レッドスクロール家

「マーリン、気を付けて抱っこするのよ」

「うん、へいき~」

「本当に気を付けてね? 頭を打ったりしたら大変だからね?」 


 おくるみに包まれた俺のちいさな身体が母の手から姉の手へ渡される。


「アイズ~、わたしがおねえさま、だよ」


 そういって俺の頬を指でつつく、不遜なこの子ども。

 この人が俺の姉上様である。見た目的に3歳くらいだと思う。


 この姉の名前はマーリンという。マーリン・レッドスクロール。

 陽光のように輝く金髪は絹のように繊細で、瞳は鮮やかな赤色だ。将来、俺たちの母ヘラ・レッドスクロールとそっくりな美人になる予感を感じさえる顔立ちだ。


 ちなみに彼女たちの名前を知っているのは、言葉がわかるからだ。

 転生チートの翻訳が働いているわけではない。その特典は残念ながらなかった。


 なので生まれてから今日までの6カ月間、ひたすら会話に意識を向けた。

 精一杯生きるという誓いをたてた俺の最初の取り組みだ。

 未知の言語を理解する。相当にハードな課題だったが、ひたすら傾聴することで学習し、今では会話の内容をだいたい理解できるようになった。


 取り組みが実を結んだ。できなかったことが、出来るようになる。自分の努力次第で可能性を広げることができる。すごく嬉しかった。


「はい、アイズ、こっちきて~」


 マーリン姉さんはおくるみを剥がして、俺を床において、すこしは離れて呼んだ。

 面倒くさいが仕方ない。ハイハイではせ参じる。姉のお世話も弟の仕事ゆえな。

 

「あうあう(訳:弟をおもちゃにして満足ですか、姉上様)」

「アイズ、えらい! ひつじちゃんだ!」


 俺をわしゃわしゃ撫でるマーリン姉さん。

 ちなみにアイズは俺のニックネームだ。アイザックなのでアイズ。


「アイズ、おいで」


 またマーリン姉さんに抱っこされる俺。嬉しそうに頭を撫でてくる。

 毎日、こんな具合だ。食べて、寝て、起きたらマーリンに遊ばれる。

 意外と退屈ではない。たぶん俺も姉も、相手のお世話をしないといけないという使命感にかられているんだろう。幼幼介護ってやつだ。


「アイズのおせわ、わたしにまかせて!」

「あうあう(訳:姉さんのお世話は僕に任せてください)」

「ふふ、マーリンはしっかりお姉ちゃんできてるわねえ。それにしてもアイズは本当に賢い子ね~。これだけお利口さんだと、そろそろ喋り出したりするのかしら?」

「──だとしたら、びっくりしちゃうな~」


 言って部屋に入ってくるのは焦げ茶色の頭髪をした男。

 この取り柄のなさそうな男こそ我が父トム・レッドスクロールだ。

 ヘラに口づけをし、マーリンにもチュウしようとして小さな手で顔を押さえれて拒否され、代わりに俺のほうにすぼめられた唇が近づいてきた。回避不可能。

 

「あ、あう(訳:流れ弾きちいって! おのれ、マーリン姉さん!)」

「アイズ、ほら、お前の大好きな不死羊の遺灰だぞ~」


 トムは後ろ手に隠し持っていた大きな瓶を近づけてきた。

 短い手を伸ばして触るととっても温かかった。


「この遺灰はセスティヌス・レッドドラゴン……?」

「そうだよ、ヘラ、今回も素晴らしい素材を残して逝った」


 何の話かと思われるだろう。

 セスティヌス・レッドドラゴン、強そうな名だが、正体は我が家で飼われている羊の名前だ。不死羊という種で、死後は灰になり、やがて灰から復活する。


 話を聞いた時は「復活? そんな馬鹿なことがあるか!」と思ったが、俺は見てしまった。ちょうど3日前、ずいぶん前に遺灰になっていたという別の不死羊ランスロット・ドラグーンが復活する瞬間を。灰から産まれたちいさな羊の姿を。


 この世界、奇跡も魔法もあるらしい。


「レッドスクロール家は不死羊たちといっしょに暮らしてきたのよ。彼らの皮と毛をもらうと、彼らは次の生に向けて灰になるの。不死羊がつくられた品物は貴重なものでね、赤い羊皮紙や糸のおかげで、私たちの先祖はお金持ちだったんだから~」


 1歳が近づいてくると、ヘラはよく俺に語りかけてくれるようになった。


 両親の熱心な教育のおかげで俺は両親たちが生業にしているという錬金術師という仕事や、自分の住んでいる王国の辺境にあるらしいちいさな村についての知識を獲得できた。


 身体の成長が追いついてきて、近頃はある程度、意識的な発声が可能になった。

 

「おかあさん」

「はう!? アイズ、いま喋った!?」

「おとうさんー! アイズしゃべったー!」


 俺の第一声には、母も姉も大興奮だった。


「だにいい!? もう喋ったのか! 本当に頭がいいな! マーリンは喋るのに2年半かかったのに、アイズは1年もかかってないじゃないか!」


 なお、一番興奮していたのは父だった模様。


「むっすー、おとうさん、きらい」

「あっ……待て待て、違うんだ、マーリン……そういう意味じゃなくて、女の子はちょっとお馬鹿なくらいが……いや、これは違うな、とにかく今のは言葉のあやで」


 なお、俺が喋った日から、しばらく父トムはマーリンに口を聞いてもらえなかった。ご明察。我が父トムは類稀なノンデリカシーなのだ。


 俺、母ヘラ、父トム、姉マーリン。それと羊たち。

 レッドスクロール家での日々は、けっこう楽しい。


 そんな幸せを感じていた矢先の出来事だった。

 1歳という節目に訪れた変化は、初のお喋りだけじゃなかったのだ。


「おかあさん、あれ」

「ん~? なーに、アイズ~?」

「ぴかぴか、ぴかぴか」

「ピカピカ……? なんのことかしら……? 何もないわよ~」


 1歳になった頃だ。俺の目にだけその”光”は見え始めた。

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