第3話 自分らしく、あの人らしく

「実はだね、辰馬くんの様子がおかしいのだよ!」

 開口一番、相浦はこのようなことを言い出した。

 話は少し前に遡る。俺は花の土曜を満喫していた。すると、俺の家に春宮が尋ねてきた。若干気乗りしないままドアを開けると、何故か相浦も一緒に居たのだ。

 俺は一旦二人を中に招き、麦茶を用意した。

「様子がおかしい?あいつが?」

「くっくっくっ…ぷはー。そうなの、おかわり!」

「へいへい」

 たく、相浦は俺を召使いとでも思っているのだろうか。今どき、ファミレスでもセルフサービスだぞ。まぁ、別に大した労力も使わないから別にいいけどもさ。

「この前、神社の境内にアリジゴクを探しに行く時にね、辰馬くんを見かけたのだよ。で、どこ行くのかなーって気になって着いて行ったら、あるところで見失ってね。いくら探してもいないわけだよ。つまり巻かれたんだよね。そこまで私に見られたくないものがあるのか、それともやましいことをしてるのか…気にならない!?」

 ツッコミどころが多い。どうして相浦はアリジゴクなんて探してたんだ。確かに、図鑑とかでは神社の軒下とかにあるとか書かれてた記憶はあるが…。

「たしかにな…」

 正直、あいつ自身の問題なのだから、何もそこまで首を突っ込むことは無いだろうと言うのが本音だ。だが、相談相手が相浦なら話は別。全力で協力させてもらおう。つくづく、俺って相浦に弱いよな。

「私も気になる…!」

「お、おう」

 なんかオーラ的なものが見える。気迫的なものが可視化してる!これが恋する乙女の力か。

「行こう、張り込みだぁ!先週の土曜も、昼前頃から行ってたよ!」

「その前に飯な。春宮飯食ったか?」

「食べてない」

「実は私も…」

 はぁ、春宮はともかく、相浦まで食べてなかったのか。しょうがない、俺が作るとしよう。昨日の鍋が余ったので、それでいいか。温め直して、二人に提供する。

「くふー、肉にコクがプラスされてるよー」

「野菜もひたひたで美味しかった」

 くてーっと二人は机のそばで横になった。こいつら、本来の目的忘れてないか?このまま一眠りしそうだ。

「お前ら、張り込みはいいのか?」

『はっ!』

 やっぱり、忘れてたのか。

「それくらいどうでもいいものなら別に行かなくていいんじゃないか?」

「よくなーい!さぁ、行くよ二人とも!見失ったところまで案内するよ!」

「おー」

 はぁ、しょうがない。俺も付き合うか…。

 俺たちがやってきたのは、通学路の十字路を本来ならば真っ直ぐ行くところを、左に曲がった道。このまま50メートルほど直進したら、神社が見えてくる。そこに行こうとしてたのか、相浦は。

 張り込みと言っても、警察のように権限もないし、傍から見れば不審者だよな。俺たちはどれだけ犬の小便を引っ掛けられたかも知れない電柱の後ろを陣取り、そこから来るかも分からない榎原を待ち続けた。

「来るのかよ」

「分かんないよ。だって見たのその日だけだし」

 …よくそれで最近様子がおかしいとか言えたな。それって、ただの気まぐれな散歩の最中だったかもしれないじゃないか。

「やっぱり俺は抜け…」

「来た…!」

 え、マジで!?あ、ほんとだ。あれは榎原だ、間違いない。なら、何しに来たんだろう。見たところ、両手にスーパーのレジ袋を引っ提げてるように見えるが。お使いか?いや、あいつの家はこの真反対に位置するはず。となればその線は消えるな。

「まさか…女…!?」

「女…!」

 みしっと、何かが軋んだような音がしたような気がした。気のせいだろうか。春宮が電柱にヒビを入れたように見えた…。さすがにないよな?

「落ち着け春宮!」

「落ち着いてる…。だから離して…」

「そこまで怒ることなくない?だって辰馬くん彼女いないし、浮気にはならないよ。むしろ青春してるなーって感じ」

「でも、不純異性行為はだめ。一応見に行こう。気になるし」

「そ、それもそうだね」

「気になるし!」

 春宮は、俺にずいっと顔を近づけてきた。ち、近い…。

「なんで二回言った」

「大事な事だから」

 って、榎原が曲がり角を曲がった!俺たちはそれを急いで追いかける。ここら辺結構入り組んでるな。相浦が見失ったのも頷ける。でも、住宅街か。ここら辺コンビニもファミレスもないからな。もしかしたら、相浦の推理が正しいのかもしれない。残念、春宮の恋はここで終わってしまった!ってやつだ。

「あ、入ってった!」

「あそこは…老人ホーム?」

 老人ホーム、陽だまりの丘。ここは託児所も兼ねており、どちらかと言われれば託児所のイメージが強い。でも、表看板には老人ホームと記載されてるため、老人ホームという認識で間違いはないだろう。

「入る?」

「特にやましいことは無かったんだし、帰るぞ」

「入ろ、ねぇ入ろ」

 ぐいぐいと俺の手を引っ張り、中に入ろうとする春宮。それと同時くらいだろうか。ドアが開かれ、そこから榎原が顔を覗かせた。

「何やってんだ、お前ら」

「え、榎原くん…!」

 ぼふっと、春宮の顔が火を噴くように赤くなった。はぁ、お熱い事だ。一方的に。

「ん、なんか春宮、顔赤くないか?熱…はないみたいだな」

 春宮の前髪を上げ、額に自分の額をくっつけた。さらに春宮の顔が赤くなり、ふらりと倒れそうになる。

「そういや、お前らなんで来たんだ?」

「こいつらがお前の尾行を…むがっ!」

 相浦に口を抑えられ、俺は強制的に発言を中止させられた。

「じ、実はだね!ここに用があってきたのだよ!」

 な、相浦!あることないこと話すんじゃない!そういうこと言うと、きっと面倒なことになる!

