第5話 梅雨の動乱

激動の春を終え、夏の伊吹が聞こえてきそうな6月15日。不安定な天気が空を覆う中、教室では何やら盛り上がっているようだ。その話題の中心にいるのが…。

「ふふふ、何それ!」

「でねー?」

 那月陽菜だ。今をときめく人気読モである那月は、一般女子高生である彼女らにとってはまさに雲の上の存在。言わば天女なのだ。それが自分たちと同じ教室で、同じ立場に立って対等に話すことが出来る。盛り上がるのも無理もない。

「女子はいいよなぁ、あの那月陽菜と話して!」

「女子の特権だよ。俺たち男子はあの那月陽菜と一緒の空気を吸えるだけで幸せなんだ!」

「…なんかキモくね?」

「今更だろ」

『不知火さん!?』

 ポロリと俺の口から飛び出た毒舌に檜山、正樹、橘がショックを受ける。

「嘘だよな!目付きだけじゃなく口まで悪くなっちまったのかー!」

「うるせー、気にしてんだよ、ちゃちゃ入れんな」

「だったら取り消せよ、今の言葉!」

 やいのやいのとやってるうちに、ホームルームが始まる時間になる。「じゃ、互いに今の発言はなかったことに」と互いに目配せして、親指を立てる。

「楽しそうだね」

「相浦…?」

「おっす、オラ相浦!…あれから佳奈ちゃんに会った?」

「…いや、会ってないな」

 そうだ、あれから五日は経ってるが、まだ彼女は俺の前に顔を出していない。夕飯時にタッパーに彼女の分のものも作り、ドアノブに吊り下げたものは次の日の朝にはなくなっている。なので、彼女の生存確認は出来ているのだ。だが…、俺は彼女の様態が気になる。念の為に「元気にしてるか?」や、「たまにはうちに来てもいいんだぞ?」などと、手紙を添えてみるものの、反応は無し。挙句の果てには先日までは少し開いていたカーテンも完全に締め切られている。どんな様子なのか、俺には確認する手立てがないのだ。

「…そっか」

「…」

 会話が続かない。これ以上彼女を傷つけたくないからだ。これ以上彼女と会話をしたら、きっと相浦の話題になってしまう。そうなれば必然的に…。

 そこまで考えたところで、俺は考えるのをやめにした。これ以上、彼女が春宮を故意では無いにせよ、傷つけてしまったという事実に目を背けたくなったからだ。

「分かんないな…」

「何がわかんないんだ?」

「西川か。それと、髪切ったのな」

「おう。夏仕様だ」

 長く伸びた髪が肩に掛る程度まで切りそろえられている西川が一つ席を挟んで話しかける。

「全く…、お前からも謝っとけよ、西川」

「…考えておくよ。少なからず俺にも非があるからな。ったく、才能はひけらかすものもしくは金稼ぎの手段では無いのか…?」

「…お前よくそんなで小説書けるな」

「書いてるからだよ、俺はただ才能を金稼ぎに昇華させてるだけだ。趣味や才能で食って行けるってのは幸せなもんだぞ?まぁ、俺も迷走するうちに見つけた趣味だがな。あいつも絵の才能で食って行けるのなら辞める必要もなかっただろうに」

