第6話 決心

 将と病室で再会してからその三日後 真琴は、もう一度祥子を一人で見舞ったが、その際、将は居なかった。将が居合わせなかった事にホッとした思いもあったが、少し寂しさも感じた。

 祥子は、真琴と将が以前から知り合いである事は知らない様で、真琴はあえて将の事を口に出さなかった。祥子が「真琴、お見舞いありがとう。ごめんね。貴方には、いろいろ迷惑かけているのに・・・」と言う。「何の事?忘れたわ。気にしない、気にしない。」と真琴は明るく努めて笑った。「あの子は、淳に良く似ているでしょ?母親の私でも時々、あの子の声を聴いたり、顔やしぐさを見て、はっとすることあるのよ。今、あの子は東京で大学に通いながらお芝居関係の仕事をしているのよ。良かったら、お芝居を見てあげてね。私の周りや私の実家の身内にもあの子が何しているのかを言って無いのよ。田舎は、ああいう人気商売を嫌がるからね。あの子もあまり世間に公表してないから、伏せているのよ。」と洋子は、母親の顔で真琴に話をしていた。真琴は、ただただ聞く側に徹していた。


 その月の第3金曜日の朝早く、和幸よりメールが届いた。

『急用が出来て、今月は東京へ戻れない。ごめん、真琴。元気にしているかい?』

真琴は、テロに巻き込まれてから、和幸が何か?考え事をしていて、自分の顔もろくに見てくれてないように感じた。彼は仕事が忙しくて、何か問題にぶち当たっているのねと自分に言い聞かせて、敢えて彼に尋ねる事をしなかった。長年の二人の生活の中で、いつしか仕事に関してお互いに関知しない事となっていた。真琴には、大学時代から友人であった和幸に対して信頼関係が根底に在って、疑う事すらあり得なかった。真琴は、和幸の事はどこかへ飛んでいき、次第に将の事を考えてしまった。(将のメールはもう二度と来ることは無いわよね。)となんとなく思い込んで、何か?心の隅で沸々とするものを感じていた。しかし、真琴はその感情を無視しようと努めていた。第4金曜の夕方、和幸から珍しくメールが届いた。『明日、東京へ帰る。話があるから、明日土曜日のスケジュールを空けて置いてくれ。』

真琴は、何か?嫌な予感を感じながら、明日 和幸が帰ってくるので、買い物や掃除をする為にその日は急いで仕事を切り上げて帰宅した。


 「ただいま」と元気のない和幸の声がする。「おかえりなさい。」と笑顔で玄関へ真琴が浮かうと、和幸の後ろに若い女性が寄り添うように玄関に立っていた。「あっ、な、中村君だ。」と和幸が真琴に少しどもりながら紹介する。「いらっしゃい。どうぞ」と真琴は来客用のスリッパを出す。「失礼します。中村恵美と申します。」と、か細い声でその来客は言う。ソファーに何故か和幸と来客は並んで座る。真琴は、その空気を察知し、台所で大きくため息をつき、紅茶を出す用意をする。和幸が台所へやって来て、「大事な話があるから、お茶は良いから早く来てくれ。」と言う。真琴は、「お客様だから、お茶だけは出させて、ちょっと待って すぐ出来るから。」とおどおどしながら和幸の目を見ずに真琴は手を休めずに答えた。

 「お待ちどう様。どうぞ。」と言いながら、真琴のお気に入りのティーカップを差し出す。「真琴、すまない。子供が出来たんだ。別れてくれ。」と和幸がストレートに真琴に迫るように言う。真琴も空気を読んで予想をしていたせいか?冷静に言った。「私のどこが、嫌いだったの?子供出来なかったから?」