「なんだ、お前らもボランティアか?」

「そう、私たちはボランティアするためにやってきた、ボランティア戦士なのだー!」

 あ、相浦ァアアアアア!ボランティア!?そんなのやる気は無いのだが!そ、そうだ春宮!こいつが俺の意見に同調してくれたなら、相浦も諦めて帰るだろう。

「は、春宮。お前は…」

「おでことおでこごっつんこ…」

 こいつはこいつでうわ言言ってるし!って、なんか二人が勝手に話を進めてる!

「じゃあ、今月いっぱいだけだな」

「そだね、従業員の人達には?」

「俺から話してみるから。お前ら子供たちと遊んでて」

 老人ホームとは何だったのか。これじゃただの託児所だ。介護用に設計されたであろう個室がガラガラだ。あ、でも、ネームカードが一室だけ刺さってる。なになに?西川喜美子…81。まさか、西川の親戚か?いや、西川って結構多そうな苗字だし。

「大歓迎だって。じゃ、これに名前ひらがなで書いてくれ」

 俺たちに、カードに自分の名前を書いた。子供にもわかるように、か。なんか俺もボランティアするみたいな流れになってるけど、今更断れそうにないしなぁ。

「うっすー、ガキんちょどもー!お菓子の時間だぞー!」

「おー、お菓子だー!」

「ありがと、たつまお兄ちゃん!」

 榎原は、子供たちにワイワイと集られていたが、その顔はどこか楽しそうだった。あいつ、幼稚園の先生とか向いてるんじゃないか?

「この人たちは?」

「俺の友達だよ!さ、自己紹介!」

 じ、自己紹介か。急に振られてもホイホイとできるものじゃ…。

「皆おっはー!今日も朝から元気な相浦紗霧だよー!」

「春宮佳奈。よろしく」

 良かった、春宮のおかげで俺の自己紹介もしやすくなる。というか、こいつ毎回これなんだな。相浦に至ってはツッコミどころが多すぎる。まず今は昼だ。そしてその挨拶は今は古い。

「不知火士郎だ。よろしくな」

『よろしくー!』

 それから、少し子供たちと戯れた。俺の目つきのことで少し不安だったが、それは杞憂だった。子供たちは、俺にも寄ってきてくれた。みんなで積み木とか作ってたな。春宮も少ししてからこちらに加わる。相浦は元気な子達とおままごとをしていた。春宮も元々はそちらにいたのだが、周りのテンションについていけず、早々に離脱してしまったらしい。

「じゃあそろそろお菓子の時間だ!あー、すまん不知火。冷蔵庫のジュース取ってきてくれないか?あとコップ。そこの戸棚にあるからさ」

「へいへい」

「へいは一回だぞ!士郎くん!」

「へーい」

 ジュースジュースっと。炭酸と野菜ジュース、あとはりんごジュースにオレンジジュース…。全部いっぺんには持てないな。分割するか。

「私も手伝う」

 俺が考えあぐねていると、春宮が後ろから手を伸ばし、炭酸飲料とりんごジュースを手に取った。こいつも案外気が利くな。

「そうか、サンキューな、春宮」

「別にいい」

 一言返すと、春宮は子供たちが集まるテーブルにジュースを置いた。俺もその後に続き、りんごジュースとオレンジジュースを置こうとした瞬間だ。聞きなれた声が耳に入った。でも、普段よりも少し高い声だ。

「じゃあね、お母さん。何かあったら、電話してよ?」

「わかったわ。莉世も、体には気をつけなさいよ」

「こっちのセリフ。じゃ、またね…」

 そう言って出てきた人物を、俺は知っている。だが、その表情は全く知らなかった。いや、語弊があるな。その人がそんな顔をしたのを、見たことがなかった、と言った方が適切か。

 肩に少しかかるくらいに伸びた髪、真っ白な肌、そして百合を思い出させるような、凛々しい女性像を具現化したような少女…、ではなく少年。そう、こいつは西川だ。西川蓮太郎だ。

 俺はそれに驚き、ジュースを床に落とした。たぷんと中の水がはねた音がする。炭酸じゃなくて良かった、もし俺が持ってたら開けた瞬間吹きこぼれてるとこだった。

 西川は俺を数秒見つめ、どんどんその陶器のような肌を赤くしていく。そして、俺の肩を掴み、かがみこませた。

「お、おお、おおおおおおお前!なんでここに居るんだ!」

「それはこっちのセリフだ。お前こそなんでここに居る」

「なになにー?何かあった?」

 騒ぎを聞き付けたのか、返りの遅い俺を心配してか、相浦がこちらにやってくる足音がする。 

「まずい、あのアホ娘まで一緒か!一旦外に出るぞ!後で事情を洗いざらい吐いてもらうからな!」

「だからこっちのセリフだって」

 俺は西川に手を引かれ、近くの公園にやってきた。そこのベンチで、息も絶え絶えの西川の息が整うのを待つ。さっきから、「今…話す…」と呟きながらずっと深呼吸をしてる。かなり短い距離、遅めに走ったはずだけどな。

「簡単に言うと、身代わりだ」

「身代わり?」

「話すと長くなるんだが…」

 そう言うと、溜息をつき、普段早口気味な西川は、あえてゆっくりと話し出した。


 俺の父親は、クズだった。一見何の変哲もないサラリーマンなのだが、俺にはそいつが酷く写った。人当たりの良い、社交的な性格の根っこに、汚いものが渦巻いている。そう、俺は睨んでいた。彼は、夜な夜な女性と電話しているようで、その内容が聞こえてきてしまった。とても、酷い内容だ。母親のことを、「ちょろい女」だの、「財布」だのとめちゃくちゃに貶していた。そんな父親を、俺は憎んでいた。そんなことも知らず、母親は父親を溺愛しているようで、俺が何度説得しても、全く信じようともしない。そんな日々を繰り返していた、五年前のある日、父親の部屋がもぬけの殻になっていた時、俺は確信した。彼は愛人に貢ぐためか、自分の私利私欲のためか、母親の預金通帳を奪って逃亡したのだ。

「母さん!あんなやつほっとけよ!もういいだろ!」

「蓮、そんな事言わないの。きっと、戻ってきてくれるわ」

 知っている。母親は父親に裏切られてるともう理解している。だが、それを信じたくないのだ。文字通り、藁にもすがる思いなのだ。

 だが、その思いは完全に断ち切られ、母親は地の底に叩きつけられた。

 その三日後、俺は小学校から帰ってランドセルをおろした。そして、なにか違和感に気がつく。母親が居ない。普段、寝る時以外ずっと家事をしているか、リビングのテレビを見ながらお菓子を食べてるのに。

「母さん…?」

 トイレにはいない。電気がついてないし。なら、やはり私室か?

「母さん、入るよ?」

 ノックした後、俺はドアを開けた。やっぱり、ここに居たんだ。母親は、窓際にベッタリと座っていた。西日に照らされた母の背中は、どこか切なさを感じさせる。

「あ、明さん」

 明…?それは父親の名だ。俺ははっと振り返るが、そこには父親は居なかった。

「な、何ふざけてんだよ、母さん」

「明さんこそ、ふざけないでよ。いつもみたいに、莉世って呼んで欲しいわ。あっそれより見て。この子、私のお乳飲んでるの」

 そう言うと、顕になった胸に小さな肌色のものをあてがっている。だが、それは人間の赤ん坊ではなかった。俺の小さな頃に買ってもらった人形だ。母は、気を病んでしまった。

「この子の名前、まだ教えてなかったわね。蓮って言うの。泥をかき分けて咲く蓮のように、強く生きて欲しいから」

「母さん!何言ってんだよ!母さん!」

 俺は、母親の隣で泣きじゃくった。でも、母親は俺に見向きもせず、人形を俺の名前で呼び、その人形と風呂に入り、そして寝た。その間、俺は最も憎んだ相手の名前で、ずっと呼ばれ続けた。

 夕飯の際、机の上に、封筒があるのを見つけた。もう開けられているようだが、中身はまだあった。その中には、残高がゼロになった預金通帳と、『用済みだ』と記入された手紙が入っていた。俺の心は、完全に冷えきっていた。

 俺はいたたまれなくなり、叔父にそのことを相談した。母親は、大きな精神病院に入院することとなった。俺は叔父に小学生六年生の間だけ居候として家に泊めてもらった。

 従兄弟たちは、初めは俺に優しかったが、いつまでも居座る俺を鬱陶しく感じたのか、親の愛が独占されているとでも思ったのか、その化けの皮がどんどんと剥がれていき、次第に俺に冷たく当たるようになった。口外しないことを条件に説明しても、「何それ」や、「意味がわからない」などと口にして、挙句俺を虚言癖扱いし、同じ学校にいたためその噂は瞬く間に全校生徒に広まった。故に俺は、学校での居場所を完全に失うこととなった。それに耐えられなくなり、俺は引越しに踏み出したのだ。

「いいのかい?本当に、一人暮らしなんて。君はまだ中学生だろう?」

「いいんです。短い間、お世話になりました」

 叔父は金銭のことについて心配してたみたいだが、その件については問題は無い。俺にはあてがある。数ヶ月前、出版社の小説の新人賞を受賞したのだ。俺は、数々の落選を繰り返した。アルバイトに至っては大体は高校生から、漫画に関しては絵が上手くかけず、内職の定番の造花は効率が悪い。そんな中、ダメ元で書いたのだ。連載も決まった。

「にしても、母さんにはどう言ったもんか…。最近、姉さんの姿見てないって心配してるんだよ。でも、さすがに姉さんの記憶が欠落してて、精神病院に入院してるっても言えないしな。もう歳だし、母さん心配症だから」

「…」

 一つ、馬鹿げた考えが思い浮かんだ。ばあちゃん、よく俺を見て「蓮太郎はほんとに、莉世に似てるわね」とよく言ってくれたのだ。今は亡き祖父も、「そうだな」と笑いながら肯定してくれた。なら…。

「…俺が、母さんの代わりになります」

「どういうことだい?」

「ばあちゃんの前で、俺が母さんの振りをします。そしたら、ばあちゃんを心配させずに済みますから」

 あぁ、我ながら最低だ。きっと、ばあちゃんは悲しむだろう。でも、真実に気がつくより、そっちの方がよっぽどマシだ。

 正直叔父も半信半疑だった。でも、カツラを被り、ばあちゃんのところに行くと、ばあちゃんは開口一番、「莉世」と呼んでくれた。これならいける。もし精神が元に戻ったら、元気な母さんの姿を見せてあげればいい。それまでは…、俺が母さんの振りをするんだ。


「とまぁ、こんな感じだ」

「…その、ごめんな。古傷抉るような真似して」

 正直、そんなことが本当にあったのか、俺には分からない。でも、確かにこいつが一人暮らしを始めた理由に関しては、話されたことは無かった。そして、先程女性の振りをしていたこととも辻褄が合う。なら、やはりこれは真実か。

