第26話 逃げ出した猫⑸

 夕方。作戦開始だ。


「あー、そういや食材切れてたわねー?」


 那月は、俺が命令したようにベランダで洗濯物を取り込んでいる途中で大声で俺に質問した。さて、では始めよう。彼にトラウマをどっぷりと塗りたくってやるのだ。


「そうだな、スーパーでも行って買ってきてくれ」


「しょうがないわねー」


 もちろん、ここまでが台本だ。こいつがここまで素直なはずがない。そして、洗濯物を完全に取り込み俺と彼女は服を交換して、帽子とマスクとサングラスを装着。ここまで顔を覆うと、ほとんど見分けつかないだろう。


「じゃ、行ってくる」


「…うん」


 つまりは影武者のようなものだ。俺が囮となり、ストーカーを釣る。その後は、適当に捕まえて交番に突き出し、どうかこのことを内密にしてもらうように頼むしかないな。


 少し裏道を使うか。その方が着いてきてるかわかるし。こんな狭い路地、入ることはそうないだろう…。って、この路地行き止まり!?まずい、引き返さな…って!もうそこまでストーカー来てた!


「に、逃がさないよ、陽菜ちゃん。こんなチャンスなんだ、活かさないとね」


 しかも襲う気満々だし!嫌だ、俺男なのになんでこんな展開に!


「や、はなせ…!」


 もうなんかテンパりすぎて女口調になってきてる!あぁ、そんな言葉も耳に届かないのか、ストーカーはどんどん俺との距離を詰めてくるし…!そもそも手まで握られたし!


「ご、強引な男の人が好きなんだよね?前にインタビュー記事で見たよ…」


「やめろ…!おまえ…なんか…」


「僕の、ものに…むがっ!?」


 俺は、諦めて閉じかけていた目を見開いた。なんと、ストーカーの顔面にポリバケツが!


 てか臭!生ゴミが入ってるのか!それを外そうともがくその隙に、俺は出口の方に向かった。というか、何故ポリバケツが?そんなことを考えながら男の横を抜けていると、路地の入口に予想だにしない人物が。


「あんたみたいな分別もない変態なんかお断りだって言ってんのよ!」


「那月!?」


 なんと、そこには那月陽菜が仁王立ちしていたのだ。変装もなにもせずに。


「一応事の顛末を見届けようと思ってたんだけど…。想像以上に西川って頼りないのね。少しは見直してた私が馬鹿だったわ」


 うぐっ、返す言葉もない。一方、ストーカーはポリバケツを頭から外して、生ゴミを引っさげて俺たちを見比べた。そして、「へ?」と情けない声と、間の抜けた顔をした。


「陽菜ちゃんが…二人…?」


「こうも頭までおそまつとはな」


「ここまでなんの取り柄もないのに、よくもまぁ私にストーカーなんてしたわね」


「あ、愛なら負けないぞ!」


「愛ですって…あははははははは!あなたギャグのセンスはあるわね!」


 那月は腹を抱えて大笑いした。どうにも、こいつはまだまだ余裕のようだな。


「いい?私は馬鹿でブスでネチネチ陰湿なストーキング行為を愛だなんて寝言言ってるようなやつごめんだって言ってんのよ!」


「そんなこと言わない!陽菜ちゃんはそんなこと絶対に…」


「その程度でよくも愛だなんて口にできたわね。あなたの好きなのは所詮私の仮面だけ。本当の私は、面食いで我儘で性格悪くて、そんな私を私は大好きなぐらい悪い性格なの!だって表っつらだけで食っていけるんだもの。嫌いになるはずないじゃない!」


 うっわぁ、こいつ昨日から思ってたけど想像以上に性格悪いな。噛み付く相手を選んだ方がいいとはこのことか。そんなこいつを、ストーカーは腰を抜かして那月を見上げていた。


「あとひとつ。金輪際一切私の目の前に現れないで。それを破れば、その頭に引っ提げているのと同じくらい不味い飯を食べることになるわ。分かったら、とっとと失せなさい!」


「ひ、ひぃぃぃ!」


 グイッと那月がストーカーの襟元を掴み、かなりの形相で脅しにかかる。それに恐れおののき情けない声を上げ、ストーカーは俺たちにぶつかりながら走り去っていった。もうこれで大丈夫か。


「にしてもあんた、ビビりまくってたわね」


「五月蝿い、こういうのは慣れてないんだ」


 気が抜けた瞬間、へたりと尻もちを着く俺を見て笑う那月。


「そう。ま、今回は礼を言っとくわ。付き合ってくれてありがとね」


「こんなことはもうごめんだな…」


「同感。にしても…、これどうしましょう…」


 俺たちの目の前には、盛大にぶちまけられたゴミが散らばっていた。そして、この状況を誰にも見られては行けない。特に、あいつだけには。


「さっさとずらかるぞ。こんなとこにいつまでもいる訳にも行かんだろ」


「そうね…、あ、あなたは…」


「お前たち…何やってんだ?」


 そう、そこに居たのは不知火だ。俺が一番会いたくなかった人物でもある。こうなった以上、どうなるかは火を見るより明らかだった。


「わ、私はこれで…」


 逃げようとする那月の袖を、ガシッと掴む。彼女一人だけを逃がすものか、道連れだと引きつった笑顔を見せ、陽菜もそれに引きつった笑顔で答える。


「生ゴミを辿ってこれば…、お前ら…、分かってるよな?」


「…ははは」


「…あはは」


 この後、三人で掃除をした。

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