第23話 逃げ出した猫⑵

 同日の夕方。俺と春宮は帰宅部だが、相浦が「部活動見学に付き合って」と言ってきたので仕方なく付き合うことにした。運動部は来週とのこと。


 まぁ、今は新入生のための仮入部期間だし、特に目立つことは……あるか。新入生の中に二人だけ二年生が混じってるわけだしな。


 ちなみに、今日は美術部で最後。明日は文芸部から回るらしい。


「みんなー!今日は美術部に来てくれてありがとー!……って、二人だけか。去年はもう少し居たんだけどなぁ」


「もうちょっと全面的にウェルカムな感じにした方がいいんじゃね?」


「ウェルカムか、よし!その案いただき!」


 ツッコミどころが多いのだが、以心伝心というのか。


 相浦はもう一人の部員、葉塚湊士はつかみなとの言葉を理解しているようだった。なんだよ、ウェルカムな感じって。


「なぁ、三年の先輩は?」


「もうすぐコンクールだから、奥でそれぞれ筆を走らせてるよ。缶詰状態だね」


「まぁ、俺たちはもう終わってるんだけどな」


「だねー。でもちゃんと今回もいただくぜー!最優秀賞!」


 そう、相浦は凄い。なんと高校に入ってから、ずっとこいつが最優秀賞を勝ち取り続けていたのだ。


 本人曰く、「小学校からずっと絵画教室に通いつめていたから」との事。


 それから中学校でその才能が実を結び、連戦無敗の絶対王者になったのだとか。


「見せて、作品」


「ほー、佳奈ちゃん興味あるのかね。いいぜいいぜー!ほらどーん!」


 そこにあった乾燥棚から、キャンパスを引っ張り出して俺たちに見せる。


「描きたてほやほやだよー、出来たてうまいよー」


「さっきまで描いてたからな」


 確かに、まだ絵の具が光沢を放っている。キラキラと日光に反射して、まるで本当の海みたいだ。


 そう、相浦が描いたのは、海を泳ぐ魚たちと、そのまわりに広がる珊瑚礁。絵の中に吸い込まれそうなほどの出来栄えだ。


「……凄い」


「えへへ、それほどでもあるかな?そだ、二人も描く?紙ならあるよ」


「そうか、じゃお言葉に甘えて……」


「私はいい。ほら、次行こ」


 俺が相浦の提案に乗ろうとしていると、春宮がそれを却下するように勢いよく立ち上がる。


 そして、どこか焦った様子で、二人分のカバンを抱え、左手で俺を掴んで美術部を後にした。


「おーい、なんで描かないのさー」


「次文芸部行かなきゃいけないの。もう時間遅いから、すぐ行かないと」


「お前、文芸部はまた明日って……」


「気が変わったの」


 なんと横暴な。それに、あんな断り方じゃ相浦が嫌な気分になるだろう。そんな言葉も言う暇もなく、俺たちは文芸部にやって来た。


「なんだお前らか。何しに来た」


「お前一人かよ」


「悪いか。俺が入った頃には、もう三年しかいなくて、それももう卒業したから俺一人なんだよ」


「それは気の毒に」


 パチパチとノートパソコンを弄る西川。小説を書いているのだろうか。


 普段なら、「女装先生の生職場……!」とか言ってはしゃぎそうな春宮だが、何処か浮かない顔をしている。


「春宮?」


「何?」


「お前、気にしてるのか、相浦のこと」


「……うん」


 やっぱりか。だったらあんな断り方しなければよかったのに。そもそも……。


「お前、なんでここに来たんだよ。文芸部は明日だって言ってたじゃないか。今日文芸部に来なければ、絵も描けただろ?」


「それは……」


「もう絵は描きたくないからじゃないか?」


 西川は、至極当然のことを言い出した。それに、春宮も頷いてるし。俺が聞きたいのは、その理由だ。


「こいつ、そこまで絵が下手なのか?」


「その逆だ。恐らくだが、俺はこいつを知ってる。そうだろう、美術界期待の大型新人、春宮佳奈」


「お、大型新人!?」


「あぁ、両親が名のある画家らしくてな、英才教育の賜物か、生まれ持っての才か。初めて賞を受けたのは確か……、五歳の時だったか」


 五歳で賞って……。結構有名な賞なんだろうな、こいつが言うんだから。で、でもちょっと待て。


「なんで、絵を描きたくないんだ?」


「引退発表しているんだ。一年ほど前にな。そんな奴が、絵を描きたいとは思わない……というのが俺の見解だ」


 若干濁したのは、西川には春宮の心は見透かせる訳では無いからだろう。しかし、春宮は先程から俯いたままだ。図星……か。


「それにしてもこいつの絵は、なかなかやるものでな。俺でさえも賛美を送らざる得ないほどだ……」


 これでもかというほどに、春宮を絶賛する西川。言葉を変えて、表現を変えて、春宮を褒め称える。


 それと引替えに、春宮はどんどんと肩を狭めていく。照れているのか?


「本当、凄いよ、こいつの絵は」


 がたんっと、音を立てて椅子を引き、春宮が走って廊下に出る。こいつもまた褒められ慣れてないのか?


