第6話 好きで、嫌いで
「榎原くん…、どうしよ…」
「こんなの言いがかりだろ!気にする必要ないぞ!」
「そうだよ、ただ同じ名字ってだけで勘違いしてるだけだ」
「士郎くん…、うん、そうだよね」
冷や汗を拭う春宮。おかしい、この高校で彼女の素性を知っているのは俺だけのはずだ。ならば、やはりただの憶測で語ってるだけのクラスメイトか…。しかし、彼女がかなりダメージを食らっているのは事実。そのためにも、こんなことをした人物を突き止め、釘を刺すべきか…。
「不知火。少しいいか…」
「西川…」
俺と西川は教室を出て、廊下の壁にもたれ掛かる。そして、西川が話を切り出した。
「この一件、学級裁判なんてものになったら余計あいつの精神をすり減らせるだけだ」
「そうだな…、でも…」
「何も咎めなければ、また第二第三のいじめがあるかもしれない。だから、ここは俺に任せてくれないか」
「…、わかった。みんなには俺から話しとく。説得はできるかは…、知らないけど…」
現に、クラスの中の雰囲気はかなり険悪なものだった。榎原や相浦がいるとはいえ…。
「それくらいならどうにかなる。ちょいと強引ではあるがな。こう言うんだ…」
なるほどと俺は納得した。もしかしたら、これで少しは事態が改善するかもと。
俺は相浦と榎原に協力してもらい、どうにかこのクラスの空気を切り替えるため、声を上げた。
「お前たち、こんなことで一致団結できるのか?もうすぐ体育祭だろ。体育祭の報酬、覚えてるか?」
「一年は文化祭での一時体育館貸切、三年は受験に役立つ問題集…、そして二年は…」
「そう、修学旅行の行き先の決定権!夢の国!北の大地!大都会!国内ならどこでもOK!」
打ち合わせ通り、三人は口裏を合わせ、クラスの雰囲気を明るい方向に持っていく。少しずつ、変わっていく。少しずつ、明るく。しかし、どうしても一定数、彼女に疑いを持つ者もいた。それを見兼ねた鶴の一声。その声の主は…、那月だった。
「私、沖縄がいいなぁ、最近水着の撮影なかったし、海行ってみたいから。それに、みんなで海へ行くのも、楽しそうじゃん?」
一瞬クラスが静まり返り、ポツポツと噛み締めるような声が聞こえる。
「陽菜ちゃんの水着…!」
「プレミア物だぞ…!」
「みんな、勝ちに行くぞ!そもそも春宮なんて名字、いくらでもいるって!それより体育祭だ!」
『おぉー!』
クラス一丸となり、声を上げる。春宮も、少し笑顔になった。
「あとは西川に任せるか…」
「不知火くん?」
「ん、いや、ただな。あいつ体力ないから、どうしたもんかと」
「騎馬戦の上とか?」
「それありだな」
「何がありだ。まぁ、そのくらいしかできなそうだがな…」
背後から、ぬっと西川が顔を出す。
「西川。方はついたのか?」
「おう。証拠は揃った」
「早いな」
「何の話?」
「こいつ体育祭出たくないってごねてたんだ。で、さっきまで気持ちの整理してたわけ」
「まぁそんなとこだ」
「なるほどね」
やはり、彼女はどこか高揚していた。それもそうだ。クラス同伴とはいえ、想い人と沖縄だ。絶対勝つと、彼女は静かに燃えていた。恋する乙女は、強いのだ。もしかしたら、気持ちを無理やり切り替えようとしているのかもしれないが…。
「あのねー、みんな、もう授業は…」
