第11話 恋の痛み
「うぇーい!サマーなバケーショーン!」
「夏フェス!花火!海水浴!」
「ひと夏のアバンチュール!」
『夏サイコー!』
7月22日。今学期最後のHRが終わり、みんなのテンションが最高潮に達する。何とか補修を回避した三人は、偉く楽しそうだ。しかし、檜山は先程出された追加課題の存在を覚えているのだろうか。
「うーん、んじゃ、部活行くかー」
「ん、行こ」
「おや!おふたりさん、部活に入ったの!?」
俺と春宮は部活に向かっていると、クラス前のロッカーから絵の具セットを取り出そうとしている相浦と鉢合わせた。
「文芸部にな」
「おー、西川くんところだね!」
「ん、それと、実は文芸部、部員が少なくて廃部の危機…、兼部出来ない?」
「ごめんねー…、うち兼部は出来ないのだよ…」
「そっか…」
「お役に立てなくて申し訳ない!」
やはり、しろはの合格に掛けるしかないのか…。自信アリとはいえ、絶対ではない。のなら、やはり保険は必要なのだ。しかし、その保険がいつまで経っても補填されない。
「おーい、ふたりとも。鍵の場所を教えるぞー」
少し離れた場所で、西川がこちらに手を振る。そういえば、俺たちは部室の鍵の場所なんて知らなかった。いつも西川が部室にいたからな。
「わかった。それじゃ」
「うん、行ってらっしゃい!」
相浦に見送られ、俺たちは階段を下っていく。そして、部室棟に渡り、一階の職員室に向かった。挨拶をして入る西川に続き、俺たちも入る。そして、ある一席の前で立ち止まった。
「先生。鍵を貰いに来たのだが」
「あのねぇ、君はいい加減敬語を…、あら、不知火くんと春宮さん。ふたりは付き添い?」
話しかけたのは、我らが担当教師、渡辺先生だ。どうやら文芸部顧問は彼女らしい。
「ただの付き添いじゃない。新入部員、二名追加だ」
「えぇ!?」
あれ…?渡辺先生は俺たちが入部することを知らないのか?入部届は書いたはずだが…。もしかして。
「西川、お前もしかして、入部届出てないんじゃ…」
「…あ、すまん。忘れてた」
マジで忘れてたみたいだ。西川はカバンからクリアファイルを取り出し、そこから2枚の紙を渡辺先生に渡した。俺と春宮の書いた入部届だ。
「これを」
「ふむ…、確かに受理しました。でも、分かってる?今のままじゃ…」
「わかってる。あと一名、こちらで確保する」
「違うわ。あと2名よ」
『…え?』
俺と春宮、西川は思わず声を上げる。え、なんでふたり?すると、西川が何か勘づいたように、「はっ」と呟く。
「演劇部の活動方針の変更…」
「そ。顧問の林先生が育休に入って、副顧問の木谷先生が顧問になったのね。それで、兼部を認めないって言ったの。あの人やるならとことんって感じだからね。で、兼部してた那月さんもどっちか決めないとってことなんだけど、まだ決められないらしくて。そんなどっちつかずの状態の人を、正式部員って認める訳にも行かないでしょ?ということで、説得するなり送り出すなりして、少なくともあと二人。部員を招集してね」
なるほど、確かにそんなことを言っていたのは聞いた。元々数合わせで入ってくれていた兼部していた演劇部の部員がいなくなり、廃部の危機になったと。
「まず一番初めにやるべきことは、那月の説得だな。もう一人部員を確保するよりか、その方が現実的だ」
「確かにそうだが、ひとつ気がかりなことがある」
「気がかりなこと?」
「あいつが、そんなことで悩むやつではないということだ」
西川の言わんとすることは分かる。那月は、さっぱりとした性格だ。即断即決、決めたことは間違ったとしても気にしない。唯我独尊という印象さえも受ける。芸能人だからだろうか。
「あと一人、俺の妹が編入試験に合格すれば確保できる。それで部員問題はクリア、文芸部は存続だ」