「別にいい。それより、お前はなぜ陽だまりの丘に来た?」

「榎原を尾行しようって相浦に言われてな。その後結局見つかって、相浦がでまかせを言ったんだ。今日から一ヶ月ボランティアするんだってな。それに巻き込まれた」

「ふっ、安心しろ。巻き込まれ体質の主人公は書いてて楽しいぞ。なかなかに筆が進む」

「うっせ、貧弱引きこもり作家」

「残念だったな。俺は自分が引きこもりであると自負しているし、同年齢の男子より体力全般が劣っていることも自覚している。煽るのならもう少し言葉を選べ」

 はぁ、とても先程まで重苦しい話をしていたとは思えないほど饒舌だ。気にしてないわけないだろうに。

「それから、俺は大体の人間が嫌いになった。大人は嫌いだ、無駄な知識だけを付け、それで他人を騙し、自分が得をするためだけに使い、そして心はすぐに壊れるから。子供は嫌いだ。理解能力が低く、それを分かろうともせず、すぐに他人を除け者にしたがるから。だからな、不知火」

 そう言うと、西川は女子を彷彿とさせるような綺麗な笑顔を作った。な、なんだコイツ、普通に可愛い。

「お前や、変態娘達といる今が、俺は少なからず気に入っているんだ。子供だが、ちゃんと俺を見てくれるお前らとな」

「姉ちゃんは社会人だ」

「あれは中身はおおよそお前らとは違わんから別にいいんだよ」

 まぁ、否定はしない。姉ちゃんは相浦に引けを取らないほどの騒がしさとユニークさを兼ね備えている。さらに馬鹿だ。学力的な問題じゃなくて、性格が馬鹿なのだ。

 …おや、あれは相浦。俺を心配して探しに来てくれたのか?何やら、人差し指を口元に当て、しーっとジェスチャーしてるように見える。なるほど、西川に奇襲を仕掛ける気か。まぁ、ひとまず相浦の隠密というものを見せてもらおう。

 そろりそろりと歩み寄る相浦。足元に草は無いので、あまり音が立たない。

「何見てる。何かあるのか?」

 相浦は、西川が振り向いた瞬間に、木の陰に隠れた。その瞬間、少し草を踏みしめる音がしたが、西川は気が付かなかったようだ。

「いや、さっきまで野良猫がいたんだけどな。お前の声に驚いてどっか行った」

「にゃんこ!どこだい!どこにいるんだい!今すぐ捕獲してスリスリしてムギュっとしたい!」

「はっ!アホ娘!」

 しまった、あいつの事を誤魔化すはずが、相浦が飛び出してきてしまった!まさか、ネコがいると言っただけなのにあそこまで反応するとは…。ちなみに、性格上西川は相浦のことは苦手らしい。

「あー、西川くんだー。だーれだ」

 新しいな、見つかって真正面から目を隠してだーれだってするなんて…。

「アホ娘」

「はっずれー、正解は相浦紗霧でしたー」

「鬱陶しい、少し距離を取れ」

「ほーい」

 少し残念そうにしながら、相浦は西川から距離をとる。そういや、ここに相浦が居るってことは…、春宮と榎原が二人っきりってことか。あいつ、テンパってるかな。俺だって、昨日相浦と二人でいたとき気が気ではなかった。

「ねぇ、西川くんも一緒にボランティアしようよ!」

「断る。俺には執筆という義務があるのでな」

「相変わらずなんかカッチョいい話し方してるね!」

「皮肉か。とにかく、俺は行かんからな」

 そんな捨て台詞を吐いて、西川は立ち去った。その背中を、俺たちは眺めた。

「で、なんで西川くんはここにいたのさ?」

「あいつ、婆さんの見舞いに来てんだよ。一人だけいたろ?おばあさん」

「あー、喜美子さんね。ちょっと話したよ。体が弱いから、介護してもらってるんだって」

「へぇ」

 まぁ、元気なら老人ホームなんて居ないからな。もうかなりの高齢みたいだし。恐らく八十一歳だろう。プレートに書いてあった。親戚も忙しいのだろう。西川曰く、母親は精神が壊れ、父親は失踪。叔父さんがいるらしいが、そっちにもそっちなりの介護できない理由があるのだろう。

 あれ…?今考えれば、この状況…、相浦と二人きり!?や、やばい、幸せすぎる!この時間が永遠に続けばいいのに!

「さ、陽だまりの丘帰ろっかー」

「そ、そうだな!」

 相浦に提案されたのなら、断れない…。ここは素直に従っておこう。駄々をこねるのも見苦しいからな。それに、そろそろマジで春宮が心配だ。あいつ、もしかしたら案外子供っぽくて、子供と喧嘩してるかもしれない。あぁ、この場合心配なのはそれを止める榎原の方か。

 俺たちがドアを開けると、楽しげな笑い声が聞こえた。喧嘩はなかったか、良かった。

「おーい、君たち!士郎お兄さんとさぎりんが帰ってきたぞー!」

「あー、士郎兄ちゃんとさぎりんだー!」

「おかえりー」

「今ねー、おままごとしてるのー」

 子供たちは、俺たちの帰りを歓迎してくれた。なるほど、ままごとか。まぁ、この年齢層を見るに、ままごとをしていても何ら不自然ではない。

 見たところ、春宮と榎原も参加しているようだ。

「ただいまー、いやぁ、今日も沢山働いたなぁ」

「お、お疲れ様…あ、あな…あなた…」

「お腹すいたな。今日のご飯は何だ?」

「あ、あ、あな…あなたの好きな…ハンバーグ…こ、これ、ほんとにあなたって…」

「お母さんはお父さんのことあなたって呼んでるよ?」

 六人の子供たちに囲まれ、春宮は子沢山の主婦?の役、榎原はその夫を演じていた。かなり顔が赤い。それもそうか。恋してる相手を、あなたなんて呼ばされるんだからな。

「し、士郎くん…!」

「楽しそうだな」

「か、飼い犬役!抱っこさせて!」

「…へいへい」

 役ならまぁいいか。こいつももう限界みたいだからな。俺は、春宮の隣に座ると首の後ろからムギュっと抱きつかれた。「わん」とでも鳴いておこうか。通常、女子に後ろから抱かれるとドキドキするものだろう。しかし、相手に好きな相手がいて、なおかつ俺の好きなやつが目の前にいるとあんまりドキドキしないな。

「じゃあ私は隣のおばさんね!ピンポーン!おひたしとみかんとひじきと干し柿持ってきたよー!」

「わぁ、こんなにいっぱい。ありがとうございます」

 マジでいっぱい持ってくるな。これぞ相浦ワールドだ。そんな相浦は、子供たちにとても受けが良く、たちまち子供の人気者に。子供の扱いにも慣れてるらしく、彼女の周りには人だかりができていた。あぁ、もうあんなにベタベタくっつかれて…。う、羨ましくなんかない!俺もあいつにベタベタしたいとかそういうことじゃない!

