第3話 有得ない出会い

 7月2日、真琴はボス夫妻と無事にシンガポールに到着し、その二日後の国際会議も無事に済み、夫妻はオーストラリアへ3日間娘の留学先に滞在して日本へ帰国することとなっていた。真琴は、オーストラリアへ移動するボス夫妻を空港から見送り、有給休暇を使いボス夫妻とは別行動でBL島へ渡って休暇を楽しんでいた。真琴は、長らく海外旅行をしていなかったので、この時とばかり高級リゾートホテルに贅沢に一人で宿泊していた。 現地では、一人でレストランへ入り辛かった。誰かパートナーになってもらうことも無理な話で、知らない人と気を使いながら食事する気にもならなかった。周りの目をなるべく気にしないように振舞っていた。最終日にホテル内のレストランで夕食を取り、部屋のあるフロアーでエレベーターを降りて部屋へ向かうと、ドーンとものすごい爆音と同時に地響きと土煙のようなものが後方からフロアーを襲撃した。真琴は、その激震で廊下の床に叩き付けられるように倒れた。同時に通路のガラスが爆風の振動と風圧で割れて廊下に破片が散乱していた。彼女の倒れた所から7メートルほど先の真琴の部屋の隣の部屋のドアが勢いよく開いて、全裸らしき男がバスタオルを持って廊下に飛び出して来た。「何だ!今のは?」と叫びながら真琴を見た。真琴も彼の容貌を気にせず、「何なの?テロ?」と全裸の日本語を話す男に叫んだ。「テロ?まさか?大丈夫?」と男は真琴に叫んだ。警報サイレンが鳴り響き、スプリンクラーの水が狂ったように舞い始めた。真琴は周りに火の気がまだ無いことを確認して、自分の部屋の荷物を取りに立ち上がって走り出した。 その男は、ふと正気に戻り自分がシャワーを浴びていて全裸であることに気づき、慌てて自分の部屋へ戻ろうとしたが、オートロックで部屋に入れないと知り、自分の前を走り過ぎようとしている日本語を話す女に「部屋に入れない。何か着るものを貸してくれ。」と叫んだ。真琴は、その叫び声に気づかず、自分の部屋のドアを開けると、すぐ後ろからその日本語を話すずぶ濡れの裸の男が雪崩れ込んできた。真琴は、「キャー!何するの?命だけは!助けて!」とその男に叫び、床に倒れこんだ。裸の男は「違う。オートロックで部屋に戻れないから、逃げるにしても何か着る物を貸して欲しいんだ。助けてくれ。」と真琴に抱きついた。真琴は動転したが、状況を把握し、まずはここから逃げ出さなくちゃいけないと思い、その男に真琴の部屋着のスエットスーツを投げ渡し、ベッドのシーツを彼にかけた。真琴は自分の荷物をかき集めて二人で部屋を出て非常階段の方へ駆け出した。二人は、四階から一気に一階に転げ落ちるように駆け下り、宿泊先のこの豪華なホテルが一瞬にして戦場化して煙を吐きだした。彼女達の部屋のある棟の隣の棟に爆弾が仕掛けられたようで、隣の棟はすでに倒壊寸前であった。周りを見渡すと夏休み前で日本人らしき人は殆ど居ない様で、外国語が飛び交っていた。一緒に逃げてきた男が震えて真琴にしがみ付いて離れない。「大丈夫よ。寒いの?安心して。」と真琴がその男の顔を覗き込みながらシーツを被せた。その時は、なんとなくどこかで見た様な顔だけど、誰だか分らず、お互い名前を尋ねる余裕も無かった。「警察、医者や軍隊はまだなの?」と真琴は周りに英語で叫んだ。

