全に敵の領域。
死どもの根源であり、すべての元凶。
そこを潰せれば、この戦いは最終的な勝利を迎える。
再び死霊の軍勢に脅かされることもない。
ただ、ひとつだけ問題があった。
「斥候の情報によれば、神殿の守りはここまでの比じゃない。これまで以上に、ゴーレムの力が必要だ。だが、もう俺たちはゴーレムを動かせる唯一の存在を失ってしまった……」
ここまでアイザックに頼りきりだった。
特に彼の考案した質量蹂躙攻撃『岩石ゴーレムぞろぞろ作戦』は、森をなぎ倒してしまうという破壊行為を代償に、アンデッドどもを轢き殺すことができた。
戦士たちは己の弱さを呪った。
アイザックがいなければ自分たちは何もできないのかと。
ルーンの輝きが宿る武器たちも、いまや心許ない。
戦士たちは頭を抱える。
谷に降りる際に、実に60体近い岩石ゴーレムがここに待機させられた。
自分たちを救ってくれた軍神。獣人同盟の主砲。
いまは永遠にこない次の命令を待つだけ群れ。
行き詰った場に、マーリンがふらりと姿を現した。
「弟を殺した、すべての元凶……」
目元に影を宿すマーリン。
元気にはしゃぎたてる彼女はもういない。
戦士たちは少女に、申し訳なさと憐れみを抱いた。
マーリンは冷たい岩肌に手で触れる。
ルーンの刻まれた箇所。
ゴーレムが動いた。
戦士たちがざわめく。
「はわわ、マーリン、ゴーレムを動かせるのですか!?」
「当然だよ。私はお姉ちゃんなんだもん……ぐすん。これは弟の残してくれた最後のゴーレムたち。この戦いは最後までやり抜かないと」
マーリンは涙を袖でぬぐい、目元を赤くしながら、戦士たちに向き直った。
「『古代の神殿』をぶっ潰す! この戦いを私たちの勝利で終わらせる! そして、うぅ、そして、弟を殺した奴を見つけ出して粉々にするゥッ!」
「マーリン……っ、ええ! やりましょう! やらなければ、森が再び安心した生活を得るために、アイザックが繋いでくれた私達の命のために! アイザック、うぅ、見ていてください、私達は必ず勝ちます……!」
偉大な指導者を失った。
精神的にも、武力的にも中心的存在が死んだ。
それも罠によって。最後の時、彼は友を守ることを選んだ。
その事実は、彼らの闘志を激しく燃え上がらせた。
「僕たちの里はあとまわしでいいですめえー!」
「戦士を集めますめえ、アイザックの死を皆に伝えますめえ!」
規格外の英雄。その並々ならぬ活躍により、どこか楽勝ムードの漂っていた戦いだった。里を取り戻し、獣人同盟を離れて帰郷した数多くの戦士たちは、「アイザックがいれば余裕だ!」という温度感のなかで安心していた。
だからこそ、訃報にざわついた。
ある者は恐怖した。
あのアイザックを殺す策略家にかなうはずがない。
ある者は激怒した。
盟友を殺されたいま、再び槍を手に取らねば嘘だ。
ある者は覚悟を決めた。
最後の戦いで勝てねば、どのみち未来はない。
アカヤギたちが森のあちこちに訃報を届けている間、獣人同盟本体戦士70名は、新しい拠点にて攻撃の準備を整えていた。
マーリンは『古代の神殿』からほど近い場所に、ゴーレムたちを使って、大規模な攻撃拠点を作っていた。矢の製造・訓練をし、槍を量産し、武器を修繕し、鎧をこしらえ、対ゴーレム用の打撃槌を丸太を加工して製作した。
「弟がいない人生に意味なんてない、私から生きる意味を奪ったカスに鉄槌にくだす、もう全部を破壊する、許さない、絶対に許さない、見ててね、弟ぉ……」
「マーリン、右目の色が変わってますよ? 真っ黒なのです!」
「そうかなぁ……どうでもいいよ……もう弟もいないんだもん……へへ」
お姉ちゃんの激しい黒い怒りは同盟全体を動かした。
若干12歳ながら、早熟すぎる弟に影響されて、優れた思考力と知性を持つ彼女は、アイザックを失った獣人同盟がどんな攻撃を取るべきなのかを考え、戦略・戦術面で戦士たちを指導した。
残されたゴーレムたちは元素生成により作られた存在。
消滅まで時間は残されていなかった。
あらゆる制約を課せられたなかで、皆は最善を尽くした。
新しい拠点が作られてから、何日もしないうちに、合流者たちが姿を見せた。
アカヤギたちと共に拠点に姿を見せたのは、弓を携えたヤドシカ族の戦士たちと、それを率いる族長アーケウスだ。
それに加えて黒いモフモフの狼たちも、ギガガブリに率いられてやってきた。
彼らだけではない。これまでの進軍で里を取り戻した種族の戦士たちが、ようやく取り戻した生活を投げうって、決戦のために続々と参上する。
「お父様! 来てくださったのですね!」
「あぁ、よかったシェルティ、無事だったか!」
深く抱きしめ合う鹿の親子。
「アイザック殿のことは残念だった……だが、我々には出来ることがある。苦しい生活だが、いまこの時を逃せば、死霊どもは再び勢いを取り戻す。奴らの本拠地『古代の神殿』を潰さない限り、それを恐れて禁忌とし足を踏みださない限り、私達に明日はない!! アイザックが与えてくれたこの時を逃してはいけない!」
アーケウスが弓を掲げる。
「私達は友を失った! 英雄を失った! しかし、それは終わりではない! 彼は最後までやろうしてくれた。その仕事を引き受けてくれた。我々、戦士に里に帰らせてくれた。強く、勇敢で、優しい少年だった。クロオオカミ族の戦士は、彼の最後の決断で生かされた。恩義に報いきることは、もはや叶わない。だが、死に意味を与えることはできる。その意味はアンデッドの軍勢を滅ぼすことでのみ手に入れることができるのだ! 盟友のために戦うぞ、戦士たちよ!」
ギガガブリの遠吠え。
諸族の戦士が雄叫びをあげて応えた。
少し離れたところから、妙に落ち着いた様子のマーリンが見ていた。彼女の変色した暗黒の瞳は、集まった戦士たちをギョロリと睥睨する。
弟の死を知れば駆け付けてくれた者たち。
マーリンの口元に笑みが浮かぶ。
「いける……仇は必ず、私が、私達が討つ……」
死者たちは知らない。この世で最も恐ろしい復讐者が、溺愛する弟を失ったお姉ちゃんであることを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます