第4話 逃げ出した猫

 喜美子さん達の一件から一週間。授業中、先生と生徒の顔はひきつっていた。コツコツと先生が板書をする音、それを書き写すためにノートにペンを走らせる音、教科書に隠れ、早弁をする檜山の箸の音、うたた寝をしていたものの、意識が戻り「ふがっ」と声を上げる相浦、そして、ジーッと音を鳴らしながら西川の机の上に鎮座するドローンの音。

「あのー、西川くん。それで出席になると思ってる?」

「今どきはリモート授業というものもある。これが嫌なら各自でビデオでも取り、俺宛にメールで転送してくれ」

「これは対面で行う授業なの!先生の方針に従ってくれないかしら!?」

「ふむ。やはりダメか。去年の教師も大体ダメだったが…。せめて締め切り前はリモートで…」

「却下します!」

「融通の効かんヤツめ。少し待っていろ。今から身支度を済ませて教室に向かう」

 そう言って、ドローンは窓から去っていった。あいつ、去年も最初の授業はあんな感じだったな。ちなみに、さっきのがあいつの今学年初登校だ。『初め二週間ほどの授業は質が悪い』と独自の見解を述べ、西川は今まで全て仮病を使って休んでいた。

 おかげで出席日数はギリギリ。そこで西川二号(本人命名)ことドローンが出陣してきたわけだ。

 ちなみに、西川が来たのは昼過ぎ。トマト片手に、ゆうゆうと教室に入ってくる。

「随分と身支度に時間がかかったな」

「これでも急いだ方だ。見ろ。脇がむれている」

 西川がブレザーを脱ぐと、脇がぐっしょりと濡れており、肌色が透けていた。その様子を見て、相浦が飛んでくる。

「おっす、オラさぎりん!ははーん、これは努力の跡ですなー」

「引きこもりの印だ」

「自虐か」

 一方西川は俺がこの前作り置きしておいたトマトを丸かじりし、口からたらりと垂れた汁をティッシュで拭った。男らしいのか女らしいのか分からないな。

「西川くん。おはよ」

「春宮か。相も変わらず眠そうな面をしているな」

 確かに、春宮ってどうもいっつも眠そうな顔してるよな。寝不足のせいだと思うが。ちなみに昨日も俺は一時半まで起きていたのだが、ついにあいつの部屋の電気が消えることは無かった。

「えへー」

「なぜ喜ぶ」

「会話出来たから」

 周りの奴らは、生暖かい好奇の目で二人を見つめる。どうやら勘違いされてるみたいだ。こいつの言いたいことはこうだろう。「憧れの人と話が出来て嬉しい」。だが、周りは「好きな西川くんと話が出来て嬉しい」だと思っている。

 すると、何やら檜山が春宮の肩を叩いてきた。

「あのさー、春宮。ひとつ聞いていいか?」

「なに」

「お前、なんでこいつのこと『西川くん』なんて呼んでんの?あれ、そういや女なのにどうしてズボン履いてんの?」

 あー、そうか、俺は去年は西川と違うクラスだったから、必然的に俺と同じクラスだった檜山とも違うクラスになるわけだ。こいつみたいにコミュニティが広いやつだと、普通に西川のこと知ってると思ってたけどな。ちなみに、俺は家が隣だったことと姉ちゃん繋がりで知り合い、それを相浦や榎原に紹介した感じだ。去年の西川のクラスメイトなら、西川を知らない奴は居ないだろうと思う。

「こいつ男だよ」

「え、マジかよ不知火!」

「これウィッグ?」

「地毛だ」

 橘が冗談交じりで聞いていたのを、西川は丁重に答える。それからどんどんと西川の周りに人だかりができていった。こいつ、なかなかの人気だな。その様子を、羨ましそうに遠巻きに春宮が見つめる。

「どした、春宮」

「別に…」

 嘘つけ、絶対何かある。さっきの横顔は、明らかになにか含みのある顔だ。特に深い詮索はしないけどさ…。気になるものは気になるよな。

 同日の夕方。俺と春宮は帰宅部だが、相浦が「部活動見学に付き合って」と言ってきたので仕方なく付き合うことにした。運動部は来週とのこと。まぁ、今は新入生のための仮入部期間だし、特に目立つことは…あるか。新入生の中に二人だけ二年生が混じってるわけだしな。

 ちなみに、今日は美術部で最後。明日文芸部から回るらしい。

「みんなー!今日は美術部に来てくれてありがとー!…って、二人だけか。去年はもう少し居たんだけどなぁ」

「もうちょっと全面的にウェルカムな感じにした方がいいんじゃね?」

「ウェルカムか、よし!その案いただき!」

 ツッコミどころが多いのだが、以心伝心というのか。春宮はもう一人の部員、葉塚遥斗の言葉を理解しているようだった。なんだよ、ウェルカムな感じって。

「なぁ、三年の先輩は?」

「もうすぐコンクールだから、奥でそれぞれ筆を走らせてるよ。缶詰状態だね」

「まぁ、俺たちはもう終わってるんだけどな」

「だねー。でもちゃんと今回もいただくぜー!最優秀賞!」

 そう、相浦は凄い。なんと高校に入ってから、ずっとこいつが最優秀賞を勝ち取り続けていたのだ。本人曰く、「小学校からずっと絵画教室に通いつめていたから」との事。それから中学校でその才能が実を結び、連戦無敗の絶対王者になったのだとか。

「見せて、作品」

「ほー、佳奈ちゃん興味あるのかね。いいぜいいぜー!ほらどーん!」

 そこにあった乾燥棚から、キャンパスを引っ張り出して俺たちに見せる。

「描きたてほやほやだよー、出来たてうまいよー」

「さっきまで描いてたからな」

 確かに、まだ絵の具が光沢を放っている。キラキラと日光に反射して、まるで本当の海みたいだ。そう、相浦が描いたのは、海を泳ぐ魚たちと、そのまわりに広がる珊瑚礁。絵の中に吸い込まれそうなほどの出来栄えだ。

「…凄い」

「えへへ、それほどでもあるかな?そだ、二人も描く?紙ならあるよ」

「そうか、じゃお言葉に甘えて…」

「私はいい。ほら、次行こ」

 俺が相浦の提案に乗ろうとしていると、春宮がそれを却下するように勢いよく立ち上がる。そして、どこか焦った様子で、二人分のカバンを抱え、左手で俺を掴んで美術部を後にした。

「おーい、なんで描かないのさー」

「次文芸部行かなきゃいけないの。もう時間遅いから、すぐ行かないと」

「お前、文芸部はまた明日って…」

「気が変わったの」

 なんと横暴な。それに、あんな断り方じゃ相浦が嫌な気分になるだろう。そんな言葉も言う暇もなく、俺たちは文芸部にやって来た。

「なんだお前らか。何しに来た」

「お前一人かよ」

「悪いか。俺が入った頃には、もう三年しかいなくて、それももう卒業したから俺一人なんだよ」

「それは気の毒に」

 パチパチとノートパソコンを弄る西川。小説を書いているのだろうか。普段なら、「女装先生の生職場…!」とか言ってはしゃぎそうな春宮だが、何処か浮かない顔をしている。

「春宮?」

「何?」

「お前、気にしてるのか、相浦のこと」

「…うん」

 やっぱりか。だったらあんな断り方しなければよかったのに。そもそも…。

「お前、なんでここに来たんだよ。文芸部は明日だって言ってたじゃないか。今日文芸部に来なければ、絵も描けただろ?」

「それは…」

「もう絵は描きたくないからじゃないか?」

 西川は、至極当然のことを言い出した。それに、春宮も頷いてるし。俺が聞きたいのは、その理由だ。

「こいつ、そこまで絵が下手なのか?」

「その逆だ。恐らくだが、俺はこいつを知ってる。そうだろう、美術界期待の大型新人、春宮佳奈」

「お、大型新人!?」

「あぁ、両親が名のある画家らしくてな、英才教育の賜物か、生まれ持っての才か。初めて賞を受けたのは確か…、八歳の時だったか」

 八歳で賞って…。結構有名な賞なんだろうな、こいつが言うんだから。で、でもちょっと待て。

「なんで、絵を描きたくないんだ?」

「引退発表しているんだ。一年ほど前にな。そんな奴が、絵を描きたいとは思わない…というのが俺の見解だ」

 若干濁したのは、西川には春宮の心は見透かせる訳では無いからだろう。しかし、春宮は先程から俯いたままだ。図星…か。

「…それにしてもこいつの絵は、なかなかやるものでな。俺でさえも賛美を送らざる得ないほどだ…」

 これでもかというほどに、春宮を絶賛する西川。言葉を変えて、表現を変えて、春宮を褒め称える。それと引替えに、春宮はどんどんと肩を狭めていく。照れているのか?

「本当、凄いよ、こいつの絵は」

 がたんっと、音を立てて椅子を引き、春宮が走って廊下に出る。こいつもまた褒められ慣れてないのか?でも、画家なら褒められることも多いだろうに。でも、一つ気になることが。

 あいつ、泣いてた。見間違いではないだろう。恥ずかしいからと泣いていた訳では無いだろう。それほど、悲壮感に溢れた顔をしていた。その瞬間、俺の体はあいつを追いかけていた。

「お前、踏み抜いたな」

「お前だろ!じゃなかった!あいつ追いかけるわ!」

「やめておけ。今は全てがマイナスになるだろう。時間を置いた方が、まだ話になる」

「…色々すごいな」

 確かに…。今のあいつは、きっと冷静じゃない。いや、違うな。冷静じゃないのは俺もか。…でも、なんでだろう。あいつの涙を見ると、何故か体が動いた。今までの俺なら、俺に睨まれて半泣きになってる人を見ても、申し訳ないなくらいしか思わなかった。でも、あいつの涙を見ると、何故か胸がザワザワする。