 夏とは言え、夜が深まるにつれ気温も低くなり、男の濡れたままの髪や濡れた身体に直接着たスエットスーツが海からの冷えた外気に接し、限界が来ていたのか?震えが一段と激しくなり「寒・・い」と真琴にしがみ付いて言った。誰かが、援助を求めて、寒さから逃げようと焚火をし始めたので、その男を抱えながら焚火の方へ移動した。男の足は、ガラス等の破片を踏んでいたのか?血だらけであった。「まあっ!裸足だったのね。そうか、シャワーを浴びていたから、無理もないわね。悪いことしたわ。私だけ靴を履いていたなんて、ごめんなさいね。」と真琴は彼に優しく言った。その時、隣に居るその男が、美しい青年であると焚火の明かりで初めて分かった。そして、懐かしい顔だと感じた。(そうだ。彼の荷物すべては部屋の中だわ。どうにか彼の部屋へ入れないかしら?)と思案する。その時、顔見知りのホテルのフロントの従業員がこちらへ向かって来て、英語と片言の日本語交じりで「大丈夫ですか?此方の棟はまだ大丈夫ですから、安心してクラサイ。」と言った。真琴は、そのホテルマンに「405号室の鍵を貸して欲しいの。部屋に荷物を置いたままだから、部屋に戻れない?」と懇願した。「警察がまだ到着していないので、まだホテルに入れますが安全は保証しませんよ。それでも宜しいですか?」とそのホテルマンが少し落ち着いた口調で英語で言うので、「それでも構わないから、鍵を貸して」というと、ホテルマンはとても大切に抱えているアタッシュケースから1つの鍵を真琴に手渡した。真琴は、そのホテルマンに震えてうずくまっている日本人の男と彼女の荷物を預けて非常階段を駆け上がって行った。四階に到着して、ホテル内の廊下はガラスの破片などが散乱し水浸しだったが、もうスプリンクラーは止まって、外の騒音と比べて気味が悪いくらい静まり返っていたが、非常灯が道案内をしてくれて、青年の部屋の405号室の鍵を開けて入って行った。室内は、暗かったが、ガラスが割れた窓の外の焚火や外灯の明かりのお陰で、何とかバックとテーブルに置かれている携帯や腕時計等や床に転がっていた靴やハンガーに掛かっている多数の洋服をスーツケースに詰め込むことが出来た。その重たいスーツケースを足にぶつけながら、非常階段を転げるように降りて行った。真琴が一階に到着した頃には、多数の警察官がホテルの中へ入らないように規制をして、ごった返ししていた。真琴は、人垣を搔い潜りながら、どうにか焚火の方へ戻りホテルマンを探した。彼はアタッシュケースを相変わらず大事に抱えて真琴の荷物を足で挟んで警察官の質問に答えていた。その傍らに青年は転がっているように横わたっていた。真琴は、ホテルマンに鍵を返して、自分の荷物を拾い上げた。そして、ホテルマンは警察が来る前に真琴が部屋へ戻り荷物を取り出せた事に「Good job!」とでも言いたそうに彼女にウインクした。今からすぐにしなくてはならない事は、ここに横たわっている青年を着替えさせる事だった。もちろん、周りはまだパニック状態で他人に気を留める人は殆ど居ないようであったが、真琴自身が知らない若い男の裸を目にし、触れることに抵抗を感じていた。だから、ベッドのシーツの中で横たわっている美しい青年の着ているスエットスーツを脱がせて濡れている身体や髪を震える手で必死に拭き、彼に下着と洋服を着せた。シーツの中では、外側の騒がしさから隔離された空間となり、助けたいという必死さと羞恥心が混ざった状態で、真琴の心臓の鼓動が大きく聞こえて、彼に聞かれるのでは?と動揺した。

「ありがとう・・・」とその青年は目を開けずに寝言の様に小さな声で言った。「ごめんなさい。とにかく貴方に何か着せようと思って・・・」と真琴はその青年に弁明するように言ったが、彼からは何の反応も無かった。それから三時間位して、大使館や旅行代理店の人達がやっと到着して、安全な他のホテルへ真琴達を避難させた。真琴は、日本へ連絡する事すら、冷静に考えることが出来ないくらい疲れきっていた。日本人の被害者は真琴達を入れて十名であったが、日本人の死者は居なかった。非難したそのホテルには、医者が待機していて、一緒にいた青年の足等の治療を始めた。青年は治療中も気を失っているようで鎮痛剤と抗生物質を投与されベッドで寝させられていた。周りの人達は、その青年と真琴は知り合いだと思っていた様でそのホテルでも隣り同士の部屋になり、看病を依頼されてしまった。