本格的に授業が始まったのは、五分後の事だった。
体育祭の練習が学年全体で行われるため、校庭にまばらに生徒が集まり始める。
「紗霧さん、先行ってるね」
「おう、私もあとから行くよー!」
相浦は服を直しながら、春宮に返事をする。そして、相浦はゆっくりと黒板に歩いていき、チョークを手に取った。そのタイミングで、俺が教室に入る。
「全員いなくなった教室で、黒板への落書きに興じるか…、美術部が聞いて呆れるぞ」
「に、西川くん。そう、ただの落書きなのだよ!西川くんこそ、なんでここに?」
「お前が1人になるタイミングを見計らっていた。それに、ただの落書きなんかで俺は注意などしない」
「それってどういう…」
「しらばっくれる気か。まぁいい。俺はもう行くが、一言言わせてもらう。これ以上春宮を傷つけるな。お前が春宮を極道だと勘違いをしているのなら、それはただの思い過ごしだ」
「…!」
びくんと肩を揺らす相浦。俺の見立て通り、彼女が主犯で間違いがないようだった。
「極道だとか何とか、どうでもいいのさ…」
「なら、動悸はなんだ、プライドか?そんなことをしても、最優秀賞は手に入らんぞ」
「…何がわかるんだよ」
「ん?」
「才能だけのやつに負けた私の気持ちなんて、君には分からないだろ」
あまりの衝撃に、俺は黙り込む。彼女が不気味だからだ。確かに、声色は先程に比べて怒りを帯びていた。しかし、彼女の顔は微笑をたたえたまま。そんな彼女が、俺は不気味で仕方なかった。昼休みの終わり五分前を告げるチャイムがなり、相浦が口を開く。
「話は終わり?もう行くね」
「……」
相浦が教室を出て、俺が一人取り残される。佳奈への攻撃は未然に防げたものの、ただただ教室に立ち尽くしていた。そんな中、背後から声をかけられる。
「遅れるわよ」
「…那月か」
「そ。あんたらが遅いから先生が呼びに行けってさ。あーあ、また先生からの評価上がっちゃうなー。相浦さんには声掛けたから、あとはあんただけ」
「お、おう、今行く」
重い足を何とか動かし、歩き出す。
「ほら、走りなさい。練習始まるわよ」
「はぁ、はぁ、待て…!」
「あんた体力ないのね…。にしても、ださっ」
「はぁ…、はぁ!?」
唐突に罵倒される。陽菜に罵倒される謂れはないんだが!
「あんだけ任せとけって言っといて、全然事態は解決してない」
「聞いてたのか…!犯人は…、分かったろ!にしても…、まさかあいつが、あんな陰湿なことを…、するとはな!」
「確かにね…、でもあの子、あの様子じゃ反省の色はなしって感じね…。取り敢えず、今必要なのは動悸ね…。未遂とはいえ、犯行の場を抑え、目撃情報も一応あるのにそれを頑なに認めようとしないのは明らかに無理はあると思うけど。そのためには、彼女の身辺を捜査する必要がありそうね」
捜査とはいかにも仰々しい言い方をするものだ。身辺捜査…、何処を捜査するのだろうか。
土曜日。
街角に、異様な格好をした二人の人影が。
「では行くわよ。ワトソンくん」
「探偵気取りか!」
鹿撃ち帽を深く被り、茶色のポンチョ、キセルと杖を携えた那月が、俺に声をかける。等の俺は、白衣に聴診器を持たされていた。なんでこんなジメジメした日に、厚着をさせられなきゃいけないんだ…!