「小説の登場人物ならそうだからだ。でも、それが俺の悪い癖でもある。分かったつもりでいてしまう。他人の心の中なんて、分からないのに」

「そうやって、自分のこと分かってるのって、結構羨ましい」

「そういうお前も、目付きがすこぶる悪いことくらいは自覚しているだろう?」

「まぁ、な」

 違う、そうじゃないんだ。羨ましいのは、そこじゃない。こいつは、変わろうとしてる。それはきっととても勇気のいることだ。笑顔を見せるとか…。その勇気が、俺には無いのだろう。俺にも、勇気があれば。きっと、春宮を呼び止めることが出来た。それ以前に、相浦に告白だって。

「さて、そろそろ閉めるぞ。迅速且つ速やかに荷物をまとめろ」

「口癖か?それ。前も言ってたろ、迅速且つ速やかにって」

「そうかもな。スルッと口から出る」

 そういうのを口癖って言うんだろうな。俺には、特にそういったものは無い。

 俺たちは一緒に帰ることになった。傍から見れば男子の制服をさせた少女を連れてる男子。気持ち悪いといえば気持ち悪いのかも。

「れーんーくん!」

 すると、後ろからスーツ姿の姉ちゃんがすっ飛んできた。あ、今の時間姉ちゃんの帰宅時間とドンピシャだ。

「うわぁ!?やめろ、離せ変態娘ー!はむっ!」

 いつも通り一通りむぎゅむぎゅ抱きつかれたあと、噛み付く西川。そしてこれもいつも通り全く効いていない様子で、さらに撫でくり回される。西川は、姉ちゃんに抱きつかれたまま残りの帰宅路を歩いた…いや、ぶら下がっていた。その間も、何度もはむはむと噛みつかれていたが、姉ちゃんは笑いながらずっと抱きついていた。ブレないなぁ、姉ちゃん。

 ふと、何やらガシャンガシャンと金属音が響いていた。いや、金属を踏んだ時の足音が反響して聞こえているのか?前を見ると、何やら大型トラックと数人のユニフォームを着た男性たちが、冷蔵庫を運んでいた。

「ん、あれは…。引越し?」

「そうみたいね。どんな人かしら?」

「西川の隣だな」

「大して興味はない」

「言うと思ったよ」

 こいつ、ほとんど学校か俺の家に行く位しか外出しないからな。基本、仕事関連の話もリモートでするらしい。

 ビニールと養成シートの独特の匂いに包まれた通路をぬけて、家のドアを開く。

「あ、あなたたち、もしかして隣人さん?」

「ん?あぁ、あんたが引っ越してきた…」

「あぁ!」

 俺が挨拶をしようとした瞬間、姉ちゃんが大声を上げた。な、何があったんだ?

「な、ななな、那月比奈ちゃん!?」

 那月比奈?それって、今勢いが増してる読モ…だったか。そういうゴシップ記事には疎いが、姉ちゃんがかわいいかわいいと写真を押し付けてくるため覚えてしまった。

「ひっ…!」

 那月比奈は、ぴくんと肩を震わせた。そして、途端に脅えた顔をする。

「あ、ごめん、びっくりさせちゃった?」

「い、いや。こっちもごめんなさい。余計な気を使わせてしまって」

 ひとつ疑問だ。こいつはなぜ、今脅えた顔をした?姉ちゃんの大声にびっくりしたにしても、今の反応は驚きすぎだろう。まるで、幼少期のトラウマが再発したような、そんな怯え方だった。

「運送、終わりましたー」

「あ、お疲れ様ー。あとは…」

 何やら引越し業者と話してる最中らしい。彼女から話しかけてきたのだが、ここは一旦帰るか。

「俺は帰る。じゃあな」

「おう、じゃな」

「ばいばーい」

 ゆっくりと床に下ろされ、姉ちゃんをひと睨みした後に西川は部屋に入った。「あの目、普段の士郎みたーい」と、姉ちゃんは笑いながら言う。はぁ、俺のコンプレックスだって知ってるはずなのになぁ。

「今日のご飯はー?」

「シチューだよ」

「やったー」

 姉ちゃんはシチューが好きなのだ。「一週間の初めはシチューじゃないと始まらないー」と、駄々をこねたので、月曜日はシチューだ。つまり不知火家の食卓には、月曜日はシチュー、土曜日はハンバーグが並ぶ。

 上機嫌に鼻歌を歌い、ご飯の完成を待つ姉ちゃん。しかし、その食卓は異様に静かに感じた。俺の右隣が寂しい。ピンクの座布団の置かれた椅子は春宮専用だ。なのに、そこには春宮の姿はなかった。

 ラップをして、春宮の到着を待つも、遂には現れることは無かった。


 さて、そろそろ風呂に入るか。

 湯むきトマトをふたつ、口の中に放り込み、その後サラダチキンをひとつ頬張る。さすがにトマトだけでは腹が満たされないからな。その後、風呂入ったあと七時頃に眠る。そして二時頃に起きて、小説を書く。それが俺のルーティンだ。他人から見ると、生活リズムは完全に狂ってるだろう。