「なるほどな…」
会話をしながらも移動をして、四階にたどり着く。部室の前で、壁にもたれ掛かる那月が、「遅いわよ」と悪態を着いた。
「今開ける。ちなみにこの鍵は古いから、鍵穴に入れてから上にあげながらかくと上手く開くぞ」
「へぇ…」
そう言いながら、西川は鍵を開けた。そして部室に入り、窓を開けて新鮮な夏の空気を取り込んだ。
「なぁ、那月。お前、俺たちに言うことがあるだろ」
「…ふぅ、渡辺先生から聞いたのね。そ、今どっちに行くか迷ってる状態」
「早く決めろよ。お前の答え次第で、こちらの今後の活動方針が変わってくる」
「ふーん、引き止めるとかしない訳?」
「俺が何か言ったとこで、変わらんだろ…」
「向こうの部長は、めちゃくちゃ情熱的に引き止めてきたわよ?あんたはどうなのよ」
那月はまるで不貞腐れた子供のように、頬を膨らませた。ここは空気を読むか…。ふたりの方が、言いたいことを言い合えるだろう。俺は春宮に目配せし、春宮もこくりと頷いた。
「俺、飲み物買ってくるわ」
「私も」
「ちょ、お前ら!」
西川は俺たちを引き止めたが、俺たちはそのまま出ていく。
那月と俺の間に、沈黙が続く。あいつら、俺を置いていくとは…。いや、きっと逆だ。気を利かせたのだ。
「で、どうなの」
「俺は…」
言え、言うんだ西川蓮!この部活を存続させるために!幸いここにはこいつしか居ない、多少臭いセリフでもまだ傷は浅い!
「お前が必要だ。これからもここに居てくれ!」
「…はぁ、あんたには4つ言うことがある」
「何だ?」
「短すぎ、安直すぎ、誤解を招く言葉を使いすぎ」
「それはお前だからだよ。他のやつに、こんな言葉使わない。聞かれたくもない」
那月は、またため息をついた。そして、ゆっくりと口を開く。
「また、勘違いさせること言った」
「お前なら、勘違いはしないだろ」
「ぷっ…、はははは!確かにそうだわ!」
「笑うなよ…」
笑われる覚悟で言ったもんだが、いざ笑われると傷付くな。あ、そういえば。
「で、もうひとつは?」
「あぁ、それはね」
そう言いながら、那月は俺に一枚の紙を掲げた。入部届だ。それには、『文芸部・那月陽菜』と書かれていた。
「これは…」
「私、もう決めてたから。ここに残るの」
「お前、俺をからかって遊んでたな!」
「あの人、私のこと女優かなんかだと思ってるっぽいのよ。そんなとこで使い潰されるんだったら、ここで適当にやってた方が楽だし」
「そうかよ」
那月はどっかりと椅子に腰を下ろし、足を組んでスマホを弄り始めた。いつもの調子に戻ったな。はぁ、とにかく、これであと1名で部は存続だ。
「ところで、あんたなんでここをそこまでして存続させたいの?今までなら、私に頭を下げることなんてなかったでしょ」
「ここは先輩に託された部だからな。約束は反故にはできない」
「あんた、案外情に厚いのね」
「まぁな」
だから、あんなに恥ずかしいセリフが言えたのだ。もう来ることはなくとも、この部室には、あの人たちの思い出が詰まっている。それを守りたいのだ。
「そうだ。那月、副部長になる気は無いか?」
「副部長?」
「あぁ。お前は俺を除くと一番長く部活してるからな」
「んー、いいわよ。俺はお前が必要だー!だものね」
できることならぶり返さないで欲しい。しかし意外だ。こいつのことなら、面倒だからやりたくないと一蹴されると思っていた。どういう風邪の吹き回しだろうか。こちらとしては、願ったり叶ったりなのだが。
「にしても、あとひとりか。なかなか集まらないな」
「あんたが部活動紹介の時休んでたからでしょ。前聞いた」
「あん頃はデッドライン直後でぶっ倒れてたんだよ」