 必死に言い訳するも、俺の心は本当に不純で、ドクドクと心臓が鼓動を轟かせていた。

「何ぼーっとしてるの、飼い犬ー」

「うわっ…て、なんだ春宮か」

「なんだとは失礼。それよりまたしっぽ振ってる」

「ばっか!そう言うんじゃねぇって!」

 春宮はこう言っているのだろう。俺が相浦の変な想像して鼻息を荒らげていると。ホント人聞きの悪い話だ。

「そう、ならそういうことにしておく」

 な、何とか相浦に告げ口されずに済んだか。別に事実じゃないけど、相浦からの印象が悪くなりかねない。

「あ、おばあちゃんだー!」

 誰かが、そう声を上げた。その瞬間、子供たちが一斉に振り返る。そう、さながらホラー映画で音に反応するゾンビの大軍のように。視線の先には、ゆっくりと歩いてくる老婆の姿が。

「おばあちゃーん!」

 歓声を上げながら、「よっこいしょ」と腰を下ろす喜美子の周りを子供たちが囲む。

「みんな、今日も元気ねぇ。あら、この子達は新人さん?」

「あ、はい。ボランティアで今月いっぱいここに来させてもらえることになったんです」

 おばあさんの質問に、俺が答える。この人、西川のおばあさんか。名前は確か…そう、喜美子さんだ。あの時は西川ばっかりに注目してたから、どんな顔か確認できなかった。そりゃそうだろう。ばったり引きこもりの隣人に外で出会った、しかもそれは老人ホームでだからな。

「そう、たっちゃんと同じね」

「ははっ、そうですね。ちなみに、俺たち全員友達です!」

「ふふ、お友達が多いのはいい事ね」

 果たして、友達が三人というのは多いのだろうか。まぁ、榎原は学校でも沢山友達いるからな。というかたっちゃんって、どこかの双子の片割れかな?

「おばあちゃん、折り紙教えてー」

「私はお手玉教えてー」

「あやとりやろー」

 こ、これは。相浦の周りから人だかりが消えて、西川のおばあさんの所に。大人気だな、あの人。

「ねぇ、あなた、少し後で来てくれる?帰る前でいいから」

「え、俺ですか?」

 喜美子さんは、俺に話しかけてきた。そもそも、今までなんの関わりもないのに変な話だ。そもそもこんな高齢の方と話せる内容があるほど俺はボキャブラリーないぞ。それに、目付きだって悪いのに。

「そう、あなたよ。少し話を聞かせて欲しくて」

「わ、わかりました」

 俺なんかこの人にしたかな?それとも、気に入らないからもう来ないで欲しいとか…!いや、そんなこと言いそうな人じゃないな。見たところ、優しそうなおばあさんだ。

 俺が一人で悶々と考えていると、背後から春宮に声をかけられた。

「士郎くん、どうかしたの?」

「俺、少し喜美子さんの部屋に誘われてな。俺なにかしたっけ。話聞かせて欲しいって」

「うーん、あの人、理不尽に怒ることは無さそうだし、問題があれば多分士郎くんにある思う」

「何もしてないって」

 だから俺は不安なんだ。いったい、何を怒られるんだろう?いや、怒られる…のか?何か話を聞かせて欲しいと言っていただけだから、ただ俺に何か話して欲しいだけじゃないか。何もやましいことがないのなら、俺はただ話せる範囲で話せばいいだろう。

「違うわ。ここをこう折るのよ」

「んー、難しいや」

 鶴を折るのって結構難しいからな。なんでも、託児所に小学一年生の恵那という名前の少女がいて、友達が少し体調を崩してしまい、早く元気になって欲しいから鶴を折りたいのだとか。

「私も手伝うぜー!千羽折ってやるぅ!」

「私も、手伝う」

「無論、俺達もな!」

 そう言いながら、榎原は俺の肩に手をかけた。こんなことされると断ろうにも断れない。

「みんなで作りましょ」

『おー!』

 かくして、全員参加で千羽鶴を折ることとなった…、のだが、さすがにそこまでする根気と集中力は持ち合わせているわけがなく、最終的には二百羽ほどで止まってしまった。

「みんなありがとー!」

 でも、喜美子さんはすごく満足そうだった。

 それから一時間ほどまたままごとをして、時計が五時を回った頃。案外早く時間が経ったな。

「んじゃ、そろそろ帰るか、五時だしな」

「おう、定時退社だね、辰馬くん!」

「あ、ごめん。俺少し予定があるんだ」

「そうなんだ。じゃあ、お先ー」

 そんなことを言いながら、三人は帰って行った。それとは逆に、俺は三人に背を向けて、喜美子さんの部屋の前にやってきた。ノックして、中の反応を待ってると、「どうぞ」と声がしたので中に入る。

