子鹿の狩人

 腕のなかで震えている女の子を見やる。

 緑色の瞳。白い肌。ちいさなお耳、茶色い癖毛の髪は腰──鹿体と人体の結合部分──まで及ぶ。人体部分には白い綺麗な布地をまとっている。文明を感じる様相だ。


 気になるのは怪我。まだら模様の毛並みが血でべっとりと濡れている。素人目にも重症だ。


「わぁあ、凄い魔法、森が一瞬で……!」

「すぐ治療しないとダメですね」

「はわわ! いけない! 人間と喋っちゃだめなんです! ありがとうございましたー! お世話になりましたー! さようならー!」

「あっ、ちょっと! ……行っちゃった。けっこう血が出てたのに、大丈夫ですかね」

「森の民は頑丈だしたぶん平気だろ。住む世界が違うんだ。俺たちにできることはないさ」


 森の民。エルフ族や獣人族を指す言葉。

 トムいわく深森は彼らの縄張りとのこと。


「しっかし、水銀君の戦力どうなってんだよ……うわぁ森が更地だ」

「こいつら以前村の近くいたのと同じですね」

「同じ? 見た目はちょいちょい違うが」

「ゴーレムルーンの雰囲気が似てるので。たぶん同じ術者によって刻まれてますね、これ」

「そんなことわかんのかよ。すげえな、お前」

「岩石のゴーレムの群れってこの深さの森によく出るんですか?」

「さあな。こんな深い場所来ねえし。でも、岩石ゴーレムの群れなんざ、日常なわけないと思うぜ。流石によ」


 何か異常が起こっているのか?

 あるいは起ころうとしているのか?

 

「あ! さっきの鹿!」


 マーリンの声。顔をあげる。

 木の影から、女の子がこちらを見ていた。


「うぅ、お腹が凄く痛いんですけど……」


 鹿の女の子はポロポロと涙をこぼしていた。


 

 ────

  


 北方樹海から村に戻ってきた。


「えっと、その子は……?」

「おにいちゃんたち鹿捕まえてきたー!」

「これが狩りの成果、なんつって」

「トム、まさか……食べるつもり?」

「いや、食べねーよ! 怪我してるだろ? 放っておけないから保護したんだよ」


 重症者のために『治癒霊薬』を与える。


「めちゃ苦いのに、お薬飲めてえらいぞ~」

「すごく美味しいです! これ好きです!」


 緑の液体が入った瓶が次々開かれてゆく。

 2本、3本、4本──ゴクゴクゴク。


「こらこら!? なにしてる!? 作るの大変な霊薬なんだぞ! 一本飲めば十分だ!」 

「でもぉ、お腹空きました……!」

「半鹿の子ってなに食べるのかしら?」

「うーんと、いまはお肉が食べたいです!」


 仕方がないので本日の獲物をさばいてあげることにした。──と料理に取り掛かった時だ。


「もぐもぐ! 赤い実! 丸い草! とっても美味しいです! これ好きです!」

「うわぁあ!? この鹿、トマトとレタス全部食べちゃったぁ!?」

「食糧庫から出ろ! 抵抗するんじゃない! ぐぬぬ、怪我人のくせになんて力だ!?」


 突然の鹿の暴挙。食糧庫襲撃。

 当然、裁判が開かれる。


「ごめんなさい、美味しかったです……」

「感想はけっこうだ! そんな勝手なことをしたらダメだ! モラルが足りないぞ!」

「うぅ、もうしません、許してください……」

「トム、可哀想だし、もう許してあげましょう? 子鹿ちゃんはお腹が空いていたのよ」

「まったくもう、とんでもない食いしん坊を拾ってきちまったぜ」

 

 お叱りが終わると、鹿は工房の隅っこに盛られている灰のうえで横になる。


「ふかふかです! ここ好きです! おやすみなさい!」


 数秒後、工房には静かな寝息が響いていた。

 腹いっぱいになって眠たくなったらしい。

 

「自由な子だな……これが森の民かぁ」

「でも、元気な証拠よね? よかったわ~」


 まぁそうだな。

 元気ならいいか。


 翌日。

 しんしんと優しい雪が降る朝。

 子鹿──シェルティと俺は裏庭にいた。


「ヤドシカ族の誇りある狩人としてご迷惑をおかけした分働きます!」


 というわけで、本日は食糧庫荒らし罪を清算する狩りである。


「シェルティは狩りが得意なんですか」

「はい! 生まれた時から父や母に鍛えられてきたのです! あっ、でも、弓は森で失くしてしまったので借りてもいいですか?」

「もちろん。怪我人なので無理は禁物ですよ」

「ご心配ありがとうございます! アイザックはとっても優しい子ですね!」

「子って……そういえば、シェルティっていくつなんですか? 僕はもうじき9歳ですけど」

「わあ! 奇遇ですね! 私もそろそろ9歳になります! もっとちいさいと思ってました!」


 そんなこと話しながら、森に足を踏み入れた。シェルティは鼻歌を歌いながら新雪をサクサクと音を鳴らして歩いて「動いたッ! そこッ!」といきなり矢を放った。


「……え?」

「さあさあ、どうぞこちらへ! けっこう大きいの仕留めましたよ!」


 30mほど進むと、猪が倒れていた。

 頭を射貫かれて即死している。


 俺は愕然とした。

 この狩人、凄腕だ。


 日没までに、シェルティは6頭の猪を狩った。村狩人たち一日の獲物に匹敵する成果だった。

 

 神業の連発。あんなの見せられたら、療養期間後も村にいて欲しくなる。彼女に爆増した肉需要を賄える実力があるのは疑いようもない。

 

「働き者のシェルティに贈り物があります」

「わぁあ! これはなんですか?」

「地母神BLT。村の宝食です」

「ありがとうございます、アイザック! いただきまーす! ──!? これ大好きです! もぐもぐ! わあ傷も治っていきます!?」

「村にいればたくさん食べられますよ」

「決めました! 私、ここに住みます!!」


 計画通り。

 鹿心掌握。


「BLT! 里のみんなにも教えてあげねば!」

「人間世界と関わっちゃいけない的な掟はないんですか?」

「あります! でも、BLTは掟を越えます!」


 鹿の里へBLTをお届け、ね。

 たくさんの鹿心を掌握できるチャンスじゃないか。 

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