 彼の言い分も俺には理解出来た。必ずしも才能や趣味が仕事に生かせるなんて限らない。それで金を稼げているこいつを、俺は少なからず尊敬していた。

「それもそうだけど…、そのこと、あいつに言うなよ」

「わかっている。何を気にしてるか知らんが、少なからず…、傷つけてしまったからな」

「何でなんだろうな…」

「2人とも、何かあったの?」

 ずいっと相浦が迫ってくる。どこか、その表情は振り切れたようで、士郎は少し違和感を感じた。

「春宮のことで少しな」

「佳奈ちゃん?一体何が…」

「西川のノンデリカシーな部分が春宮を傷つけたんだよ」

「まぁそんなとこだ」

「そうなんだ…」

 本鈴が鳴ると同時に、「みんな席に着いてー」と言いながら渡辺先生が入ってくる。その音に紛れ、相浦がなにか呟いた気がした。

「…まぁ…ろ」

「相浦?」

 その問いかけに、相浦はただただ笑顔で返した。


「一緒に帰るぞ、不知火」

「…ん?西川とお前は…那月」

「よろしくね、不知火君」

 そういえば、自己紹介がまだだったことを今更思い出す。

「俺は不知火士郎。西川から聞いてるか」

「うん、目つきは悪いけど、根はいい奴だって聞いてるわよ。あ、それと私の名前は…、聞かなくてもわかるよね?」

「那月陽菜だよな?何回かあったし、姉ちゃんが好きだから知ってるぞ」

 その時、何やら那月が悪どい笑みを浮かべた。そんな彼女を西川が小突く。そんな中、俺は無性に喉が渇いていた。有名人の前で、少し緊張していたのだ。スクールバッグのなかから、水筒を取り出す。

「あだっ」

「すまんな、こいつはお前の真逆なんだ」

「真逆?」

「悪い性格をいい面で隠してる」

「はぁ!?」

 口元まで運んだ水筒のお茶が少し逆流する。

「イメージダウンに関わるでしょうが!仕事少なくなったらどうすんのよ!」

「安心しろ、俺は口が堅い」

「秘密バラされたさっきの今でそんなこと言われても説得力ないわよ」

「那月、なんかすげぇな」

 ムスッとした様子で、那月が俺を見つめる。化けの皮が剥がれ、少し彼女との距離が近ずいた気がした。

「2人って仲良いんだな」

『は!?』

「二人で楽しそうにしてるから」

「楽しかないわよ!」

「まぁこいつが一緒にいればアイデアは降ってくるかもな」

 悪女やらなんやらについての、というのが続く言葉だった。しかし、那月は別の捉え方をしたのか、顔を少し赤らめ、下を見つめた。

「こいつの性格の悪さは絵になる」

 無言で那月が西川の脇腹を殴る。余計な一言も、こいつの悪癖だろうか。

「あだ、殴るな!」

「うっさいわ、このノンデリカシー男!」

「それは同感」

「不知火!?」

 実際、この前の春宮の一件で地雷の上で華麗なタップダンスをしていた彼だ。否定はできない。

「こいつ、小説書いてるくせに人の心情とか読めないわけ!?」

「分かるかんなもん!エスパーじゃあるまい!」

「だからって『こうしたらいい』『こう言えば怒られる』とか普通分かるでしょ!」

「スマンがお前ほど人間関係に恵まれとらんのだ、俺は」

「何その話し方…」

 西川の独特の話し方に、怪訝そうな態度をする那月。確かに、自分も最初は少し驚いたなぁと思い出す。

「何か言いたげだな」

「キモッ」

 包み隠さず言うのか。やはり那月は性格が悪い。猫かぶって仕事するのも疲れるだろうな。

「お、お前!その言葉のナイフをしまわんかー!」

「言い回しもキモイ」

「お前の言葉は妖刀並に人を斬るな…!」

「あんただけよ」

「俺邪魔?」

「居てくれ不知火!是非とも!」

 そこまで言うなら…、と共に歩き出す。しかし、俺の目に、見慣れた少女が写った。しかし、ここ数日全く会えなかった少女だ。そう、春宮だった。

「あっ」

 その一言が聞けた時、心底安心した。あぁ、彼女が無事でよかったと。

「よ、よぉ」

「春宮か。久しいな」

「二人とも、久しぶり」

「元気そうでなによりだ」

「別に元気じゃない」

 しばしの沈黙。その中を、那月だけが三人を交互に眺める。

「あ、あの、私については…」

「あなたは…?」

「わ、私を知らないの?」

「んっ」

 那月は現代をときめく人気読モである。そんな彼女を知らない人間など、いないと思っていたのだろう。口をあんぐりと開けて、固まったままである。そんな彼女を見て、西川が吹き出す。

