お話はおしまいですね

 ネクロマンサーは骨と皮だけの表情を大きく歪めた。紫色のローブの下には、それまでにあった余裕がない。

 乾いて久しく潤いを感じさせなかった肌には、幾年月ぶりの冷汗が湧き、黄色い歯は、嚙み合わせが悪くなったかのように鳴っていた。


(馬鹿な……っ! ありえん、バジリスクが死におった……ただの一撃で……)


 ネクロマンサーのギョロっとした眼差しは、アイザックをとらえた。

 炎の鳥を飼いならすその姿は、ある種の神々しさすらあった。


(人間族だと? 子供ではないか。なんで子供がこんなところに? いや、落ち着くのだ、サマンサ、そうではないだろう。肝要なのは、バジリスクが死んだことじゃ。それも魔術で……! ありえてはいけないことが起こっているのだ!)


 ネクロマンサーは蓄えられた深い魔法魔術の知識から、いまの現象を説明しようと試みる。不可解な現象には、必ず理屈があるはずだ、と。


「少しお話を伺っても?」


 アイザックからの気の抜けた提案だった。

 ネクロマンサーにとっても悪い流れではなかった。彼女は急展開に心の準備を間に合わせる必要があったからだ。


「こほん、る、ルーヴァン語か。かなり訛りがあると見えるのう」

「ルーヴァン語? 僕の話している言葉ですか」

「自分の話す言葉さえ知らないとはお笑いじゃのう、坊や」

「言われてみれば確かに。この世界にだって、言葉は複数ありますよね、そりゃあ」


 少年は納得した風だ。


「となると、あなたはルーヴァン語以外にも話すことができそうですね」

「当然。知恵者とはそういうものじゃよ、坊や」


(妙なところで食いつきおった。いまのうちにバジリスクに『蘇りの呪いカース・オブ・リザレクション』を付与する。まだ間に合う。完全に制御は失われていない……っ)


「何もしないほうがいいですよ。僕はすでに術を展開しています。いまから術を展開するのでは絶対に間に合わないですから」


 落ち着いた声音。

 確かな威圧感。


(馬鹿な、気取られた? 注意を払ってノーモーションでの魔力操作に徹していたというのに。どんな感知力をしておるのだ、この小僧。いや、待て、そういうことか、この小僧、魔眼を……それも両眼!? 信じられんッ)


 両眼の魔眼。

 それだけで果てしない才能。

 老婆は足の震えが止まらなかった。


「……カッカッカ、冗談じゃよ、そう恐い顔をするでない」

「あなたずいぶん黒い魔力を纏っていますね。それってどういう状態なんです? 死んでるのか、生きているのか」


(話に付き合い時間を稼ぐのじゃ……好機はすぐにやってくる)


「流石は魔眼の者。私はすでに死霊術の儀式をもちいて不死の身になっているからのう。それゆえ死の魔力を纏っているのだろうさ」

「死の魔力。なるほど。興味深い」


 アイザックは薄ら笑みを浮かべた。


「して小僧、一体何者じゃ?」

「通りすがりの錬金術師です」

「錬金術師、だと……?」


(お前のような錬金術師がいるか。無意味な嘘をつきおって)


「で、あなたは何を? こっちの……この、水色の肌の少女たちになぜ怪物をけしかけていたんです?」

「簡単なことじゃ。この湖は元々、私のものなのだ。そこな邪悪な怪物どもから取り返そうとしたまでよ」

「本当にそうですか? こっちのほうが現地民っぽいですけど」


 アイザックはセイレーンたちをチラッと見て言った。あまり凝視はしない。なぜなら服を着ていないから。


「僕は昨日、魔術を使うアンデッドを一体屠りましてね。そのアンデッドが作っていた謎のオブジェクトと、そこにある塔がよく似ているんです。そして、この周囲の魔力状況も。状況を考えるにあなたは──」


 ネクロマンサーは眉根を寄せる。


「──あの骸骨の魔術師と同じだ。なんらかの目的があって、この土地を奪おうとしていた。そして、特殊な魔力状況を利用した魔法陣を設置した。あなたたちの目的はなんなんです?」


 アイザックは眉間に指をあてながら、名探偵が冴えわたる推理を披露するようにペラペラと喋る。明らかに油断しているように見えた。


 老婆の口元がニヤリと歪んだ。

 反撃の準備が整ったのだ。


(小僧、お前は正しい。魔術師同士の戦いにおいて、先に術を展開すれば圧倒的に優勢になる。しかし、例外はあるものだ──)


 アイザックの背後、地面が盛り上がる。

 湧いて出てくるのはスケルトンだ。

 手には錆びた剣を持っている。


(すでに展開している魔術においてはその限りではない。私の死霊術は、小僧がくるよりずっと前から展開済み。私にはわかっていた。時間さえ稼げば、お前の背後からスケルトンが湧くことくらい)


「そこだぁ! 刺せぃい!」


 ネクロマンサーの改心の声。

 少年の背後、錆びた剣が突きだされた。

 ギャンッ! 甲高い音。散る火花。


 アイザックの背中を守ったのは銀膜だ。

 自由自在に形状を変えるソレは、仕事を終えると、スッと柔らかくなって、アイザックの背後に控えた。

 ネクロマンサーは気づいていなかった。派手に飛び回っている火の鳥にばかり気を取られ、ずっとアイザックの足元にあったいぶし銀な用心棒の存在に。


「お話はおしまいですね」

「ッ! その小僧を殺せええ!」


 首無しのバジリスクが動いた。

 不確かな動きで突進をかます。

 

 アイザックの周囲を旋回していた鳥が一匹突進し、バジリスクを迎撃、長い動体が爆発し、白髄は一瞬で焼き尽くされ粉塵となる。


(だから、どうしてバジリスクの身体が魔術で破壊されるのじゃ……っ!)

(このデカい蛇、若干魔力を弾いているっぽいな)


 アイザックはバジリスクの魔法特性に薄々気が付きつつも、「気にする必要ない」ものとして、頭の片隅に置いておき、腕に乗せていた火の鳥を空に放った。

 ネクロマンサーは「きえええええ!」と叫び声をあげて、向かってくる鳥へ手を向けた。死の魔力の魔力放射。黒い風が吹き出した。


 紫焔の鳥は黒い風を真っ向から突き破り、着弾、大爆発、その周囲は塔ごと粉砕され、地面は蒸発して大きな窪みができた。

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