第16話 自分らしく、あの人らしく⑶
俺は西川に手を引かれ、近くの公園にやってきた。そこのベンチで、息も絶え絶えの西川の息が整うのを待つ。
さっきから、「今……話す……」と呟きながらずっと深呼吸をしてる。かなり短い距離、遅めに走ったはずだけどな。
「簡単に言うと、身代わりだ」
「身代わり?」
「話すと長くなるんだが……」
そう言うと、溜息をつき、普段早口気味な西川は、あえてゆっくりと話し出した。
俺の父親は、クズだった。一見何の変哲もないサラリーマンなのだが、俺にはそいつが酷く写った。
人当たりの良い、社交的な性格の根っこに、汚いものが渦巻いている。そう、俺は睨んでいた。
彼は、夜な夜な女性と電話しているようで、その内容が聞こえてきてしまった。とても、酷い内容だ。
母親のことを、「ちょろい女」だの、「財布」だのとめちゃくちゃに貶していた。
そんな父親を、俺は憎んでいた。そんなことも知らず、母親は父親を溺愛しているようで、俺が何度説得しても、全く信じようともしない。
そんな日々を繰り返していた、五年前のある日、父親の部屋がもぬけの殻になっていた時、俺は確信した。
彼は愛人に貢ぐためか、自分の私利私欲のためか、母の預金通帳を奪って逃亡したのだ。
「母さん!あんなやつほっとけよ!もういいだろ!」
「蓮、そんな事言わないの。きっと、戻ってきてくれるわ」
知っている。母親は父親に裏切られてるともう理解している。だが、それを信じたくないのだ。文字通り、藁にもすがる思いなのだ。
だが、その思いは完全に断ち切られ、母親は地の底に叩きつけられた。
その三日後、俺は塾から帰ってバックをおろした。そして、なにか違和感に気がつく。母親が居ない。普段、この時間は家事をしているか、リビングのテレビを見ながらお菓子を食べてるのに。
「母さん……?」
トイレにはいない。電気がついてないし。なら、やはり私室か?
「母さん、入るよ?」
ノックした後、俺はドアを開けた。やっぱり、ここに居たんだ。母親は、窓際にベッタリと座っていた。西日に照らされた母の背中は、どこか切なさを感じさせる。
「あ、明さん」
明……?それは父親の名だ。俺ははっと振り返るが、そこには父親は居なかった。
「な、何ふざけてんだよ、母さん」
「明さんこそ、ふざけないでよ。いつもみたいに、莉世って呼んで欲しいわ。あっそれより見て。この子、私のお乳飲んでるの」
そう言うと、顕になった胸に小さな肌色のものをあてがっている。だが、それは人間の赤ん坊ではなかった。俺の小さな頃に買ってもらった人形だ。
母は、気を病んでしまった。
「この子の名前、まだ教えてなかったわね。蓮って言うの。泥をかき分けて咲く蓮のように、強く生きて欲しいから」
「母さん!何言ってんだよ!母さん!」
俺は、母親の隣で泣きじゃくった。でも、母親は俺に見向きもせず、人形を俺の名前で呼び、その人形と風呂に入り、そして寝た。
その間、俺は最も憎んだ相手の名前で、ずっと呼ばれ続けた。
夕飯の際、机の上に、封筒があるのを見つけた。もう開けられているようだが、中身はまだあった。
その中には、残高がゼロになった預金通帳と、『用済みだ』と記入された手紙が入っていた。
心のどこかでは「父だから」と信じていた俺の心は、完全に冷えきっていた。
心が壊れていく母をいたたまれなくなり、叔父にそのことを相談した。母親は、大きな精神病院に入院することとなった。俺は叔父に小学生六年生の間だけ居候として家に泊めてもらった。
従兄弟たちは、1人を除いて初めは俺に優しかったが、いつまでも居座る俺を鬱陶しく感じたのか、親の愛が独占されているとでも思ったのか、その化けの皮がどんどんと剥がれていき、次第に俺に冷たく当たるようになった。
口外しないことを条件に母のことを説明しても、「何それ」や、「意味がわからない」などと口にして、挙句俺を虚言癖扱いし、同じ学校にいたためその噂は瞬く間に全校生徒に広まった。
故に俺は、学校での居場所を完全に失うこととなった。それに耐えられなくなり、俺は引越しに踏み出したのだ。
「いいのかい?本当に、一人暮らしなんて。君はまだ中学生だろう?」
「いいんです。短い間、お世話になりました」
叔父は金銭のことについて心配してたみたいだが、その件については問題は無い。
俺にはあてがある。数ヶ月前、出版社の小説の新人賞を受賞したのだ。
俺は、数々の落選を繰り返した。アルバイトに至っては大体は高校生から、漫画に関しては絵が上手くかけず、内職の定番の造花は効率が悪い。そんな中、ダメ元で書いたのだ。連載も決まった。
曰く、『特例中の特例』なのだとか。当たり前か。中学生を作家として活躍させようなどと、普通考えない。
「にしても、母さんにはどう言ったもんか…。最近、姉さんの姿見てないって心配してるんだよ。でも、さすがに姉さんの記憶が欠落してて、精神病院に入院してるっても言えないしな。もう歳だし、母さん心配症だから」
「……」
一つ、馬鹿げた考えが思い浮かんだ。ばあちゃん、よく俺を見て「蓮はほんとに、莉世に似てるわね」とよく言ってくれたのだ。
今は亡き祖父も、「そうだな」と笑いながら肯定してくれた。なら…。
「……俺が、母さんの代わりになります」
「どういうことだい?」
「ばあちゃんの前で、俺が母さんの振りをします。そしたら、ばあちゃんを心配させずに済みますから」
あぁ、我ながら最低だ。きっと、ばあちゃんは悲しむだろう。でも、真実に気がつくより、そっちの方がよっぽどマシだ。
正直叔父も半信半疑だった。でも、カツラを被り、ばあちゃんのところに行くと、ばあちゃんは開口一番、「莉世」と呼んでくれた。
これならいける。もし精神が元に戻ったら、元気な母さんの姿を見せてあげればいい。
それまでは……、俺が母さんの振りをするんだ。
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