不知火妹に頼るのもいいが、不確定要素が多すぎる。転校は二学期初頭で、合格発表となれば少し前になるだろうが、夏休みという期間上、普段のように生徒が多い訳では無い。帰宅部なら尚更だ。となれば、ここは文化祭の方に力を入れるか。二学期開始から文化祭まで約一ヶ月。その間に、何とかして一名確保しなくては。
俺と春宮は、渡り廊下で風に吹かれながら、ジュースを飲んでいた。
「ふたり、いいな」
「だな。ああやって言いたいこと言い合える関係って、憧れるよな」
「うん。私も、なれるかな」
「さぁな…」
こいつの言うその相手ってのは、十中八九榎原だろう。俺も、相浦と…。言いたい事の言い合える関係に…、なれるのだろうか。榎原さえ、初めて相浦と喧嘩したと言っていた。それも、本音をぶつけ合う手段だろう。
まだきっと、相浦は俺と喧嘩してくれない。そして俺はきっと、これから先も、あいつと喧嘩できない。心の内をさらけ出すことは出来ても、あいつの心の内を受け止める度量があるかも分からない。
「ねぇ、少し練習させて」
「本音を言うか?」
「そう」
春宮は、とても真剣な面持ちで、俺を見つめた。覚悟が必要なのは俺だけでは無いのか。
「あのね。私、まだ分からないの。恋が」
「へ?」
「紗霧さんと話すことで友情は感じられた、西川くんと話したり、作品を読むことで憧れを知れた、でも、まだ恋は…」
「ちょっと待て、榎原はどうなんだよ」
こいつは、榎原のことが好きだと言っていた。なのに今更恋が分からない…?
「よく分からない…、ドキドキしたりはするけど…」
「それが恋だよ。自信持て、お前は俺から見ても、ちゃんと恋する乙女してる。榎原もお前のこと、可愛いって言ってたしな。ほら、そろそろ戻るぞ」
「…ねぇ」
「ん?」
春宮が俺の袖をつかみ、呼び止める。
「どうした?」
「シロイヌからみても、私って可愛い?」
「…言いたくない」
「言ってくれるまで離さない」
春宮の指の力が、さらに強くなる。こんなこと、恥ずかしいから言いたくないんだけどな…。仕方ない、白状するか。
「可愛いよ。たく、言わせるなよ…」
「むふ…、良かった」
にこにことして上機嫌の春宮。きっと、相浦に恋してなかったら、こいつのことを好きになってただろう。そして、呆気なく振られる。そう、俺は相浦に恋してるからこそ、こいつと対等に話すことが出来るのだ。いや、実は対等なんかじゃないのかもしれない。春宮には才能がある。凡人の俺なんかじゃ、踏み込むことさえも許されない境地に、こいつは立っているのだから。
そんなことを考えていると、なんだか自分が酷く情けなく思えてきたので、もうやめにした。春宮が俺と居てくれるのなら、それでいいじゃないか。知り合いと呼んでくれるのなら、それでいいじゃないか。そう自分に言い聞かせて、俺は部室のドアを開けた。
「話は終わった?」
「おう、これであと1名だ」
「あんな情熱的な告白されたらねぇ?」
「聞きたいなぁ、参考までに」
「それはねぇ?」
「だー!言うな恥ずかしい!」
気になる。凄い気になる。一体、現役高校生作家の口からどんな言葉が飛び出したのか。そして本人すら隠したがるその言葉とは何なのか。俺も、いつか相浦に告白する時の参考にしたい。
「てなわけで、私たちだけの秘密ね」
「やらしー」
「なぁ」
なんか、ふたりやっぱりいい感じだ。まぁでも、他人の恋路にとやかく言うと馬に蹴られるからな。ここは暖かく見守るか。
「ったく、この話は終わりだ!それより、今日は文化祭に出す部誌の内容を考えるぞ。毎年、テーマを決めてそれに沿った短篇を書いていくことになっている」
「はい」
「春宮、何かいいテーマあるか?」
「うん、『恋』ってどうかな」
俺は思わず飲んでいたジュースを吹き出しそうになる。ちょ、お前、恋が分からないってさっき言ってたんじゃ!?まさか俺の曖昧な言葉だけを頼りに書き上げる気か?