「捜査は探偵の十八番よ」
「それと、俺は何でこんなの持たされているんだ」
「ワトソンは医師だからね。それに私形から入るタイプだから、あんたも付き合いなさい」
「じゃあなんでこんな衣装持ってるんだ」
「趣味よ。昔着た衣装を気に入ったらポチって、その繰り返し。あ、それともう一人来てもらうよう頼んどいたのよね」
もう一人…、俺には予想はついていた。しかし、俺はその人物だけは関わらせたくなかった。
「おい!まさか…!」
「分かってるわよ。この一件で巻き込んでいけない人物は二人。不知火くんと春宮さん。そうでしょ?」
「あ、あぁ」
良かった。那月は、そこのところはちゃんと分かっているらしい。不知火は紗霧にベタ惚れ、春宮は相浦に並々ならぬ友情を感じているらしかった。そんな彼らが彼女の本心に気がついたら、かなりショックを受けるだろう。それを、那月も理解しているのだ。
「じゃあ、誰だよ」
「おっす!二人ともー!」
「お前は…、榎原」
「おう!」
爽やかに笑っているが、その服装には突っ込まざるを得なかった。
「その帽子と杖はなんだ?」
「家にあったの適当に持ってきた!」
「マイクロフト・ホームズよ。さて、集合した事だし行くわよ!」
なるほど、彼も那月に付き合わされているわけか。そんな傍から見れば愉快な三人組、実際のところ首謀者一人被害者二人の行先は、街の寂れた公共施設のような建物だった。公会堂のようだが、違うようだ。
「ここは元公会堂。今は地主の人が絵画教室として使ってるらしいわ」
「へぇ…、絵画教室ねぇ」
「さ、入るわよ、アポはとってあるわ」
「抜かりないな」
まだ昼だと言うのに、窓が少ないからか中は薄暗かった。少し進んだ部屋の中に、中年男性がたっている。彼が地主か。
「こんにちは。今日はお時間ありがとうございます、原田さん」
「いえいえ。こちらも最近はすっかり生徒も減り、仕事も少なくなってきましたから。で、紗霧さんのことを聞きたいんですよね?」
「はい、彼女、あなたの目から見てどう思いましたか?」
いつもからは考えられないほどの真面目な口調に、俺は驚愕した。こんな言葉を話せたのかと。
「…彼女はとても真剣に絵と向き合っていました。初めて描いた時は…、正直彼女の絵からは今の彼女のような才能は感じられませんでした。ですが、紗霧さんは諦めなかった。それが実を結び、今の彼女のような才能溢れる絵を描けるようになったんです」
「そうなんですね…、他になにか…」
「彼女の絵に向き合う姿勢が変わったとか」
何やら曖昧な質問を提示され、困っている原田さんに、俺が質問をする。すると、原田さんはまたもや少し考えたあと、口を開いた。
「彼女の姿勢は、いつも同じでした。誰かの作品を凄いと感じ、それに追いつけるように努力をする、そして満足したら次の目標を探す。ほら、あそこの雑誌。粗方、紗霧さんは目を通していると思います」
俺たちは振り返り、本棚の方を眺めた。十冊はある。そんな中で、見知った名前を見つけた。『春宮佳奈』と。俺は、ある程度分かった。何が彼女をあのようなことに着き動かしたのか。
「なるほど…」
「しかし、彼女は知ってしまったんです。確かに、彼女を超える天才は数多いた。それは彼女も知っていたでしょう。しかし、同年代には勝てる気でいた。どんな天才にも。それは決して慢心などではないと、私も思っていました。天才、春宮佳奈を除いて。しかし、春宮佳奈は美術界を退いた。彼女はもう戻ってこない。彼女からしたら、勝ち越されたという風に捉えてしまったのでしょう。もう、彼女とはどう足掻いても競うことは出来ないと。しかし、今年の春、めっきり顔を出さなかった紗霧さんが再び通いつめるようになったんです。理由を聞いてみたところ、『もう一度、あの子と競えるから』と話していたんですが…」