「今笑ったわね!?」

「き、気のせいじゃないか…!」

 堪えきれず笑うのを那月が至近距離で見つめる。じとーっとした目で。

「絶対笑ってるー!」

「いだだ…、首締まる…!」

『仲良いな(ね)』

『仲良くない!』

「はいはい、公道で痴話喧嘩しないでもらえるか?」

 するなら帰れと俺が部屋を指さした。何やら2人は煮え切らない様子で、互いを見つめあって睨み合っている。こいつらは仲がいいのか悪いのか分からない。

「ったく、わかったよ。帰る」

「そうね…、邪魔者は私たちみたいだし」

「珍しく意見が会うな。俺もそう思ったとこだ」

 邪魔者とまで言うつもりは…、ただ喧嘩を辞めてもらえば、そういう間もなく、アパートの中へ歩いていく。俺と春宮の二人だけが残され、再び二人で気まずい空気になる。

「…ごめんな」

「なんで謝るの…?」

「だってさ、俺のせいで…」

「気にしてない」

 若干食い気味に否定する彼女に、やっぱり怒ってるんじゃないかと不安になる。

「だったら、この数日間何やってたんだよ…、心配してたんだぞ」

「…絵を描いてた」

「…え?」

「そう、絵。見てく?」

 呆気に取られた俺は流されるがまま、春宮の家に上げられた。絵を描くのに五日もかけるのか…、それより第一春宮は絵を描くことが嫌いなんじゃなかったのかと、疑問が次々と浮き上がってくる。

「ここ」

「くっさ…!」

 初めて来た時は独特の臭いとしか言い表せなかったが、理解した。この匂いは絵の具の臭い。春宮がドアを開けると、さらに臭いがキツくなる。俺は鼻をつまみ、中に入った。

「こ、これは…」

「……」

 俺は目を見開き、手の力が抜けていく。まるで絵の中に引きずり込まれるような、そんな感覚。五感の全てが、絵の中の海に取り込まれていく。

「すげぇな…」

「…えへへ」

 これはきっと、彼女の才能なんだろうと思った。これが天才画家、春宮佳奈の実力なのだ。そんな彼女の実力を知ると同時に、俺は察した。彼女では、春宮には勝てない。ただ努力しただけでは、努力をした天才には勝てないのだ、と。

「沢山書き直した」

「…すげぇゴミ」

「努力の結晶って言って…、邪魔になるから捨てるけど」

 ぷくーっと、春宮が頬を膨らませるものの、ゴミであることは認めている様子。何時もの俺ならこのゴミの処分方法を考えることだろう。しかし、今の俺は別のものを考えることに脳の大容量を割いていた。