「お邪魔します」

「そんなに畏まらなくてもいいのよ。もっと楽にして」

 なんて言われても、今日初めてあった年上の人とふたりで話せって言われれば、萎縮するのも無理もないと思う。でも、そんなこと言えず、俺はそこに置かれた椅子に座った。

「で、話ってなんです?」

「あなた、蓮ちゃんのお友達でしょう?あの子、学校でどう?元気にしてるかしら?」

「れ、蓮ちゃんって…」

「あたし昔っから、蓮ちゃんって呼んでるの」

 違う。蓮ちゃんが誰かなんて、すぐに分かった。彼の話から察するに、この人は西川のおばあさんで間違いはないだろう。

「なぜ、俺と西川くんが友達だって知ってるんですか?」

「だって、仲良さそうに二人でヒソヒソお話してたじゃない。そのドアの前で」

 ますます混乱する。つまり…。喜美子さんは、西川が母親に扮してここを訪れていたことを見抜いていたことになる。

「気がついてたんですか?」

「まぁ、今から一年ほど前かしら。私が夏風邪で体調を崩してた時、少し連絡が大袈裟すぎたのかしらね。あの子、制服のままでここに飛び込んできたの。少し目眩がして、休んでただけなのにね。それで、大丈夫よって言ったら、安心したみたいですごく嬉しそうな顔をしたの。それでわかったわ。あの子、莉世とは全然違う笑い方をするの。ほんと、あの子って可愛くって。あ、莉世も可愛いのよ。でも、なんて言うか、違う種類なの」

 そう言いながら、喜美子さんは外を眺めた。あぁ、この人は、本当に西川と西川の母さんのことが大好きなんだな。

「莉世は、大人っぽい可愛さがあって、蓮ちゃんは子供っぽい可愛さがあるの。最近は莉世には会えてないけど、きっと、前よりずっと可愛くなってると思うわ。だって、あたしの自慢の娘だもの」

「なんか、言ってることわかる気がします。西川、素直じゃないけど根はいい奴だし、時々笑う時なんて、ほんとに女子じゃないかって思ってしまう時があって。それに、あいつなりに今はやる事見つけて、頑張ってるみたいです」

「そう、良かったわ」

 実際、あいつは小説家としてデビューを果たしたし、全六巻にもなる長編のラブコメを書いている。本人も、「生活には困らないくらいには稼げてはいる」と言っていたし、軌道には乗ったのだろう。

「だから、心配することないですよ。って言っても、無理な話かもしれないですけど」

「ううん、私安心したわ。あの子、孤立してるんじゃないかって。でも、ちゃんとあなたみたいに、蓮ちゃんをわかってくれる友達がいて、あたし本当に安心した」

「なら、良かったです」

 喜美子さんは、シワが目立つ顔にさらにシワを増やし、笑顔を見せた。俺も、少しはにかんでみせる。こんなに目つきが悪い俺でも、この人は、あなたみたいな人がいてよかったと言ってくれた。正直、家族以外ではこの人が初めてだろう。

「あ、そうだわ。ひとつ、頼まれてくれないかしら」

「なんです?」

「来週土曜、一時半頃。あたしの部屋に来て。あの子に全てを打ち明かすわ」

「な、なんで俺がその場に居合わせるんですか?家族水入らずの方がいいでしょう」

「あたしの心が弱いからよ。あの子が、もしも泣いてしまったら…。そう考えると、決心がね、鈍ってしまうの。だから、そうならないように。あなたがいれば、あの子はきっとどういうことだ、なんで君がここにいるんだって聞いてくるはずよ。そしたら、事情を説明せざるを得ない。それでももし、あたしが臆病になってたら、あなたが背中を押して」

「…わかりました」

 来週の土曜は特に予定は無い。というかここでボランティアをやることになっている。それに、これはあいつのためにもなる…かもしれない。

「あ、そういえば名前をまだ聞いてなかったわね。ごめんなさいね、あたしったら肝心なところでドジで、名札見るの忘れてたの。あなた名前は?」

「不知火士郎です。西川と同い年で、クラスも同じです」

「しーくんね。あなたとは、友達になれそうな気がするわ」

「一緒にいた友達も、全員いい性格してますよ。一人はまだ出会ったばっかりで、感情もよく分からないし、時々言ってることも分からないけど、悪いやつじゃないってことはわかります。あいつらとも、きっと友達になれますよ」

「ふふっ、そうね。こんな友達を持って、蓮ちゃんはとっても幸せものだわ」

「もう喜美子さんとも友達だから、喜美子さんも幸せものですね」

「そうね、ふふふ」

 冗談を挟んでみたが…、俺と友達で幸せものか。そ、そこまで言われると照れるなぁ。

「あら、ついつい長話しちゃったわね。もう五時半だし、そろそろ帰った方がいいんじゃない?おうちの人たちが心配するわ」

 たしかに。窓からは茜色の光が差し込み、部屋はどこかノスタルジックな雰囲気を醸し出していた。そろそろ姉ちゃんが帰ってくる時間だ。昨日みたいにぎゃあぎゃあと騒ぐから、早めにご飯を作らないと。さらにそこに春宮も加わるからな。出会ってから毎日俺の家で飯を食っている。朝は自分でトーストして食べるらしいが。そこら辺の知識はあったんだな。

「そうですね。じゃ、失礼します。さようなら」

「うん、さようなら」

 俺は一礼して、喜美子さんの部屋を出て、陽だまりの丘を去った。少し距離を置いた、電柱の影で見知った姿が。

「春宮。待ってたのか」

「…うん」

「別に待ってなくても良かったのに」

「貴方が居ないとご飯も作れないし、家にいても空腹は紛れない。お菓子はこの前みんなで全部食べたし、それなら貴方をここで待つっていう明確な目的があった方がいいと思った。何もしてない時よりも、お腹すいてる事気にならないから」

 ふむ、確かに、俺も本とか読んでるとあまり空腹は気にならないな。でも、それとこれとは違う気が…。

「なぁ、なんで俺のこと…」

「てい」

「うぁ!」

 俺は、またもや目潰しを間一髪で避ける。そんな何回も不意打ち気味にやられたら、いつか食らうぞ、そのうち!

