隻眼の猪

 元気溌剌なモモと森の前で待ち合わせをした。

 彼女は滞在している村長夫妻の家へ、俺はレッドスクロール家にいったんもどって、探検の備えをし、そして再び合流した。


「初めて森に入りました、緊張感ありますね」

「そう? 普通の森だけどなぁ。ちかくに住んでるのに、初めてなんて変だね」

「うちは過保護なんですよ」


 まぁ5歳の子供への言いつけとしては妥当性のほうが上回るけど。


「お父さんとはよく森に入ってるんですか?」

「浅い場所だけだけど。父上はもっと深い場所まで行ってるみたい。でも、わたしがいると深い場所までは連れていってくれないんだよ。危ないって。あとひとりではいっちゃだめって言われてる」

「じゃあ、お互いに禁忌を犯してるわけですね」

「きんき?」

「約束を破るって意味ですよ」

「ちがうよ、わたしは約束破ってないもん、ひとりではないし」


 俺がいると。論理武装はすでに完了しているのか。やるな。


「ん? ちょっと待って、アイザック、なんか……」

 

 モモはピタッと足を止めた。

 桃色のおおきな耳がピンとたって前方へ向いている。


 正面の草むらから獣が飛び出してきた。

 短く逞しい四足、尖った牙、ギロッとした目つき──猪だ。

 しかも、片目に傷跡がある。あいつは先月、俺に戦歴に傷をつけた仇だ。


「でやがったな……ッ! 隻眼の猪!」

「かっこいい、あいつネームドモンスターだったの?」

「僕が呼んでるだけです……(小声)」

「あっ! あいつ来そうだよ、アイザック、下がってて、危ないよ!」


 モモはサーベルを抜き放った。

 彼女がいれば安心だ。……でも、これは俺の戦いなんだ。


「僕にやらせてもらえますか?」

「でも、アイザック、木剣すらもってきてないじゃん」

「さっき家に一回戻った時、備えはしてきたんですよ」


 俺は一歩前にでる。

 距離は遠いわけでも、近いわけでもない。

 第一魔術なら間に合うかもしれないし、間に合わないかもしれない。


 以前の俺なら慌ててなにもできず、どつきまわされていただろう。

 けどな、猪よ、俺だって1ヵ月の間、体力作りだけしてたわけではない。

 先月、お前に負けたあと、剣術の修行と並行して、いろいろ考えたんだ。


「ぷひぃいいい!」


 猪の突進。やはり速い。

 俺は蒼く光る糸束をとりだして、ふわっと投げた。

 

 『魔力の羊糸』100mの糸束。

 解かれ、猪の飛び込んでくる位置で広がる。

 

「ぷひぃい!?」


 動きが一瞬止まった。チャンス到来。魔力の羊糸は猪の前足と、後ろ脚を縛り、転ばせると、口もぐるぐる巻きにして開けなくした。拘束完了。

 

「うわあああ!?」


 モモも相当に驚いたようで、跳ね上がっていた。

 桃色の毛並みがぶわーっと逆立ってふっくら度は限界を突破。

 彼女はそのまま木にしがみついて涙目で、俺を見てくる。


「はわわわわ……っ」

「そんな驚かせちゃいましたか……?」

「なな、なにそれ!? 魔術は詠唱してからじゃないと発動しないのに!」

「これは魔道具です。僕は錬金術師の家の子なので、こうしたものを作る方法も学んでるんですよ。見たことないですか?」

「そ、そんな激しく動くの、しらないよ~!」

「大丈夫ですから、ほーら、木から降りてきてください~」


 怯える狐をなだめてあげて落ち着かせる。

 

 猪に寄る。がっちり縛られて、身動き取れなくなってるな。


「うわぁ……すごい魔道具、簡単に捕まえたちゃった。アイザックが作ったの?」

「なかなか良いでしょう?」

「う、うん、ちょっとびっくりするけど」


 トムの言葉から俺は考え方をあらためた。

 錬金術師たるもの知で編み出された魔道具で制する、とな。

 

 結果、魔術を日々鍛錬していくうちに、魔術で相手を倒すという発想に傾倒していたが、こうして糸に戻ってきたというわけだ。


「こいつどうするの? 絞める?」

「できるんですか?」

「うん! 父上に教えてもらったんだ!」


 せっかく捕った獲物だし絞めるか。

 お肉を食べられる機会は前世ほど頻繁にはないしね。


「いや、待ってください。やっぱり、やめましょう」

「どうして? せっかく捕まえたのに」

「こいつ持って帰ったら僕たちが森にいったのを自白するようなものでした」

「んぅ、でもぉ、お肉……」


 モモはよだれを拭い、頭をぶんぶん振って、誘惑から逃れんとする。


「うぅ、うぅぅぅぅ、うぅぅう! いらない! アイザックが怒られるほうが可哀想だもん。猪なんていつでも獲れるし!」


 モモはそういってプイッと猪から視線を逸らした。

 

「悪いですね。──ということで、隻眼、お前は運がよかったな。これに懲りたら俺がガキだからって二度と逆らうんじゃないぞ。いいな。次はないぞ」

「ぷ、ぷひ、ぃぃ……」


 猪を十分に脅してから、離れたあと、俺は魔力の羊糸に帰還指令をだす。

 輝く蒼い糸がスルーっと宙を泳いで戻ってきた。


「おお、すごい……!」


 まん丸の桃瞳はキラキラして、毛束となっていく糸を見つめていた。

 

 うーん、ちょっと糸が汚くなってるな。ショックだ。

 元々が羊毛で編んだ糸だからしゃーないけどさぁ。


 本当はフード付きのマントとか、ラル用に角穴のあいた帽子とか作ってやろうと思ってたんだけど……衣服用の糸は別でこしらえたほうがよさそうだ。


 ほどなくして、モモのいうお気に入りの場所に着いた。


「見てー! これすごいでしょー!」

「これは……なんですか?」

「わかんない。でも、すごいでしょ? 父上といっしょに探検してたら見つけたんだ! アイザックは友達だから特別に教えてあげるんだよ!」


 自然深き森のなか、モモに導かれたのは、蔓に覆われた遺跡であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る