『彼女が大賞を取れなかった時、どうしようか』と。


 次の日。ついに春宮は学校に顔を出す。久々に全員朝から出席となった二年三組は、やけにボルテージが上がっていた。

「春宮おかえりー!」

「久しぶり」

「相変わらずローテンションだなー」

 檜山と正樹、橘に囲まれ、春宮は熱烈に歓迎されていた。

「にしても、元気そうでなによりだ」

「うん、ありがと…榎原くん」

 榎原に話しかけられ、顔を赤くしながら、春宮は俯く。俺の時とは打って変わり、まさに恋する乙女だ。

「あの子もなかなか人気ねー」

「なんだ、自分以外の人気者が現れて立場が揺るがされるのが怖いのか?」

「んなわけないじゃない、私今をきらめく読モよ?」

 那月が若干不服そうに頬杖をつき、西川がそれに突っ込み返り討ちに合う。やはり、力関係的には西川の方が下のようだ。

「あだっ、抓るな!」

「お前ら、やっぱ仲良いだろ」

『仲良くない!』

「ナイス夫婦漫才」

 ぐっと春宮が親指を立てる。春宮に集まっていた視線も、那月と西川の方に移動していく。そう、生暖かい視線が。

「えー、2人ってそういうご関係?」

「どういうご関係だ」

「そりゃあ…ね?」

「ひと足早い夏のアバンチュール的な?」

「あ、アバ…!?」

「あばんちゅーるって…何?」

 どうやら榎原には意味が理解できないらしい。学が足りていないようだ。

「んな事あるか」

「こ、こいつとなんてないわよ!」

「ふふふ…、恋バナかね!愛あるとこに相浦あり!恋バナハンター相浦只今推参!」

 那月と西川の間に挟まり、相浦がやってくる。俺の鼓動が少し高鳴り、何故か春宮に手の甲を軽く抓られる。

「んだよ…!」

「鼻の下伸びてる、やらしいシロイヌ…?」

「…!」

 咄嗟に鼻の下を隠す。そんな俺を尻目に、春宮はぎゅっと相浦に抱きつく。

「紗霧さーん」

「佳奈ちゃんー、久しぶりだねー」

「むー」

 スリスリと相浦の腹に頭をすり付ける春宮。二人の距離感は、かなり近いようだ。

「お、こっちでもカップル成立?」

「春宮は相浦のことが大好きなんだなぁ」

「あ、えっと…」

「か、佳奈ちゃんにはちゃんと男の子好きになって欲しいなぁ」

「う、うん!」

(どちらかと言えば姉妹か?)

 そこにいた誰もが、どこかほっこりとしていた。尊みを感じていたのだろう。

「ねぇ、あんた…」

「俺?」

「そ、不知火…だった?」

「あぁ、うん」

「あの子好きなんだ…」

「はぁ!?」

 唐突な発言に声が裏返る。まるでノーガードでアッパーを食らったように、クラクラとする。「えっと…」と、適当な言葉を口に出してみる。なぜそれが春宮に引き続き彼女にまで知られてしまった。

「どうして…」

「あんた分かりやすいから」

「同感だ」

「お前まで…」

 西川にまで知られてしまったらしい。どうやら俺は自分の思っている以上に分かりやすい性格だったようだと思った。しかしどうすべきか。どうにか誤魔化さねば。

「でね…」

「お、おう」

 とりあえず、彼女の言い分を聞いてみることにした。

「少し、考え直したら?あの子…」

 ふっと、那月が相浦の方を見つめる。

「私と同じ匂いするから」

「な…!」

「何を言い出す、それはさすがにアホ娘への名誉毀損だろう…!」

「それ私に対してもあの子に対しても名誉毀損だからね…。ま、頭の片隅にでも置いといて。あんたと彼女じゃ、多分つりあわないわよ」

「なんで…!」

「これ以上は言えない。あとはあんたの目で確かめて」

「…わかった。それと、これは相浦には言うなよ」

「私もこんなこと本人には言わないわよ。面と向かって言えるほど、私は強くない」

 そう言うと、那月は席に戻った。ホームルームが始まるのだ。そんな彼女を、西川が見つめる。

「たっく、あいつは本当に性格が悪い。俺が言うのもなんだが、あまり気にするなよ。あのアホ娘に限って、あいつと同等に性格が悪いだなんて有り得ん。だとすれば、あいつは…、那月以上に性悪ということになる」

