第24話 逃げ出した猫⑶

 さて、そろそろ風呂に入るか。


 湯むきトマトをふたつ、口の中に放り込み、その後サラダチキンをひとつ頬張る。さすがにトマトだけでは腹が満たされないからな。そして風呂に入ったあと七時頃に眠る。そして二時頃に起きて、小説を書く。それが俺のルーティンだ。他人から見ると、生活リズムは完全に狂ってるだろう。


 しかし、執筆をするならこのルーティンが一番いい。夜中から明け方にかけてが、一番交通量が少ないからだ。おかげで、集中して執筆できるのだ。俺は少しの物音でも気を散らしてしまう。その状況でも書けない訳では無いが、作業効率が大幅減するのだ。


 風呂に入り、さっぱりして脱衣場から出た時。定期的にインターホンが鳴らされてることに気がついた。誰だこんな時間に。居留守使うか。早く帰れ。しばらくすると、今度は連打しだした。「しつこいなぁ」とボヤきながらも、覗き窓から扉の向こうを確認する。そこには、那月陽菜の姿が。偉く慌てているようだ。


「なんだ」


「おっそいわね!とっとと入れなさいよ!」


「は?」


 先程話した時とは偉く態度が違うじゃないか。化けの皮が剥がれたか。にしても、酷い顔だ。

 不知火といい勝負をするほど悪い顔をしている。いや、あいつの方がマシか。あいつはただ顔が悪いだけで、特に性格に難はないが、こいつは性格も悪そうだ。


「何ぼーっとしてんのよ」


「はぁ、入れ」


「それでいいの。とっとと入れれば」


 なんなんだこいつ。非常識にも程があるだろう!


「あのなぁ、お前さ…!」


「な、何よ」


「家に入れてもらったら、まずお邪魔しますだろう!」


 たく、本当に非常識な奴だ!こんなの常識だろ!すると、彼女はキョトンとした後、腹を抱えて大笑いしだした。


「何がおかしい」


「だってあんたがおかしくって!それに何?その髪!男のくせに髪伸ばしちゃってさ、それで俺可愛いとか思ってる訳?それって、ちょーださーい」


「…あ、あのなぁ!この髪型は親の形見だ!」


「何言ってんの?髪が形見?」


「それはだな…」


 それから、怒涛の如く自分語りを決めた。自分でも引くほどのマシンガントークだ。口うるさそうなこいつでも、何も口をはさめないほどに。とは言っても、こいつにも人の心はあるようで、中盤あたりから口をあんぐりと開けて話に聞き入る。前半は話半分といった感じだったのだが。


「あんたも、大変だったのね」


「まぁな。さぁ、俺は話したぞ。次はお前だ」


「は、はぁ!?自分から話し出したのに、なんであんたに話さないといけないの!少しの同情はしてあげてもいいけど、それとこれとは話は別よ!」


「今ここで、お前を追い出してもいいんだぞ」


「ふ…ふぬぬ…!」


 にしても、こいつ先程から随分と何かを警戒しているようだ。チラチラと部屋に入った時から何度か窓や玄関の方を見ていた。挙動不審にも程がある。


 諦めたようにため息をついて、彼女は口を割った。


「私ね、変な男につけられてるのよ」


「ほう」


「引っ越してもどこからともなく追いかけてくるし、だからここまで来たの。それで、一人でいると不安になるの。彼に見られてるんじゃって」


「はぁ、あのな、そういうのは警察に言えよ」


「…かけたくないの」


「は?」


「迷惑かけたくないの!家族のみんなに!」


 迷惑かけたくない…か。ふと、俺はこいつと自分を重ねてしまった。俺だって、ばあちゃんに心配かけないために今まで馬鹿みたいに演じ続けてきた。こいつだって同じだ。母親に迷惑かけたくないがために、平然を装って、演じている。そこに、一種のシンパシーを感じたのだ。


「そうか」


「あ、あんた、笑わないのね」


「笑うもんか。俺はな、ある程度の自尊心を持ち合わせている。俺とお前は同類だ。ここでお前を笑うと、過去の自分を笑うことになる。それだけは嫌だから、俺はお前を笑えない」