そこで春宮に敗北し、吹っ切れた彼女が…、というわけか。俺達の中で、全てが繋がった。
月曜。
「ふぅ…」
「女子はダンスだったよな。お疲れ」
「士郎くん…、仰いでー」
「へいへーい」
下敷きで春宮を仰ぐ。男子は騎馬戦なのだが、乗せる男子が西川なので、凄く軽くて楽なのだ。その分直ぐに負けてしまうが。
「あ、春宮さーん」
「む、あなたは?」
「私、島崎美咲。体育委員だよ…、って、毎回体育の時前で体操するから知ってるよね?」
「喋るのは初めてだから。あ、私は春宮佳奈。よろしく」
「うん、よろしくねー。で、本題なんだけど…」
島崎は春宮の机の上に紙を置いた。そこにはリレーエントリー表と書かれている。
「エントリー?」
「そ。ちなみにリレーに出ない人は、応援合戦に出てもらう予定。で、どっちに出たいか聞いて回ってるんだけど、どうする?」
そういえば俺も金曜の休み時間に書いたな。応援団にしたけど。しかし、春宮は少し悩んでいるようだ。
「お前、足速いんだからリレーにすれば?」
「え、そうなの?すごいねー、絵も上手いし足も早い、文武両道なんだ!」
「ダンスとかは苦手だけど…、でもそう考えたら、リレーの方がいいかも」
「ダンス苦手で足が速いなら、そうだよね。ありがと、あ、でもちゃんとダンスも練習してねー!」
へー、こいつダンス苦手なんだ。道理でこんなに疲れているわけだ。
「春宮、言われてんぞ」
「士郎くん、手が止まってるよ」
再び、俺がパタパタと下敷きで仰ぎ出す。しかし、何処か春宮は浮かない様子だった。
「紗霧さん今日来ないのかな…」
「あいつの事だよ、一日二日休んだら治る…と思う。俺も心配だけどな。お前が休みの時も、こんな気持ちだったんだぞ?俺」
そう、春宮も数日前休んでいた。前の日の出来事もあってか、なんだかんだ今回より心配だったかもしれない。
何も、相浦のことを心配していない訳では無い。ただ、俺の中では、相浦は何があっても笑っている、太陽のような存在であり、たとえ沈んだとしても、しばらくしたらまた明るく輝き出すような、そんな存在だった。
それに比べ、こいつは何処か儚いのだ。多分、例えるなら雪や花。触れたら、ほろりとこぼれて、雑に扱ってしまうと、壊れてしまうような。でも、彼女は妙に周りに関わりを持とうとする。なんなら恋もしている。恐らく、彼女が箱入り娘に近いものであり、あまり他人と関わってこなかった…、いや、日本に帰ってからの友達が少なかったからだろうか。
「……」
「照れてんの?」
「士郎くんが恥ずかしいこと言うから!」
「友達のこと心配すんのが恥ずかしいことか?」
「そういうとこ、嫌いじゃないけど嫌い…」
「嫌いなのか嫌いじゃないのかどっちかにしろよ」
「ぷぃ…」
わざとらしくオトマトペを発しながら頬を膨らませながらそっぽを向いて突っ伏す春宮。
「気を取り直せよー」
「アイス…」
「ソーダ味の?」
「バニラ…」
「スーパーな?」
「ハーゲンなやつ…」
「お前なぁ…、わーったよ、帰り買うかぁ」
「…そういうとこも、嫌いじゃない」
そう言うと、春宮は俺の顔を見て、ニコリと微笑む。普段無表情な彼女の、ふと見せた笑顔に、少しドキリとした。その様子をからかうように、春宮は「赤くなってる」と笑った。
「ばっ…、アイス買ってやんないぞ!」
「言質は取ってある」
『帰り買うかー』
そう、彼女はそっぽ向いた瞬間にスマホの録音をオンにしていたのだ。案外抜け目の無いやつ。
「これだけじゃ何を買うか分からないだろ」
「初めから聞く?」
「いいよ、でも、買ったら明日からの練習頑張れよ?」
「着の身着のままでー」
「ちゃんと真剣になー、多分、お前はそういうの手を抜くタイプじゃないと思うけど」
ふふん、と誇らしげに春宮が笑う。少し前までは、無表情な彼女が普通だったのだが…。