結局 真琴は名前も知らない美しい青年の看病で彼の部屋の椅子に座って眠ってしまった。ふと、目が覚めるとベッドの背もたれに寄り掛かった青年が真琴を見つめていた。

「おはよう」と美しい青年は真琴に言った。真琴は、夢うつつで「おはよう、あなたは?ここは?・・あっそうか! 大丈夫?」と答えた。「うん、大丈夫。ありがとう。本当に何と言っていいか。・・・あっ、僕は大林 マサシと言います。」と美しい青年は昨日より元気そうに言った。「あっ、私は織田真琴です。日本大使館の手配でなるべく早く日本へ帰国できるようにしてくれるそうよ。医者に貴方を診て貰って、足の外傷は2週間くらいで治るそうよ。栄養を良く取って風邪をひいてしまっているから、無理しちゃダメだってよ。熱はあるのかしら?」と真琴は立ち上がり、将の方へ近づき、彼の額や頬を手で撫でた。「熱は下がったわね。良かった・・」と真琴は無意識に彼の髪を優しく撫でた。まるで母親が子供にするように。将は、ビクッ!として、顔が赤くなるのを覚えた。(なぜだろう?仕事で大勢の人の前でラブシーンやキスシーンをしても恥ずかしく感じないのに。どうかしてるぞ。昨夜の事件の影響かな?体調が悪いからだろうな?)と顔の向きを変えて自分の動揺を彼女に悟られないようにした。真琴は、何も気づかず「大丈夫ね。何かあったら、私の部屋は隣だから、内線202を呼んでね。」と真琴は自分の部屋へ戻りシャワーを浴びたいと思って彼の部屋を出た。

 真琴は、自分の部屋に入るや否や、シャワーを浴びて鏡に向かって「何てことになったの!これは現実なの?早く日本へ帰りたい。連絡をしなくては!」と呟いた。でも、今では、彼女の持てるすべての力の限界であった。真琴は、気が遠くなって、下着のままベッドに倒れこんで深い眠りの世界に落ちて行った。

「織田さん、 マコ・・・マコトさん、大丈夫? 目を開けてくれ。」と遠くで懐かしいと感じる声が聞こえて来た。真琴は、今の自分の状況を把握することが出来ず、薄っすらと目を開けた。すると、狭い視野一杯に天使のような美しい顔がこちらを覗いていた。「あっ、気づいた。良かった。」とその美しい青年は微笑みかけた。真琴は、まだ自分の状況が分からず、彼を見つめていた。「何度も内線で呼んだんだけど返事が無いから。心配でフロントへ連絡して合鍵で開けて貰って部屋へ入ったら、マコトさんがベッドの上に倒れていたんだよ。生憎、医者は他のホテルへ巡回中でこのホテルに居なくてどうしようか?と迷っていたんだ。でも、意識が戻ってくれて良かった。」と美しい青年は嬉しさのあまり機関銃のごとく早口でしゃべった。真琴は、彼の話で、やっと自分の状況を把握し、その美しい青年が先程まで自分が看病していた青年であることに気づいたのであった。