「何すんだよ!」

「何も詮索しなくていいの。シロイヌは私に黙って従ってたらいいんだから」

「お前なぁ…まぁいいか。今日は何がいい?」

「最近は肉料理が多かったから、野菜の調理方法を知りたい」

「わかった。今日はキャベツロールと野菜スープにするか」

「キャベツいっぱい」

 むふぅ…と、春宮は鼻を鳴らした。もしかしたら、春宮は野菜が好きなのだろうか。でも、肉もバクバク食べてたしな。まぁ、腹が満たされればそれでいいのかな。案の定、夕飯を春宮は凄い勢いで平らげた。そして、幸せそうにお腹をさする。

「けふぅ…」

「いっぱい食べるわねー、佳奈ちゃん」

「だな」

 にしても…、どんな反応をするのだろうか。自分が必死に演技していたのに、それをとっくに見破られていたなんて知ったら。


「ありがとね、約束守ってくれて」

 一週間後の土曜日。俺は喜美子さんの部屋を訪れた。あいつもそろそろ来るだろう。

「約束しましたから」

「ふふ、真面目なのね」

「そうですかね」

 約束は守るもの。そんなこと子供でもわかるだろう。

 俺としては、断る理由もないのでここに来たが、少しあいつの反応をするのか見たいってのもある。

「お母さん」

 おっと。西川が到着したみたいだ。ノックされた後、ドアが開かれる。

「どう?体調に変わり…は…」

 俺が視界に入った瞬間、西川は明らかに動揺した。目を泳がせ、「あ…ぇ…」と、口をパクパクさせている。

「あ、あなたは確か…蓮太郎の友達…よね?一週間前も会った」

 声を震わせながらも、西川は会話を試みた。見ると、喜美子さんは右手で左手を抑え、その手はかすかに震えている。やはり、喜美子さんには酷すぎるよな。

「…実は」

 俺から切り出した方がいいだろうか。そう思ったが、「あのね」と、喜美子さんが俺の言葉を遮った。

「あたしがこの子を呼んだのよ。あなたの友達でしょう?」

「友達って…この子、蓮太郎と同級生よ?私と友達なわけ…」

「あたしだってしーくんの友達よ?友達に、歳とかは関係ないんじゃないかしら」

 この人だからこそ、説得力があると思う。喜美子さんなら、託児所に通ってる子達全員と友達になることも出来そう。

「それにね。しーくんにはあなたのこと沢山聞かせてもらったわ」

「なんで?この子、私の事なんて全然知らないでしょ?たった一週間だけよ?あれから会ったことなかったし!」

「ううん。しーくんは、あなたの事をよーく知ってたわ。それと、もう本当のこと言ってもいいのよ。蓮ちゃん」

「……!」

 何も言わず、いや、何も言えない様子で、ただ目を見開いた。鳩が豆鉄砲をくらったような顔といえば、わかりやすいのかもしれない。

「いつから…気がついてたの?」

「去年の秋。あなたが制服で飛び込んできた時、確信したわ」

「…そっか。墓穴掘ってたんだ」

 西川は表情に影を落とした。恥ずかしいとか、そんなものじゃないのだろう。ただ、自分が今までやってきたことが全て無駄になったのだ。このままでは、母親の現状を説明しなくてはならなくなる。

「ありがとね」

「なんで感謝なんて…ばあちゃんを騙してたんだよ…!恨みこそされど、感謝なんてされる謂れはない!」

「あたしのために、優しい嘘をついてくれたから」

 そう言うと、喜美子さんは西川を抱きしめた。

「でも、もういいのよ。これからは、あなたの思う莉世じゃなくて、あなたが好きなあなた自身を見せて欲しいの。深い詮索はしない。またいつか、あの子が顔を見せた時、うんと可愛がってあげたらいいんだから」

「……」

「だから、今はあなたを甘やかさせてね」

「ばあちゃん…!うあぁぁぁ…」

 西川は年甲斐もなく、喜美子さんの膝の上に頭を乗せ、泣きじゃくった。そんな西川の頭を、喜美子さんは優しく撫でる。俺、ここにいてもいいのかな…。やっぱり、俺だけ場違いじゃ…。

「…ごめんばあちゃん。みっともない姿見せた」

「別にいいわよ。それより、あなた達。隠れてないで入ってきたら?」

 ん?あなた達?それに隠れてないでって…。見ると、何やら不自然にドアが少し開いていた。

「み、見つかっちゃったかも!」

「だから見つかるって…」

「う、動かないで、髪がくすぐったくて…くしっ」

 くしゃみが聞こえたと同時くらいに、俺はドアを開けた。すると、押し入れにすし詰めにされた布団が雪崩のように落ちてくるがごとく、春宮、相浦、榎原の三人が部屋に飛び込んできた。

「っててー。は、バレた!」

「お前ら…」

「ねぇ、蓮ちゃん、この子達も?」

 喜美子さんは、覗き見をしていた春宮達を特に咎めることはなく、西川に目線を向ける。西川も目を合わせると、泣き腫らした目をしたまま頷いた。

「うん。俺のかけがえのない、大切な…友達だよ」

 そう言って、西川はとても可愛らしく笑う。その笑顔を見て、喜美子さんも心底安心したように笑顔をうかべた。


「ありがとな」

 俺たちが従業員の人達にお礼を済ませ、夕方、自動販売機の前で屯してどの飲み物を買おうか決めかねていた頃、唐突に西川が口を割った。

「なんで今感謝されるんだ?」

「俺と友達になってくれたからさ」

「お前、憑き物が落ちたみたいだな」

「…あながち間違ってない。俺は今まで、責任感と罪悪感に取り憑かれてたみたいだ…。でも、大丈夫だ。正直、お前らが居たから何とかなった。不知火と変態娘が居たから一人暮らしが楽になったし、お前らと関わりあってる時が、小説を書いてる時よりも、それを書き終えた時よりも、何よりも気が楽で、楽しかった。そんな日々があったからこそ、ばあちゃんに全てを明かされたあとも抜け殻にならずに済んだ。本当に感謝している」

