第39話 霧に包まれた世界

 割れた貝殻を指で遊ばせながら、波打ち際で裸足になっている宮下さんを眺めた。手を後ろに組んで、足で水を蹴ってるだけ。それだけで絵になる人だ。瞳の奇病が無くても、きっと人気者になっただろう。ただ、その輪の中に俺が入る事は無い。俺は一つの場所に留まる事が嫌いだ。場所も、人も。


 


「それで? 話って何ですか? もう掃除は終わって自由時間ですが、宮下さんに自由は無いでしょ?」




「人に囲まれるのって悪い気分じゃないけど、ストレスも溜まる。嫌いな人はいないけど、私が好きな人はいない。私から行かなきゃ、すぐに別の女の所にいる」




「……それ、俺の事ですか?」




「別に悪く言うつもりはない。私の想いは一方通行だし。問題は、門倉君が引き寄せる女。鷺宮心。門倉君以外で入学式に現れなかった人物。不登校気味で、今日が二度目の登校。中学時代に六人の女生徒をカッターで切りつけた問題児。家族とは絶縁状態で、今は一人暮らし。そんな彼女が、門倉君の上に跨って、首に手をかけてた」


 


 相変わらず宮下さんの知識は怖い。全校生徒の情報を知り尽くしているのだろうか? 悪巧みをする人じゃなくて良かった。


 それにしても、心にそんな過去があったとは。六人の女生徒をカッターで切りつけたのは立派な犯罪だが、そんな人物がどうして聖歌高校に入れたんだ? 俺と同じで、誰かの力で入学した、とか。邪推は止そう。俺は鷺宮心という人物を何も知らないんだ。


 今更気になったが、俺の首を絞めようとした時、心は自分の首も絞めようとした。俺を殺すだけなら、自分の首を絞める必要は無い。彼女は確か「私を理解して」と言っていたな。




「……共感か。だが、何を俺に……直接聞いてみるか」




「会いにいくつもり? 自分を殺そうとした相手に?」




「多分、そういうんじゃないと思う。ただ彼女は、俺に何かを知ってほしいだけなんだ」




「随分とご執心なようね。彼女に惹かれるものでもあった?」




「さぁね。それじゃあ、俺は行くよ。宮下さんも皆の所に戻れば?」




「フフ……門倉君はもう少し、他人の気持ちを考えた方がいいと思うよ?」




「頭に入れとく。じゃあな」




 ズボンについた砂を払い、心を捜しに行った。わざわざ岩場に隠れて昼ご飯を食べてたのから考えて、人がいる場所にはいないだろう。何処か人気の無い場所。駐車場に行ってみよう。


 駐車場に来ると、そこには俺達が乗ってきた二台のバスが停まっていた。運転手は二人して何処かに行っているようだ。俺のクラスが乗ってきたバスの方へ行くと、ドアが開けっぱなしになっていた。不用心な。


 バスの中に入ったものの、人の気配は無かった。ここには心はいないのか。




「……ん?」




 後ろの方の席で、青い煙が発生しているのが見えた。席に近付いて見てみると、そこには誰も座っておらず、綺麗な貝殻一枚だけが席に置かれていた。見えた青い煙は、その貝殻から発生している。四月の行事で見つけた紫煙とは違い、青い煙は加護。加護の効果は様々だが、害のあるものではない。


 俺が貝殻に触れた瞬間、全身の毛が逆立つのを感じた。窓の外を見ると、景色が全く見えない霧に覆われている。おそらく加護の効果によるものだが、何かおかしい。これでは、現象を起こす紫煙の効果だ。


 バスから降りて、霧に覆われた外に出た。霧の所為か、周囲の気配が探れず、頭の中が妙に蕩ける。何かを考えようとする前に、その考え事が溶けて無くなっていくようだ。


 心の事も気掛かりだが、これは五月の行事の怪異だ。先にこっちを片付けよう。加護の効果は、持ち主を守る為に発動する。つまり、この霧の何処かに持ち主が隠されている。持ち主を見つけ出し、元の世界に戻るように説得すれば、加護の効果も無くなる。


 だが、何故俺が入れたんだ?     




「冬美」




 霧の奥から声が聞こえてきた。この声、心か。  




「君があの貝殻を拾ったのか。ここは危険だ。早く戻ろう」




「ここは安全だよ。誰もいないし、誰も来ない」




「俺は来たぞ。いいから、早く帰ろう……聞いてるのか?」




 心は俺の問いかけに返事をしなくなった。別の場所に移動したのだろうか。見つけ出して、ちゃんと話さないと。


 霧の中を彷徨い歩いていると、何処からか音楽が聴こえてきた。それと共に、周囲が森の中に変化した。この音楽は、バスの中で聴いた心の曲。曲に合わせた場所に変化しているのか。


 森の中を歩き進んでいくと、横の茂みを挟んだ向かい側に心の姿があった。茂みを通ろうとしたが、見えない壁があるのか、心の方へ行く事が出来ない。




「この場所、曲にピッタリ」 




「そうだな。怖くないか? 何処からともなく音楽が流れて、場所が変化するのは」




「全然。むしろ、嬉しいの。歩きながら話しましょ」




 歩き出した心に合わせて、俺も同じ歩幅とスピードで歩いた。心の姿を見失わないように、視界に心の姿を捉えながら。




「私が音楽に興味を示したのは、初めてイジメられた小学生の頃。ただ他人よりも暗いだけで、酷い言葉を言われてね。悲しくなって、帰り道に独りで泣いてた。そんな時、音楽が聴こえたの。ちょうど今みたいに、何処か分からない所から」




「それで、イジメの件はどうなった?」




「解決したよ。この手でね。それからイジメられる事は無くなったけど、その学校にはいられなくなった。別の街に引っ越して、中学生になって……またイジメられた。今度は、言葉だけじゃなかった。ボロボロに傷付いた私を、彼女達は写真を撮って愉しんでた。悔しくて、辛くて……そしたら、また音楽が聴こえてきた。音楽はいつも私を後押ししてくれる。気付いたら、私をイジメてた彼女達がボロボロになってた」




「気分は晴れましたか? 自分に嫌な事をしていた奴らをこらしめて」


 


「全然。あいつらが血だらけになったって、私の痛みが消えるわけじゃない。音楽だけが、私の苦しみを癒してくれるの。私の音楽だけが、私を救ってくれる……そろそろ次の曲に変わる。また私を見つけてね」




 そう言うと、音楽が鳴り止み、森と共に心の姿が霧に消えていった。あの感じじゃ、現実に戻るように説得するのは無理だ。面倒だが、彼女に付き合うしかない。曲のリストが少ない事を願おう。 

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