第52話 サクリファイス
開拓者の像の前に、決して噛み合わぬ歯車三者が揃った。倫理と論理の輪から外れた奇人、ルー・ルシアン。かつてセイレンの名を冠し、世の不浄を浄化した救世主、ネムレス。死して尚死なぬ男、門倉冬美。
「間に合って良かったよ。一人だけ仲間外れになるなんて、悲しいじゃないか」
ルー・ルシアンは【浄化】を望んでいた。蘇りという禁忌を犯したルー・ルシアンは、死を免れる術を知り得たが、死を殺す方法を会得出来ずにいた。そんなルー・ルシアンのもとに、奇妙な噂が届く。聖歌高校という学校の敷地にて、浄化の力を持つセイレンが封じられている事を。探求心に駆られたルー・ルシアンは、死ねない呪いを掛けた門倉冬美に嘘の依頼を話し、彼の良心を焚きつけて、セイレンを釣る餌とした。
ルー・ルシアンの策略は思い通りに進み、残す工程は、セイレンを門倉冬美に埋め込んだ厄物に宿すだけ。二人の前に立ち、目的完遂間近となった今、ルー・ルシアンはアクシデントに見舞われていた。
要である厄物が機能していない。それに気付いたのは、門倉冬美を前にした時だった。
「お会い出来て光栄ですよ、ルー・ルシアン。彼が言うように、あなたは人間達が感じる事も出来ない領域、この世界の外に足を踏み込んでいるようだ」
ネムレスは【帰還】を望んでいた。セイレンとしてこの地に降り立ち、主である開拓者から命じられた浄化を果たした彼に、もはやこの地に存在する意味は無かった。十二の怪異と守り人による監視付きの封印を施されていたが、それには何の意味も無かった。
では、何故ネムレスは封印されたままであったか。それはひとえに、人間を愛していたからだ。人間の成長、芽生え、堕落。それら全てが、愛おしかった。
だからこそ、封印を解く役割も人間の手でなければいけなかった。しかし、自身にとって紙屑同然の封印であっても、人間からすれば難攻不落の牙城。それが十二もあるとなれば、並大抵の人間では務まらない。
そこに、門倉冬美が現れた。人にも怪異にもなれぬ門倉冬美は、自身の封印を解く人材だとネムレスは確信した。ネムレスの期待通り、門倉冬美は優しく、脆く、愚かであった。それ故に、何の得にもならない事に死力を尽くした。ネムレスは門倉冬美を特筆して愛した。
見事封印を解いた門倉冬美であったが、心身共に使い果たした彼は死に戻ってしまう。ネムレスは彼の亡骸を教会に運ぶと、彼の内で蝕む不浄を全て浄化し、空っぽにした。
自らの故郷に連れ帰る為に。
「……フッ。どうやら、俺は邪魔者みたいだな。少し休んだおかげで、動けるようになったし、俺は先に退場するよ」
門倉冬美は【下剋上】を望んでいた。死産から始まった門倉冬美の人生に、幸福の結末は訪れなかった。出会い、気付き、別れる。この繰り返しの人生であった。ルー・ルシアンによって埋め込まれた厄物によって死ぬ事が出来なくなった門倉冬美の死は、他の誰かに降りかかる。過程の長さは差異あれど、一度でも門倉冬美と接した者に、例外なく死が訪れる。
そんな彼の唯一の救いが怪異化であった。人の想いが歪み、捻じ曲がる事で怪異に変異する。それこそが、門倉冬美が撒き散らす死から逃れる唯一の方法。その事に、門倉冬美はなんとなくだが気付いていた。現に、この二ヵ月で門倉冬美と親しくなった者が死なずに済んでいるのも、既に人から逸脱した存在に変わり果てているからだ。
生きているだけで人を不幸に巻き込む門倉冬美であったが、彼自身は人間だと思い込んでいる。そんな彼が今一番望む事は、人間ではどうやっても勝てない相手への下剋上。その望みを叶えられるのは、門倉冬美が知る限り、ルー・ルシアンただ一人。他力本願だと自覚しているものの、結果を重視する門倉冬美にとっては、どうでもいい事なのだ。
このように、三者三様の望みを持つ三人。しかし、門倉冬美を除いた二人に共通点が生まれた。
(邪魔者だなんてとんでもない。むしろ、ここからが君の出番なんだよ。機能しなくなったのなら、また新しい厄物を埋め込めばいい。だから、君にはまだここにいてもらう)
(ワタシの門倉冬美。空っぽとなった君を人間が愛せるか? 君を愛せるのは、もはやワタシだけなのだ)
