第9話 如月湊の資質 その6

蒼空長話になってしまったな。」


蒼空はそう言うと、ゆっくりと歩き出した。彼の足取りは落ち着いていて、まるで何も急ぐことがないかのようだ。


僕はその背中を見つめながら、彼の話を頭の中で整理しようとしていた。


けれど、考えれば考えるほど、何か重要なことを聞き逃してしまったのではないかという焦りが心の片隅に残った。


つまり、何かヤバい状況になれば気づくってこと?」僕は半ば自分に言い聞かせるように問いかけた。


蒼空あぁ、まぁそうだな。ま、ゆっくり見つけるといいさ」


蒼空はぁ……教室の空気はどうにも不味いな。湊、屋上へ行って外の空気でも吸わないか?」

彼の言葉には、どこか疲れた響きがあった。教室の重苦しい雰囲気が、彼にとっても居心地の悪いものだったのかもしれない。


別にいいけど。」


僕は少し間を置いてから頷き、彼に続いて歩き出した。屋上への階段を一段一段上がりながら、心の中で次第に広がっていく静かな期待感と、不安を消し去るように深呼吸をした。


屋上に着くと、目の前に信じられない光景が広がっていた。


綺麗な宝石のブレスレットを着けた一人の女子高生が、フェンスの外に立っていたのだ。


え……?」


思わず声が漏れる。彼女はこちらを振り返り、その目には大粒の涙が浮かんでいた。彼女の顔は恐怖に歪んでおり、その唇から震える声が漏れ出していた。


「助けて……助けて……」


その言葉は、まるで呪文のように何度も繰り返される。


自殺しようとしているわけではなさそうだ。しかし、なぜ彼女はフェンスの外にいるのか?自ら進んでそこに行き、戻れなくなったのだろうか?そんなことが高校生にもなってするはずがない。


では、誰かに操られている……?その考えが頭をよぎる。


蒼空湊、とめるぞ。」


蒼空の声が冷静に響く。


りょーかい。」


言葉を返すと同時に、僕たちは同じ方向に走り出した。だが、その瞬間、彼女はフェンスの外から突然身を投げた。


蒼空ジャックザリーパー、時は7秒止まる。」


(蒼空7秒……十分だ……)


止まった時間の中、俺はすでにフェンスを飛び越え、下を見下ろした。


しかし彼女はもう手を伸ばしても届かないほど下に落下していた。


(蒼空落ち着け……どうする……考えろ……)


選択肢は一つしかなかった。俺が飛び降り、彼女を覆い衝撃を和らげるか……だが、心の中でその案を即座に否定した。助けた後に何を言われるか分からない……その恐怖が心に重くのしかかった。


時間は容赦なく過ぎ、7秒が終わりを告げる。


蒼空7秒経った…時は動き始める…」


時間が再び動き出す瞬間、俺の頭は真っ白になった。


ヤバい!」


蒼空の姿が突然消え、次の瞬間にはフェンスの外に移動していた。多分時間を止めたのだろう。


くそ……!やるしかない───!)


恐怖と焦燥感が混ざり合う中、俺はフェンスを飛び越え、彼女を追って屋上から飛び降りた。


落下のスピードはどんどん増していく。彼女に追いつくのは無理だ。その現実が重くのしかかる。


くそ!どうするんだ……!自分の資質は一体何なんだ!


心臓が激しく打ち、風が耳元で怒鳴り声のように吹き荒れる中で、頭の中は混乱していた。だが、焦りとともに、今日一日に起こった不思議な出来事が次々と頭をよぎる。


水が突然甘くなった。消しゴムが鉛筆になった。麦茶が緑茶になった。


“なった”……?いや、違う。あれは“変わった”のか……?


水が甘い味に"変わって"、麦茶が緑茶に"変わった"。無意識のうちに、何かを別のものに変えてしまった……。


もしかして僕の資質は、何かを別のものに“変換”する力なのか?──────


この気づきが胸を貫くように走った瞬間、僕は心の中で決断した。まだ確証はない。だが、今、この瞬間に試すしかない。


この命を懸けた瞬間に、自分の力を信じるしかない!


落下する風景が加速し、彼女の姿がすぐ下に見える。全身の力を振り絞って、僕は心の中で叫んだ。

僕の資質ヴェリタス!地面を柔らかい物に変えろ!」


そう叫びながら、僕は必死に手のひらを地面へ向けた。


次の瞬間、地面がまるでクッションのように柔らかく変わっていくのを感じた。僕たちの体はふわりと地面に着地し、柔らかくなった地面が落下の衝撃を吸収してくれた。


僕はすぐに体を起こし、彼女の元へ駆け寄った。彼女は目を閉じているが、胸がわずかに上下している。どうやら気絶しているだけのようだ。


良かった……」


安堵の息が自然と漏れたその時、上から風を切る音が聞こえた。見上げると、蒼空が屋上から華麗に飛び降り、地面に軽やかに着地した。彼はすぐに僕の方へ歩み寄ってきた。


蒼空湊、よくやった……。その女の子は大丈夫か?」


心配そうな表情を浮かべる蒼空に、僕は少し笑いながら答えた。


ああ、大丈夫。気絶してるだけだよ。」


そう答えたものの、心の中にはまだ小さな違和感が残っていた。落下している時、彼女のスカートの中から何か細長い物が出てきた気がしたけれど、気のせいだろう


蒼空そうか、なら良かった。」


蒼空は少し安心したように頷き、僕に感謝の眼差しを向けた。


僕は彼女の体を支え、ゆっくりと立たせようとした。その瞬間、初めて自分の力で誰かを救えたという実感が胸に広がった。しかし、その達成感の陰に、まだ解き明かされていない謎がちらついていた。


あの細長い物体は何だったのか──────

そして、彼女はなぜフェンスの外にいたのか。

彼女の顔を見つめながら、僕は次第に膨らむ疑問を胸に秘めたまま、静かに息を整えた。

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