剣術の修行

 猪。それは危険な獣。


「ぷひぃいい!」

「うわぁあ!」

「人里に降りてまで、呑気に水飲みやがって!」


 獣の眼光が俺をとらえる。蹴り上げる土。

 朝の涼風、危険な予感。


「やばっ、間に合わねえ」


 俺は川へ飛び込んだ。

 猪の突進を奇跡的に回避。


 今度こそ第一魔術を。

 あぁ、やっぱり間に合わない。


 死を覚悟した時。

 俺の頭上、ズバッと黒い影があらわれた。

 

 桃色の太い筆先を腰からはやし、大きなお耳を揺らす獣人──モモは手にしたサーベルを大上段に掲げてふりおろす。


「やぁあ!」

「ぴひぃいい!」


 猪の片目を斬りつけ、鮮血が水面に散った。

 獣は恐れをなして逃げ去っていった。


「はぁはぁ、モモさん、ありがとうございます、命を助けられました」

「……いいよ、人助けは当たり前だし。というか、ちびっ子、猪に負けてた?」

「いまの負けじゃないです。あの猪が強かったです。特別な個体だと思います」

「ふーん、わたしは5歳の頃にはもっと大きな猪をやっつけたけど……ね!」

「5歳の頃に? それはすごい。ところでいまいくつなんです?」

「6歳!」


 ちびっ子とか俺のこと呼ぶわりにそんな変わりませんやん。


「ふふん、ちびっ子の命、助けちゃった~」

 

 モモは落ち着かない様子で、尻尾をふりふりさせ、さっと向こうへ駆けていってしまった。えぇ、今ので会話終わり? 子供って自由だ。


「はぁ、帰ろう、疲れた……てか、初めてこんな喋ったな」


 彼女たちがシマエナガ村に来て3カ月。

 モモと話す機会はほとんどなかった。


 彼女が人見知りであること、俺も人見知りなこと。

 人見知り2名はキッカケがなければ一生話すことはない。


 サミュエルいわく「ちびっ子、恐い……爆殺される……」と恐がられていたらしいけど。『灼鳴鳥』がトラウマになってたようだ。


 家に帰ったあと、ヘラがびしょ濡れの俺を心配して駆け寄ってきた。

 

「どうしたの、アイズ?」

「猪に襲われました。そして、川に落ちました」

「あらあら、可哀想に、怪我はない? よしよし、もう大丈夫よ」


 ヘラはラルを抱きかかえたまま、俺の頭を撫でてくれた。


「猪から逃げれたんだ。上出来上出来」

「猪からは逃げるしかないんですか?」


 トムは工房の机のうえから道具を手に取る。


「『音響種』。潰せば爆音が響く。獣はこいつで追い払えたりするかもな」

「それは父さんの力じゃなくて、魔道具の力です」

「錬金術師の力は知にこそある。魔道具で優ってこそ、錬金術師だろう?」


 まぁ確かに。一理あるか。

 でもな、自分の力で勝ちたい感はあるんだよなぁ。


 俺は護身用の『音響種』をいくつか渡されつつ、遊び部屋に戻って、ベッドに身を投げた。


 猪に対応できなかった。

 ただ、完全に想定外というわけでもなかった。

 実はこれは以前から思っていた懸念事項だったのだ。


 つまるところ「俺ってさ、魔術で身を守れるの?」という問題だ。

 今回、玄関を出て、シマエナガ村中へ行ってみようと思ったのも、多少は危険に対応する能力を身に着けただろうと判断したからだ。


 懸念は現実となった。俺は自衛できない。


「魔術の発動時間? うーん、私は第一魔術なら5秒くらいでできるけど? 第二魔術は簡単なやつなら10秒くらいで、第三魔術は20秒くらいかかっちゃう? 弟は私より全然はやいよね!」


 俺はそマーリンの半分の時間で魔術を、発動まで持っていける。それでも近距離での遭遇戦ではやっぱり遅い。


 我らが偉大な魔術師サミュエルにも相談してみた。


「魔術でとっさの自衛、か。結論から言うと、どれだけ魔術を深めようと、それは流石に難しいだろう。吾輩も身を守る手段としては、魔術は使わない。ほとんどはこのサーベルに頼っている。獣や野盗を追い払うにはこれが一番だ」