「お前、笑うようになったよな」
「まぁ…」
「その方がいいぞ。あいつだって、笑顔が素敵な女性が好きなんだと思う」
「うん、だから、これ…」
そう言うと、春宮は机の中からカバーのしてある小説を取りだした。西川の作品だろうかと思ったが、どうやら違うようだ。彼女が見せたカバーの内側には、『人に好かれる100の方法』と書かれていた。俺は第一章のタイトルを読んでみた。
「なるほど、『まずはとりあえず笑ってみる』か」
「んっ」
それならいっそ、とっとと告白した方が早いんじゃないかと思ったが、自らの首も絞めているように思えて黙っておくことにした。
「どうかな?にっ」
無理やり口角を上げ、引きつった笑みを浮かべる。
「さっきの方が自然でよかったと思う」
「そっか…あ、次選択か。じゃ、行ってくるね」
軽い足取りで、春宮が教室を出て行く。
「よす、不知火!選択行こーぜー」
「榎原、行くかー」
春宮と入れ替わるように、榎原が教室に入ってきた。それから今度は二人でロッカーに向かい、教科書をとって音楽室に向かう。
「なぁ、不知火」
「ん?なんだよ」
「なんかさぁ、さっき春宮がすげぇ嬉しそうな顔して教室出て行ったんだよ」
「あぁ…」
「それがさ、なんか可愛くて…、何、あいつ好きなやつとかできたのかな?それでそいつを思って笑顔になってるとか…」
「あぁ、それは…」
春宮はお前のことが好きなんだよ、なんてこと俺は言えなかった。自分のせいで、こいつと春宮の関係を壊れるかもしれないのが怖かったのだ。
俺たちは通学路にあるコンビニでアイスを買い、俺の家でそれを食べていた。
「一口いる?」
「いいのか?」
「元はシロイヌのお金だから」
「では遠慮なく」
「あ、私の食べたとことは別のとこから掬ってね」
そういうとこはしっかりしてるんだな。というか、俺が払ったのだから、もう少し分け前があってもいいのだが、春宮はアイスを抱え、独り占めしていた。
俺はスプーンを手に、アイスを掬って口に入れる。春宮も、その様子を見ながらもう一口、口に入れた。
『美味…』
少しシーズンとは違うが、口の中で溶けていくアイスはとても美味なものだった。俺たちは目を閉じ、口の中の甘味を噛み締める。俺が目を開くと、ふとカレンダーが目に映った。
もうすぐ体育祭だ。その後は面談…。あっ。
「ああ、そういえばさ、叔父さんの件はどうなったんだよ。もう面談2週間後だろ、お前」
「シロイヌもだよね。えっと、叔父さんには家に泊まってもらう予定」
「そうなのか。部屋の掃除は?ちゃんと綺麗なのか?」
「えーっと、ぼちぼち?」
「叔父さんの負担減らすためにも、二人でやっとくか」
「おー」
俺と春宮は、早速春宮宅に乗り込んだ。どうやら、春宮の言う「ぼちぼち」は机の上にカップ麺があり、ゴミ箱の周りにゴミが散乱している状態を指すらしい。
「よく数日でここまでやれるな。もう才能だろ」
「えへ…」
「照れるな」
ペシッとチョップを入れる。春宮は「あだっ」と言って頭を抑えた。数日前に掃除してもこれでは、もう毎日来るしかないのか、と思ってしまう。実質通い妻だ。そこから、ゴミが片付くまでは一時間ほどかかり、もう日は傾いていた。
体育祭前日。ダンスをしている春宮が見えた。
「頑張ってるよな。春宮」
「あぁ、最初は苦手だって言ってたのに」
「ほんと、すごいな」
しみじみと、呟いた。そんな彼女を、相浦は…。確かに、他人に嫉妬する気持ちは分かる。そして、越えられない壁に絶望する気持ちも分かる。俺だって、スポーツをやっているからな。才能には憧れる。
でも、あんなやり方、間違ってる。
「どうしたんだい?私をこんなとこに呼び出して」
俺は、その日の放課後に、皆が帰ったテニスコートへ相浦を呼び出した。六時五分のことだ。
