第29話 梅雨の動乱⑵

「一緒に帰るぞ、不知火」


「…ん?西川とお前は…那月」


「よろしくね、不知火君」


 そういえば、自己紹介がまだだったことを今更思い出す。


「俺は不知火士郎。西川から聞いてるか」


「うん、目つきは悪いけど、根はいい奴だって聞いてるわよ。あ、それと私の名前は…、聞かなくてもわかるよね?」


「那月陽菜だよな?何回かあったし、姉ちゃんが好きだから知ってるぞ」


 その時、何やら那月が悪どい笑みを浮かべた。そんな彼女を西川が小突く。そんな中、俺は無性に喉が渇いていた。有名人の前で、少し緊張していたのだ。スクールバッグのなかから、水筒を取り出す。


「あだっ」


「すまんな、こいつはお前の真逆なんだ」


「真逆?」


「悪い性格をいい面で隠してる」


「はぁ!?」


 口元まで運んだ水筒のお茶が少し逆流する。


「イメージダウンに関わるでしょうが!仕事少なくなったらどうすんのよ!」


「安心しろ、俺は口が堅い」


「秘密バラされたさっきの今でそんなこと言われても説得力ないわよ」


「那月、なんかすげぇな」


 ムスッとした様子で、那月が俺を見つめる。化けの皮が剥がれ、少し彼女との距離が近ずいた気がした。


「2人って仲良いんだな」


『は!?』


「二人で楽しそうにしてるから」


「楽しかないわよ!」


「まぁこいつが一緒にいればアイデアは降ってくるかもな」


 悪女やらなんやらについての、というのが続く言葉だった。しかし、那月は別の捉え方をしたのか、顔を少し赤らめ、下を見つめた。


「こいつの性格の悪さは絵になる」


 無言で那月が西川の脇腹を殴る。余計な一言も、こいつの悪癖だろうか。


「あだ、殴るな!」


「うっさいわ、このノンデリカシー男!」


「それは同感」


「不知火!?」


 実際、この前の春宮の一件で地雷の上で華麗なタップダンスをしていた彼だ。否定はできない。


「こいつ、小説書いてるくせに人の心情とか読めないわけ!?」


「分かるかんなもん!エスパーじゃあるまい!」


「だからって『こうしたらいい』『こう言えば怒られる』とか普通分かるでしょ!」


「スマンがお前ほど人間関係に恵まれとらんのだ、俺は」


「何その話し方…」


 西川の独特の話し方に、怪訝そうな態度をする那月。確かに、自分も最初は少し驚いたなぁと思い出す。


「何か言いたげだな」


「キモッ」


 包み隠さず言うのか。やはり那月は性格が悪い。猫かぶって仕事するのも疲れるだろうな。


「お、お前!その言葉のナイフをしまわんかー!」


「言い回しもキモイ」


「お前の言葉は妖刀並に人を斬るな…!」


「あんただけよ」


「俺邪魔?」


「居てくれ不知火!是非とも!」


 そこまで言うなら…、と共に歩き出す。しかし、俺の目に、見慣れた少女が写った。しかし、ここ数日全く会えなかった少女だ。そう、春宮だった。


「あっ」


 その一言が聞けた時、心底安心した。あぁ、彼女が無事でよかったと。


「よ、よぉ」


「春宮か。久しいな」


「二人とも、久しぶり」


「元気そうでなによりだ」


「別に元気じゃない」


 しばしの沈黙。その中を、那月だけが三人を交互に眺める。


「あ、あの、私については…」


「あなたは…?」


「わ、私を知らないの?」


「んっ」


 那月は現代をときめく人気読モである。そんな彼女を知らない人間など、いないと思っていたのだろう。口をあんぐりと開けて、固まったままである。そんな彼女を見て、西川が吹き出す。


「今笑ったわね!?」


「き、気のせいじゃないか…!」


 堪えきれず笑うのを那月が至近距離で見つめる。じとーっとした目で。


「絶対笑ってるー!」


「いだだ…、首締まる…!」


『仲良いな(ね)』


『仲良くない!』


「はいはい、公道で痴話喧嘩しないでもらえるか?」


 するなら帰れと俺が部屋を指さした。何やら2人は煮え切らない様子で、互いを見つめあって睨み合っている。こいつらは仲がいいのか悪いのか分からない。


「ったく、わかったよ。帰る」


「そうね…、邪魔者は私たちみたいだし」


「珍しく意見が会うな。俺もそう思ったとこだ」


 邪魔者とまで言うつもりは…、ただ喧嘩を辞めてもらえば、そういう間もなく、アパートの中へ歩いていく。俺と春宮の二人だけが残され、再び二人で気まずい空気になる。


「…ごめんな」


「なんで謝るの…?」


「だってさ、俺のせいで…」


「気にしてない」


 若干食い気味に否定する彼女に、やっぱり怒ってるんじゃないかと不安になる。


「だったら、この数日間何やってたんだよ…、心配してたんだぞ」


「…絵を描いてた」


「…え?」


「そう、絵。見てく?」


 呆気に取られた俺は流されるがまま、春宮の家に上げられた。絵を描くのに五日もかけるのか…、それより第一春宮は絵を描くことが嫌いなんじゃなかったのかと、疑問が次々と浮き上がってくる。


「ここ」


「くっさ…!」


 初めて来た時は独特の臭いとしか言い表せなかったが、理解した。この匂いは絵の具の臭い。春宮がドアを開けると、さらに臭いがキツくなる。俺は鼻をつまみ、中に入った。


「こ、これは…」


「……」


 俺は目を見開き、手の力が抜けていく。まるで絵の中に引きずり込まれるような、そんな感覚。五感の全てが、絵の中の海に取り込まれていく。


「すげぇな…」


「…えへへ」


 これはきっと、彼女の才能なんだろうと思った。これが天才画家、春宮佳奈の実力なのだ。そんな彼女の実力を知ると同時に、俺は察した。彼女では、春宮には勝てない。ただ努力しただけでは、努力をした天才には勝てないのだ、と。


「沢山書き直した」


「…すげぇゴミ」


「努力の結晶って言って…、邪魔になるから捨てるけど」


 ぷくーっと、春宮が頬を膨らませるものの、ゴミであることは認めている様子。何時もの俺ならこのゴミの処分方法を考えることだろう。しかし、今の俺は別のものを考えることに脳の大容量を割いていた。


『彼女が大賞を取れなかった時、どうしようか』と。

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