 しかし、執筆をするならこのルーティンが一番いい。夜中から明け方にかけてが、一番交通量が少ないからだ。おかげで、集中して執筆できるのだ。俺は少しの物音でも気を散らしてしまう。その状況でも書けない訳では無いが、作業効率が大幅減するのだ。

 風呂に入り、さっぱりして脱衣場から出た時。定期的にインターホンが鳴らされてることに気がついた。誰だこんな時間に。居留守使うか。早く帰れ。しばらくすると、今度は連打しだした。「しつこいなぁ」とボヤきながらも、覗き窓から扉の向こうを確認する。そこには、那月陽菜の姿が。偉く慌てているようだ。

「なんだ」

「おっそいわね!とっとと入れなさいよ!」

「は?」

 先程話した時とは偉く態度が違うじゃないか。化けの皮が剥がれたか。にしても、酷い顔だ。不知火といい勝負をするほど悪い顔をしている。いや、あいつの方がマシか。あいつはただ顔が悪いだけで、特に性格に難はないが、こいつは性格も悪そうだ。

「何ぼーっとしてんのよ」

「はぁ、入れ」

「それでいいの。とっとと入れれば」

 なんなんだこいつ。非常識にも程があるだろう!

「あのなぁ、お前さ…!」

「な、何よ」

「家に入れてもらったら、まずお邪魔しますだろう!」

 たく、本当に非常識な奴だ!こんなの常識だろ!すると、彼女はキョトンとした後、腹を抱えて大笑いしだした。

「何がおかしい」

「だってあんたがおかしくって!それに何?その髪!男のくせに髪伸ばしちゃってさ、それで俺可愛いとか思ってる訳?それって、ちょーださーい」

「…あ、あのなぁ!この髪型は親の形見だ!」

「何言ってんの?髪が形見?」

「それはだな…」

 それから、怒涛の如く自分語りを決めた。自分でも引くほどのマシンガントークだ。口うるさそうなこいつでも、何も口をはさめないほどに。とは言っても、こいつにも人の心はあるようで、中盤あたりから口をあんぐりと開けて話に聞き入る。前半は話半分といった感じだったのだが。

「あんたも、大変だったのね」

「まぁな。さぁ、俺は話したぞ。次はお前だ」

「は、はぁ!?自分から話し出したのに、なんであんたに話さないといけないの!少しの同情はしてあげてもいいけど、それとこれとは話は別よ!」

「今ここで、お前を追い出してもいいんだぞ」

「ふ…ふぬぬ…!」

 にしても、こいつ先程から随分と何かを警戒しているようだ。チラチラと部屋に入った時から何度か窓や玄関の方を見ていた。挙動不審にも程がある。

 諦めたようにため息をついて、彼女は口を割った。

「私ね、変な男につけられてるのよ」

「ほう」

「引っ越してもどこからともなく追いかけてくるし、だからここまで来たの。それで、一人でいると不安になるの。彼に見られてるんじゃって」

「はぁ、あのな、そういうのは警察に言えよ」

「…かけたくないの」

「は?」

「迷惑かけたくないの!家族のみんなに!」

 迷惑かけたくない…か。ふと、俺はこいつと自分を重ねてしまった。俺だって、ばあちゃんに心配かけないために今まで馬鹿みたいに演じ続けてきた。こいつだって同じだ。母親に迷惑かけたくないがために、平然を装って、演じている。そこに、一種のシンパシーを感じたのだ。

「そうか」

「あ、あんた、笑わないのね」

「笑うもんか。俺はな、ある程度の自尊心を持ち合わせている。俺とお前は同類だ。ここでお前を笑うと、過去の自分を笑うことになる。それだけは嫌だから、俺はお前を笑えない」

「そっか…」

 那月は、少し安心したように笑った。ひとまずは、上手くやっていけそうか。そう思っていた時期が、俺にもあった。

 風呂にまだ入っていなかったらしく、那月は風呂に入らせろと要求してきた。俺は渋々それを了承。

「あのさー!」

「何だ!」

 浴場で何やら声を張り上げてきたので、俺もそれに応えて声を張り上げる。ったく、何の用だ。

「このリンス家のと違うんだけどー!」

「ワガママ言うな!」

「私あれ以外認めなーい!」

「だったらその姿のまま家に帰って持ってこい!」

「…あんた本気で言ってんの?」

 はぁ、とんだわがまま娘だ。芸能人なんて全員こんな奴らなんだろうか。いや、それじゃ芸能人に失礼だな。こいつが酷いだけか。

「わかった、行きゃいいんだろ、行きゃ」

「うん、でもすぐに帰ってきなさいよ!ちなみに、もう浴場に置いてあるから、すぐ分かると思うわ。あ、あと鍵はスカートのポケットの中」

「へいへーい」

 脱衣場に鍵はなく、洗面台と一体化している。すると、何やら那月が顔だけこちらに出して、怪訝そうな顔をした。

「覗かないでよ」

「覗くか!」

 俺は那月の脱ぎ散らかしたスカートの中から鍵を取りだし、隣の部屋に向かう。玄関先で、一応周囲を確認しておくか。変な男に付けられてるらしいからな。ちなみに、植木こそあれど、駐車場は見晴らしが良く、車が十台入る程度の広さしかない。なので、誰もいないのは一目瞭然だ。

