第40話 バッドコミュニケーション

 霧の中を歩いていると、突然何かにぶつかった。見ると、目の前には今の俺と同じように、困惑した表情を浮かべる俺がいた。ゆっくりと手を伸ばしていくと、目の前の俺も同じように手を伸ばし、互いの手と手が合わさった。冷たい感触。肌の体温ではなく、無機質な冷たさ。これは鏡だ。 


 すると、またどこからか音楽が流れてきた。圧迫感のある低い音と一定間隔で鳴る鐘の音。森の中で聴いた幻想的な曲とは違い、不安を煽ってくる曲だ。


 気付けば、周囲が鏡で埋め尽くされていた。全く身動きが取れないわけではなく、迷路のようになっている。目の前に鏡があるかどうかが分かりにくい為、手を伸ばして探り探りで行かなければ、またぶつかってしまいそうだ。


 手探りで進んでいくと、心の姿が現れた。彼女のもとへ行こうとするが、鏡が邪魔をして一直線に行けない。そうこうしている間に彼女は慣れた足取りで移動し始めた。




「遊園地でもこんな場所があったが、やっぱりこういうのは苦手だな」




「……あの女と行ったの?」




「あの女? あー、宮下さんの事か。違うよ。別の女だ」




「顔が可愛らしいと、近付く女も多いんだね」




「得をした事は無いがな」




「……私は独りだった。学校の連中はもちろん、家族さえ私を独りにした。私の事を知ろうともせず、一方的に離れていった」




「人は外見から人柄を判断するもの。どんな聖人であっても、内面の前に外見から判断する。そこで不信感を抱かれれば、近付いてはこない。歩み寄ってくるのは、馬鹿か、悪者だけ」




「冬美はどっち?」




「時と場合によって使い分けてるよ」




 鏡の迷路を進みながら心のもとへ行こうとしているが、一向に辿り着く気配が無い。それはおそらく、俺が近付く度に、心が俺から離れていってるからだろう。


 一つ前の森の中の時もそうだったが、心は俺と一定の距離を保っている。この加護から脱出したくないというのもあるが、俺と話をしたいというのも理由の一つだろう。




「冬美。今までの友達との思い出で、一番楽しかった出来事は何?」




「無いな。俺の思い出は全て悲劇だ。過程はどうあれ、最後は悲劇に終わる」




「人付き合いが下手なの?」




「まぁ、そうとも言える。宮下さんいわく、俺は人の心を読み取れない男らしい」




「確かに。私と話しているのに、他の女の名前を出す所なんてまさにそう」




「ハッ。妬いてるのか?」




「確認しなきゃ分からないの? 馬鹿ね」




 話している内に、着々と心との距離が縮まってきた。曲がり道を曲がると、そのまま真っ直ぐ進めば心を捕まえられる。


 しかし、そう上手くいくはずもなく、あと一歩という所で鏡が障害となって阻んだ。目と鼻の先に、心がいるというのに、触れることが出来ない。


 しばらく無言で目を合わせていると、心が鏡に手の平を当ててきた。その手の平に合わせるようにして、俺も手の平を鏡に当てた。手と手が合わさっているように見えても、その間に薄い鏡があり、お互いの体温を感じ取る事が出来ない。これでは、触れ合っているとは言えない。




「……まるで、今の私達のよう。お互いに理解し合えているように見えて、その間にはこんな薄い鏡のような壁がある。冬美は私を理解出来るのに、私を理解しようとしてくれない。私は冬美を理解しようとしているのに、冬美を理解する事が出来ない」




「俺達はまだ知り合ったばかりだ。初めから理解し合えるなんて、誰だって無理な事だ」




「運命の相手だったら? 私は冬美を運命の相手だと思ってる!」




「それは物語の中だけだ。現実の人間関係は酷く複雑で、理不尽なもの。昨日まで仲良く話していた人間が、今日になって敵になる時もある。人間同士の繋がりなんて、簡単に解けてしまうものだ」




「……本当に、酷い奴……! 人が欲しがってる言葉も察せないなんて……!」




「君は嘘の言葉だけが欲しいのか? 偽りの言葉では、何も満たせない」




「そういう所が酷いって言ってるの!!!」




 俺の言葉が気に障ったのか、心は怒りを露わにした。鏡に当てていた手を離し、俺から背を向けて立ち去ろうとしていたが、その先が鏡だと忘れていたのか、鏡に顔からぶつかってしまった。


 


「ブベッ!? い、痛い……」




「……プッ!」




「わ、笑ったの? 人が痛がる姿を見て!?」




「だ、だってさ! さっきまで自分の庭のように歩いてた人間が、顔からぶつかるなんて……ハハハ!」




「ッ!? 笑うな! 笑う……な……ぅぅ……!」




 心が膝を抱えてうずくまると、曲が強制的に終了した。周囲は再び霧に包まれ、囲っていた鏡も、心の姿も霧の中へと消えていった。


 やらかした。俺は何故笑いを堪えられなかったんだ。この加護の空間は、心を守るための空間。彼女が苦しめば、加護は彼女を癒す為に効果を発動する。今までのは心自身が起こしていたものであって、今回のは加護が発動したもの。となれば、前より増して心と出会うのが困難になる。


 


「なにやってんだろうな……」




 人に害を与える怪異とは違い、加護の怪異は人を守るもの。それ故に、対処法は前者の怪異とは別の厄介さがある。怪異が守る対象の人間からの信頼を得なければ、この空間から脱出する事も出来ない。下手をしたら、俺は一生霧の中を彷徨う羽目になる。


 後悔しても何も変わらない。とにかく今は足を進めよう。心を見つけるまで時間が掛かるかもしれないが、足を動かさなければ何も始まらない。

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