「そっか…」


 那月は、少し安心したように笑った。ひとまずは、上手くやっていけそうか。そう思っていた時期が、俺にもあった。

 風呂にまだ入っていなかったらしく、那月は風呂に入らせろと要求してきた。俺は渋々それを了承。


「あのさー!」


「何だ!」


 浴場で何やら声を張り上げてきたので、俺もそれに応えて声を張り上げる。ったく、何の用だ。


「このリンス家のと違うんだけどー!」


「ワガママ言うな!」


「私あれ以外認めなーい!」


「だったらその姿のまま家に帰って持ってこい!」


「…あんた本気で言ってんの?」


 はぁ、とんだわがまま娘だ。芸能人なんて全員こんな奴らなんだろうか。いや、それじゃ芸能人に失礼だな。こいつが酷いだけか。


「わかった、行きゃいいんだろ、行きゃ」


「うん、でもすぐに帰ってきなさいよ!ちなみに、もう浴室に置いてあるから、すぐ分かると思うわ。あ、あと鍵はスカートのポケットの中」


「へいへーい」


 脱衣場に鍵はなく、洗面台と一体化している。すると、何やら那月が顔だけこちらに出して、怪訝そうな顔をした。


「覗かないでよ」


「覗くか!」


 俺は那月の脱ぎ散らかしたスカートの中から鍵を取りだし、隣の部屋に向かう。玄関先で、一応周囲を確認しておくか。変な男に付けられてるらしいからな。

 ちなみに、植木こそあれど、駐車場は見晴らしが良く、車が十台入る程度の広さしかない。なので、誰もいないのは一目瞭然だ。


「とっとと帰るか」


 那月の家の鍵を開け、ダンボールだらけの廊下を抜け、浴場に向かう。なるほど、あいつは性格通りガサツなようだ。まぁ、今日引っ越してきたばかりらしいので、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。

 浴室にてリンスを見つけ、それを手に取り家に帰る。あいつがうるさいからな。帰りも一応駐車場に目を向けたが、特に怪しい影はなかった。


「持ってきたぞ」


「あぁ、悪いわねー、そうそう、これこれー」


 悪いと思うのならばもう少し申し訳なさそうにしてくれ。そう言ったところで、こいつは、あーだこーだと文句を言い出すだろう。そうなれば面倒なのはこちらだ。だからここは「はぁ」とため息だけ着いて脱衣場を離れ、パソコン前に陣取る。


「あのさー!」


 俺が二三行書き進めていると、何かあったのか、またあいつが大声を出す。あぁ、面倒だなぁ…。


「今度はなんだ!」


「着替えがなーい!」


「もう俺は行かんからな!」


「わがまま言わないでよ!」


「それはこちらのセリフだ!」


 こいつ、本当に面倒なやつだ。何が上手くやっていけそうだ、過去に戻って俺自身をぶん殴ってやりたい。


「俺のやつ着てろ」


 タンスの中の服を適当に見繕って那月に突き出す。素っ裸でいられても困るし、わざわざ取りに行くのも癪だ。汗臭いそのままの服で居てもらっても不愉快なので、俺の服を手渡す。そう、仕方がない。仕方がないのだ。


 顔だけ出して、明らかに怪訝そうにする那月。だが、俺はそれを見ないふりをして、勢いよく脱衣場のドアを閉める。


 次に顔を見合せた時には、若干不機嫌そうな顔をしながらも俺の服に袖を通していた。


 はぁ、今日はこいつを見逃すとするか。今日だけ、今日だけだ。明日からは追い返そう。


 那月は、俺の背後にあった座布団に陣取り、何やら携帯を弄っていた。友達と話しでもしているんだろうか、それとも芸能ニュースでも見てるのだろうか。


 彼女は脅威の集中力で、無言を決め込んで三時間は時間を潰していた。時計は十一時を回る。俺はおもむろに立ち上がり、「おい」と那月に声をかける。やはり、どこかこいつは俺に嫌悪感を抱いている。俺の事をじっと見たあと、ぷいっとそっぽを向く。