ルー・ルシアン、ネムレス。二人の望みは違えど、要は同じ。五感がハッキリとしていない門倉冬美が、背後から睨む二人の視線に気付く事はなかった。
仕掛けたタイミングは、ほぼ同時であった。ルー・ルシアンは片手の印で召喚した蛇札を門倉冬美の体に巻き付けて拘束した。右手を前に出したネムレスは、教会にある全ての長椅子を浮かせ、出入り口に強固なバリケートを築いた。
一瞬の間に行われた出来事に、門倉冬美の理解は追いつかない。目を丸くさせ、床に倒れた自身の体を二人の方へ反転させると、息を大きく吸い込んで怒号を放った。
「早いんだよ!!! 俺はてめぇらと違って凡人なんだ!!! 非凡の領域に俺を巻き込むな!!!」
「アッハハハ! いや、ごめんごめん。君が出ていこうとしてたから、つい」
「大体、術を掛ける相手が違う!! 相手はてめぇの隣にいるカルト教祖だろうが!!」
「カルト教祖とは失礼ですね。むしろ、君達人間が創作した神こそ、カルトでは?」
「知るか! 俺は無宗教派だ!! チッ、頭にきた! 一発ぶん殴って……俺の怒りを……こんのぉ……ググッ……全然動けねぇぇぇ!!!」
「元気だね~」
「可愛らしい」
必死に拘束を解こうとする門倉冬美の前で、ルー・ルシアンとネムレスの足が止まった。二人は門倉冬美を見下ろしながら、お互いの腹を探った。同じ領域に立ち、同じ実力を持つ二人が意思疎通を可能にするまで、時間は掛からなかった。
「ルー・ルシアン。ワタシの望みは故郷への帰還ですが、彼がいなくては意味が無いのです。そこで提案です。あなたの術でなら、ワタシ、あるいは彼。どちらか一方の器に収める事が可能なのでは?」
「とんだ変態だな。まぁ、元々そのつもりだったし。片方が乗り気なら、私も余計な罪悪感を抱かずにすむよ」
「心にもない事を」
「一応は持ってるさ。細かく分散させてしまった所為で、胸の内が痒くなる程度だけど」
ルー・ルシアンは懐から新しい厄物を取り出した。既に門倉冬美に埋め込んである厄物と同じ物であるが、形状がやや異なっている。
門倉冬美は今になってようやく気付く。全ては、ルー・ルシアンの思惑通りに進んでいる事に。その事に、ネムレスは気付いていない。全ての物事が、ルー・ルシアンにとって都合の良い方向へと進んでいく。
そのカラクリの正体は、ルー・ルシアンが門倉冬美に掛けていたもう一つの呪いに起因している。ルー・ルシアンは門倉冬美が死ねない事をいいことに、特異な存在を惹き付ける魅力を付け加えていた。呪いを掛けた自身にも向けられる術であったが、既にルー・ルシアンは自分自身の虜になっている為、効き目が無い。門倉冬美よりも、自身の探求心が優先されてしまう。
だからこそ、ルー・ルシアンは見落とし、失敗する。ネムレスは門倉冬美の不浄を浄化していた。憑りついた何万もの守り人や怪我による苦痛は消え、埋め込まれた厄物の機能は一時停止した。厄物は、宿主である門倉冬美の応答を待っている。
逃げ場の無い背水の陣。どうあっても敵わない上位の存在。危機的状況に陥った門倉冬美は、頭の中でよぎった存在に縋る。
(クロ……!)
宿主からの応答による再起動。おまけに、門倉冬美に埋め込んだ厄物は開花間近。ルー・ルシアンとネムレスに及ばずとも、意識外からの奇襲に限り、力の差は逆転する。
白い教会を暗闇が覆う。それが巨大な口だとルー・ルシアンとネムレスは理解したが、その存在に反撃する程の強力な攻撃を放つには、時間が無さ過ぎた。
再び教会が元の景色に戻ると、ルー・ルシアンとネムレスの姿は無く、代わりにクロが門倉冬美の前に立っていた。クロは門倉冬美の体に巻き付く蛇札を消滅させると、その大きな体で門倉冬美を抱き包んだ。
「……帰るか」
出入り口を塞いでいたバリケートを消滅させ、二人は教会から出ていく。教会から出た二人を出迎えたのは、空が太陽を隠す前に降る雨であった。頬に当たる雨は陽光を帯び、人肌のように温かった。
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