「恋…か。俺としては得意分野だな。みんなはどうだ?」
「俺もいいけど…」
「異議なーし」
「なら決定だな。行き詰まったら、自分のイメージしている場所に行ってみるのもいいぞ。俺も、アドバイス位はしてやれるから、気軽に相談してくれ」
ふむ…、俺は相浦に対する思いを織り交ぜた物でも書こうか。こういうのは、リアリティが大切なのだ。小説なんて、書いたことは無いが、幸いこちらには現役高校生作家様がついている。相談相手としては申し分ない。本人もあぁ言ってくれたことだし、頼らせてもらおう。
すると、春宮がおもむろに立ち上がった。
「春宮、帰るのか?」
「ん、ちょっと行きたいとこあるから」
「なら俺も…」
「一人で行くから」
「そうか…、じゃあ、またな」
「ん、また」
そさくさと荷物を持って、出ていく春宮。何かあったのだろうか。それとも、ただの小説の取材だろうか。
「振られたな」
「振られたわね」
「うっせ。春宮も取材に向かったっぽいし、俺も書くかな…」
「そこのパソコン、使ってくれ。執筆はここから…。学校のWiFiに繋がっているから、調べ物もできるぞ」
「R18はやめてよ?」
「調べねぇよ、そんなの」
ケラケラと那月が笑う。にしても、振られた、か。告白すらしてないのに振られたとは。縁起でもないこと言わないで欲しい。そう、俺は告白すら、誰にもしたことないのに。
私は、とりあえずぐるりと校内を廻り、インスピレーションの沸き立つ場所を探す。その結果、運動場側の昇降口にやってきた。ここからでは、テニスコートがよく見える。やはり、書くなら榎原くんのことだろうか。
恋を知らない少女と、恋を教えてくれた少年。それを取り巻く人間関係。うん、少し大それたものだけど、それでいい。
「佳奈ちゃん」
「紗霧さん」
私が昇降口に腰掛けると、入口を少し出たところに紗霧さんが壁にもたれ掛かりながら座っていた。どうやら絵を書いているようだ。
「ようこそ、マイフェイバリットプレイスへ。ここならテニスコート、よく見えるでしょ」
「うん」
私も紗霧さんの隣に移動し、腰を下ろした。フェンスが少し開け、榎原くんの姿がよく見える。
「榎原くん、頑張ってるね」
「そうだね」
そう言うと、紗霧さんはどこか遠い眼差しでテニスコートを眺めた。愛おしそうな、寂しそうな目で。
「ずっと、ここで絵を描いてるの?」
「うん。雨の時以外はね。一年生の時は、不知火くんと一緒に二人で眺めてたけど、最近はもうめっきり来なくなっちゃった」
「士郎くんも…?」
「そう。不知火くんは…、もう、ここからの風景、覚えてないんじゃないかな。最近、楽しそうだもん。西川くんが居て、那月さんが居て、檜山くんたちが居て、辰馬くんが居て…、佳奈ちゃんが居て。友達が増える度にね、不知火くんはここに来ることがなくなっていくんだ」
あぁ、そうか。私は自覚した。恋愛同盟なんて言ってるくせに、そんなことにも気が付かないなんて。紗霧さんと士郎くんの時間を一番奪ってたのは、私だったんだ。私は所詮、邪魔者でしか無かったんだ。
「でも、私さ。嬉しいんだ。ここって要は、誰も来ないような場所でしょ。それってつまり、誰にも話しかけられたくない時に来る場所なんだよ。私は最初、絵に集中するためにここにやってきて、テニスコートが良く見えるなんて二の次だった。でも、不知火くんは違う。ただ、目付きを恐れられて、それが嫌で、他人と関わりたくなくてここに来たんだと思う。同じ話しかけられたくないでもさ、重みが違うんだよ。で、そんな不知火くんがここに来なくなったってことは、彼の居場所ができたってこと。それなら、私は嬉しい。それに、ここ以外でもいっぱい話せるしね」
なんだ、そうなんだ。別に、彼女は私を恨んじゃいない。むしろ、不知火くんの良き友達として好印象すら持ってくれている。私はほっと胸を撫で下ろした。しかし、士郎くんと紗霧さんの時間を奪ってしまったのも事実…。これからは少し、距離を置いた方がいいかも。