 抜け殻…か。確かに、その可能性は捨てられないだろう。こいつにとって、母親の振りをすることこそがアイデンティティだった。それを奪われてしまえば、抜け殻になってしまうだろう。でも、俺らがこいつに意味を持たせた。いや、押し付けていたのかもしれない。一方的に、友達という関係を押し付けた。まぁ、今日の一件で西川からも認めて貰えたようなものだけどな。とにかく、これが少しくらい西川にとってのアイデンティティになっていた。だから抜け殻にならずに済んだ…。のかもしれない。完全に自論だが。

「難しいことわかんないけどさ。抜け殻だとか、なんだとかさ。でも、私も西川くんたちと話してると楽しい!」

「そうだな。俺も西川と話してると楽しいぞ。それに尊敬してる。あんなこと考えついて、それを実行するなんて、俺には無理だから」

「私も先生の小説、好き」

 みんなの言葉を受け止め、西川はかなり顔が赤くなっていた。もしかして、こいつ褒められ慣れてない?でも、基本エゴサはするらしいし、褒められ慣れてはいるみたいだし…。あ、たしかサイン会はまだ開催されてなかった。直接褒められるのに慣れていないのかもしれない。

「だぁあ!今日は奢りだ!好きなの言え!」

「おー、太っ腹だねー!なら、私はサイダーをチョイスだ!」

「相浦、もうさっき買ってたろ」

「サイダーは別腹なのだよー!」

「相変わらずだな。じゃ、俺はコーラ!」

「私、天然水」

「お前ら容赦ないな…。あ、俺カフェオレ。冷たいヤツな」

「お前も人のこと言えんだろ。まぁ、今日は気がいい。別にいいさ」

 そう言うと、千円札を取り出し、次々とボタンを押して行った。全部覚えているのか…。小説家やってると、記憶力とかも上がるのかな。すると、遠くから声が聞こえてきた。

「わー、今日はみんな勢揃いなのね」

「あ、姉ちゃん」

 実は、少しお使いを頼んで置いたのだ。これなら、生活スキル皆無の姉ちゃんでも実行することが出来るだろう。ちなみに、かなり細かい情報まで書いておいたので、変なものを買ってくることは無いだろう。

「げっ」

「んふー」

「ふぬぬ…」

 ギクリと西川は震え、春宮の後ろに隠れるも、姉ちゃんにはお見通し。じわりじわりと春宮に近づく。春宮は必死に隠そうとするも、フェイント気味に抜かれ、西川を抱き抱えた。

「わーい、蓮くんゲーっと!」

「離せー!離せ変態娘ー!」

 手足をじたばたさせるも、西川はかなり背が小さいため、地面に足すらつかない。どのくらい小さいかと言うと、高一の女子生徒より小さい。中三の平均身長くらいだろうか。もちろん女子の。まぁ、この身長も相まってこいつはほんとに女子にしか見えない。

「返してー」

「佳奈ちゃんのじゃないわよ」

「お前のでもない!さっさと、迅速且つ速やかに離せー!」

「そのくらいにしとけよ、姉ちゃん」

 俺の言葉に、姉ちゃんは「えー」と嫌そうにするも、ゆっくり西川を降ろした。そしてまたもや春宮の後ろに隠れる。女子に隠れる男子とは…。ちなみに、なぜ春宮に隠れるのだろう。

「じゃ、私たちはこっちだから!さらばっ!」

 しゅばっと、相浦が手を挙げて、交差点を右に曲がる。その後ろを追うように、「じゃなー」と言ってヒラヒラと手を振る榎原。二人は両生活だからな。俺たちは左だ。

「おう、じゃあな」

「バイバイ」

「お前はこっちだ」

 何故か二人の後を追おうとする春宮の首根っこを引っつかむ。バタバタと暴れるも、流石に男と女。体格に差もあるし、俺も人並みには力があるため、春宮は「ぐぇ」と声を上げて前に進めなくなる。

「むぅ、離して」

「今日はハンバーグだぞ」

「さ、早く帰ろー」

 現金なヤツめ。あれから土曜の夕飯はハンバーグを食べることになっていた。理由は簡単。春宮がハンバーグが好きだからだ。先週は野菜を食べたいと言っていたためキャベツロールにしたが、基本はこれからもハンバーグになるだろう。

 にしても、春宮はいつ告白しようとか、考えているんだろうか。それとも、おいおい考えるんだろうか。まぁ、いつまでも相浦に告白できない俺が気にすることでもないだろう。それに、今のこいつはハンバーグに目がないそうだし。


「あら、蓮ちゃん。髪そのままなのね。てっきりあたしったら、バッサリ切ってくるんじゃないかって思ってた」

「失恋した女子じゃないんだからさ。それに…好きなんだ。この髪型」

「そう、ならあたしからも一言。可愛いと思うわよ、その髪型」

「えへへ」

 そう、この髪型が俺は好きだ。少なくとも、母さんが帰ってくるまでは、このままだろう。この髪型が好きな理由は、鏡に笑いかけたら、母さんが帰ってくるまでは、笑いかけてくれるからだ。でも、毎回まちがいさがしになってしまう。口角がもう少し下がっていた、目じりがつり目がちだ、笑顔が子供っぽい。

 やっぱり、母さんが戻ってこないと、この穴は埋まらないんだと思う。

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