 「考えたくは無いがな」と西川は続ける。春宮と笑い合う相浦に、俺は無性に目線が行った。しかし、彼女からは全く裏なんて感じられなかった。


「じゃ、来月から三者面談あるから。みんな親御さんによろしくね。あと、三週間後には体育祭もあるから!みんな運動の後には水分補では、委員長、号令」

「起立、礼!」

『さようなら!』

 放課後。三者面談が近いということで、親に一報入れた。どうやら母親が来てくれるらしい。そして、引っかかることがひとつ。

「春宮、お前三者面談どうするんだ?」

「…おじさんに来てもらう」

 おじさん…。俺の脳内には、屈強な刺青の大男がイメージされた。そのことを察したのか、「多分期待には添えない」と春宮が続ける。

「なら、どんな人だ?」

「おじさんって言っても、おじいちゃんと杯を交わしただけだから、正確にはただの組のひとりなんだけどね」

「正確も何も、赤の他人じゃないか…。なんでそんな人が面談に?」

「私のお世話してくれてた人だから…。簡単に言うと、保護者…というか、執事って立場に近いかも」

 なるほど、その人に甘やかされて育ったから彼女はこんなに生活力ゼロになってしまったんだなと確信した。

「この上なく失礼なこと思ったでしょ」

「悔しかったら掃除のひとつでもできるようになれよ」

「むー!」

 ポカポカと脇腹を殴られる。そして、ふとその攻撃が止まり、春宮が空を指さす。鼠色の空、朝のニュースでは午後からは少し天気が不安定になると言われていた。

「急ぐか」

「おー」

「明日からは部活動見学も再開な」

「おー」

 ぐずりそうな天気の中、俺と春宮は走り出した。


 土留色の空の下、空を見上げる人影が二人。俺と那月である。

「まさかあんたに付き合ってこんなことになるとは」

「五月蝿いぞ、お前が見学したいと言うから…」

「まぁ、私演劇部からオファー掛かってるんだけどねー」

「そうなのか。実は俺も一時期とはいえ兼部しているんだ」

「マジで?」

「まぁ、台本提供をしているだけなのだがな。それと引き換えに、名前だけは何人か演劇部から貰って俺一人で部としてやっていけてるということだ」

「なるほどね」

 外はついに雨が降り出した。昇降口で、そんな空を2人で見上げ、俺が傘を用意した。そして、何もしないままの春宮を見つめる。

「…お前、傘は?」

「忘れた」

「朝のニュースくらい見ろ。それかニュースアプリを開け。仮にもお前は今をときめく読モだろう」

「仮じゃなくても今をときめく読モですけど?」

「はいはいそうだな」

 面倒くさそうにそう言い放ち、俺は傘を開いて外に出ようとする。その襟を、那月が摘んだ。そのまま首を絞めあげられる形で、俺は止められた。

「ちょっと待ちなさいー!」

「あだだだだっ!離せ!」

「私を見捨てる気!?」

「どうしろと言うんだー!」

「あんたが濡れて帰りなさいー!」

 やいのやいのとやっているうちに、雨足は激しさを増した。このままでは行けないと、俺たちは一旦冷静になるために昇降口の前まで戻る。

「お前…、折りたたみ傘も忘れたのか」

「えぇ、忘れたわよ、悪い!?」

「開き直るな。しかしどうしたもんか…」

「……」

 また二人で空を見上げる。雲はまるで上から押し付けられたようにいつもより近く感じられた。割れ目から青空が見えてくる気配はまだない。むしろ、本降りになってきている。

「…そんな顔をするな」

「どんな顔よ」

「雨の中置いてかれた子犬みたいな顔」

「私は犬じゃない!まぁそれ以外は大体あってるわね」

 現に雨の中、濡れずに帰る手段を持ち合わせておらず立ちつくしている現状。そんな彼女に同情し、「はぁ」とため息をつく。

「…しょうがない。少しの間我慢できるか」

 那月は俺の言葉を理解できないようで、小首を傾げ、「はぁ?」と口にする。

「これくらいしか解決策がない。2人とも濡れないのはな」

「…まさか!」

「そのまさかだ」

 那月は顔を真っ赤にしながら、わなわなと震えている。そう、彼女の頭の中では、もうとっくに俺の行動の意味はわかっていたのだろう。分かった上で、理解したくなかったのだ。プライドの高い彼女だ。同性でも躊躇われるのに、異性とこんなこと…、と頭の中は冷静と言えるものではないだろう。その結果…。

「あ、あんたとそんなのごめんよ!」

 意地を張った。

「そうかしょうがない、なら俺は帰らせてもらう」

「ちょ、待って!」

「なぜ待つ必要があるんだ。お前は俺とは相合傘をしたくないんだろう。だったら適当な女子の傘にでも入れてもらえ。ネームバリューはあるんだ。断りはされても、直ぐに相手は見つかるだろ」

