第32話 梅雨の動乱⑸

 六月二十日。春宮は少しテンションが高かった。機嫌のいい鼻歌が聞こえてくるほどだ。


「機嫌いいな」


「ん、今日もいい事ありそう」


「懐かしいフレーズだな」


 俺はどこか、彼女が機嫌のいい理由がわかった気がした。そして、いつも以上にハイテンションな人物がもう一人…。


「こんにちにゃっはろー!今日もアクセル全開でやってきまっしょい!」


「紗霧さーん」


「おー、佳奈ちゃんは、今日も可愛いねー」


 そう、相浦である。いつもの彼女以上にテンションが上がっている。その理由は、きっと春宮と同じだろう。しかし、俺にとっては悩みの種でもある。そう、全校集会だ。


「みんなー、集会始まるぞー」


 他クラスの委員長の声が聞こえ、生徒たちがゾロゾロと歩いて体育館に向かう。俺たちも、それに続き体育館に向かう。心做しか、二人の歩く速度が早く感じた。


 ついに集会が始まり、校長の長々とした話が始まる。それが終わりに近づくにつれ、二人の鼻息が荒くなる。


 そして、学年主任が「先日の高校美術コンクールにて、優秀な成績を収めた生徒を発表します」と発表する。俺と春宮、相浦の鼓動が高鳴る。


「銀賞、相浦紗霧。金賞、春宮佳奈。代表して、春宮佳奈、前へ」


「はい」


「は…?」


 ぞくりとに肌が立つ。彼女の声は、動揺や困惑と言うより、どちらかと言うと怒りを孕んでいた気がした。


 短いながらも、相浦の心からの怒りが、その一言に込められているように、そう感じてしまった。


「あ、あの、相浦?」


 集会が終わり、俺は相浦に声をかける。なんと言われるだろうと、ビクビクしていると、いつも通りの笑顔と「なんだい?」という声が返ってくる。


 やはり、自分の聞き間違えだろうかと考えてしまう。


「紗霧さん、凄い!」


「…何言ってんだい、佳奈ちゃんは金賞じゃないか」


「ううん、私は紗霧さんの作品が好きだよ!」


「そっか、嬉しいなぁ…」


 たはは…、と若干渇いたような笑みを浮かべる相浦。やはり、少し彼女の態度に違和感を感じる。しかし春宮はそんなことを気にしていないらしく、集会が終わっても相浦に擦り着く。そんな中、相浦が一言、「ちょっと御手洗行ってくるね」と言った。


「うん」


 さすがに同行するつもりは無いらしく、春宮が短く返事をして手を振る。


「何か変じゃないか?」


「どこが?」


「俺は特に何も気が付かなかったが…。何分場所が離れてたからな」


 俺は榎原と西川に聞いてみるも、二人は首を傾げた。春宮も特に気にしてない様子。やはり自分の杞憂かと思った士郎は、これ以上余計なことは考えないようにした。


 第一、自分の想い人があのようなことを他人に言うなどありえないと、若干押し付けがましいとも取られる崇拝的なものを、俺は相浦に抱いていたのだ。


 しかし、事件は起こった。俺たちは会話していたため、他のクラスメイトよりも若干遅れてクラスに入った。


「…?」


 外からでもわかるほど、何やらクラスメイトたちが騒然としていたのだ。檜山まで、いつもの飄々とした面持ちとは打って変わり、真剣な顔をしていた。そんな彼に声をかけてみる。


「どうかしたか?」


「あれ、なんだ…?」


「あれ…?…!」


 檜山は黒板を指さす。そこには…「春宮佳奈は極道である」と大きな字で殴り書きされていた。


「…みんなどうしたの?そんなザワザワ…、誰がこんなこと書いたの!?」


 トイレから戻ってきた相浦も、黒板の文字に激昂する。猜疑の声、罵倒、嘲笑、嫌悪。様々な声が教室を埋め尽くすそんな中、春宮はただただ、俯いて黙り込んでいた。

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