言葉の壁

 ミルは自分が強者であると知っていた。

 だから、アンデッドの軍勢が押し寄せた時、天命を悟り、勇敢にたちあがったのだ。


 結果は惨敗。

 本物の強者の前でミルは弱者だったのだ。


 絶望に心折れた時、鳥が降って来た。

 ミルは炎を見たことがなかった。だから、それが何なのかわからなかった。ただ、恐ろしい物だとはわかった。同時に美しいとも感じた。


 初めて見る揺らぐ紫は、バジリスクを粉砕し、ネクロマンサーを跡形もなく消し飛ばし、塔を瓦解させ、湖畔を抉った。


(これも魔法なの……? あの恐ろしい怪物には魔法が利かないはずなのに。こんな世界があるなんて……っ)


 ミルは目が離せなかった。

 紫焔をまとう神々しい少年から。


(この男の子が……私たちを助けてくれた?)


 胸が高鳴っているのはわかった。とにかくお話がしたかった。ゆえに彼女はぺたぺたと足音をたてながら、少年に近づいた。



 ────



 BBAさぁ、ひどいよ。

 なんで俺に攻撃しちゃうの? 恐いじゃん。

 いろいろ教えてもらいたかったんだよ?

 

 生者を憎むアンデッドつっても、話ができるなら理性的な対話ができると思ったのに。攻撃されたらもうBBAとお話できないよ。


 もう殺すしかなくなっちゃったよ。

 

「弟ぉー! 大丈夫だった!? なんか攻撃されてたけど!」

「大丈夫です。何ともないです。そんなに叫ばなくても聞こえてますよ」


 BBAの死亡確認をしてから、俺は魔術を解除した。残された火の鳥たちはロウソクの火が消え入るように消滅する。


「ハウハウ~♪」

「え? 姉さん、何か言いましたか?」

「ふえ? 私、何も言ってないよ?」


 俺とマーリンは背後を見やる。


 水色の肌の少女がいた。蒼い髪、まん丸の黄色い瞳。耳元には大きなヒレ。肘とか手とかにも大きなヒレ。ヒレ。ヒレ。銀の翼みたいで大変に雅だ。素肌には綺麗な鱗が生えている。顔立ちは端正で、背は俺と同じくらい。


「あの……何か用ですか?」

「ハウハウ~♪ ハウハウ!」

「弟、見ちゃだめ! この子たち裸! 女の子の裸はダメだとお姉ちゃんは思うなぁ!」

「イイ感じに濡れた蒼い髪が隠してくれているので平気ですよ、そこら辺は」

「ハウハウ~!」

「この子の喋ってる言葉って……」

「僕たちの知る言葉ではないようですね」


 集中するが、ひとつとして単語を拾えない。

 

「すごくキラキラした目で弟を見てるね……お姉ちゃんは嫌な予感がするなぁ」

「え? どうしてそんな推論をするんです?」

「これはお姉ちゃんの勘! お姉ちゃんの勘はあたるんだから!」


「わあ! ようやく見つけました、アイザックにマーリン! ヤドシカの里にいないのでどこに行ったのかと探したのですよ!」

「シェルティ? 帰ってきたのね。でも、どうやってここがわかったの?」

「そんなの簡単です! マーリンのつけている臭い花の香りを頼りに歩きました!」

「臭くないから!? 香水だから! 都会ではいい香りの花のエキスを纏うことが、おしゃれなことだってママが言ってたの!」


 人と鹿では香水のセンスが違うようだ。


「おや? セイレーンではありませんか!」

「セイレーン……って、歌で旅人を惑わせて水に引きずりこむ的な魔法生物なのでは……?」

「お久しぶりです! ハウハウ~!」


 シェルティは元気に話しかける。水色肌の少女──セイレーンは嬉しそうに応じる。


「セイレーン語を話せるんですか?」

「はえ? セイレーン語? あぁ、アイザックは雪の言葉をご存知ないのですね!」

「雪の言葉?」

「雪の深い地域で話されている言葉です。ヤドシカ族のような人間族の血にルーツをもつ獣人の間では、人間族の言葉が使われますが、そうでない者たちは、雪の言葉を話すのですよ!」


 そういや、シマエナガ村ですら果ての村扱いされていると行商人から聞いたことある。そうなるとさらに北──雪の深い樹海では、人間の言葉がまったく通じない世界なのだろう。


「シェルティ、この子はなんて言っているんですか?」

「ハウハウ、ハウハウ♪ なるほど。この子は先ほどアイザックが使った魔法がとっても綺麗だったと感激しているみたいですね!」

「ありがとう、と伝えてくれますか?」

「ハウハウハウ! どうやらアイザックに助けられたことのお礼がしたいそうです。セイレーンを代表してのことです!」


 セイレーンは腰裏に手をまわしたまま、チョコンとつま先立ちをした。頬に触れる濡れた感触。冷たく、柔らかく、しっとり──。


「……え?」

「うわぁ! やっぱり弟を狙ってる目だったぁ! 私の弟はなんて罪な男の子なの!」

「はわわ!? 私のアイザックに何をするのですか、セイレーン! 私はプンプンです! 見てください! これは私が怒ってる時の身体の動きです!」


 セイレーンは「ハウ、ハウ」と気恥ずかしそうに声を漏らすと、逃げるように湖に飛び込んだ。俺は豆鉄砲を喰らった気分で、そっと濡れた頬を手で押さえた。

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