「歯は磨け。口臭が気になる」


「あんた、私の口が臭いって言ってんの!?」


 あぁ、ようやっと反応してくれた。別に反応して欲しいって訳じゃないが…。いや、違うな。反応して欲しいから、俺はこいつに話しかけた。何意地を張ってるんだ、俺は。


「翌日の口臭が気になると言っているんだ。俺の歯ブラシは緑、お前の歯ブラシは…」


 ゴソゴソと俺が使うつもりだった歯ブラシを漁る。うーん、これでいいか。いくつか買いためてあるからな。


「黄色でいいな」


「使い古しじゃないでしょうね」


「新品だ!自分で確かめろ」


 歯ブラシを那月に押し付ける。それをまじまじと見ている那月の姿から、俺の信頼度が伺い知れる。全くのゼロだな。でも、これが俺の悪い癖だ。

 だが、それは俺の作り出した偶像だ。俺の中の彼女。俺の人生の登場人物としての彼女。天の声と同じように、彼女の心を見透かしているつもりでいる。


 そして、どこかそんな自分に自己陶酔していたんだろう。俺は、最高に痛いヤツだ。それでも、そんな自分をどこか受け入れている。だから、変われないんだ。


「…あのさ、ありがとね」


「何だ、らしくない」


「…なんか気に入らない」


「いつも通りか」


 そうだ。こいつはいっつも俺の事を小馬鹿にして、わがまま言ってて、横暴なのだ。そう思っていた時、那月は俺をビシッと指さした。な、何だろう。


「気に入らないのよ、その私の全部を知ってるようなその態度が」


「……」


 こいつの言ってることは、やはりどこか上からだ。でも、図星だ。俺は言葉が出てこなかった。ぐぅのねも出ないというわけだ。


「歯ブラシ、貰うわ」


「…おう」


 俺は、多分自分のことが嫌いなんだろう。今の自分が、変われない自分が。でも、図星を突かれた時何も言えなかった。


「ねぇ」


 歯を磨き終えた那月比奈が俺に話しかけてくる。その後、欠伸をひとつ。こいつもう眠いのか。俺は部屋のベッドを指さした。


「ここで寝てろ」


「い、いや、あんたは?」


「今日はオールだ。一日二日ではへばらん」


「そ」


 短く返事をしたあと、那月は壁際を向いて寝転がった。俺はスタンドライトを点灯させ、部屋の電気を消し、執筆活動を再開する。


 ふと、那月のことが気になった。あいつは、これからどうするんだろう。多分…いや、やめておこう。


「おい」


「…」


 黙り…か。それでもいい。どうせ少し気になっただけだ。


「いいか。今から言うのは俺の独り言だ。聞き流すなり答えるなりしろ。それはお前次第だ。俺も、お前の発言は全て寝言として聞き流す」


「……」


「お前、これからどうするつもりだ。これからも、その不審者が現れたら逃げるのか。モデル業に戻ることも無く、こうやって、転々と。金が無くなればどうする。ホームレスになんてなってみろ。周囲の奴らから変な目で見られるぞ。特集も組まれるかもな。『あの人気読モが今、ホームレスに!?』ってな」


「あんた、いい加減にしな…!」


「だから、少し俺に任せろ」


「…それって、どういう風の吹き回し?」


「取材みたいなものだ。こう見えても作家の端くれなんでな」


 幸い、締め切りまでにはかなり猶予がある。少し付き合ってやろう。




 翌日。俺は適当な理由をつけて学校を休む。


「渡辺先生、風邪気味なんで本日お休みします」


「え、あっ、ちょっと…」


 要件を言い終わるとブツンと通話を切った。

 昨晩は大して取り立てるようなこともなかった。ストーカーが家に上がって来るようなこともなく、那月が珍妙な寝言を連発していたこともない。いつも通り、夜は明けていった。


 こいつはかなり健康的らしく、朝の六時半には目を覚ました。そして、髪を洗い、寝癖を治しながらドライヤーをかける。


「あのさぁ、なんなのこの朝ごはん」


「トマトジャムのトーストに、トマトスープ、トマトジュースだ。栄養価満点だぞ」


「ここまで来ると狂気ね…。鮮血を彷彿とさせる赤さだわ…」


 俺としてはかなりテンプレ地味た朝食なのだがな。もっと庶民的な方が良かったか。


「文句があるなら、帰ってもらっても構わんが?」


「…いや、これでいいわ」


 そう言うと、那月はトーストを口に運ぶ。そして、酸っぱそうに口を窄める。しかし彼女は口を動かし、何とか完食した。


「さて、作戦は夕方に決行する」


「待ってよ。そいつが食いついてくるか…」


「来るさ」


 俺はカーテンを少し開ける。俺の家の向かいにはちょっとした雑木林があるのだが、そこの一部がきらりと輝いた。カメラを持った男性だ。こちらではなく、右隣の部屋を移しているようで、こちらにはまだ気がついていない様子。


 びくりと那月が肩を揺らす。そんな彼女に、俺は声をかけた。


「お前、まず洗濯干してこい」


「へ?」


「釣りをするには餌が必要だろう。相手の注意をこちらに引く。ついでに相手にお前の服装のイメージを定着させておく」


「まぁ…、ここなら手を出されることは無いでしょうけど…」


 渋る那月の前に洗濯物の山を手渡す。「う…」と一瞬恐れを顕にしつつも、深呼吸して、窓からベランダに出る。ずっと下を向いたまま。そしてひとしきり干し終えた彼女は、青い顔をしていた。


「何枚か取られただろうな」


「そんなことわかってるわよ!で、どうすんの?」


「夕方も洗濯を入れろ。そしてそのときこう言うんだ…」


 俺は、那月に耳打ちする。さて、ぱぱっと終わらせるか…。

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