第31話 梅雨の動乱⑷
土留色の空の下、空を見上げる人影が二人。俺と那月である。
「まさかあんたに付き合ってこんなことになるとは」
「五月蝿いぞ、お前が見学したいと言うから…」
「まぁ、私演劇部からオファー掛かってるんだけどねー」
「そうなのか。実は俺も一時期とはいえ兼部しているんだ」
「マジで?」
「まぁ、台本提供をしているだけなのだがな。それと引き換えに、名前だけは何人か演劇部から貰って俺一人で部としてやっていけてるということだ」
「なるほどね」
外はついに雨が降り出した。昇降口で、そんな空を2人で見上げ、俺が傘を用意した。そして、何もしないままの春宮を見つめる。
「…お前、傘は?」
「忘れた」
「朝のニュースくらい見ろ。それかニュースアプリを開け。仮にもお前は今をときめく読モだろう」
「仮じゃなくても今をときめく読モですけど?」
「はいはいそうだな」
面倒くさそうにそう言い放ち、俺は傘を開いて外に出ようとする。その襟を、那月が摘んだ。そのまま首を絞めあげられる形で、俺は止められた。
「ちょっと待ちなさいー!」
「あだだだだっ!離せ!」
「私を見捨てる気!?」
「どうしろと言うんだー!」
「あんたが濡れて帰りなさいー!」
やいのやいのとやっているうちに、雨足は激しさを増した。このままでは行けないと、俺たちは一旦冷静になるために昇降口の前まで戻る。
「お前…、折りたたみ傘も忘れたのか」
「えぇ、忘れたわよ、悪い!?」
「開き直るな。しかしどうしたもんか…」
「……」
また二人で空を見上げる。雲はまるで上から押し付けられたようにいつもより近く感じられた。割れ目から青空が見えてくる気配はまだない。むしろ、本降りになってきている。
「…そんな顔をするな」
「どんな顔よ」
「雨の中置いてかれた子犬みたいな顔」
「私は犬じゃない!まぁそれ以外は大体あってるわね」
現に雨の中、濡れずに帰る手段を持ち合わせておらず立ちつくしている現状。そんな彼女に同情し、「はぁ」とため息をつく。
「…しょうがない。少しの間我慢できるか」
那月は俺の言葉を理解できないようで、小首を傾げ、「はぁ?」と口にする。
「これくらいしか解決策がない。2人とも濡れないのはな」
「…まさか!」
「そのまさかだ」
那月は顔を真っ赤にしながら、わなわなと震えている。そう、彼女の頭の中では、もうとっくに俺の行動の意味はわかっていたのだろう。分かった上で、理解したくなかったのだ。プライドの高い彼女だ。
同性でも躊躇われるのに、異性とこんなこと…、と頭の中は冷静と言えるものではないだろう。その結果…。
「あ、あんたとそんなのごめんよ!」
意地を張った。
「そうかしょうがない、なら俺は帰らせてもらう」
「ちょ、待って!」
「なぜ待つ必要があるんだ。お前は俺とは相合傘をしたくないんだろう。だったら適当な女子の傘にでも入れてもらえ。ネームバリューはあるんだ。断りはされても、直ぐに相手は見つかるだろ」
振り返り、長々と話しながら歩き出す俺の傘の中に、那月が飛び込む。冷静さを欠いていた故の、衝動に任せた行動だった。
「と、とっとと進みなさいよ…」
「少し寄れよ」
赤くなっていることを悟られないよう、俯き気味に歩く那月。周囲からの目も気にしているのだろう。たく、しょうがないな。俺は少し陽菜の方に傘を傾ける。
「これで少しは周囲の目は防げるだろう」
「…あんた、肩濡れてるわよ」
「気にしない。結局直ぐに風呂に入る」
「明日あんたが風邪でも引いたら、目覚めが悪くなるじゃない。貸して」
俺から傘を奪い取り、平等な位置で傘を差す那月。
「噂になっても知らんぞ」
「もう噂になってるでしょ。昇降口であんだけ言い合ってたら。それに…」
那月は少し自慢げな顔をして、指を口元に当てる。
「噂されるのは慣れてるから。読モ舐めんな!」
「そうか。さすがは読モ様だ。噂されるのに慣れてるだけじゃなく、ストーカーへの対処も出来ればいいんだがな」
「そ、それとこれとは話は別でしょ!」
「それもそうだ。それと、今度あんなことがあったら…、ちゃんと俺に相談しろ。お前を家に匿うくらいはしてやる」
自分から話しておいて、やはり言い過ぎたと優しい言葉をかけたは良いものの、少しして、柄でもないことを言ってしまったと後悔する。
変な勘違いをされていないかと彼女の方を見るも、先程から顔を背けており、表情が確認できないでいた。雨が続く中、那月が小さくつぶやく。
「ありがと…」
「…は?」
「何よ…」
「いや、あまりにも素直すぎて…あだっ」
那月が肘で脇腹を小突く。
「悪かったわね、普段は素直じゃなくて!」
「照れ隠しか。やれやれ」
「キモッ…!」
「やめろ、俺でもさっきのは言葉選びを間違えたと自負してる…!」
やはり、互いに慣れない異性との至近距離での会話。緊張しているのはお互い様だ。読モと言っても女優じゃない。異性との交流もまだ少なく、小説家と言っても只々物語の中でのみ男女の交流があるだけ。
変態娘の件で少しは耐性が着いているが、このようなピュアな反応をされてしまえば反応にも困る。その結果、このような普段からは考えられないような返答もしてしまう。
そして、気まずい空気を打開するため何とか話題を変えようと、俺が口を開く。
「全く、梅雨入りコーデと豪語してモデル雑誌の表紙を飾るくらいなら、ニュースを見て傘のひとつでも用意しておけ」
「…見てくれたの」
「まぁな。特によく分からんかったが」
「あんたも商売で本を書いてるなら、もっと真剣に読みなさいよ」
「ジメッとした空気も乗り切っちゃう、ガーリッシュレイニーコーデだったか?」
「…ちゃんと読んでくれてたのね」
何やら悶絶している那月。そう、この文言は、表紙ではなく、那月が特集されたページの一文である。
「キモイ…」
「読んでくれた者に大してその言葉はあんまりだろ。それと罵倒に切れ味がないぞ」
「うっさい、馬鹿」
「朝から曇っていたのに傘を忘れたお前に言われたくないが」
「朝はたまたまスマホもテレビも見る暇なかったのよ!はぁ、あんたって人を小馬鹿にしなきゃ生きてけないの?」
「お前にだけは言われたくないがな」
「あ、あんたねー!」
騒ぎながら歩く俺たちの上で、傘が揺れる。傘の中の二人の距離感は、どこか近づいた気がした。
「…あっ」
あとから聞いたのだが、カバンの底の方に折り畳み傘があったそうだ。そのことに那月が気がついたのは、家に着いた後のことだったらしい。
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