モフモフな友人

 王国歴1075年7月

 

 剣術の修行がはじまって1ヵ月が過ぎた。

 木剣をたずさえて、村長夫妻の家まで走る。


「ふーん、今日も逃げなかったんだ」

「そりゃあ。せっかく見てもらってるので。モモさん、今日もご指導お願いします」


 もっぱら鍛錬に付き合ってくれるのはモモだった。

 サミュエルは旅行記の編纂や、村長夫妻の識字仕事を手伝うので忙しいらしい。


 そんなわけで、娘のモモが俺の鍛錬には付き合ってくれている。


「はぁ、はぁ、はぁ!」


 日課となった朝のトレーニング。シマエナガ村の家々をチェックポイントにした外周。死ぬほど疲れる。一歩ごとに「もう止まりたい!」と思いながら走る。


 モモはスイーッと凄まじいペースで走る。

 サミュエルいわく「モモには獣の生命力がある」とのこと。

 足も速いし、パワーもあるし、体力もある。獣人ってすごい人種だ。


「ちびっ子、休もうっか」


 半周あたりで一旦、腰を落ち着けた。

 モモは舌をだしてハァハァ言って、シャツをパタパタする。

 俺は膝をついて、朝の冷たい空気を、肺を痛めるほど吸い込んだ。


 モモを見やる。

 なぜか俺のトレーニングに付き合ってくれるこの子。

 どちらかというと俺のことを嫌っているほうだと思っていたが。


「はぁ、はぁ、モモさん、なんで手伝ってくれるんですか」

「この鍛錬のこと?」

「師匠から聞きましたよ、僕のこと苦手としてるって」

「っ、そ、そんなことないけど!」


 モモはムッとする。大きな耳がピンと立つ。警戒態勢だ。


「もうあんまり恐くなくなったしさ!」

「恐いと思ってたことは認めるんですね」

「むう。だって、わたしよりちいさいのに、あんなすごい魔術使えちゃうし」


 モモは耳をしぼませる。まぁ6歳の子供からしたら恐いよな。


「あとちびっ子は父上のこといじめるし、嫌だったんだ」


 なるほど。正座させて包囲した件か。


「でもね、ちびっ子も、ちびっ子の家族も、別にそんな嫌なひとじゃないなぁって、最近は思ってて」


 時間が解決してくれてたか。この4ヵ月間、レッドスクロール家とクンター親子で、ちょこちょこ交流してるもんな。


「僕たち友達になれたってことですね」

「友達……!」

「どうしました?」

「いやぁ、別に……ふーん、友達って呼びたいならそれでもいいよ!」

 

 モモは目をキラキラさせ、腰に手をあてる。


「そうだ……ちびっ子って呼ぶのもあれだし……そのぉ……」


 モモは腰裏に手をまわし、ゆっくり近づいてくる。

 揺れる頭部にあわせて、大きなお耳もユラユラと揺れた。

 

「ちびっ子で呼ぶのもあれだから、ほら……」

「ええ、なんです?」

「だから、その、な、名前で呼んでみるのも、あ、ありかもしれない……よね」


 狐は薄っすら頬を染め、明後日の方向を見ながら、もぞもぞと言った。

 

「じゃあ、友人として僕のことはアイザックと呼んでください」

「…………アイザック!」

「はい、アイザックです」

「えへへ、アイザック!」

「はい、アイザックですよ、ここにいます」


 モモは笑顔を綻ばせ、嬉しそうに何度も名前を呼んできた。

 

「もしかしたら、モモさんは僕の初めての友達かもです」

「え? そうなの!? 実はね、実はね、わたしも初めてなんだ~!」

「それじゃあ、初めての友情同盟ですね」

「どうめい?」

「仲間って意味ですよ」

「くふふ、アイザックは頭がいいね!」


 モモはすごく嬉しそうに俺の腕にくっついてくると、側頭部をゴンゴンぶつけてこすってきた。大きな耳があたってきて、その柔らかさとモフモフさを主張してくる。汗をずいぶんかいているので、匂いも強い。お日様の香りだ。


「って、な、なにしてるんですか……!?」


 女の子だろうと所詮は6歳の子供。何をされても動揺するはずがないとタカをくくっていたが、流石にこれはいけません。前世で32歳まで童貞だった俺を舐めないでいただきたい。


「これはお気に入りの証なんだよ!」

「お気に入り……?」

「ふかふかのベッドの上とか、大好きな穴とか、気に入った木とかにはこうして証をつけておくんだよ~、そうすればよそ者が近寄ってこないんだ~」


 マーキング、かな?

 これは狐の習性……?


 落ち着け、アイザック。

 初めて出来た友達といっていたではないか。

 獣人モモにとっては当たり前の儀式なんだ。


「くっ!」


 しかし、モフモフで刺激されると、とても辛い。なにが辛いってこんなに柔らかくて触り心地最高そうなのに、こちらからは触れないことが辛い。

 やめてくれ、これ以上、俺のことを苦しめないでくれ、モフモフやめて、我慢できなくなる……あぁあああ! モモが全然やめてくれないぃい!


「よし! おっけい!」

「はぁ、はぁ、はぁ、うぅ、はぁはぁ」

「あれ? アイザック、どうしたの、すごく辛そう……あっ、嫌だった!?」

「大丈夫です、ギリギリで耐えました」


 危うくあのピンク色のモフモフ尻尾に手が伸びかけたけど。


「? まぁいいや、休憩おわりー! 走ろう、アイザック」

「了解です、モモさん」

「あっ! それじゃないほうがいい、かもしれない」

「?」

「ほら、わたしたち友達だから、特別に、父上と同じように、モモって呼んでもいいかもしれないよ!」

「うーん、でも、あんまり慣れてないんですよね」


 前世では、異性のことを名前で呼んだことはない。

 

「でも、友達だよ……? わたしたち……モモって呼ぶべき、かもしれない」


 シュンっと大きな耳がしおれる。

 

「こほん、えっと、じゃあ走りますか……モモ」


 耳が通電したみたいにピコンッとたちあがる。

 モフモフ尻尾も揺れ始めた。稼働開始。感情と直結しているのかな。


「うんうん! いこう! そうだ、アイザックは友達だから、特別にすごく良いところに連れていってあげる!」

「すごく良いところ?」

「父上といっしょに森に探検にいった時に見つけたんだ! ついてきて!」


 迅速に駆けだすちいさな背中。

 ブンブン揺れるふっくら尻尾を俺は追いかけた。

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