第22話 逃げ出した猫⑴

 喜美子さん達の一件から一週間。授業中、先生と生徒の顔はひきつっていた。

 コツコツと先生が板書をする音、それを書き写すためにノートにペンを走らせる音、教科書に隠れ、早弁をする檜山の箸の音、うたた寝をしていたものの、意識が戻り「ふがっ」と声を上げる相浦、そして、ジーッと音を鳴らしながら西川の机の上に鎮座するドローンの音。


「あのー、西川くん。それで出席になると思ってる?」


「今どきはリモート授業というものもある。これが嫌なら各自でビデオでも取り、俺宛にメールで転送してくれ」


「これは対面で行う授業なの!先生の方針に従ってくれないかしら!?」


「ふむ。やはりダメか。去年の教師も大体ダメだったが…。せめて締め切り前はリモートで…」


「却下します!」


「融通の効かんヤツめ。少し待っていろ。今から身支度を済ませて教室に向かう」


 そう言って、ドローンは窓から去っていった。あいつ、去年も最初の授業はあんな感じだったな。ちなみに、さっきのがあいつの今学年初登校だ。『初め二週間ほどの授業は質が悪い』と独自の見解を述べ、西川は今まで全て仮病を使って休んでいた。


 おかげで出席日数はギリギリ。そこで西川二号(本人命名)ことドローンが出陣してきたわけだ。

 ちなみに、西川が来たのは昼過ぎ。トマト片手に、ゆうゆうと教室に入ってくる。


「随分と身支度に時間がかかったな」


「これでも急いだ方だ。見ろ。脇がむれている」


 西川がブレザーを脱ぐと、脇がぐっしょりと濡れており、肌色が透けていた。その様子を見て、相浦が飛んでくる。


「おっす、オラさぎりん!ははーん、これは努力の跡ですなー」


「引きこもりの印だ」


「自虐か」


 一方西川は俺がこの前作り置きしておいたトマトを丸かじりし、口からたらりと垂れた汁をティッシュで拭った。男らしいのか女らしいのか分からないな。


「西川くん。おはよ」


「春宮か。相も変わらず眠そうな面をしているな」


 確かに、春宮ってどうもいっつも眠そうな顔してるよな。寝不足のせいだと思うが。ちなみに昨日も俺は一時半まで起きていたのだが、ついにあいつの部屋の電気が消えることは無かった。


「えへー」


「なぜ喜ぶ」


「会話出来たから」


 そんな二人を見て周りの奴らは、生暖かい好奇の目で見つめる。どうやら勘違いされてるみたいだ。春宮の言いたいことはこうだろう。

 「憧れの人と話が出来て嬉しい」。だが、周りは「好きな西川くんと話が出来て嬉しい」だと思っている。


 すると、何やら檜山が春宮の肩を叩いてきた。


「あのさー、春宮。ひとつ聞いていいか?」


「なに」


「お前、なんでこいつのこと『西川くん』なんて呼んでんの?あれ、そういや女なのにどうしてズボン履いてんの?」


 あー、そうか、俺は去年は西川と違うクラスだったから、必然的に俺と同じクラスだった檜山とも違うクラスになるわけだ。ちなみに、体育の時は二組合同で行っていたため、少しは見かけたはずだ。まぁ前述した通り、体力測定の時以外はほぼ休んでた訳だが。


 こいつみたいにコミュニティが広いやつだと、普通に西川のこと知ってると思ってたけどな。ちなみに、俺は家が隣だったことと姉ちゃん繋がりで知り合い、それを相浦や榎原に紹介した感じだ。去年の西川のクラスメイトなら、西川を知らない奴は居ないだろうと思う。


「こいつ男だよ」


「え、マジかよ不知火!」


「これウィッグ?」


「地毛だ」


 橘が冗談交じりで聞いていたのを、西川は丁重に答える。それからどんどんと西川の周りに人だかりができていった。こいつ、なかなかの人気だな。その様子を、羨ましそうに遠巻きに春宮が見つめる。


「どした、春宮」


「別に…」


 嘘つけ、絶対何かある。さっきの横顔は、明らかになにか含みのある顔だ。特に深い詮索はしないけどさ…。気になるものは気になるよな。

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