 でも、画家なら褒められることも多いだろうに。でも、一つ気になることが。


 あいつ、泣いてた。見間違いではないだろう。恥ずかしいからと泣いていた訳では無いだろう。


 それほど、悲壮感に溢れた顔をしていた。その瞬間、俺の体はあいつを追いかけていた。


「お前、踏み抜いたな」


「お前だろ!じゃなかった!あいつ追いかけるわ!」


「やめておけ。今は全てがマイナスになるだろう。時間を置いた方が、まだ話になる」


「……そうか」


 確かに……。今のあいつは、きっと冷静じゃない。いや、違うな。冷静じゃないのは俺もか。


 でも、なぜだろう。あいつの涙を見ると、何故か体が動いた。


 今までの俺なら、俺に睨まれて半泣きになってる人を見ても、申し訳ないなくらいしか思わなかった。


 でも、あいつの涙を見ると、何故か胸がザワザワする。


「小説の登場人物ならそうだからだ。でも、それが俺の悪い癖でもある。分かったつもりでいてしまう。他人の心の中なんて、分からないのに」


「そうやって、自分のこと分かってるのって、結構羨ましい」


「そういうお前も、目付きがすこぶる悪いことくらいは自覚しているだろう?」


「まぁ、な」


 違う、そうじゃないんだ。羨ましいのは、そこじゃない。


 こいつは、変わろうとしてる。


 それはきっととても勇気のいることだ。笑顔を見せるとか……。その勇気が、俺には無いのだろう。


 俺にも、勇気があれば。きっと、春宮を呼び止めることが出来た。それ以前に、相浦に告白だって。


「さて、そろそろ閉めるぞ。迅速且つ速やかに荷物をまとめろ」


「口癖か?それ。前も言ってたろ、迅速且つ速やかにって」


「そうかもな。スルッと口から出る」


 そういうのを口癖って言うんだろうな。俺には、特にそういったものは無い。


 俺たちは一緒に帰ることになった。傍から見れば男子の制服をさせた少女を連れてる男子。気持ち悪いといえば気持ち悪いのかも。


「れーんーくん!」


 すると、後ろからスーツ姿の姉ちゃんがすっ飛んできた。あ、今の時間姉ちゃんの帰宅時間とドンピシャだ。


「うわぁ!?やめろ、離せ変態娘ー!はむっ!」


 いつも通り一通りむぎゅむぎゅ抱きつかれたあと、噛み付く西川。


 そしてこれもいつも通り全く効いていない様子で、さらに撫でくり回される。


 西川は、姉ちゃんに抱きつかれたまま残りの帰宅路を歩いた…いや、ぶら下がっていた。


 その間も、何度もはむはむと噛みつかれていたが、姉ちゃんは笑いながらずっと抱きついていた。ブレないなぁ、姉ちゃん。


 ふと、何やらガシャンガシャンと金属音が響いていた。いや、金属を踏んだ時の足音が反響して聞こえているのか?


 前を見ると、何やら大型トラックと数人のユニフォームを着た男性たちが、冷蔵庫を運んでいた。


「ん、あれは……。引越し?」


「そうみたいね。どんな人かしら?」


「西川の隣だな」


「大して興味はない」


「言うと思ったよ」


 こいつ、ほとんど学校か俺の家に行く位しか外出しないからな。基本、仕事関連の話もリモートでするらしい。


 ビニールと養成シートの独特の匂いに包まれた通路をぬけて、家のドアを開く。


「あ、あなたたち、もしかして隣人さん?」


「ん?あぁ、あんたが引っ越してきた……」


「あぁ!」


 俺が挨拶をしようとした瞬間、姉ちゃんが大声を上げた。な、何があったんだ?


「な、ななな、那月比奈ちゃん!?」


 那月比奈?それって、今勢いが増してる読モ……だったか。


 そういうゴシップ記事には疎いが、姉ちゃんがかわいいかわいいと写真を押し付けてくるため覚えてしまった。


「ひっ……!」


 那月比奈は、ぴくんと肩を震わせた。そして、途端に脅えた顔をする。


「あ、ごめん、びっくりさせちゃった?」


「い、いや。こっちもごめんなさい。余計な気を使わせてしまって」


 ひとつ疑問だ。こいつはなぜ、今脅えた顔をした?姉ちゃんの大声にびっくりしたにしても、今の反応は驚きすぎだろう。


 まるで、幼少期のトラウマが再発したような、そんな怯え方だった。


「運送、終わりましたー」


「あ、お疲れ様ー。あとは……」


 何やら引越し業者と話してる最中らしい。彼女から話しかけてきたのだが、ここは一旦帰るか。


「俺は帰る。じゃあな」


「おう、じゃな」


「ばいばーい」


 ゆっくりと床に下ろされ、姉ちゃんをひと睨みした後に西川は部屋に入った。


「あの目、普段の士郎みたーい」と、姉ちゃんは笑いながら言う。はぁ、俺のコンプレックスだって知ってるはずなのになぁ。


「今日のご飯はー?」


「シチューだよ」


「やったー」


 姉ちゃんはシチューが好きなのだ。「一週間の初めはシチューじゃないと始まらないー」と、駄々をこねたので、月曜日はシチューを食べることになっている。


 つまり不知火家の食卓には、月曜日はシチュー、土曜日はハンバーグが並ぶ。


 上機嫌に鼻歌を歌い、ご飯の完成を待つ姉ちゃん。しかし、その食卓は異様に静かに感じた。


 俺の右隣が寂しい。ピンクの座布団の置かれた椅子は春宮専用だ。なのに、そこには春宮の姿はなかった。


 ラップをして、春宮の到着を待つも、遂には現れることは無かった。

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