「とっとと帰るか」

 那月の家の鍵を開け、ダンボールだらけの廊下を抜け、浴場に向かう。なるほど、あいつは性格通りガサツなようだ。まぁ、今日引っ越してきたばかりらしいので、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。浴場にてリンスを見つけ、それを手に取り家に帰る。あいつがうるさいからな。帰りも一応駐車場に目を向けたが、特に怪しい影はなかった。

「持ってきたぞ」

「あぁ、悪いわねー、そうそう、これこれー」

 悪いと思うのならばもう少し申し訳なさそうにしてくれ。そう言ったところで、こいつは、あーだこーだと文句を言い出すだろう。そうなれば面倒なのはこちらだ。だからここは「はぁ」とため息だけ着いて脱衣場を離れ、パソコン前に陣取る。

「あのさー!」

 俺が二三行書き進めていると、何かあったのか、またあいつが大声を出す。あぁ、面倒だなぁ…。

「今度はなんだ!」

「着替えがなーい!」

「もう俺は行かんからな!」

「わがまま言わないでよ!」

「それはこちらのセリフだ!」

 こいつ、本当に面倒なやつだ。何が上手くやっていけそうだ、過去に戻って俺自身をぶん殴ってやりたい。

「俺のやつ着てろ」

 タンスの中の服を適当に見繕って那月に突き出す。素っ裸でいられても困るし、わざわざ取りに行くのも癪だ。汗臭いそのままの服で居てもらっても不愉快なので、俺の服を手渡す。そう、仕方がない。仕方がないのだ。

 顔だけ出して、明らかに怪訝そうにする那月。だが、俺はそれを見ないふりをして、勢いよく脱衣場のドアを閉める。

 次に顔を見合せた時には、若干不機嫌そうな顔をしながらも俺の服に袖を通していた。

 はぁ、今日はこいつを見逃すとするか。今日だけ、今日だけだ。明日からは追い返そう。

 那月は、俺の背後にあった座布団に陣取り、何やら携帯を弄っていた。友達と話しでもしているんだろうか、それとも芸能ニュースでも見てるのだろうか。

 彼女は脅威の集中力で、無言を決め込んで三時間は時間を潰していた。時計は十一時を回る。俺はおもむろに立ち上がり、「おい」と那月に声をかける。やはり、どこかこいつは俺に嫌悪感を抱いている。俺の事をじっと見たあと、ぷいっとそっぽを向く。

「歯は磨け。口臭が気になる」

「あんた、私の口が臭いって言ってんの!?」

 あぁ、ようやっと反応してくれた。別に反応して欲しいって訳じゃないが…。いや、違うな。反応して欲しいから、俺はこいつに話しかけた。何意地を張ってるんだ、俺は。

「翌日の口臭が気になると言っているんだ。俺の歯ブラシは緑、お前の歯ブラシは…」

 ゴソゴソと俺が使うつもりだった歯ブラシを漁る。うーん、これでいいか。いくつか買いためてあるからな。

「黄色でいいな」

「使い古しじゃないでしょうね」

「新品だ!自分で確かめろ」

 歯ブラシを那月比奈に押し付ける。それをまじまじと見ている那月の姿から、俺の信頼度が伺い知れる。全くのゼロだな。でも、これが俺の悪い癖だ。だが、それは俺の作り出した偶像だ。俺の中の彼女。俺の人生の登場人物としての彼女。天の声と同じように、彼女の心を見透かしているつもりでいる。そして、どこかそんな自分に自己陶酔していたんだろう。俺は、最高に痛いヤツだ。それでも、そんな自分をどこか受け入れている。だから、変われないんだ。

「…あのさ、ありがとね」

「何だ、らしくない」

「…なんか気に入らない」

「いつも通りか」

 そうだ。こいつはいっつも俺の事を小馬鹿にして、わがまま言ってて、横暴なのだ。そう思っていた時、那月は俺をビシッと指さした。な、何だろう。

「気に入らないのよ、その私の全部を知ってるようなその態度が」

「……」

 こいつの言ってることは、やはりどこか上からだ。でも、図星だ。俺は言葉が出てこなかった。ぐぅのねも出ないというわけだ。

「歯ブラシ、貰うわ」

「…おう」

 俺は、多分自分のことが嫌いなんだろう。今の自分が、変われない自分が。でも、図星を突かれた時何も言えなかった。

「ねぇ」

 歯を磨き終えた那月比奈が俺に話しかけてくる。その後、欠伸をひとつ。こいつもう眠いのか。俺は部屋のベッドを指さした。

「ここで寝てろ」

「い、いや、あんたは?」

「今日はオールだ。一日二日ではへばらん」

「そ」

 短く返事をしたあと、那月は壁際を向いて寝転がった。俺はスタンドライトを点灯させ、部屋の電気を消し、執筆活動を再開する。

 ふと、那月のことが気になった。あいつは、これからどうするんだろう。多分…いや、やめておこう。

「おい」

「…」

 黙り…か。それでもいい。どうせ少し気になっただけだ。

「いいか。今から言うのは俺の独り言だ。聞き流すなり答えるなりしろ。それはお前次第だ。俺も、お前の発言は全て寝言として聞き流す」

「……」

「お前、これからどうするつもりだ。これからも、その不審者が現れたら逃げるのか。モデル業に戻ることも無く、こうやって、転々と。金が無くなればどうする。ホームレスになんてなってみろ。周囲の奴らから変な目で見られるぞ。特集も組まれるかもな。『あの人気読モが今、ホームレスに!?』ってな」