また、チクリと胸が痛む。その様子を見て、紗霧さんが「どうかしたの?」と心配そうに話しかけてくれた。
「ううん、なんでもない」
「そっか。ところでなんでここに来たの?意味もなく来る場所でもないでしょ」
「実は、文芸部で文化祭に短編小説を書くことになったの。で、それのインスピレーションの湧く場所を探してたら、ここが見つかったの」
「そうなんだ。どう?湧いてきた?」
「ううん。まだ。だから、もっと他の場所にも行ってみたい」
「学校に縛る必要ないかもね」
「なるほど」
確かにそうだ。学校を舞台にしなくても、恋の小説は書ける。例えば、浜辺なんかはロマンチックだし、もしかしたら旅行先での出会いが恋に発展するかもしれない。そうなると…!居ても立っても居られなくなり、私は駆け出した。
「頑張ってね!」
「うん!」
紗霧さんのエールを背中に受け、私は廊下を駆けた。
俺が帰ろうと下駄箱に向かうと、何やら急いでいる様子の春宮と遭遇した。
「廊下は走るなよ」
「善は急げ、鉄は熱いうちに打て!」
「何言ってんのお前」
「とりあえず急いでシロイヌー!」
俺は春宮に腕を引かれるまま、学校を後にした。なんだか、こうやって夢中に何かを追いかけるのって、いいな。
そして、駅にたどり着く。そして、春宮が一言俺に質問した。
「どこに行きたい?」
「は?」
呆気にとられてしまう。あんだけ必死に走っといて、どこに行くのか決まってるわけじゃないとは、これ如何に。
「お前が決めてんじゃないのかよ!」
「取材に行きたい。でもどこに行けばいいのか分からない。だから、シロイヌに聞いてるの」
「なら、その件をもっと早く俺に相談して欲しかったな!」
「ごめん…」
「何も謝ることないけどさ…、で、どこに行くかは俺が決めていいんだよな?」
「ん」
こくりと春宮が頷く。さて、俺たちが向かったのは、二駅先の都会。その電車の中は、人がごったがえしていた。
「下りの方が良かったかな…」
「士郎くんが行きたいとこに行くって言ったから、気にしてない」
「そうか…、春宮、窓際に」
「ん…」
短く返事して、春宮が窓際に移動した。その正面に立つように陣取る。すると、春宮が顔を赤くした。
「春宮、熱中症か?それとも、人に酔ったとか?」
「ううん、なんでもない…。バカ」
「なぜ罵られるのかわからん」
「そういうとこ…」
「どういうとこだよ」
それ以降、電車の中で話すことは無かった。
駅を出て、少し歩く。同じ県だと言うのに、空気が違う。なんというか、数多ある匂いを全て織り交ぜたような、そんな風だ。
「春宮、行くぞ。まずはクレープ屋だ」
「クレープ屋?」
「そうだ、俺の作品には、よくスイーツを食べる女の子が登場する予定でな。その取材を兼ねて、スイーツ店めぐりでもしようかと」
「それってヒロイン!?」
「んや、妹」
と言っても、その妹は義妹で、その複雑な心境を描写した作品にしたい。しかし…、こいつにこの内容を話すと、「シスコンがついに暴走した」だの、「しろはちゃんが危険」だの言い出すに違いない。
「しろはちゃん、呼べばよかったんじゃない?」
「あいつ、いま受験終わりでナイーブな時期だろ。あんなだけど、案外繊細なんだよ。だから、お前に付き合ってもらったんだ」
「ふーん…、私、今食欲無い」
「昼もまだなのにか?」
その言葉に呼応するように、春宮の腹がくぅ、と鳴る。やはり、お腹すいてるんじゃないか。
「じゃ、とりあえず昼だけでも食べるか」
「ん…」
春宮の了承も得たことだし、今日は普段は行かないような穴場のレストランでも行ってみるか。しかし、ひとつ気がかりなのは、普段テンションが上がりそうな春宮が、終始ローテンションだったことだ。
昼食を終え、近くのベンチで一休みした。
「どうしたんだよ、春宮。なんか変だぞ」
「わかんない…」
「わかんないなんてことないだろ…」
「分かんないよ…!ずっとチクチクするの。胸の奥が。その気持ちの正体が、私にはわかんないの。他の誰かといると、なんでかチクチクするの…!」