「じゃあ、魔術師に未来はないんですか!」

「そんな凄まれても……こほん。アイザック君は素晴らしい魔術師だ。だが、誰にだって得意と不得意がある。こと命の奪い合いにおいても同様だ。精強な騎士とて、背後から陰刃に襲われれば命を落とすし、遠隔から魔術の火力にさらされればひとたまりもない。身軽で小柄な暗殺者は夜の闇にまぎれたら厄介なことこの上ないが、正面たって壮健な戦士とぶつかれば踏みつぶされるのみ。魔術師も同じだ。友軍の援護が期待できる状況では、破壊的かつ支配的な力を発揮できるが、孤軍では脆い」


 いきなりの戦闘につかえる技能でなければ自衛にならない。

 であるならば、俺もやるしかないのか。正直、運動は苦手なのだが……。

 

「師匠、剣を教えてくれませんか」

「ほう? これは意外なお願いだ」

「実はですね、数日前に猪に襲われまして……」

「はは、なるほど。そういえば、モモが言っていた。楽しげにね。『ちびっ子を助けちゃった! 猪に負けてた!』と」

「負けてはいないです!」

「……まぁそういうことにしておいて。うちのモモも昨年から剣の修行を始めたし、アイザック君ならきっと修めることができるだろう。……とはいえ、剣の修行には君の才能もいかされづらい。規格外と言わざる負えないアイザック君でさえ、魔術のように一朝一夕でものにはならないと思う──それでも剣術を修めたいかね?」

「ええ、逆にやる気がでてきましたよ」

「よろしい。自分の分野を離れて挑戦する姿勢は美しい。剣を教えよう」


 翌朝、狐が遠目にこちらを観察する一方、我が師は木剣を渡してきた。


「これを使うといい」

「作ってくれたんですか?」

「優秀な弟子のためである。このくらいは当然だ」

「ありがとうございます、師匠!」


 握って構えてみる。身体がふらついた。


「重たくないですか? これ人間にふりまわせます?」

「そこまでかね? ふむ、子どもの体には重すぎたか。だが、モモは同じ規格のものを5歳の時にはふりまわしていたぞ。それに金属の刃はより重たい」


 木剣で振り回されてちゃ話にならねえってか。


「ひとまず自由にふりまわしてみるといい。無理のない範囲で」

「了解しました、師匠」


 数分後、俺は木剣にふりまわされ、踊り狂い、汗だくになっていた。

 5年間インドア生活のツケをここで払わせられるとは!

 

 モモが目の前にやってくる。

 彼女は手にしたタオルを頭に乗せてきた。


「……たぶん、まずは体力つけたほうがいいよ」

「はぁ、はぁ、はぁ、です、よね……」

「あと握る位置いまいちかも。短く持って。振り回されてるなら、とりあえずこっちのほうがいいよ」

「あぁ、なるほど、遠心力ですか。ありがとうございます、勉強になります」

「ん、まぁ、別にこれくらいのこと……お礼はいらないよ!」


 表情は澄ましているが、口元はニヨニヨしており、とても嬉しそうだ。加えて桃色のモフモフ尻尾が左右にご機嫌に揺れてしまっていた。とても正直な毛束だ。


「剣の基本は、走ることからだよね、父上」


 サミュエルは肘をだき「ふーん」みたいな顔で、俺とモモを交互に見やる。


「……では、モモ、アイザック君を連れてシマエナガ村をぐるっと一周まわってくるといい。いつも走っているであろう。吾輩はここで待っているから」

「走り込みですが、いまから?」

「任せて、父上~」


 ご機嫌に揺れる筆先のような尻尾がスタターっと駆けだした。

 剣術の授業だと思ってたのに、持久走に変わっちゃったんだけど。

 俺は内心で悲鳴をあげつつ、激しく揺れるモフモフ尻尾を追いかけた。

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