第6話 如月湊の資質 その3

4月4日 9時30分 授業中


隣の席から軽快な声が飛んできた。


伊月湊ー、消しゴム貸してー!」


うん、いいよ。はい、どうぞ。」


僕は机の上から消しゴムを手に取り、伊月に渡した。


伊月え?これ、鉛筆だよ?」


あ?え?!本当だ、間違えた……」


手元を見ると、確かに渡したはずの消しゴムではなく、鉛筆が握られていた。


伊月もしかして疲れてる?」


うん、ちょっとね……多分……」


戸惑いながら、筆箱から予備の消しゴムを取り出し、今度こそ慎重に伊月に手渡した。


伊月ありがとう!」


伊月は眩しいくらいの笑顔を向けてくる。思わずその笑顔に見とれてしまいそうになったが、すぐに気を引き締め、授業に意識を戻した。


やっぱりおかしい……)


心の中でその違和感がくすぶり続ける。確かに消しゴムを渡したはずなのに、いつの間にか鉛筆を持っていた――何かが変だと、僕は授業に集中しながらもそのことが頭から離れなかった。


4月4日 10時15分 二時間目(体育)


雨音新学期から体育テストとかありえなーい!」


雨音が不満げに言いながら、ジャージの袖を引っ張る。


光稀雨音、お前運動苦手だもんな。」僕は少しからかうように言ったが


雨音如月もだろー?」雨音はすぐに言い返してきた。


光稀うっせ!僕は運動できないんじゃない。しないだけだ!」僕はムキになって反論する。


雨音はぁぁ?それ、結局運動できないって認めてるのと同じじゃーん。」雨音が笑いながら言った。


今日の体育テストは50m走。僕は心の中で少しだけ緊張しながら、スタートラインに立った。


けれど、なんだろう、この奇妙な感覚。体が異様に軽い。運動はいつも嫌いだったけれど、今日はなんだか違う。何故か速く走れる気がする。


深く息を吸い込み、スタートの合図に集中する。そして、合図と共に雨音と共に走り出した。


んー、結構いい記録なんじゃないか?」走り終わった僕は、雨音に声をかける。


雨音如月よく息切れないねーー」

言っただろ?出来ないんじゃなくてやらないって。とりあえず記録聞きに行こうか」


記録を聞こうと先生の元へ行くと、先生はまるで化け物でも見たかのように目を見開いている。


先生如月くん……あんた……。記録は、3.7秒だ……」先生の声は震えていた。


雨音如月、足はやーい!」雨音が感心したように言った。


3.7秒……?世界記録は確か、5秒くらいじゃないのか?こんな記録があり得るはずがない……。一体、どうなってるんだ?これが、僕の資質なのか???


4月4日 13時 昼休み


伊月ねぇ湊!飲み物忘れちゃったから、お茶ちょーだい!」伊月が元気よく僕に声をかけてきた。


こいつは消しゴムのことと言い、これと言い、忘れ物をしないと死ぬ病気にでもかかっているのか?僕は内心でため息をつきながら、水筒のコップにお茶を注ぎ、彼女に差し出した。


はい、お茶。」


伊月ありがと!」伊月は笑顔でコップを受け取ると、勢いよく飲み干した。


そして、空になったコップをこちらに差し出してくる。


伊月おかわり!」


もう、自分で買ってこいよ!」僕は冷たく言い放ちつつ、水筒の蓋を閉じた。


伊月というか、湊って緑茶飲むんだねー。」伊月がふとしたように言ったその瞬間、僕は動きを止めた。


え?僕は麦茶を水筒に入れてきたんだぞ。」


緑茶?おかしい……。僕はいつも麦茶しか飲まないし、水筒に緑茶なんて入れたことがない。まただ……また、何か不思議なことが起こっている。


胸の中に違和感が広がり、驚きとともに僕はその事実を受け止める。


伊月やっぱり疲れてるんじゃない?間違えて緑茶入れてきたとか?」伊月は軽く笑いながら言ったが、その言葉は僕の頭に響かなかった。


僕、疲れてるのかな……」自然と頭を抱えてしまった。


伊月そうかもね。でも、今日はいっぱい休んだ方がいいよ。」伊月は少し心配そうに付け加えた。


うん……そうするよ……」僕は力なく答え、徐々に心に広がる不安と向き合おうとしていた。



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