「ありがとう。オ・・・大林さん」真琴はその青年に言った。「ショウで良いよ。」とその美しい青年は言った。「ショウ?マサシ・・君じゃないの?」と真琴は聞き直す。その青年は少し慌てて「あっ!将軍の将の字でマサシだけど、皆からショウと呼ばれているから。」と言うと、真琴は頷いた。「俺だって、マコトさんに助けて貰ったもんな。こちらこそ、ありがとう。」と真琴の手を握りながら美しい微笑みながら将は言った。自分の顔が熱くなるのを真琴は感じた。そして、自分の目の前の美しい青年の顔をどこかで見かけた様に思え、無性に懐かしく感じた。また、自分が下着姿であることに気づき、ベッドのシーツに潜り込んで、「今から着替えるから・・・」と恥じらいながら将に言うと、その青年はハタと気づき「あっ!そうだね。部屋に戻るから着替えたら食事でも取ろうよ。部屋で待ってるから。」と言い放ち、真琴の部屋を足を引きずりながら出て行った。(びっくりした。こんな姿を見られて、恥ずかしいわ。・・でも、どこかで彼に会っているような?思い出せない。そうだ、和幸や事務所に連絡しないと、心配しているだろうな?・・でも意外と私の事を心配してくれてなかったりして・・・。今、確実に私のことを心配してくれているのは、彼(将君)だけだったりして・・。馬鹿!何考えているのかしら?どうにかしているわ私は。あんな年下の子にドキドキなんて。しっかりしろ、真琴。)と混乱した思いを一掃するようにテキパキと着替えて、国際電話をかけた。しかし、回線のトラブルで日本へ継がらない。「仕方がないか。とにかく、栄養を取って元気に帰国できれば、OKだよね。」と気を取り直して化粧をして、隣の部屋へ戸惑いながらも出かけた。真琴は、先程の事は何も無かったように平静を装って、開いたドアの201号室へ入って行った。「大丈夫?下のレストランで何か食べようよ。マコ・・ト」と将が何気なく言う。「えっ?」真琴は、自分の名前を親しい人以外から呼び捨てされることに違和感があった。「ご馳走するよ。お世話になったし、一人で食べたくないんだ。頼むよ。」と将は、やや悲しそうな目で真琴を誘った。流石の年上のキャリアウーマンである真琴でも彼の美しさと漂うオーラに酔ってしまった。「良いわよ。ショウ」と真琴は答え、相手を呼び捨てにしてしまった事に気づかなった。その瞬間、二人は見ず知らずの日本人の年上の女と年下の青年でなく、運命の女と男となった。

 2時間ほど、食事をしながら二人はお互い、どうしてBL島に来たのか?自分の仕事について話した。その際、将が俳優で芸名が相田ショウである事が分かったが、生憎真琴はあまりドラマや映画を見る機会が無く将の事は知らなかった。顔は何かの雑誌で見たことがあるようにも思えてきた。(そうだわ、だから、どこかで見かけた顔だと感じたんだわ)と真琴はひそかに自分の疑問に決着を付けようとした。「ごめんなさい。私、あまりテレビや演劇等を見ないから芸能には疎いの。でも、将には一般人と違うオーラを感じるわ。流石、俳優ね。仕事 忙しいでしょ?早く帰国しないと大変じゃない?」と真琴は将に自分の胸の奥で心臓がドッキンドッキンと大きな音を立てているのを再び感じ、その音を聞かれない様にやや冷めた様な態度をとった。「へぇ真琴は、新宿の法律事務所で働いているんだ!ドラマに出てきそうなシチュエーションだね?格好良いな。キャリアウーマンか!」と将は興味一杯で真琴の目をジーっと見つめて言った。真琴は、(あまり見つめないで、顔が熱くなるじゃないの。)と思いながら、時々目を逸らしながら彼の話を聞き入った。そして、お互いのメールアドレスと携帯番号を交換し合った。食事を終えて、二階のフロアでエレベーターから降りて、二人並んで将の部屋の前に来た時、「本当にありがとう。君は俺の命の恩人だよ。そして、俺の荷物までも取って来てくれて、感謝してもしきれないよ。帰国しても会って欲しいな?ね? マコト」と真琴の手を強く握りしめた。どうしても、将は仕事柄無意識に大胆な行動をとってしまう。真琴は、その大胆な行動に驚いたが、自分でも驚くほど冷静に振舞って答えた。「えっ? 私もショウと出会って嬉しいわ。これも何かの縁ね。東京で会いましょうね。おやすみ。」

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