春宮が、泣きそうな顔で訴える。今まで、こんなことは無かった。きっとそれは、こいつが成長したということだろう。
「チクチク、か…。それが恋じゃないか?」
「恋…?」
最近、榎原は相浦といる方が多いからな。それにヤキモチを焼いているんだろう。男の嫉妬は醜いものだとよく言うが、女子の嫉妬は恋心と扱われ、それすらも愛おしく感じさせる。全く、不公平なものだ。
「そっか。これが恋なら、今知れてよかった」
「なら良かったよ。で、なんで今知れて良かったのさ」
「知らなくていい。不知火くんは、知っちゃいけないの」
そう言うと、春宮はベンチから立ち上がり、スタスタと駅の方角へ歩いて行った。もう帰るらしい。全く、付き合うって言ったのはこいつなんだけどな。
最近、春宮は初めて知った感情に振り回される子供のように、コロコロと表情を変える。今まで自分の感情を、無機質、無表情で隠しているのかと思っていたが、多分それは違う。真っ白だったんだ。それに、感情という色が塗られ、それに心が着いてきていない。本当、子供のようだ。
俺と春宮は、上り電車に乗り、座席に座った。終始、春宮は俺と目を合わせようとせず、ただただ車窓から外を眺めているだけだった。
私は一人、学校から帰宅した。西川は編集部に顔を出さなければならないらしく、私だけ先に帰らされた。現役作家様は、多忙のようだ。私も読モとして多忙にしているが。
「あ、那月ちゃん」
家の鍵を開けようとすると、背後からスーツ姿の女性に声をかけられた。不知火くんの姉、胡桃さんだ。
「胡桃さん、どうかしました?」
「ううん、見たから声をかけただけよ。あ、でも少し聞きたいことあるかも。ちょっとお邪魔していい?今家に妹がいて、二人でお話したいから」
「わ、分かりました」
そのまま私は胡桃さんを家に迎えた。思い返してみれば、ここに来たのは西川に継いで二人目か。「わー、可愛いお部屋ね」とキョロキョロ見渡す胡桃さんに、麦茶を差し出した。
「で、話ってなんです?」
私は小首を傾げて、指を口に当てる。うん、あざとい。あざとかわいい。今日も私可愛い!
「最近さ。蓮くん、どうかな」
「西川くん?相も変わらず悪態ついてばかりですよ。まぁ、元気って言えば、元気なんですかね」
「そっか、なら良かった」
そう言うと胡桃さんは、心底安心したような、どこか儚げな笑みを浮かべた。あれ、何この人。前の印象とは全然違う。なんというか、恋する乙女と言うより、母親のような瞳。
「どうしてそんなこと聞くんです?」
「最近、蓮くんが家に来ないからさ。ちょっと心配になっちゃったのよね。でも、元気そうなら良かった」
「前はよく来てたんですか?」
「よくっていうか、毎日ね。士郎が来てからは、ご飯も一緒に食べるようになって。でもそっか。元気なのね」
毎日、か。多分だけど、この人は西川の心の支えだったのだろう。前に聞いた限り、一番沈んでいた時期が中学生の頃だと聞いた。そんな彼に、胡桃さんは寄り添ってくれた。
「…胡桃さん」
「何?」
「私は、西川にとっての貴方になれるでしょうか…、まだ、自信が無いです」
多分これは、ここ数年で初めての弱音。大人になった気でいて、大人ぶっていた私の、本音。
「なれるわよ。だって、私はただ、蓮くんの隣に座って、人生って上手くいかないねって話してただけだもん。貴方には、きっとそれ以上のことができるでしょ?」
「…分かりません。でも、あいつを支えられるように、できることはします」
「うん、託したからね!」
ばしっと、胡桃さんが私の肩を叩く。今のあいつがいるのは、この人の影響が大きいだろう。果たして私は、胡桃さんのように、あいつのためになれるだろうか。あいつのために、影響を与えることが出来るのだろうか。いや、きっとそれは間違いだ。あいつは、もう変わらなくてもいいのかもしれない。それでもあいつが変わりたいと願う時、私が隣で支えなくてはならないのだ。
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