 振り返り、長々と話しながら歩き出す俺の傘の中に、那月が飛び込む。冷静さを欠いていた故の、衝動に任せた行動だった。

「と、とっとと進みなさいよ…」

「少し寄れよ」

 赤くなっていることを悟られないよう、俯き気味に歩く那月。周囲からの目も気にしているのだろう。たく、しょうがないな。俺は少し陽菜の方に傘を傾ける。

「これで少しは周囲の目は防げるだろう」

「…あんた、肩濡れてるわよ」

「気にしない。結局直ぐに風呂に入る」

「明日あんたが風邪でも引いたら、目覚めが悪くなるじゃない。貸して」

 俺から傘を奪い取り、平等な位置で傘を差す那月。

「噂になっても知らんぞ」

「もう噂になってるでしょ。昇降口であんだけ言い合ってたら。それに…」

 那月は少し自慢げな顔をして、指を口元に当てる。

「噂されるのは慣れてるから。読モ舐めんな!」

「そうか。さすがは読モ様だ。噂されるのに慣れてるだけじゃなく、ストーカーへの対処も出来ればいいんだがな」

「そ、それとこれとは話は別でしょ!」

「それもそうだ。それと、今度あんなことがあったら…、ちゃんと俺に相談しろ。お前を家に匿うくらいはしてやる」

 自分から話しておいて、やはり言い過ぎたと優しい言葉をかけたは良いものの、少しして、柄でもないことを言ってしまったと後悔する。変な勘違いをされていないかと彼女の方を見るも、先程から顔を背けており、表情が確認できないでいた。雨が続く中、那月が小さくつぶやく。

「ありがと…」

「…は?」

「何よ…」

「いや、あまりにも素直すぎて…あだっ」

 那月が肘で脇腹を小突く。

「悪かったわね、普段は素直じゃなくて!」

「照れ隠しか。やれやれ」

「キモッ…!」

「やめろ、俺でもさっきのは言葉選びを間違えたと自負してる…!」

 やはり、互いに慣れない異性との至近距離での会話。緊張しているのはお互い様だ。読モと言っても女優じゃない。異性との交流もまだ少なく、小説家と言っても只々物語の中でのみ男女の交流があるだけ。胡桃の件で少しは耐性が着いているが、このようなピュアな反応をされてしまえば反応にも困る。その結果、このような普段からは考えられないような返答もしてしまう。