「あんた、いい加減にしな…!」

「だから、少し俺に任せろ」

「…それって、どういう風の吹き回し?」

「取材みたいなものだ。こう見えても作家の端くれなんでな」

 幸い、締め切りまでにはかなり猶予がある。少し付き合ってやろう。


 翌日。俺は適当な理由をつけて学校を休む。

「渡辺先生、風邪気味なんで本日お休みします」

「え、あっ、ちょっと…」

 要件を言い終わるとブツンと通話を切った。

 昨晩は大して取り立てるようなこともなかった。ストーカーが家に上がって来るようなこともなく、那月が珍妙な寝言を連発していたこともない。いつも通り、夜は明けていった。

 こいつはかなり健康的らしく、朝の六時半には目を覚ました。そして、髪を洗い、寝癖を治しながらドライヤーをかける。

「あのさぁ、なんなのこの朝ごはん」

「トマトジャムのトーストに、トマトスープ、トマトジュースだ。栄養価満点だぞ」

「ここまで来ると狂気ね…」

 俺としてはかなりテンプレ地味た朝食なのだがな。もっと庶民的な方が良かったか。

「文句があるなら、帰ってもらっても構わんが?」

「…いや、これでいいわ」

 そう言うと、那月はトーストを口に運ぶ。そして、酸っぱそうに口を窄める。しかし彼女は口を動かし、何とか完食した。

「さて、作戦は夕方に決行する」

「待ってよ。そいつが食いついてくるか…」

「来るさ」

 俺はカーテンを少し開ける。俺の家の向かいにはちょっとした雑木林があるのだが、そこの一部がきらりと輝いた。カメラを持った男性だ。こちらではなく、右隣の部屋を移しているようで、こちらにはまだ気がついていない様子。

 びくりと那月が肩を揺らす。そんな彼女に、俺は声をかけた。

「お前、まず洗濯干してこい」

「へ?」

「釣りをするには餌が必要だろう。相手の注意をこちらに引く。ついでに相手にお前の服装のイメージを定着させておく」

「まぁ…、ここなら手を出されることは無いでしょうけど…」

 渋る那月の前に洗濯物の山を手渡す。「う…」と一瞬恐れを顕にしつつも、深呼吸して、窓からベランダに出る。ずっと下を向いたまま。そしてひとしきり干し終えた彼女は、青い顔をしていた。

「何枚か取られただろうな」

「そんなことわかってるわよ!で、どうすんの?」

「夕方も洗濯を入れろ。そしてそのときこう言うんだ…」


 春宮と西川は休みか。西川はともかく、春宮まで…。やはり昨日のあれが原因か。

「わ、私のせいかな?」

 昨日の一件で責任感を感じたのか、相浦が申し訳なさそうな顔をする。

「大丈夫、相浦は悪くないよ」

 …とは言いきれないのが事実だ。彼女は春宮のトラウマに触れてしまった。それなら、俺や西川の方が責任重大だろう。相浦からそんなことを言ってくるってことは、彼女も少し春宮の去っていく背中を見て思うところがあったということか。にしても、春宮は本当に何があったんだろう。ただの寝坊か?朝は反応がなかったから、仕方なく一人で登校してきたのだが。やはり罪悪感を感じてしまう。

「はーい、じゃあHR始めるわよ…」

 朝の本鈴と同時に、先生が入ってくる。ガタガタと席に着くその生徒の中に、やはり二人の姿はなかった。後でふたりの家に行こうか。というか、先生顔色悪!

「先生、また合コンすかー?」

「なんでそうなんのよ」

 檜山がそんなデリカシー皆無なことを言い出した。まぁ、先生が顔色が悪いのは一ヶ月に一回くらいある。そのスパンで合コンに行ってるのに、未だに彼氏は一人もいないらしい。

「また失敗してただでさえ合コンで酒入ってるのにやけ酒して、二日酔いと寝不足のダブルコンボ決められてそうな顔してるから」

「くっ、そうよ正解よ!その洞察力を少しは国語の文章問題に向けてくれたらいいんだけどねぇ、檜山くん!」

(いや、それは先生がかなりわかりやすいからじゃ…)

 先月のこと、渡辺先生は朝から顔色が悪かった。先生は現代文学Bの教師なのだが、その内容が少し色恋沙汰だった。しかも何やら両思いらしい。いつもよりも荒々しい黒板にチョークがぶつかる音。パラパラと粉が下に落ちていく。