「奥さん、すみません。許して下さい。」とその中村と言う来客が泣きながら言う。「君が嫌いとかじゃないんだ・・・。結果として、子供が出来てしまって、俺も責任を取ろうと思って・・・。君が海外で行方不明になった時、彼女が俺を慰めてくれて、単身赴任先で俺の面倒を見てくれて…寂しかったんだ。だから・・・許してくれ。子供には何にも罪は無いんだ。別れてくれ・・・お願いだ。頼む。自分勝手だと思うだろうけど・・・真琴は一人で生きていけるだろう?恵美と子供は俺が居ないと駄目なんだ・・・」と和幸が、結婚して初めてと思うぐらい熱弁をふるっていた。なぜだか?真琴は冷静に二人の言葉を一言も聞き漏らさぬように聞き入っていた。 いつも、自分の後ろで見守って居てくれていると信じていた男が、振り向くと随分前から居なくなって、他の女を見守って居た。自分の後ろには誰も居なかった。身体中の血液が空気中に飛び散っていき、心臓の鼓動だけが空っぽになった身体の中から大きく響いて聞こえてくるのを感じた。今、目の前の出来事は現実なの?それとも悪夢?と幽体離脱でもしているような感覚であった。「何ヶ月なの?赤ちゃん」と真琴は来客に感情無く尋ねた。「もうすぐ、サ、三ヶ月になります。」と来客が怯えるように答えると、「恵美は悪くないんだ。」と和幸は、まるで真琴を責めるように言葉を挿した。「そう、分かったわ。別れなきゃ、赤ちゃんが可哀想ですものね。」と真琴はため息交じりで答える。「えっ、別れてくれるのか?ありがとう。真琴」と引きずった笑みで和幸が言う。また、真琴が怒りや罵倒なしで、冷静に対応してくれることが、反って怖かった。

「13年間、ありがとう。」と真琴は、和幸とその隣の来客へ視線をしっかり向け 淡々と言った。言われた二人は、唖然として、慌てて「ありがとう。荷物は、君が居ない時に引き取りに行くから。離婚届は此処にあるから、あとは君の署名と印鑑だけだから、書いたら、俺のマンションへ送ってくれ。」と和幸が事務的に言う。「じゃ、私が署名したら、役所へ提出するわ。提出したらメールで連絡するから・・・」と真琴は気力を振り絞って、明るく言った。和幸とその来客は、その書類をテーブルに置いて、小走りで去って行った。真琴はソファーにもたれながら、(これは現実なの?悪夢?BL島でのテロ事件からショックなことの連続だわ。どうして?)涙を流しながら13年間と言う時間の軌跡を思い出して1時間ほどたっただろうか?大きくため息をつき、両手で太ももを叩いて「もう、和幸とこのマンションで会う事も無い。離婚したら、引っ越ししようかな?心機一転よ。がんばれ、真琴。負けるな!」と自分に言い聞かせる真琴であった。なぜ、自分がこんなに強くなっているのか?考えていた。(私は、きっと和幸を愛してなかったんだ。そう、テロ事件に巻き込まれて強くなっているかもしれない。そう、淳の息子 将と出会って強くなったのかも。一人はなれているじゃない!)と思い直した。


 その一ヶ月後の10月の下旬に真琴はマンションを引越しした。真琴は、病室で再会した時から、彼と会う事を躊躇していた。しかし、転居して真っ先にメールを打った相手は将だった。『お久しぶり。真琴です。お元気ですか?転居して、携帯も変えたので、メールアドレス等が変わりましたのでお知らせします。・・・お仕事、陰ながら応援してます。mo』 仕事上はイニシャルはmoを使っていたから、無意識にmoと打った。多分、強がっていたのかも。彼と病室で会った事に触らず、淡々とした文を打った。

 その日の夜に、『久しぶり、元気だった?マコ。俺は、相変わらず忙しい毎日で、病院で会ってびっくりしたよ。お見舞いありがとう。明日、月曜日の夜、一緒に食事でもどう? MO』と将から嬉しい誘いのメールである。真琴はそのメールを読み、不安でモヤモヤした気持ちが、すこし癒されるのを感じた。そしてすぐに返信した。『いいわよ。場所はお任せするわ。mo』

(もう会えないとか・・・どうしよう?とか色々迷っていたのに、メールを送るなんて・・どうしちゃったの?)と矛盾した自分の脳と行動に混乱する真琴。本来なら辛い時期なのに、ベッドで将に会える楽しみで心が少しづつ満たされていくのを感じながら眠りについた。

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