「なぁ相浦、テニスやろうぜ!」
「え?でも今日ウェアもラケットも持ってきてないし…」
「ラケットは貸すし、ウェアは体操服でいいだろ。今日、体育祭の練習あったじゃん?」
「…わかった、ちょっと待っててね」
そう言うと、相浦は倉庫に入り、着替えを始めた。3分ほどで、相浦が戻ってくる。
「おまたせー」
「よし、じゃあ始めるか!」
「ばっちこーい!」
まずは俺からサーブをする。そして、相浦が鋭い玉を打ち返してきた。やはり彼女、強い。女テニなら即戦力だ。男テニにだって欲しいくらい。でも、今回彼女を呼び出したのは、練習相手をしてもらうためでも、彼女を勧誘するためでもない。
「なぁ、相浦!」
「何?」
「お前、なにか隠してないか?」
「何を…?」
若干、相浦のラリーが遅れる。続けざまに、質問をする。
「春宮と、何かあったのか?」
「…何も無いよ」
「そうか。なら、あいつの作品、好きか?」
「…」
黙りだ。やはり…。しかし、少しして相浦が口を開く。
「あの子の作品は好きだよ。でも…、だからこそ、私は嫌いなんだ」
「なるほどな。その気持ちはよくわかるよ。でも、あんなやり方じゃ…」
「分かってるよ。あんなことしたって、何も変わらない。西川くんにも言われたしね」
「なら…」
「でもさ!私はあの子に勝ちたいの。どうしても勝ちたいの!幼稚なのは分かってる。でも…、あの子は、私の目標だから…」
そうか。きっと相浦の中には、初めは春宮に対する憎悪なんてなかったんだ。時が経つに連れ、春宮を越えられる理想と、越えられない現実のギャップに、嫌気が差していたのだろう。
「相浦!」
「何…?」
「春宮はさ!確かにすげぇと思う!俺も、あいつの絵には魅入られた!」
「そう…だよね…」
「でもさ!それと同じくらいお前の絵も好きだ!絵が大好きだって、ひしひしと伝わってくるから!」
「…!」
すこんと、相浦の背後のネットにあたる。ワンゲームだ。
「ずるいよ…」
「そっちサーブなー」
相浦はこくりと頷きゆっくりと球を上げ、鋭いサーブを打つ。それを何とか返すも、少し腕が痺れるほど速いサーブだった。
「また、挑戦してもいいのかな」
「あぁ、何度だって」
「そっか、そうだね」
ふふっと、相浦が微笑む。どうやら本調子に戻ったようだ。
「ちょっと世間話していい?」
「何だ?」
「なんか最近さ!佳奈ちゃんと不知火くん、一緒にいるよね!」
「まぁな!」
「それがさ、なんて言うか…!」
「面白くないか?」
「…うん」
おう。まさか、普通に肯定してくるとは思わなかった。
「私さ!欲張りなんだよ。欲しいものは手に入れたいし、誰にも渡したくない。でも、そんなこと打ち明けたら、それこそ離れて行っちゃうでしょ?」
「俺はどうなんだよ!」
「辰馬くんはもっと汚い私を知ってるでしょ。でもこうやって、私の思いを吐露させてくれた。そんな君になら、話してもいいかなって」
「そうか。ん?ならお前、不知火のこと好きなのか?」
そう聞いた瞬間、ボールがラケットからすっぽ抜けた。図星か?
「…違うよ」
「顔赤いぞ。それに、不知火は良い奴だ。恥ずかしがることないし、きっとあいつも受け入れてくれるよ」
「知ってるよ。でも私はね。不知火くんと、榎原くんと三人でいる時が、一番楽しかったんだ。そんな二人を、独り占めしたかったんだよ」
「相浦…」
すると相浦は、「2ゲーム取られちゃったね。私の負けだ」と言って、帰る支度を始めた。
「なぁ、相浦」
「言わないでよ。まだ」
薄紫の日の中、相浦の背中が遠くなる。俺は一人コートに佇み、
「独り占めしたかったやつなら、ここにもうひとりいるだろ…」
と、呟いた。
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