「いい!?こんなの一時の気の迷いなの!どうせ恋人になっても将来添いとげるってわけじゃないし、そんな曖昧なものなんかに時間を費やす方がバカバカしいわ!みんなもどうせ受験生になったら分かるわよ!恋人ってのがどれだけもろくて、めんどくさい関係なのかがね!つまり…」

 そして、今度は俺たちに背を向けて黒板に手を付き、もう一方の手で口を塞いで「うぷっ…」と嗚咽を漏らした。その時、俺たちは思った。あぁ、こんな大人にはなりたくないなぁ、と。職業の面では多少勝ち組かもしれないが、それ以外が残念すぎる。それと、もう一つ。先生は今日みたいな日は必ずと言っていいほどすっぴんで来る。

 先生はこの前、「寝不足になるとね、テンションがだんだんおかしくなっていくものよ」とも言ってた。まぁ、つまり先生は今、テンションが壊れており、簡単に言えばヒートしやすい。しかし、大声や激しい動作をすると二日酔いで頭痛、吐き気などが込み上げてくる。まさに、前門の虎後門の狼と言ったところか。抑えようと思っても、抑えられないのだろう。

 あぁ、今日は心配な人が多すぎるな。


 夕方。作戦開始だ。

「あー、そういや食材切れてたわねー?」

 那月は、俺が命令したようにベランダで洗濯物を取り込んでいる途中で大声で俺に質問した。さて、では始めよう。彼にトラウマをどっぷりと塗りたくってやるのだ。

「そうだな、スーパーでも行って買ってきてくれ」

「しょうがないわねー」

 もちろん、ここまでが台本だ。こいつがここまで素直なはずがない。そして、洗濯物を完全に取り込み俺と彼女は服を交換して、帽子とマスクとサングラスを装着。ここまで顔を覆うと、ほとんど見分けつかないだろう。

「じゃ、行ってくる」

「…うん」

 つまりは影武者のようなものだ。俺が囮となり、ストーカーを釣る。その後は、適当に捕まえて交番に突き出し、どうかこのことを内密にしてもらうように頼むしかないな。

 少し裏道を使うか。その方が着いてきてるかわかるし。こんな狭い路地、入ることはそうないだろう…。って、この路地行き止まり!?まずい、引き返さな…って!もうそこまでストーカー来てた!

「に、逃がさないよ、陽菜ちゃん。こんなチャンスなんだ、活かさないとね」

 しかも襲う気満々だし!嫌だ、俺男なのになんでこんな展開に!

「や、はなせ…!」

 もうなんかテンパりすぎて女口調になってきてる!あぁ、そんな言葉も耳に届かないのか、ストーカーはどんどん俺との距離を詰めてくるし…!そもそも手まで握られたし!

「ご、強引な男の人が好きなんだよね?前にインタビュー記事で見たよ…」

「やめろ…!おまえ…なんか…」

「僕の、ものに…むがっ!?」

 俺は、諦めて閉じかけていた目を見開いた。なんと、ストーカーの顔面にポリバケツが!てか臭!生ゴミが入ってるのか!それを外そうともがくその隙に、俺は出口の方に向かった。というか、何故ポリバケツが?そんなことを考えながら男の横を抜けていると、路地の入口に予想だにしない人物が。

「あんたみたいな分別もない変態なんかお断りだって言ってんのよ!」

「那月!?」

 なんと、そこには那月陽菜が仁王立ちしていたのだ。変装もなにもせずに。

「一応事の顛末を見届けようと思ってたんだけど…。想像以上に西川って頼りないのね。少しは見直してた私が馬鹿だったわ」

 うぐっ、返す言葉もない。一方、ストーカーはポリバケツを頭から外して、生ゴミを引っさげて俺たちを見比べた。そして、「へ?」と情けない声と、間の抜けた顔をした。

「陽菜ちゃんが…二人…?」

「こうも頭までおそまつとはな」

「ここまでなんの取り柄もないのに、よくもまぁ私にストーカーなんてしたわね」

「あ、愛なら負けないぞ!」

「愛ですって…あははははははは!あなたギャグのセンスはあるわね!」

 那月は腹を抱えて大笑いした。どうにも、こいつはまだまだ余裕のようだな。

「いい?私は馬鹿でブスでネチネチ陰湿なストーキング行為を愛だなんて寝言言ってるようなやつごめんだって言ってんのよ!」

「そんなこと言わない!陽菜ちゃんはそんなこと絶対に…」

「その程度でよくも愛だなんて口にできたわね。あなたの好きなのは所詮私の仮面だけ。本当の私は、面食いで我儘で性格悪くて、そんな私を私は大好きなぐらい悪い性格なの!だって表っつらだけで食っていけるんだもの。嫌いになるはずないじゃない!」

 うっわぁ、こいつ昨日から思ってたけど想像以上に性格悪いな。噛み付く相手を選んだ方がいいとはこのことか。そんなこいつを、ストーカーは腰を抜かして那月を見上げていた。