 そして、気まずい空気を打開するため何とか話題を変えようと、俺が口を開く。

「全く、梅雨入りコーデと豪語してモデル雑誌の表紙を飾るくらいなら、ニュースを見て傘のひとつでも用意しておけ」

「…見てくれたの」

「まぁな。特によく分からんかったが」

「あんたも商売で本を書いてるなら、もっと真剣に読みなさいよ」

「ジメッとした空気も乗り切っちゃう、ガーリッシュレイニーコーデだったか?」

「…ちゃんと読んでくれてたのね」

 何やら悶絶している那月。そう、この文言は、表紙ではなく、那月が特集されたページの一文である。

「キモイ…」

「読んでくれた者に大してその言葉はあんまりだろ。それと罵倒に切れ味がないぞ」

「うっさい、馬鹿」

「朝から曇っていたのに傘を忘れたお前に言われたくないが」

「朝はたまたまスマホもテレビも見る暇なかったのよ!はぁ、あんたって人を小馬鹿にしなきゃ生きてけないの?」

「お前にだけは言われたくないがな」

「あ、あんたねー!」

 騒ぎながら歩く俺たちの上で、傘が揺れる。傘の中の二人の距離感は、どこか近づいた気がした。

「…あっ」

 あとから聞いたのだが、カバンの底の方に折り畳み傘があったそうだ。そのことに那月が気がついたのは、家に着いた後のことだったらしい。


 六月二十日。春宮は少しテンションが高かった。機嫌のいい鼻歌が聞こえてくるほどだ。

「機嫌いいな」

「ん、今日もいい事ありそう」

「懐かしいフレーズだな」

 俺はどこか、彼女が機嫌のいい理由がわかった気がした。そして、いつも以上にハイテンションな人物がもう一人…。

「こんにちにゃっはろー!今日もアクセル全開でやってきまっしょい!」

「紗霧さーん」

「おー、佳奈ちゃんは、今日も可愛いねー」

 そう、相浦である。いつもの彼女以上にテンションが上がっている。その理由は、きっと春宮と同じだろう。しかし、俺にとっては悩みの種でもある。そう、全校集会だ。

「みんなー、集会始まるぞー」

 他クラスの委員長の声が聞こえ、生徒たちがゾロゾロと歩いて体育館に向かう。俺たちも、それに続き体育館に向かう。心做しか、二人の歩く速度が早く感じた。

 ついに集会が始まり、校長の長々とした話が始まる。それが終わりに近づくにつれ、二人の鼻息が荒くなる。そして、学年主任が「先日の高校美術コンクールにて、優秀な成績を収めた生徒を発表します」と発表する。俺と春宮、相浦の鼓動が高鳴る。

「銀賞、相浦紗霧。金賞、春宮佳奈。代表して、春宮佳奈、前へ」

「はい」

「は…?」

 ぞくりとに肌が立つ。彼女の声は、動揺や困惑と言うより、どちらかと言うと怒りを孕んでいた気がした。短いながらも、相浦の心からの怒りが、その一言に込められているように、そう感じてしまった。

「あ、あの、相浦?」

 集会が終わり、俺は相浦に声をかける。なんと言われるだろうと、ビクビクしていると、いつも通りの笑顔と「なんだい?」という声が返ってくる。やはり、自分の聞き間違えだろうかと考えてしまう。

「紗霧さん、凄い!」

「…何言ってんだい、佳奈ちゃんは金賞じゃないか」

「ううん、私は紗霧さんの作品が好きだよ!」

「そっか、嬉しいなぁ…」

 たはは…、と若干渇いたような笑みを浮かべる相浦。やはり、少し彼女の態度に違和感を感じる。しかし春宮はそんなことを気にしていないらしく、集会が終わっても相浦に擦り着く。そんな中、相浦が一言、「ちょっと御手洗行ってくるね」と言った。

「うん」

 さすがに同行するつもりは無いらしく、春宮が短く返事をして手を振る。

「何か変じゃないか?」

「どこが?」

「俺は特に何も気が付かなかったが…。何分場所が離れてたからな」

 俺は榎原と西川に聞いてみるも、二人は首を傾げた。春宮も特に気にしてない様子。やはり自分の杞憂かと思った士郎は、これ以上余計なことは考えないようにした。第一、自分の想い人があのようなことを他人に言うなどありえないと、若干押し付けがましいとも取られる崇拝的なものを、俺は相浦に抱いていたのだ。

 しかし、事件は起こった。俺たちは会話していたため、他のクラスメイトよりも若干遅れてクラスに入った。

「…?」

 外からでもわかるほど、何やらクラスメイトたちが騒然としていたのだ。檜山まで、いつもの飄々とした面持ちとは打って変わり、真剣な顔をしていた。そんな彼に声をかけてみる。

「どうかしたか?」

「あれ、なんだ…?」

「あれ…?…!」

 檜山は黒板を指さす。そこには…「春宮佳奈は極道である」と大きな字で殴り書きされていた。

「…みんなどうしたの?そんなザワザワ…、誰がこんなこと書いたの!?」

 トイレから戻ってきた相浦も、黒板の文字に激昂する。猜疑の声、罵倒、嘲笑、嫌悪。様々な声が教室を埋め尽くすそんな中、春宮はただただ、俯いて黙り込んでいた。

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