「あとひとつ。金輪際一切私の目の前に現れないで。それを破れば、その頭に引っ提げているのと同じくらい不味い飯を食べることになるわ。分かったら、とっとと失せなさい!」

「ひ、ひぃぃぃ!」

 グイッと那月がストーカーの襟元を掴み、かなりの形相で脅しにかかる。それに恐れおののき情けない声を上げ、ストーカーは俺たちにぶつかりながら走り去っていった。もうこれで大丈夫か。

「にしてもあんた、ビビりまくってたわね」

「五月蝿い、こういうのは慣れてないんだ」

 気が抜けた瞬間、へたりと尻もちを着く俺を見て笑う那月。

「そう。ま、今回は礼を言っとくわ。付き合ってくれてありがとね」

「こんなことはもうごめんだな…、さて、これどうしようか」

 俺たちの目の前には、盛大にぶちまけられたゴミが散らばっていた。そして、この状況を誰にも見られては行けない。特に、あいつだけには。

「さっさとずらかるぞ。こんなとこにいつまでもいる訳にも行かんだろ」

「そうね…、あ、あなたは…」

「お前たち…何やってんだ?」

 そう、そこに居たのは不知火だ。俺が一番会いたくなかった人物でもある。こうなった以上、どうなるかは火を見るより明らかだった。

「わ、私はこれで…」

 逃げようとする那月の袖を、ガシッと掴む。彼女一人だけを逃がすものか、道連れだと引きつった笑顔を見せ、陽菜もそれに引きつった笑顔で答える。

「生ゴミを辿ってこれば…、お前ら…、分かってるよな?」

「…ははは」

「…あはは」

 この後、三人で掃除をした。


「全く、災難だった…」

 風呂に入り、ソファーにどっしりと腰かける。全く、今日は厄日だ。やはり、人のために何かするとろくな事がないと今日改めてわかった。

「あははは!」

「ストーカー被害は終わっただろ、あいつにとっては消えないトラウマだ。だから早く帰れ!」

「別にいいでしょー」

 まぁ、昨日今日で案外彼女は俺にとって支障はないと思ったから、居てもらう分には別にどうでもよかった。だが、流石に風呂に寝床と全部の面倒を見ることになるのはさすがに面倒だ。なので、今日は帰ってもらうことにした。

「静かにしてろよ」

「分かってるわよー。…ところであんた、ゲーム好きなの?」

「資料だよ」

 那月がゲームのパッケージを俺のベッドに寝そべりながら見る。

「でも嫌いじゃないのよね」

「まぁな」

「なら、ひとつ賭けをしない?私とあんたで」

「賭け事はやらんぞ」

「何、お金は賭けないわよ、賭けるのは、命令権。勝者は敗者に命令できる。これでどう?」

「ふむ…」

 悪くない。確かに自分が負けるリスクもあるが、俺には好条件を手に入れる秘策があった。これで彼女に適当な命令をさせて、滑稽な姿を肴にトマトでも食べるとしよう。

「わかった、賭けの内容はお前が決めろよ。その代わり俺から賭けるぞ」

「別にいいわよ。内容は、そうね…、あんたの作品に私がヒロイン役で出たらってのはどう?」

「ないな」

「即答ね。なら私は出る方にかけるわよ。ちゃんと覚えてなさいよ?死ぬまで有効だからね」

 そこまでか…。

 やがて、バラエティ番組が終わり、10時になってニュースが多くなった。すると那月は立ち上がり、玄関に向かう。

「帰るのか」

「えぇ、お世話になったわね」

「…またいつでも来い。茶くらいは出す」

「お言葉に甘えて。じゃあね」

 洗濯とシャンプー、リンスを抱え、那月は家に帰る。その様子を見送った俺は、ひとつ疑問に思った。今は連休でもなんでもないが、彼女、学校はどうしているのだろうかと。

 まぁストーカー問題も解消されたし、適当に両親の元に戻るか。

 そう、ストーカーがいなくなった以上、彼女がここにいる理由もない。なら元いた家に帰るのが妥当だ。ならあんなこと言わなければよかったと俺は今頃後悔していた。

 しかし次の日…。

「おいおいまじかよ、天下のモデル様だぜ…!」

「間近で見ると、さらに綺麗…」

 久々に俺が朝から顔を出すと、そこには…。

「那月陽菜です、よろしくお願いします」

「まじか」

 那月が居た。どうやら、この学校、それもこのクラスに編入することになったそうだ。

「これからもよろしくね」

「ったく、逃げられると思ったのにな」

「賭けはどっちかが負けるまで…、ね」

「ん?ちょっと待て、どうやったら勝算がある、この賭け!」

 そう、昨日那月は「死ぬまで」と言った。しかし、どちらかが死んだ時点で賭けは反故にされてしまう。つまり俺はどうしても賭けには勝てないのだ。

「…たしかにね、じゃあ卒業までってことにしましょう」

「留年はなしだからな」

「私もそこまで姑息な手は使わないわよ。まぁ、お互い頑張りましょ」

 ヒラヒラと手を振る那月。やれやれ、またうるさいヤツが増えたと、俺はため息をついた。

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